過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

[第四聯]
けれどもこれら新世代沖積世の                         イメージ 1
巨大に明るい時間の集積のなで    
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一點にも均しい明暗のうちに
     (あるひは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を變じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史、あるひは地史といふものも
それのいろいろの論料といっしょに
 (因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたったころは
それ相當のちがった地質學が流用され
相當した證據もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいっぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大學士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を發堀したり
あるひは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません
[意訳]
 ところで、私がこれまで書いてきた童話に見るように、私の感性と思考の対象は、もともと自然や人間のみではなかった。よだかやカラス、熊や鹿、自然の風景や木々、小さな草花などの、有機体の生命をもつものの一切と、言葉を交わすことが出来た。そればかりではない。無機物の石ころや土壌、岩石やその下の地層さえもがわたくしには、かって命あったもの、いまも生命ある者のごとく見えていた。さらに太陽や銀河や星、コスモスさえもが生命体であるかのごとくに見えたのだった。
 『よだかの星』や『烏の北斗七星』、あれらの物語は、ひとりわたくしだけの、「ア・プリオリな総合判断」に過ぎなかったのか。まさかそんな筈はない。あのトランクいっぱいのイーハトヴのほんとうの物語は、世界の真理の論料として、確かにわたくしが書き記したものだった。
 デカルトによって中世のスコラを脱し、明晰さを取り戻した理性の力。「ひとそれぞれ」、私たちのだれもがもつ、この主観という場所は、近代になって人間が手に入れた、自分で考えるための大切な足場だ。このとき人間は「わたくし」から「世界」を考える力を獲得した。これは人間にとって、古代ギリシャのプロメテウスの火に次ぐ2000年来の、第二の火の獲得と言っていい。
 斯くして、単なる純粋悟性や純粋理性からする物の認識は、すべて単なる仮象にほかならず真理は経験のうちに存する。真理は体系のうちに存するのではなく経験のうちに対象との出会いによって得られるものであり、認識にとって、感性的契機がぜひとも必要なのである。
 この度、新進の士のこの小論が、膨大な賢治論料のなかで、小さな発見の足跡になればと願うばかりです。
[補註]
⑤「ア・プリオリな総合判断」、これこそカント哲学の主導概念なのである。学問的真理や科学的命題はこの「ア ・プリオリな総合判断」とされる。
  カントによるとあらゆる認識は判断の形をとる。判断は主語と述語で構成され、二種類に分類される。
1).すでに主語概念に含まれている概念を述語としても つ判断を「分析判断」という。この種の判断が「分析 的」と呼ばれるのは、主語概念を分析すると、述語がおのずと出てくるからである。たとえば、「物体は広がりをもつ」という判断の場合、「広がり」という述語は 「物体」という主語概念の定義の中にすでに含まれており、従って「物体」を分析すれば「広がり」はその中に見いだされうる。
2).それに対して、もともと主語概念には含まれない述語を、主語概念と結びつける判断があり、それを「総合判断」という。これが「総合」と呼ばれるのは、互いに含意しあわない二つの異なった概念を結びつけるからである。たとえば、「海は青い」という判断の場合、 「青」は「水」や「塩分」その他の概念とちがって「海」 という概念に本質的に含まれているわけではなく、この概念の外から取ってこられたものであるから、それは総合的である。
  「海は青い」が意味ある命題として成りたっているのは、「海」に「青」を正当に結びつけることを保証する直感の助けによる。この命題にかぎらず、一般に有意味な命題はそれに対応する直感によって裏づけられる。理性の誤謬や仮象、二律背反によってそれぞれの主張が無意味で空虚な、しかも自己矛盾する結果に陥るのは煎じつめれば、判断の有意味性を保証する直感、経験という契機を欠いていたからにほかならない。 その意味では、総合判断が「総合的」と呼ばれるのは、右に述べたように単に主語に含まれていない概念を主語と総合するからというにとどまらず、より積極的には、概念と直感の総合を実現するから、ということができるであろう。
[第五聯]
すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます
      大正十三年一月廿日  宮澤賢治
[意訳]
 すべての命題は、感性的直感と時空のア・プリオリな「現象」として、私の理性が的確に認識、処理し、四次元連続体という相貌の図式をもって主張されます。
[補註]
⑥我々にとって世界とは、外的には自然であり、内的には人間、心である。そしてまた世界とは、我々それぞれが、運命という芝居を演ずる舞台でもある。
  最後にもう一度、賢治とカントの「世界」を確認しておこう。次の賢治の「青ぞらのはてのはて」の世界 (当時31才)とその次の「カントの世界」(当時57才) とはどう違うのだろうか。哲学とは徹頭徹尾、自分で考え抜くものなのである。イメージ 2
       「青ぞらのはてのはて」
   青ぞらのはてのはて
   水素さえあまりに希薄な気圏の上に
   「わたくしは世界一切である
   世界は移ろう青い夢の影である」
   などこのようなことすらも
   あまりに重くて考えられぬ
   永久で透明な生物の群が棲む
  世界は「所与」ではない。世界は経験を拡張し、事象をさかのぼるそのつど生起する。経験が生起するたびに、境界として生成する。世界とは「課題」である。 世界はそのときどき、いまだ規定されていないものとして、経験の地平であるにとどまる。世界という地平を欠いては経験そのことが不可能であるが、地平としての世界は、一切の可能な経験を超えている。経験はそれが世界に関わるものである限り、世界そのものを地平として前提している。世界それ自体については、その直接的で全体的な経験はけっしてありえない。世界とは経験を超えた、経験自身の地平である。  (了)

この記事に

開く コメント(5)

一、『春と修羅』序をめぐる状況
 『春と修羅』は、大正13年(1924年)4月に出版された宮沢賢治(当時28才、1896〜1933)の詩集である。
 大正10年(1921年)12月、花巻農学校教師となった賢治は、翌大正11年(1922年)1月、これまでの短歌の創作から詩作に転じた。冒頭の「屈折率」、「くらかけの雪」を皮切りに、以後の『春と修羅』第二集、第三集の草稿から文語詩稿にいたるまで、終生にわたる詩作が続いた。
 この『春と修羅』は、その農学校教師時代の前半の2年間(大正11、12年(26才〜27才))の作品を収録している。初めての詩作の高揚感と、妹の死の哀歌という、二面を有する作品群などからなる。
 詩集は四六版(188mm×130mm)で301頁、全体は8章、69篇の詩から構成されている。
 (1)春と修羅         19篇
 (2)真空溶媒         2篇
 (3)小岩井農場       1篇
 (4)グランド電柱      20篇
 (5)東岩手火山       4篇
 (6)無声慟哭         5篇
 (7)オホーツク挽歌     5篇
 (8)風景とオルゴール  13篇
 大正13年(1924年)1月賢治は、『春と修羅』を出版するために「序」を書いた。序は5聯、57行からなり、詩集の詩に比べて抽象的な比喩に富んでいて難解であると言われてきた。それは、冒頭の
  わたくしといふ現象は
  假定された有機交流電燈の
  ひとつの青い照明です
  (あらゆる透明な幽霊の複合体)
 この「わたくしといふ現象は・・・」の「現象」がそもそもの問題なのであった。この「現象」の解釈に躓き「假定された有機交流電燈の・・・」の「有機交流電燈」に躓いてしまっては、透明な幽霊の正体はおろか解読の気力をほとんど失ってしまうのである。
 この「現象」は、カント(1724〜1804)が『純粋理性批判』でコペルニクス的転回をなし遂げた「認識論」の重要概念である「現象」なのである。繰り返すがカントの「現象」であることが、重要なのである。(ただの文学的な現象であったり、『宮沢賢治語彙辞典』のフッサールの「現象学」であったり不分明である。カントの「現象」以外では第5聯へのブリッジ、5聯自体の解釈が難しい)。
  また、次の「假定された有機交流電燈の・・」の「有機交流電燈」は「有機体」、「有機生命体」のことであり、「透明な幽霊の複合体」は「有機生態系の現象」のことだ。カント哲学特有の「現象」と「物自体」という二元論が「透明な幽霊の複合体」という、二重の絶妙な表現となっているのだ。これはカントの第三批判書である『判断力批判』の第2部の「目的論的判断力批判」の「有機体」に関連していることとなる。
 以下に検討する『春と修羅』序の解読には、カントの哲学的な概念を適用し、カントの地平における『春と修羅』序の、認識と表現の射程を検証する。カントの適用が、序をスムースに読み解けると思うのは、ひとり私だけであろうか。
三、『春と修羅』序の意訳と補注イメージ 1
 序
[第一聯]
わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)
[意訳]
 カントが「現象の世界」といい、ショーペンハウエルが「世界は私の表象である」とした、この自然的世界。
 有機生命体として、この世界に生きるわれわれは、あらゆる生物と共に、広大無辺なこの自然界で、それぞれの生態系を形成しています。この生態系は、合目的性を有する、無駄のない、美しいものです。
 多様な有機生態系の生長のロゴスは、それぞれが自らを形成する力を有し、相互因果に満ちていてせはしくせはしくたしかにともりつづける、複合体としての共生の存在なのです。
(滅びても、その輝きは残るでしょう。)
[補註]
①この序の第一聯、第二聯は、いわゆる賢治の時空(時 間・空間)のリフレインから構成されている。「わたくしといふ現象は・・・」、冒頭のこの宣言はデカルトの「我思うゆえに我あり」に倣った力強い宣言となっている。この「現象」はカントの『純粋理性批判』(当時57才)の「認識論」の「現象」のことである。カントが「空間あるいは時間において直感されるすべてのもの、つまり我々にとって可能的な経験のすべての対象は、「現象」以外のなにものでもない。」と宣言したあの「時空のア(*)・プリオリな形式」の「現象」 のことだ。(*ア・プリオリ=経験に由来しない、 先行的な視点をもつ、普遍妥当性をもつ、以下同じ)
②また、同じく冒頭の「假定された有機交流電燈の・・」 の「有機交流電燈」は「有機体」、「有機生命体」のことであり、カントの第三批判書である『判断力批判』(当時66才)の、第2部の「目的論的判断力批判」の「有機体」に関連していることとなる。
  この『判断力批判』でカントは、自然界の有機生態系のメカニズム、生長のロゴスの解明に、目的論的自然観を導入している。この有機体についての考察が後に『永遠平和のために』の著作として結実したという。            
[第二聯]                               イメージ 2
これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鑛質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです
[意訳]
 これらの詩篇は、過去22ヶ月間の、わたくしと対象との出会い、わたくしの身に起こったさまざまな出来事の、その時々の思考と経験を書き留めたものです。
 (すべての対象はいつどこでという、ア・プリオリな時間・空間の形式をもち、みんなに共通です。)
 その明暗のひとくさりづつ、「感性的直感」と「時空のア・プリオリな形式」による「現象」であり、そのとおりのスケッチです。
[補註]
③「時間・空間は主観の性質、ア・プリオリな感性的直感である」、カントが沈黙の十年を懸けて生み出したこの思想が、物自体と思われていた対象が、実は「現象」であるという発見となった。
  「時間と空間が感性の形式」として作用する領域が カントの「現象」なのであり、これのみが、われわれにとって有意味な認識の領域にほかならない。なぜなら認識の内容は、センスデータとして与えられなければならないが、それは常に我々に固有の空間と時間という窓口をとおしてしか与えられないからである。
[第三聯]
これらについて人や銀河や修羅や海膽は
宇宙塵をたべ、または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)
[意訳]
 有機生態系の多様な生命世界、有機体は発生すると、なぜか各有機体にとっての世界が開かれるのだ。その一部は見えるようになる。そしてさらにその一部は言語を学ぶ。私たちは正しい認識、リアルな認識とは、私たちが本当にあると思っているもの、例えば、緑の木々や光り輝く太陽や、青い空、森のささやきと静けさ。これらは、私たちとは無関係にまずちゃんと実在していて、だから私たちはそれらを見たり聞いたりすることができる、という風に考えています。
 しかしカントは、「外界をそのままの客観として認識できるのではなく、対象がわれわれの認識に従う」という、「超越論的対象」の概念によって、経験的認識の客観性を基礎づけ、「超越論的真理」の成立する「経験の地平」という領野を拓いたのでした。
[補註]
④これまでの「認識論」では「真理とは、認識とその対象との合致」、すなわち観念の秩序と事物の秩序との間 の一致という理念に基づいていた。この主観と客観との間の調和の理念に、対象への主観的な能力である「現 象」の概念を導入して、客観への従属の原理を置き換えてしまったこと、これがカント本人が自ら命名した 「コペルニクス的転回」であった。これは「主観‐客観」図式の転換であり、古代ギリシャのプラトン以来の英知、価値観の逆転であった。(続く)
 

この記事に

開く コメント(0)

全1ページ

[1]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事