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07【四千里征伐】
『三國志卷三』魏書明帝紀 【帝曰「四千里征伐、雖云用奇亦當任力、不當稍計役費。」遂以四萬人行】
明帝は次のように語った。
奇策 (倭の軍隊) を用いるので、四千里のかなたに居る公孫氏を滅ぼすのに、わずかな軍費で済むだろう。
ついに四万の兵を引きいて、将軍司馬懿は公孫淵の征伐に向かった。
ここに記載されている【四千里征伐】とは、魏の洛陽(京都)から公孫氏の居城の在る襄平までの距離を指しています。
中国古代の地図に描かれている道路を基にして、洛陽から襄平までの距離を測ったところ【1,517km】でした。
いっぽう魏志倭人伝によれば、ソウル (帯方郡) から泗川市 (狗邪韓國) までの七千餘里は【963km】です。
すると明帝紀の一里は【380m】という事になりますが、実際は【430m】です。
したがって魏志倭人伝の一里【137m】は明帝紀の一里の約1/3でしかありません。
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