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昨日、賀茂真淵翁が祀られている縣居神社・賀茂真淵記念館に行き、改めて国学四大大人の偉業を知るとともに、本居宣長翁を祀る松坂の本居宣長神社に興味が湧き、休む間も無く今日は松坂に出かけていました。
私は本当に落ち着きの無い人物ですね。
大変お恥ずかしい話なのですが、私はこれまで記念館と本居宣長翁が祀られている神式の奥墓「山室山」には足を運んだ事はあるのですが、本居宣長ノ宮には一度も参拝した事が無かったのです。
うーん、近い伊勢に住んでいるのに・・・・不敬でしたね。
本居宣長ノ宮は、御祭神は秋津彦美豆櫻根大人こと本居宣長翁と相殿神 神霊能真柱大人こと平田篤胤翁で、例祭は4月第一日曜日の宣長まつり・11月8日秋季大祭(遷座記念祭)です。
明治初年、川口常文等が本居宣長翁を神として祀る運動を起こし、明治8年山室山の本居宣長翁の奥墓の傍に社字を建て、山室山神社と号し祭祀したのが創祀です。明治22年に現松坂市役所所在地に遷座、明治36年県社に昇格、大正4年現在の鎮座地に遷座。昭和6年本居神社に改称。平成7年社号を本居宣長ノ宮に改称。全国的にも珍しい氏子の居ない神社で、受験シーズンは地元の受験生で境内が賑わうそうです。御祭神が本居宣長翁以外に平田篤胤翁しか存在しないというところに平田派国学者の影が見えますね。恐らく明治初年の創始から、平田派国学者が大きく創祀に関わったと思われます。(野呂万次郎等が平田篤胤合祀を求め、異論もあったが結局主張が通った経緯があるそうです)
また、本居会館という会館もあり神前結婚式も受け付けています。あれっ?確か宣長先生バツイチだったような・・・・。まぁ、仲睦まじかった二人目の妻かつと宣長先生の様な家庭になるよう祈願したらいいですしね。(フォロー)宣長一家の絆は深く、宣長先生は子煩悩で息子の春庭の失明の際は全国を駆け巡って医者を探し、失明した息子を連れ多くの医者を頼っています。また失明した兄春庭を助ける為、妹飛騨はそれこそ兄の目となり手となり足となり兄を助けています。宣長先生の妻かつは宣長先生に尽くし、子に愛を注ぎ正に良妻賢母の鑑であったそうです。余談ですが、宣長先生はかつが京都に旅行した際、妻の恋しさのあまり「はやく帰ってきて欲しい」という手紙を送っています。
参拝後、授与所で御朱印を頂きましたが宮司さんが私の朱印帳を見て「縣居神社に御参りしたんだね」ととても喜んで下さいました。御朱印は有名な「しき嶋のやまとごころを人とはば朝日ににほふ山ざくら花」という自画自賛像の賛が書かれ、印は鈴と桜の図が施された物でこれらはいずれも宣長先生が愛されたものです。
記念館は一回生のとき大学の行事で拝観した事がありますが、改めてみると史料の多さと展示の巧みさに驚きました。わかりやすくユーモアにあふれた解説文や松坂名所スタンプラリーなど地域に貢献する企画がとても印象的でした。宣長先生はどちらかというと国学をプロだけの学問にせず出来るだけわかりやすく多くの人々に伝えた方でありましたので、この試みは宣長先生の精神に則ったものと解釈できますね。
売店で売っている学習漫画も大変面白いものでした。あっ、学習漫画を馬鹿にしてはいけませんよ。学習漫画は史料に則り建築物や人物・風景を再現し、また史料をカラーで紹介したもので監修も記念館の館長が担当されており内容もしっかりしています。(まぁ、世に出ている学習漫画の一部には酷いものもありますが)
記念館の拝観したあと、本居宣長旧宅 鈴屋を拝観しましたが、宣長一家が今でも生活していそうなアットホームな雰囲気のある建物でした。
今日も結局落ち着けませんでしたね・・・・。
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岡野弘彦さんの回顧録、タイトルをド忘れしたのですが、それに戦前の山室山参拝の様子が描かれていますよ。おそらく図書館にあると思うので、お読みになってはいかがでしょうか?でも、もうご存知かも知れませんね。
2007/3/8(木) 午後 5:56
ありがとうございます!実は戦前の山室山の様子がわかる資料が無くて困っていたところでした。早速図書館で探してみます。大学では秋の山室山参拝が相変わらず一回生の恒例行事として続いています・・・・。
2007/3/8(木) 午後 11:07
私もここ訪問しましたよ^^
2009/5/14(木) 午後 5:25