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私の大学にも勿論大学院があります。神道を専攻する大学院は珍しい存在で、年々何人かが他大学から神道を学びに来る人が見えます。(中には中国からも!)うちの大学からそのまま大学院に行き、学部よりもさらに研究しようとする人も多く存在します。
今日は、国史学の院に行こうとしている友達と大学院について話し合いました。その友達は「歴史で飯を食う」生活を送ることが夢で、近世と律令体制の研究では学部に敵がいないほどの秀才です。話しているうちにお互い熱くなりまして、ついつい時間も忘れて話し込んでしまいました。その友達とは学科は違いますが、同じ釜の飯を寮で食べて同じ皇学を学び合う仲。出来れば一緒にこれからも学びあいたいのですが・・・・。
・・・・・・・実は私も大学院を考えていた時期がありました。多くの友達や先生が勧めてくれましたし、実習先の神職さんが強く大学院の道を勧めてくれた事もありました。
私自身は、大学院で学ぶのは理想です。学部で出来なかった研究をしっかりしたいですし、先生から離れたくありません。そして、学ぶ輩ともっともっと語らいあい、全国のお社を訪ねたいとも思います。
しかし、それは出来ません。何故ならば私は社家の出でないからです。ただでさえ奉職出来るかどうかもわからないのに、現場から離れた状態で神社に行くのは非常に苦しい話です。何よりも大きな理由は、奉職したとして大学院と同じ二年間でどれだけ神社に奉仕し多くの事を感じられるかです。大学院に行く事は私事です。神に尽くし人に心を伝えるのがこれからの私のやるべき事であるのに、遠回りをする事はきっと私自身納得できないでしょう。恐らく、後ろめたさで毎日集中して勉強できないはずです。
「後の人たちの為に大学院で学べ」と仰った神職さんのお言葉もありましたが、計算できない男なんで卒業後すぐにでも奉職したいと思っています。神社で勉強しない訳はないですしね。大学院に行く輩には悪いのですが・・・・。
大学院に行かなくても、学ぶ輩は輩なはずですし。私自身も負けずに学んでいきますよ!(むしろ神社から史料を集めて彼らに提供したり、例祭に招いたりして協力します)
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