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来年のテレビ東京の正月時代劇は忠臣蔵みたいですね。(ちょっと前にもやった記憶がありますが)
私は子供の頃からずっと赤穂義士の大ファンです。今でも、赤穂義士のドラマや読み物ドキュメンタリーを見たらぼろぼろ泣きます。結末がわかっていても自然と涙は止まりません。浅野内匠頭の切腹、四十七士が泉岳寺が本懐を遂げた事を報告する場面、四十六士が切腹する場面は何度見ても涙が止まりません。ちょっと単純ですかね。
歴史学の立場から見たら赤穂義士の義挙は後世の人物の赤穂びいきによって歪められた捏造で、ただの「赤穂事件」とされます。高校の教科書でも扱いは小さく(まっ、赤穂義士を無視してまで百姓一揆、米騒動にページを使いたいんでしょうけどね。)、知識人の何人かはインテリを気取り赤穂義士や浅野内匠頭の悪口をTVで言ったりしています。
そういう人は赤穂義士が日本思想に与えた大きな影響を知らないのですかね。
赤穂義士の義挙は、全国の藩に伝わり武士のあるべき姿・人としてのあり方として教育や学問に大きな影響を与えました。薩摩藩などの外様藩はこの赤穂義士の義挙を大きく評価し、師弟教育に赤穂義士を模範として教え、四十七士の討ち入った時の兵学「山鹿流」は義挙後、多くの藩で取り入れられました。
思想史から見ても、この義挙が多くの議論になった事がわかります。「葉隠」はこの義挙を否定しています。理由は速やかに討ち入らなかったからです。葉隠や他の書の中でこの義挙が触れられ、広く議論されていた事がわかります。太平の世の中、その存在意義について悩まされた武士にとって義士は武士の見本であったはずです。また幕末の志士は義士に憧れ、楠公と共に崇めました。幕末の多くの天誅事件や暗殺は義士を意識したものです。桜田門外の変はその最たるものですね。この事件は井伊の登城中を狙うわ、四方から囲むわピストル撃ちこむわ、駕籠ごと刺すわで赤穂義士よりタチの悪い襲撃法ですが。(天誅も標的以外に無抵抗の子どもや家族を狙うわ、何十対一で相手の母を人質に取ってなぶり殺しにするわで酷いものです)
あの近藤勇も憧れ、忠臣蔵を飽きもせず何度も見その度に涙を流したと伝えられています。池田屋も赤穂義士を意識したみたいで義理の子周平を伴い討ち入り、だんだら羽織も赤穂義士を意識したものと考えられます。(假名手本忠臣藏に出てくる赤穂義士の衣装の色違い。浅黄は切腹した時の空の色)京で狂った天誅を繰り返す不逞浪士を新撰組が取り締まり、多くの血が流されましたが不逞浪士も新撰組も赤穂義士が大好きだったのです。(さらに言うと『日本外史』も『新論』も)なんだか皮肉な話ですが。要するに、みーんな好きだったのです。良くも悪くも維新の原動力になったのは赤穂義士や楠公や高山正之先生への憧れの気持ちであったと言えます。
赤穂義士や忠臣蔵をボロクソに言うのは簡単です。しかしながら赤穂義士や忠臣蔵が多くの人の涙を誘い、勇気を与え、今も人々に愛され続けている事実は変わりません。
主君に尽くし、死に涙し、耐え忍び、勇気を振り絞って戦う。これは正しく日本の精神です。これを否定できるほど今の日本人は偉い存在なのでしょうか?
多分、アホと言われようと何と言われようと私は幾つになっても涙するんでしょうね。
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