朝露日記

誰かの為に祈る、それは人である証拠です。

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街に出る度に思う事。


「去年の秋から急に街がどんよりしてきたなぁ・・・・。」

うつむき加減に歩く人々。頭を抱えながら携帯をいじくる会社員。増えゆくシャッターの降りたままの店。

飲食店に入ってみれば聞こえるのは「不況、不景気」の単語。


短期間の間にこの国はこんなにも変ってしまった・・・。


この国をひたすらに卑下しても、他人を罵り、責任を転嫁しても何もはじまらない。



顔を上げ、前を向いて歩かなくちゃ。

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このブログにお越し下さっておられた皆様、長らくのご無沙汰、無礼の限り申し訳ありませんでした。
これから、少しずつではありますが記事を書かせていただきます。

毎日の激務に終われ、ようやく落ち着いたらIDとパスワードを紛失して更新不能・・・。

そして、更新が止まった本当の理由は・・・・。

今年も

今年も大変な年でした・・・。


卒論の次は奉仕、奉仕の次は・・・。

忙しいのは充実している証拠です。これからも、忙しいことに感謝し、敬神巣祖の精神の元頑張ります。


いつも来てくださっている皆様、ご無沙汰申し訳ありません。

来年もどうぞよろしくお願いします。

 現在、私が一番神道の諸問題の中で関心がある問題は「伝統の喪失」である。

戦後教育の徹底は、多くの日本人から国体の正しい有り方を見失わせ、愛国心を失わせ、日本人の精神を荒廃させ、そして先祖代々が神代から守ってきた敬神崇祖の精神を失わせた。神代から一貫として我が国の精神そのものであった神道が他の約十八万の宗教法人と並べられた事はかつてなかった屈辱である。特に私達戦後世代は、正しい日本の姿を知らない。先人からの伝え聞きから戦前の日本の姿を偲ぶのみである。このまま我々が正しき日本の姿を再興しなければ、現在のだらしないまるでアメリカの属国の様な日本を真の姿として認識し、戦前の日本をさらに遠いものとして伝えてしまう。当然、神道も今以上に苦しい立場に追い込まれるであろう。

我々若い神道人は、先人が命に代えて守ってくださった神道精神を伝える事の重みを感じなくてはならない。私共はどこか先人の築いた基盤、守ってこられたものに甘えた気持ちで乗りかかっていないだろうか。もし、甘い気持ちで神社に奉仕すればそれこそ、他宗教・諸外国・売国者にたちまち潰され、乗っ取られ、先人の思いを裏切り、祭神の祭祀を止めてしまうであろう。戦後まもなくの神道人が命を掛けて神道を守ったような強い決意と信念を私共は持たなくてはならない。
 

「伝統が失われている」「最近の若い奴は何も知らない」と、若輩を罵り、愚痴の種にするだけなら誰でも出来る。私共はいかにしてその「知らない」人々を教化し、正しき日本人の姿に導かなくてはならないか日々考え、そして実行する立場の人間である。人々を教化する為には自身も学び、神職として恥ずかしくない人間として自身を律し磨き上げるのが当然と言える。昨今の若者が乱れている理由も知ろうとせず、正そうともせず身内に愚痴をこぼしているだけでは本当の神職とは言えない。伝統の復活、正しき日本の再生は行動をしなければ実現しない。
 

 昨今の若者を中心とする日本人が正しい日本の姿を知らず、日本の伝統・精神、なにより神道に関して驚くほど無関心であるのは何故か。それは家庭での精神の継承がおろそかになっていているという事が大きく要因となっている。神棚を家族全員で毎日お祭りするのが当然だった時代に比べ、驚くほど現代の家庭の神棚の祭祀は減っている。家庭環境の変化、農業離れ、住宅環境の変化など多くの理由が考えられる。しかし、神棚を自分達の代からお祭りをしたいと社頭を慣れない素振りで訪ねる若者が存在するのも事実である。神棚をお祭りしない人々を冷たい目で見ず、神職自ら人々に近づき神棚の祭祀をうながし、少しでも神棚をお祭りしたいという希望の声を大切にし心を込めて説明する。それこそが日本の神棚の祭祀の復活に繋がる。神棚だけの祭祀を強要せず、家庭ごとに合った、そして失礼の無いお祀りの仕方を教える事も神職は心掛けなくてはならない。


 祈りに個人差があるように人には人の家庭の事情、住宅環境がある。寛容な心を以ってその家庭の祭祀を支えなくては、折角の神棚のお祭りへの関心も冷めてしまう。よく私は神棚を祭らない人々からその理由を聞くがその多くが「面倒」「必要ない」、そして「お祭りの仕方がわからない」という理由である。神道は言挙げしない宗教、背中の宗教と聞く。しかし、家庭での心の継承、神棚祭祀がされていない現代社会に生きる人々の為には神職が自分から少しでも近づいていかなくてはならない。

 参拝者、氏子崇敬者に対し高飛車な応対をする先輩神職を見ることがある。果たしてその様な神職が無関心な人々を教化できるのだろうか。変な偏見を余計にもたらすだけではないだろうか。勿論、低姿勢になるあまり低俗化を招くという恐れはある。しかしながら、現代社会に疲れきっている人々は果たして自分達を見てくれない神職を求めているのだろうか。人々は神社に癒しや安心感を求めて参拝しているのも事実である。
 
 神職として神明に奉仕するのは第一の使命である。しかし、神職の使命はそれだけではない。この変わり果てた世を再び、元の誇りに満ちた、自然豊かな、人々が和の心を大切にお互いを大切にしあう社会をつくり固め成す大切な使命がある。確かに大変な使命である。しかしながら、これほど大きな使命を頂ける神職という生き方は、大変幸せな生き方であると思う。

 消えた杜は努力して再びその地に年数を掛けて育てれば良い。失った伝統は、再び正しく伝えれば良い。廃れた祭祀は復活させ、以前よりもさらに心のこもったものにすれば良い。失ったものは確かに大きい。しかし、それは永遠に無くなった訳ではない。
神道人、宗教者、愛国者、いや日本人全体で一体となって努力すればきっと失ったものは帰ってくるはずである。

良い先輩って何だろう

私も最高学年である以上、多くの後輩を持つ身です。

しかし、その後輩への接触はあまり活発にせず、むしろ淡白だと言えます。本当に縁が深い、責任を持って見てあげるべき後輩はとことんまで接しますが。


顔は広いのですが、わざわざ近寄りには行きません。

頼まれたり、誘われたりする時は別ですが・・・・。


後輩にとって良い先輩とは何でしょう。友達のようにべたべた接し、後輩に媚びるようではそれは先輩後輩関係ではありません。かと言ってつけはなしすぎるのは冷たい先輩です。

理不尽にがなりまくる先輩はうざい先輩。かと言って優しすぎる先輩は大して教訓をくれません。


適度な距離は本当に大事ですね。

私にとって一番の後輩は今、大学祭という大きな事業を成し遂げようと、全学の力を一つにして頑張っています。その盛り上がりは例年に無いもので、先輩として大変嬉しく思います。


先日も神宮の神嘗祭に共に参拝しましたが、その背中に私は確かな男の姿を見ました。

本当に嬉しいです。


講演を私に頼む時、「先輩以外考えられないんです!」と細い目をめいいっぱい見開いた後輩。


頼りない先輩が大きな後輩にしてあげられる最後の仕事。その舞台を作ってくれた後輩に私は応えたいと強く思います。感謝は求めません。何かを感じてくれる事が何よりです。


後輩がその大役を志願した時、私は何も反対せず頷きました。周りには反対する同輩が大声で説得する姿が見えましたが。

例えどんなに後輩が苦労しても、それが大きな花を咲かすきっかけになるのならばそれをさせるのが先輩の役目。目先の事のみで後輩の歩みを止めてはそれこそ若い芽を摘む事に繋がります。



信じて見守る。それが私にとっての一番の後輩の指導です。

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