朝露日記

誰かの為に祈る、それは人である証拠です。

先人に学ぶ

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命の連続

「ひとり燈のもとに文をひろげて、見ぬ世のを友とするぞ、こよなうなぐさむわざなる。」『徒然草』

古い書物を広げると、会えない人々と語らい学び、己を磨く事が出来ます。兼好法師の言う「見ぬ世の友」は、すでに亡くなった古の人、もしくは遠く離れた人であると解する事が出来ます。

先人に学ぶ手っ取り早い方法は古典を学ぶ事であります。先人に限らず、今生きている人の本を読み何かを感じ取るということは、人間形成を考える上でとても大切な事です。

私が道に迷った時、神道について答えを探求する時、決まって皇學館大学名誉教授 「谷省吾」先生の御本を読ませていただいています。勿論、谷先生はかなり前に退官された先生なので、直接教えを受けた事はありません。しかし、谷先生のお教えを受けた先生方や神職さんからその潔癖なお教えをそのまま受け、書を手に取る事で先生の心に触れました。

「会った事も無いのにいたずらに尊敬するのもどうか」という、意見を頂く事もありますが、本居宣長先生に生前お会いする事はなかったものの、御本、弟子達から学び、そして夢の中でお会いしその精神を受け継がれた平田篤胤先生、太平記から建武の中興の精神、大楠公の精神を感じ取り生涯を皇国と皇室に捧げられた高山正之先生の故事と同じく、私はまだ見ぬ先生を思慕する気持ちを抑えられません。

高山先生は何百年も昔の大楠公の精神を受け継ぎ、それからずっと先の昭和の時代にも大楠公を思慕する人々は消えず、今も大楠公の精神は多くの人々に受け継がれています。

人はいつか死にます。しかし、次代の人々にその精神が伝わり受け継がれる事でその命と精神は永遠に生きます。


命の連続。それは何も難しい学問の世界だけの話だけではありません。今、生きている脈を打っている私達の命も多くの、それも数え切れないほどの数の先人から受け継がれた命なのです。心も多くの人々と出会い、形成していったものであるはずです。

ちょっと前に何も無いところから生まれたわけではないのです。そして、その命も次の命を生み出していくのでしょう。

と、ある講演の台本

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「君が代の栄えもさそな緑なる亀の尾長き春をためしに」
これは、寛政三奇人の一人で、勤皇家にして神道人として知られる高山正之先生の和歌であります。高山先生は今でこそ戦後自虐史観歴史教育によってその名を知る人は減りましたが、多くの志士や神道人が憧れた存在であります。

高山正之先生は江戸時代の延享4年(1747)5月8日上野国新田郡細谷村、現在の群馬県太田市細谷町に生れました。名は正之、字は仲縄、号は赤城・金山、通称を彦九郎といいます。蒲生君平・林子平とともに寛政期に先駆的な政治理念を抱いた一人です。13歳の時『太平記』を読んで、建武の中興の志業の遂げられざるを見て、志を立てと、18歳になると学者を志し、置手紙を残し、帯刀して京へ遊学しました。京では漢学者の岡白駒に学んでいます。伊勢崎の地でも村士玉水などから垂加神道の尊王思想の影響を強く受けたとされます。高山先生は多くの学者・神職・神道家と交流し、また尊王思想を全国に伝えて回り、当時幕府から咎められていた勤王の思想を恐れず伝えて回りました。また、伊勢の神宮にも何度か訪れ林崎文庫で蓬莱尚賢と交流しております。寛政3年(1791)7月19日、京を立ち、九州へと旅を続けた後、寛政5年(1793)6月27日筑後国久留米の友人森嘉膳宅で自刃し、47歳の生涯を閉じます。辞世の句は「枯果てて身は土となり墓なくも心は国を守らむものを」という死を前にしてもこの国の行く末を案じた先生の心がわかるものです。勤皇と敬神、垂加神道の精神をそのまま体現した生涯と言えます。高山先生の自刃後各地で先生を敬慕する勤皇家達の動きが現われ、幕末の幕藩体制崩壊の兆しの中で、近代を告げる高山先生の尊王思想の先駆的な行動と実践は、吉田松陰・高杉晋作・久坂玄瑞・中岡慎太郎・西郷隆盛を始めとする幕末の志士達に強い影響を与え続けました。

以上が高山先生の生涯を簡単にまとめたものですが、この生涯は「奇人」と呼ばれてもおかしくない、つまり尋常でない人生と言えます。戦前の教育の反動で先生の名は忘れられ、その名も左翼によって貶められています。

しかし、最期まで己の信念を貫き通し「勤皇」「正直」という神道の精神を体現した先生の生涯は決して忘れられてはいけない生涯であります。

この乱れた世に神道の心を伝え体現するというのは、生半可な覚悟では出来ない行動です。心無い人はその行動を「カルト」と罵るかもしれません。

あの厳しい幕藩体制の中勤皇を叫んだ先生と私共の立場は似ていると言えます。荒んだ今の世だからこそ、神道の心・尊王の心を伝えなくてはなりません。声を出し行動するのを恐れてはなりません。「平成の奇人」大いに結構ではありませんか。奇人たる覚悟なくして果たして神道教化は出来るでしょうか?何よりも行動する事を恐れては伝えられるものも伝えられません。ただ、神道について考えるだけでしたらどなたでも出来ます。大事なのは、「自分の志を信じ、行動する事」です。この世の中を少しでも正したい思うならばまず、行動しなくては始まりません。

私は、この身果てるまで尊王敬神の精神をこれから先多くの人々に伝えていく所存であります。何故ならば、それこそが神職を志す者の使命であり、今まで生かせて下さった八百万の神様に対する最大の恩返しであると信じるからです。

赤穂義士を想う

来年のテレビ東京の正月時代劇は忠臣蔵みたいですね。(ちょっと前にもやった記憶がありますが)

私は子供の頃からずっと赤穂義士の大ファンです。今でも、赤穂義士のドラマや読み物ドキュメンタリーを見たらぼろぼろ泣きます。結末がわかっていても自然と涙は止まりません。浅野内匠頭の切腹、四十七士が泉岳寺が本懐を遂げた事を報告する場面、四十六士が切腹する場面は何度見ても涙が止まりません。ちょっと単純ですかね。

歴史学の立場から見たら赤穂義士の義挙は後世の人物の赤穂びいきによって歪められた捏造で、ただの「赤穂事件」とされます。高校の教科書でも扱いは小さく(まっ、赤穂義士を無視してまで百姓一揆、米騒動にページを使いたいんでしょうけどね。)、知識人の何人かはインテリを気取り赤穂義士や浅野内匠頭の悪口をTVで言ったりしています。

そういう人は赤穂義士が日本思想に与えた大きな影響を知らないのですかね。

赤穂義士の義挙は、全国の藩に伝わり武士のあるべき姿・人としてのあり方として教育や学問に大きな影響を与えました。薩摩藩などの外様藩はこの赤穂義士の義挙を大きく評価し、師弟教育に赤穂義士を模範として教え、四十七士の討ち入った時の兵学「山鹿流」は義挙後、多くの藩で取り入れられました。

思想史から見ても、この義挙が多くの議論になった事がわかります。「葉隠」はこの義挙を否定しています。理由は速やかに討ち入らなかったからです。葉隠や他の書の中でこの義挙が触れられ、広く議論されていた事がわかります。太平の世の中、その存在意義について悩まされた武士にとって義士は武士の見本であったはずです。また幕末の志士は義士に憧れ、楠公と共に崇めました。幕末の多くの天誅事件や暗殺は義士を意識したものです。桜田門外の変はその最たるものですね。この事件は井伊の登城中を狙うわ、四方から囲むわピストル撃ちこむわ、駕籠ごと刺すわで赤穂義士よりタチの悪い襲撃法ですが。(天誅も標的以外に無抵抗の子どもや家族を狙うわ、何十対一で相手の母を人質に取ってなぶり殺しにするわで酷いものです)

あの近藤勇も憧れ、忠臣蔵を飽きもせず何度も見その度に涙を流したと伝えられています。池田屋も赤穂義士を意識したみたいで義理の子周平を伴い討ち入り、だんだら羽織も赤穂義士を意識したものと考えられます。(假名手本忠臣藏に出てくる赤穂義士の衣装の色違い。浅黄は切腹した時の空の色)京で狂った天誅を繰り返す不逞浪士を新撰組が取り締まり、多くの血が流されましたが不逞浪士も新撰組も赤穂義士が大好きだったのです。(さらに言うと『日本外史』も『新論』も)なんだか皮肉な話ですが。要するに、みーんな好きだったのです。良くも悪くも維新の原動力になったのは赤穂義士や楠公や高山正之先生への憧れの気持ちであったと言えます。

赤穂義士や忠臣蔵をボロクソに言うのは簡単です。しかしながら赤穂義士や忠臣蔵が多くの人の涙を誘い、勇気を与え、今も人々に愛され続けている事実は変わりません。

主君に尽くし、死に涙し、耐え忍び、勇気を振り絞って戦う。これは正しく日本の精神です。これを否定できるほど今の日本人は偉い存在なのでしょうか?

多分、アホと言われようと何と言われようと私は幾つになっても涙するんでしょうね。

先人に学ぶ意義

いやぁ、学校の日本史の教科書はつまらないですね。エンターティメント性に欠けますね。暗記ですね。いや、良い思い出ないですね。

つまらない理由は日本史全体が自虐史観である事、民衆が権力に抵抗した歴史として書かれていること、暗記物として浅い学問に貶めている事だと私は思います。

もっと、人物を深く取り上げ、心に訴える教育をしては如何かと。年表を覚えさせるのは確かに大事です。しかし、一人でも多く我が国の歴史人物を知ってもらうのも大事ではないでしょうか。

「生きる力」は先人から学べます。例えば、源平合戦一つ取り上げても、

最後の別れまで義経を愛し、我が身の危険も省みず頼朝の前で義経を想う舞を舞った「静御前」

荒々しい生き方ながら、家臣を愛し、最期の瞬間妻を逃がした、心の強さと脆さを両方持ち添えた「木曽義仲」

最期の最期まで主君を守り、遂に仁王立ちで果てた「弁慶」

ただひたすらに突き進み、政の疎さゆえに奥州で果て、多くの伝説を生み、司馬遼太郎を以って日本初の英雄と言わしめた「源義経」

など、正に「生きる力」を与えてくれる人物が多く挙げられます。歴史を好きになるという事は、自分の国を好きになる切っ掛けです。それを。わざわざ「日本は犯罪国家」「結局、義経は奥州で死んだ。あっ、1192は覚えとけよ〜。テスト出るからな。」と、教える側からわざわざその切っ掛けを潰すことをしても仕方ないです。

「平泉史学」で「皇国護持史観」で有名な「平泉澄」先生は「先哲を仰ぐ」でこう述べられています。

「道を重んじ身を軽んじ、得道の人を礼拝して法を尋ぬる至誠、これ先賢が学問の態度であった。この心、今の世において殆ど稀である。」

先人を尊敬し、常に礼を以って人から学ぶ。これは、昔から当然の事でありました。

私は、人に考えを押し付けるのは大嫌いです。右翼にしろ左翼にしろ。しかし、子ども達にはもうちょっと歴史を好きになって欲しいなと思います。

ちなみに、私は歴史の授業は無視して、独学で学んでいました。8歳から楠木正成が大好きで、千早城の戦いの話に熱くなり、桜井の別れに涙してました。今の教育に徹底的に反発してましたので、自由に先人から学んでいました。大人からは「右翼め!」と罵られましたが。マルクス主義に基づいた歴史なんて、腕白盛りの子どもにはつまらないものでしたし、力強く優しい先人の伝記を読んでいる方が楽しかったですし。後悔なんてしていません。今の自分があるのも、あの時の先人との対話の御蔭かもしれません。

それに、先人を知ると旅行が楽しくなりますよ。「〜ゆかりの地」とか、よくわかりますし。

心の師

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先人に学ぶと言うことは、今も昔も神道人として当然の事です。高山彦九郎先生は大楠公(楠正成)に。吉田松陰先生は高山彦九郎先生に。平泉澄先生は大楠公・北畠親房公を心から尊敬し、学ぶことで自身の心を練り上げています。特に松陰先生は、高山先生の背を追いかける様な、妥協を許さない無私の生涯を送った事で知られています。吉田先生は東北を遊学した時高山先生の名を耳にし、以来高山先生を思慕したと伝えられ、また、号の「松陰」は高山先生の諡である「松陰以白居士」よりとったものといわれてます。高山先生のの辞世の句は「朽果てゝ身は土となり墓なくもこころは国を守らんのものを」ですが、吉田先生の 辞世の句は「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」で、とてもよく似た歌を残しています。幕末の志士も高山先生を尊敬し、吉田先生の弟子の久坂玄瑞先生や維新の三傑の一人西郷隆盛先生も高山先生を称える和歌を詠んでいます。

私自身はどうかと申しますと、高山彦九郎先生を尊敬し、その生涯を「神道人のあるべき姿」と思っています。軽はずみな行動をしてしまいそうな時、倫理に背く行為をしてしまいそうな時は高山先生の存在が戒めとして止めてくださいます。

勿論、生きている方も心から尊敬している方がたくさんおられます。先人と教えをいただく先生・先輩・隣人・輩・親の存在を常に感じて生きたいものです。

高山先生については、また詳しく記事を書きます。

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