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続きです。 ってか、ケダってかなり長い間繁栄してますねぇ。で、この期間、シュリヴィジャヤはそうとう調子いいはずです。だって、マレー半島側はケダ、スマトラはパレンバンという 貿易拠点を持ってますからね。マラッカ海峡貿易はわたしのもんだ、くらいなかんじではなかったでしょうか。いや、実際そうですよね。 ケダってやっぱりこのころはものすごく重要です。シュリヴィジャヤ史を語る上でははずせないはずなのに、すっとばされるんですよねぇ。 シュリヴィジャヤは南タイのスラタニ県チョイヤーにも大きな都があったといわれていますが、これは東側です。だから、ケダを無視するな。((o(>皿<o)) しかし、このシュリヴィジャヤの絶好調状態、いろんな要素から11世紀には勢力は弱まります。このころはジャワでもいろんな王朝が栄えています。9世紀にボロブドゥールを建設したシュレーインドラ朝や、ヒンドゥー遺跡プランバナンを築いたサンジャヤ朝などですが、サンジャヤ朝は都を中部ジャワから東ジャワに移し(クディリ朝)、そして992年、シュリヴィジャヤに喧嘩を売ります。シュリヴィジャヤ、これでちょっと弱る。(*x x)/ ボロブドゥール。 → 比較しちゃ、だめです。 → そして1017年、今まで文化的にもかなり影響を受け、友好関係にあった南インドのチョーラ王国がいきなり攻撃してきて、ケダを陥とします。そして、1025年、パレンバンを攻め、シュリヴィジャヤかなり衰退。(#x_x) また、シュリヴィジャヤは14世紀まで続くとされますが、7世紀ごろは「室利仏逝」と表記されていたシュリヴィジャヤが10世紀後半の漢語史料では「三仏斉」と表記されています。ほかに「セルバザ(イスラム史料)」「サバージュ(アラブ)」「ジャーヴァカ、シャーヴァカ(インド)」などなど。 そう考えれば、ケダの位置ってかなり重要じゃないですか?しかも、このブジャン・バレーの寺の遺跡、10〜13世紀のものなんですよ。あきらかにシュリビジャヤ衰退後です。チョーラ王国に攻められた後。その後、チョーラ王国の属国になったという説もあるし。 ただ、ほんと、マレーシアにおいてはイスラムが入ってくるまでほとんど文章による自国の記録がでてこない。外部の記録に頼るのみ、みたいな感じです。 そしてこの遺跡が作られたころは、ケダの貿易拠点のしての価値は昔ほどはないはずです。というのも、造船技術が発達し、マラッカ海峡を普通に南下できるほどの船が作られていたはずなので。 だから遺跡を作る余裕がでたってことなのかな?ケダが貿易港として最盛期だったころは、おそらく船員の食糧確保のためにケダの農民がものすごくがんばって稲作してたんではないかなーと。ケダの人口がどのくらいだったかわかりませんが。 で、貿易港としてだんだん価値が下がってきたから、そんじゃあ、パレンバンよりインドに近いし、寺でも建てるかーーーみたいな?インドから来たお坊さんたちを河口から小船に乗せてメルボック川を登ってこのあたりに・・・と考えると、まぁ納得。お坊さんを運ぶのであれば、小船が狭いのも納得。 しかも14世紀からはシュリヴィジャヤを引き継いだといわれる貿易大国マラッカ王国が建設されますからね。その貿易拠点の移り変わり具合とかとっても面白いと思うんですが。 それでもケダはぜんぜん落ちぶれたわけではなくて、むしろケダ王国として、スマトラのアチェ王国(15世紀ごろ〜)の弟分みたいなかんじで発展しているわけなんですが・・・・。ペナン島ももともとケダ王国の領分だったし・・・。 アチェ王国は胡椒の貿易を独占していたし、ものすごい強国でジョホール王を捕らえたりしてたからその弟分ってかなり強いと思うんだけどなぁ。まぁ、これはブジャン・バレー遺跡のずっと以後の話ね。 記録ないし、ものすごい建築物がないからマレーシアはそのころは別に歴史上重要だったわけじゃないってことじゃないけど。それにしてもこのマレーシア政府とかケダ観光省のこの遺跡の扱いはあんまりだ。~(>_<。)~ 「その昔、だいたい3世紀から14世紀くらいまで、ケダの港はとっても栄えていました。インドとの交流も活発で、ヒンドゥー教や仏教が入ってくるようになり、お寺や中東や中国からの交易品がこのあたりに残されています。その遺跡です。博物館もあります。」 こんな重要遺跡にもかかわらず、ケダ州のパンフレットにはこれだけっ。簡単すぎるだろっ(-_-X)。しかも、この遺跡のことがまったくかかれてないケダ州マップとかあるくらいにこの遺跡への関心度は低く、まったくディスカバリーする気はないっ。 なんせ、ケダ州自身「歴史なんてどうでもいいし」みたいな態度なんだよなぁ・・・。 この博物館のパンフレットですら「しかしながら、仏教ヒンドゥ文化の影響力の低下、貿易港としての重要性の低下などから、このあたりちょっとすたれるんだよね。しかもマラッカ王国とかできてくるし。でも、今日、ニュー・アイデンティティのイスラム教のマレー王国、ケダ・ダルル・アマンとして発展してまーす」とか書かれてすまされちゃってるし。
↑・・・・このパンフレット、受付(でもなさそうな)で「資料ください」と言えばもらえますが、いわなきゃもらえません。
しかも、この博物館のパンフレット、「シュリヴィジャヤ」とか一言もでてこない。出てくるキーワードは「ヌサンタラ」と「ランカスカ」。こんなの、この遺跡のことはいろいろとネットで検索して妄想する以外にないじゃないっすかllllll(- _ -)llllll。 このどうしようもない博物館のパンフレットの中に、一文だけキラリと光るところが「4世紀のタミル人やアラブ商人、中国からインドに渡った僧I-Tsingは、この文明を知っています」とあるんだけど、I-Tsingって誰??義浄か? この義浄という僧、ワードで一発変換されるくらい有名です。 この人は7世紀に三蔵法師に憧れた唐のお坊さんで、海路で中国からインドに渡ったとされてます。しかも一人でだって。ウィキペディアhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E6%B5%84 によると、マレー、スマトラを渡り、とあるので、おそらくケダによってるのでしょうか? 途中、シュリヴィジャヤでサンクスリット語などを学んでインドに行ったとされていて、当時のパレンバンのことを記録しています。シュリヴィジャヤを検索すると必ずでてくる人です。 この人がもうちょっとケダのことを「いいとこでしたよ」くらいでも残しておいてくれたらこの遺跡も後世ちょっと脚光をあびたかもしれないのに〜〜。義浄、華麗にスルーしたなっ。 ブジャン・バレーに現存するのは10世紀以降のものだけど。奥地にもっとなんかないもんかなー。 ケダ州、発掘する気、ないのか・・・・( ̄_ ̄|||)どよ〜ん。 私のとっても賢い友人が「歯車じゃないか」と。 こんなに面白そうな遺跡なのに、 説明まったくなし。以下略。 だって下の写真のも説明ないんだもん。 あ、博物館にあるのはちゃんと説明ありですよ。
あんまりだ!!この遺跡は面白いんだよ〜〜。マラッカ王国以前のマレーシアとか、マレー人のルーツとかシュリビジャヤ王朝やランカスカ王朝、3〜14世紀の東南アジアや海洋貿易のこと、しかも造船技術の発達などを知る上でもものすごく重要な遺跡であるのに、結構放置されてますよ。
あと注意。絶対スニーカーで行きましょう。サンダルはだめっ。 というのも、私はおおきなありんこにかまれました。なんかすごいありで、黒と赤の2色。むっちゃ足が痛いので見ると、こいつがへばりついてて、しかも噛み跡はくっきり穴2つに血まで出てきた(◎o◯ )アウッ!。こんなに激しくありに咬まれたのは人生で初めてでした。 なんかへんなところにいくつか不自然なベンチがあるんだよなぁ。 座りにくそうだし、虫がいそうだし・・・。こんなの 作ってる時間があったら研究すればいーのに。 遺跡と同じ素材に見えるんだけど・・・・。なんか野ざらしになってる。 けど、自然でなんかいいね。(としか、言いようがない・・・) ブジャン・バレーについて詳しく知りたい方は、博物館に問い合わせてみるのもいいかもね。 Lembah Bujang Archaeology Museum 08400 Merbok, Kedah Darul Aman, Malaysia 電話:604−457 2005 Fax : 604−457 4635 朝9時から夕方5時までやってまーす。 年中無休じゃありません。 休みの日:Hari Raya Aidil Fitri 2日 Hari Raya Aidil Adha 1日 ブログ・ランキングに登録中です。応援よろしくお願いいたします。 ↓ ↓ ↓ ↓ |
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今日は、もし良かったら私のブログ見てください。
2008/6/2(月) 午後 5:03 [ 吉田 宗次 ]
お久しぶり〜にコメントです。(ずっと以前にコメさせてもらいました)
ブログには毎日訪問してましたが、コメは、書くのも、読むのも、stopでしたが、・・・・・・・・
お久しぶりに、コメント書き込みさせて頂きます。
まずは、足跡を残しておきますね。ペチッ♪
2008/6/2(月) 午後 5:22 [ あや ]
最新★★見てください★★
2008/6/2(月) 午後 6:23 [ あや ]
>吉田さん
訪問ありがとうございます。
>あやさん
いつもありがとうございます。
またよろしくお願いいたします。
2008/6/2(月) 午後 6:35 [ wak**ena*g ]
私は『シュリヴィジャヤの謎』という本を2008年1月に自費出版しました。内容は私のホーム・ページに乗せてあります。本はamazonでも買えます。ともかく、シュリヴィジャヤのヘソにあたるのがケダなのです。ブジャン渓谷は『世界遺産』の資格があると思います。マレーシア駐在の日本人にはぜひみていただきたいと思います。日本人学校の生徒など必見の遺跡だと思います。ちなみに義浄の行った室利仏逝はタイのチャイヤーです。パレンバンはシュリヴィジャヤの属領の1つにしか過ぎません。パレンバンが東西貿易の中心的中継地のはずがないことは地図をみればすぐに分かります。その点ケダはマラッカ海峡の入り口に位置しています。まずはホーム・ページを御覧ください。
2009/4/27(月) 午後 10:00 [ 鈴木 峻 ]
シュレーインドラ朝ではなくシャイレーンドラ朝だったかと思います。
2019/5/25(土) 午前 9:45 [ メロンパン ]