ケダ州ブジャン・バレー遺跡

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いや、ここは本当に興味深い。( ̄▽ ̄)V
ここを知れば、東南アジア史が100倍面白くなる。
まじで。こんな遺跡がケダ州、スンガイ・ペタニにあるんです。
 

 メルボック河の河口からスンガイペタニまでのぼっていくとこにある、ブジャン・バレー遺跡。3〜14世紀の交易品やヒンドゥー・仏教芸術などが見られます。

 これでーす( ̄ー+ ̄)。

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あ、「しょぼっ」なんて言わないで( ̄□ ̄)。確かにそうですけどね。
11世紀ごろの遺跡だそうですが、まぁ、7〜9世紀のインドネシアのボロブドゥール遺跡やプランバナン遺跡と比較しちゃだめです。

 しかし〜〜、ここまでたどりつくのがキツかった・・・・…o(-_- )o。

 行きたくなった人が私たちと同じ目に会わないように、詳しく私たちがたどった経緯を別のコラムに書いときます。
↓   ↓    ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/wakapenang/21020923.html

 しかも、この日記もかなりの長文なので・・・。しかもまとまりのない・・・。
今から謝っておきます。すみません。m(_ _)mゴメン

この遺跡の手前に博物館があり、博物館には3世紀ごろからの交易品や遺跡のかけら、発掘品などがみられます。
 地元の家族連れが多く、憩いの場みたいですね。

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動物の足跡だって。カワイイ発掘品ですね。 











私もケダのことよく知らなくて、まぁ、雰囲気いいけどとりたててたいした遺跡でもないに違いないと思っていたわけですが・・・・。

 本やネットでちょっと調べたら、実はすごい意味のある遺跡だということがわかりました。

 だいたい、マレーシアの歴史自体がマラッカ王国から始まったかのようなかんじですが、その昔、ケダは海洋貿易の中継地としてものすごい重要な場所だったんですね。

 というのは・・・・。世界地図お持ちの方、世界地図のアジア部分、見てください。私も地図帳開きながら書いてます。φ(・ω・ )かきかき

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なんか壊れている遺跡の中身。なんだろう??

 




 




紀元前からインドと東南アジアの交易はあったわけですが、インドから南シナ海側にいく場合、マラッカ海峡という大きな壁(じゃないけど・・・・)があります。このあたりは季節風の関係で、ものすごくやっかいなルートらしいです。
 
季節風に押されてインドからマレー半島西側に到達すると、今度はそこからマラッカ海峡を南下するのはなんか難しいみたいです。このあたり、一年を通してジャワ(南)からの船はひきつけるらしいんですけどね。あと、そしてやっと抜けたぁ\(´∀`)丿と思ったら、マレー半島の東側ではモンスーンの時期で海が大荒れらしいです(T□T)ガーン。だからこの時期はどこかで待機してなきゃなんない。
 そんなこんなで、インドからマラッカ海峡に達して往復するまで2年かかるそうなんですね。

 ヽ(゜ロ゜;)ノ ウヒャァ。2年かぁ。気が長い話しだよなぁと思うんですが、インド商人だってビジネスです。そんなに待ってられないので、インドからの荷物はいったん、ケダで降ろして、陸路でマレー半島の東海岸へ運んだようです。

 5世紀ごろの野長期航海船は60〜200人くらいは乗れたようです。これだけの人員を無駄に時期を待って待機させておくってのも無駄ですよね。食料の問題とかあるし、やっぱ2年は長いです。(鶴見良行著『マラッカ物語』参照。この本は面白いですよ)

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 ケダ以外にもマレー半島西側には、タクアパ(タイ)などの港があったようですが、ケダ以外は今はほっときます。

 ケダにもクアラ・ケダやタンジュン・ダワイなどの港があるわけですが、タンジュン・ダワイは大きな河口があり便利だったのかなぁ。そして、タンジュン・ダワイの河口を上っていくと、この遺跡があるスンガイペタニなんですね。そういうわけで、このあたりに遺跡があるのは納得。

 そして、この博物館の入り口にある最初の展示物は小型の舟でした。すっごく細くて私は多分乗れませんな・・・。こういう舟が展示されてるってことは、河口からこれを使って河をのぼっていったのかな、って気がします。あんまりいっぱい物は乗らなさそうだけど。

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 それで・・・このあたりの勢力関係がいまひとつわかんないんですが、ランカスカ王朝という王朝がありまして。

そこは現在のタイ南部とマレーシア北部が勢力圏だったようです。まぁ、同じ勢力圏なら荷物の運搬もそんなに問題なさそうですね。ランカスカ王朝は8世紀までとされてますが、695年にケダがシュリヴィジャヤの勢力下におかれたそうだから、この王朝はスリヴィジャヤに侵食されたのかなぁ。
 ランカスカ王朝の名残は、今でもスリランカやランカウイといった地名に残されています(←嘘です。今考え付きましたm( ̄_ ̄m)ゴメン)

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ガネーシャもいまーす。
 

 


 














ってなにがすごいかというと、このころはまだ、ペナンとかクアラルンプールとかセランゴールとか現在のマレーシアの主要経済地域はまったく出てこないんですよ。
 現在マレーシアの基みたいな扱いのマラッカ王国(14世紀〜)さえこの約1000年後ってすごくないですか?

 でさらにすごいのは、東南アジアにおける当時の最大勢力(多分ね。しかも長いし。7世紀〜14世紀)のシュリヴィジャヤ王朝の主要都市だったかもしれないこと。

7世紀は中国ではタン・ダイナスティ(唐のことっす。かっこつけてみた〜(*・_・*)ゞ)だったんですが、そのころはスマトラでは現在ジャンビのあたりのムラユ国、そしてパレンバンを首都とするシュリヴィジャヤがぶいぶい言わせてました。マラッカ海峡貿易、好調です。
 そのうちシュリヴィジャヤが勢力をのばし、688年にはすでにムラユ国はシュリヴィジャヤの支配下にあり、686年にはジャワにも勢力を伸ばし、695年にはケダも領土の一部となりましたとさ。

 このブログ、5000文字までしか投稿できないらしい。
続きは


↑ ↑ ↑ こちらで。
でも、いい加減どうでもよくなってきた人も多いような気がする〜〜。
文章へたで、ごめんなさい。

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ボロブドゥールとかアンコールワットにもありそうな彫刻ですよね。



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続きです。


 ってか、ケダってかなり長い間繁栄してますねぇ。で、この期間、シュリヴィジャヤはそうとう調子いいはずです。だって、マレー半島側はケダ、スマトラはパレンバンという 貿易拠点を持ってますからね。マラッカ海峡貿易はわたしのもんだ、くらいなかんじではなかったでしょうか。いや、実際そうですよね。

 ケダってやっぱりこのころはものすごく重要です。シュリヴィジャヤ史を語る上でははずせないはずなのに、すっとばされるんですよねぇ。
シュリヴィジャヤは南タイのスラタニ県チョイヤーにも大きな都があったといわれていますが、これは東側です。だから、ケダを無視するな。((o(>皿<o))

 しかし、このシュリヴィジャヤの絶好調状態、いろんな要素から11世紀には勢力は弱まります。このころはジャワでもいろんな王朝が栄えています。9世紀にボロブドゥールを建設したシュレーインドラ朝や、ヒンドゥー遺跡プランバナンを築いたサンジャヤ朝などですが、サンジャヤ朝は都を中部ジャワから東ジャワに移し(クディリ朝)、そして992年、シュリヴィジャヤに喧嘩を売ります。シュリヴィジャヤ、これでちょっと弱る。(*x x)/

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ボロブドゥール。     →
比較しちゃ、だめです。  →

 







そして1017年、今まで文化的にもかなり影響を受け、友好関係にあった南インドのチョーラ王国がいきなり攻撃してきて、ケダを陥とします。そして、1025年、パレンバンを攻め、シュリヴィジャヤかなり衰退。(#x_x)

また、シュリヴィジャヤは14世紀まで続くとされますが、7世紀ごろは「室利仏逝」と表記されていたシュリヴィジャヤが10世紀後半の漢語史料では「三仏斉」と表記されています。ほかに「セルバザ(イスラム史料)」「サバージュ(アラブ)」「ジャーヴァカ、シャーヴァカ(インド)」などなど。
 で、これは同じシュリヴィジャヤではなく、この「三仏斉」っていうのはそのサバージュとかセルバザとかの総合名称で、シュリヴィジャヤも10世紀にはかつての帝国の形をしておらずその中のひとつの地域に過ぎなかった、とする説もあるんです。

 そう考えれば、ケダの位置ってかなり重要じゃないですか?しかも、このブジャン・バレーの寺の遺跡、10〜13世紀のものなんですよ。あきらかにシュリビジャヤ衰退後です。チョーラ王国に攻められた後。その後、チョーラ王国の属国になったという説もあるし。

 ただ、ほんと、マレーシアにおいてはイスラムが入ってくるまでほとんど文章による自国の記録がでてこない。外部の記録に頼るのみ、みたいな感じです。

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 そしてこの遺跡が作られたころは、ケダの貿易拠点のしての価値は昔ほどはないはずです。というのも、造船技術が発達し、マラッカ海峡を普通に南下できるほどの船が作られていたはずなので。

 だから遺跡を作る余裕がでたってことなのかな?ケダが貿易港として最盛期だったころは、おそらく船員の食糧確保のためにケダの農民がものすごくがんばって稲作してたんではないかなーと。ケダの人口がどのくらいだったかわかりませんが。
 
 で、貿易港としてだんだん価値が下がってきたから、そんじゃあ、パレンバンよりインドに近いし、寺でも建てるかーーーみたいな?インドから来たお坊さんたちを河口から小船に乗せてメルボック川を登ってこのあたりに・・・と考えると、まぁ納得。お坊さんを運ぶのであれば、小船が狭いのも納得。

 しかも14世紀からはシュリヴィジャヤを引き継いだといわれる貿易大国マラッカ王国が建設されますからね。その貿易拠点の移り変わり具合とかとっても面白いと思うんですが。


 それでもケダはぜんぜん落ちぶれたわけではなくて、むしろケダ王国として、スマトラのアチェ王国(15世紀ごろ〜)の弟分みたいなかんじで発展しているわけなんですが・・・・。ペナン島ももともとケダ王国の領分だったし・・・。
 アチェ王国は胡椒の貿易を独占していたし、ものすごい強国でジョホール王を捕らえたりしてたからその弟分ってかなり強いと思うんだけどなぁ。まぁ、これはブジャン・バレー遺跡のずっと以後の話ね。

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 記録ないし、ものすごい建築物がないからマレーシアはそのころは別に歴史上重要だったわけじゃないってことじゃないけど。それにしてもこのマレーシア政府とかケダ観光省のこの遺跡の扱いはあんまりだ。~(>_<。)~

 「その昔、だいたい3世紀から14世紀くらいまで、ケダの港はとっても栄えていました。インドとの交流も活発で、ヒンドゥー教や仏教が入ってくるようになり、お寺や中東や中国からの交易品がこのあたりに残されています。その遺跡です。博物館もあります。」

 こんな重要遺跡にもかかわらず、ケダ州のパンフレットにはこれだけっ。簡単すぎるだろっ(-_-X)。しかも、この遺跡のことがまったくかかれてないケダ州マップとかあるくらいにこの遺跡への関心度は低く、まったくディスカバリーする気はないっ。

  なんせ、ケダ州自身「歴史なんてどうでもいいし」みたいな態度なんだよなぁ・・・。

この博物館のパンフレットですら「しかしながら、仏教ヒンドゥ文化の影響力の低下、貿易港としての重要性の低下などから、このあたりちょっとすたれるんだよね。しかもマラッカ王国とかできてくるし。でも、今日、ニュー・アイデンティティのイスラム教のマレー王国、ケダ・ダルル・アマンとして発展してまーす」とか書かれてすまされちゃってるし。

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↑・・・・このパンフレット、受付(でもなさそうな)で「資料ください」と言えばもらえますが、いわなきゃもらえません。

 しかも、この博物館のパンフレット、「シュリヴィジャヤ」とか一言もでてこない。出てくるキーワードは「ヌサンタラ」と「ランカスカ」。
 こんなの、この遺跡のことはいろいろとネットで検索して妄想する以外にないじゃないっすかllllll(- _ -)llllll。

 このどうしようもない博物館のパンフレットの中に、一文だけキラリと光るところが「4世紀のタミル人やアラブ商人、中国からインドに渡った僧I-Tsingは、この文明を知っています」とあるんだけど、I-Tsingって誰??義浄か?

 この義浄という僧、ワードで一発変換されるくらい有名です。

 この人は7世紀に三蔵法師に憧れた唐のお坊さんで、海路で中国からインドに渡ったとされてます。しかも一人でだって。ウィキペディアhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E6%B5%84
 によると、マレー、スマトラを渡り、とあるので、おそらくケダによってるのでしょうか?

 途中、シュリヴィジャヤでサンクスリット語などを学んでインドに行ったとされていて、当時のパレンバンのことを記録しています。シュリヴィジャヤを検索すると必ずでてくる人です。

 この人がもうちょっとケダのことを「いいとこでしたよ」くらいでも残しておいてくれたらこの遺跡も後世ちょっと脚光をあびたかもしれないのに〜〜。義浄、華麗にスルーしたなっ。

 ブジャン・バレーに現存するのは10世紀以降のものだけど。奥地にもっとなんかないもんかなー。
 ケダ州、発掘する気、ないのか・・・・( ̄_ ̄|||)どよ〜ん。

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私のとっても賢い友人が「歯車じゃないか」と。
こんなに面白そうな遺跡なのに、
説明まったくなし。以下略。
だって下の写真のも説明ないんだもん。
あ、博物館にあるのはちゃんと説明ありですよ。  
 





あんまりだ!!この遺跡は面白いんだよ〜〜。マラッカ王国以前のマレーシアとか、マレー人のルーツとかシュリビジャヤ王朝やランカスカ王朝、3〜14世紀の東南アジアや海洋貿易のこと、しかも造船技術の発達などを知る上でもものすごく重要な遺跡であるのに、結構放置されてますよ。

イメージ 6 イメージ 7

 
 







  あと、シュリヴィジャヤについて・・・。14世紀に中国で書かれた『宋書』によると、東アフリカ(マダガスカルか?)の人たちが、スマトラのシュリヴィジャヤで歌や踊りを披露したという記述があるんだとか・・・・。どんだけの大帝国なんだっ

 あと注意。絶対スニーカーで行きましょう。サンダルはだめっ。
 というのも、私はおおきなありんこにかまれました。なんかすごいありで、黒と赤の2色。むっちゃ足が痛いので見ると、こいつがへばりついてて、しかも噛み跡はくっきり穴2つに血まで出てきた(◎o◯ )アウッ!。こんなに激しくありに咬まれたのは人生で初めてでした。

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なんかへんなところにいくつか不自然なベンチがあるんだよなぁ。
座りにくそうだし、虫がいそうだし・・・。こんなの
作ってる時間があったら研究すればいーのに。








イメージ 9


遺跡と同じ素材に見えるんだけど・・・・。なんか野ざらしになってる。
けど、自然でなんかいいね。(としか、言いようがない・・・)

ブジャン・バレーへの行きかたは
ここを参考にしてください。

ブジャン・バレーについて詳しく知りたい方は、博物館に問い合わせてみるのもいいかもね。

Lembah Bujang Archaeology Museum
08400 Merbok, Kedah Darul Aman, Malaysia
電話:604−457 2005
Fax : 604−457 4635

朝9時から夕方5時までやってまーす。
年中無休じゃありません。
休みの日:Hari Raya Aidil Fitri 2日
     Hari Raya Aidil Adha 1日




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 ケダ州にあるブジャン・バレー遺跡への行き方です。ドライブがてらにぜひどうぞ。
 私たちは標識が見つけられず、ほんと迷いました〜(@_@;)。

イメージ 1



この遺跡については、このブログの

ブジャンバレー遺跡(1)
http://blogs.yahoo.co.jp/wakapenang/21024894.html

ブジャンバレー遺跡(2)
http://blogs.yahoo.co.jp/wakapenang/21023388.html

で書いてます。よろしければどうぞ。


 この遺跡の場所をあらかじめガイドさんに聞いてたんですが、その説明が

「ああ、簡単だよ。スンガイ・ペタニ・ウタラ(スンガイペタニ北口)のインターを出て、まっすぐ行くと10分ぐらい走ったとこに看板があるからそこをまがるだけ」

って言うからですね、昼ごはんをスンガイ・ペタニ・セラタン(スンガイペタニ南口)のインター近くにある初花で食べて出発しました。

 いやぁ〜、初花のご飯、美味しかったσ(≧〜≦)もぐもぐ(≧□≦)うまー!。

 私はいつも鶏肉のチーズ紫蘇はさみ揚げのセットを頼むんですけどね。ボリュームたっぷりで美味しいし、安いんだ。明日あたり初花アップしますね。

 まぁ、それはいいとして、スンガイペタニ南口から高速に乗りそしてスンガイペタニの北口へ行き、料金所を出てまっすぐ走ると・・・・・・・・スンガイペタニの南口のインターにでた・・・。
 つまり初花にもどってしまったということです(ー'`ー;)う〜ん・・・・。

はヾ( ̄Д ̄)?

 なんだ、これ・・・。標識ないじゃんっ。(゚-゚ )

 しかも、高速乗ってないのに戻ったの?で、仕方ないからUターンして道を聞く。聞かれたおっさんは丁寧に地図を書いて教えてくれたけど、その通りに行くと、またスンガイペタニの北口インターへ着いた。

どうなってんの?(゚□゚)

 ってかスンガイペタニの北口と南口って高速使わないほうが早いのね。
そんで高速のっちゃって、初花へもどる・・・。もうわけわかんなくて、ガソリンスタンドで聞きました。ガソリンスタンドのおじさんは、直線を書いただけで簡単に説明してくれましたが、これが何よりも役に立ちました。

 そしたらですね。スンガニペタニ南口から行けますヽ(´∀`。)ノ・゚。「初花」でおいしい昼ごはんを食べた後は、そのまま高速にのらず、料金支払い所に背を向けてお進みください。

 そしてまっすぐ。標識を見逃さないようにSemilingを目指してください。

 いくつかの青い標識をすぎるとそのうち、「←Semiling」という標識があるので、これを左折。ここで、標識から一つ目の信号を曲がってしまってはだめです。その信号の先にもうひとつ「←Semiling」という標識があるので、その先の信号を左折してください。

 そして、無事Semiling方面に向かって左折できると、今度はMerbokを目指してください。

 そのうち「←Merbok」と標識が見えると思いますが、そのあたりに、緑の看板で「MuzeumなんたらかんたらBujang Valley 17km」というマレー語の標識が出てきます。

 同じような標識が、スンガイペタニの北口を降りてから直進するとあったはずなんですが、
・・・・ったく、わかんねーよっ(o ><)o。

 マレー語に慣れていない人は、車のスピードで読み取れない看板です。注意してください。

 ここでその緑の看板を見逃しても、「Merbok」方面に進むとそのあとは、緑色の「Museum なんたらかんたら Bujang Valley」という看板があちこちに出てきますので、それを頼りに進んで、右手側にポリス・ステーションがあるので、それを右折してください。

 で、やっと到着です。スンガイペタニ南口を出てから1時間半くらいかかったかも〜。着いたときには、運転してくれた友人と手を取り合って喜びましたよ┗(^▽^)(^▽^)┛。

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博物館のパンフレットに載ってた地図と、
道をきいたおじさんが書いてくれた地図。
細かいディテールまでまったく同じなのに
なぜたどりつけなかったのだろう・・・。

 





 

 途中どう進んでも高速の入り口にしか着かないので、泣きそうになって緊張のあまりお腹壊す寸前でしたよ、まじで。

ちなみに、ちゃんと間違えずにいくと、スンガイペタニの南口から30分くらいですよ。


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ブジャン・バレーについて詳しく知りたい方は、博物館に問い合わせてみるのもいいかもね。

Lembah Bujang Archaeology Museum
08400 Merbok, Kedah Darul Aman, Malaysia
電話:604−457 2005
Fax : 604−457 4635

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