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山口市徳地にある月輪寺の薬師堂は、誠に見ごたえのある建物です。

文治5年(1189年)が創建年なのですが、現在まで残っているのです。勿論、茅葺屋根は葺きかえるの

でしょうが、それとても、青々とした苔で覆われ自然と一体化しています。

鉋は使わず、斧とチョウナだけで造ったそうです。

偶々、この鯉のぼりを発見して、月輪寺薬師堂を思い出しました。

                                         《2018.5.17 周南市 39SYOKO 》

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5月5日は、月輪寺薬師堂大縁日







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315号線徳地上の月輪寺への道






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315号線が直進になっているところの中間付近に鯉のぼりが建てられています。

ここは、直線道路で、いつの間にかスピードの出る所です。

従って、取り締まりの対象区間です。みなさん! くれぐれもネズミにならないようにネッ!







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重源上人薬師堂説明







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登竜門


月輪寺(がちりんじ、がつりんじ)は、山口県山口市徳地上村にある寺院。

文治5年、重源が大政大臣藤原兼実の協力を得て建立したものと伝えられ、山口県内で最古の

木造建造物。薬師堂内には薬師如来をはじめ多数の仏像が安置されており、国の重要文化財

の指定を受けている。 毎年55日が薬師大縁日。





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薬師堂



歴史

徳地町の串村に、聖徳太子の作と言われる観音を本尊とした清涼寺という寺があったが、維持する者がなく朽ち果てたため、寺にあった観音と十二神のみ徳地の島地村に移されたが、それもまた打ち捨てられたままに朽ちていた。12世紀に、焼失した東大寺の再建用材の調達のために当地を訪れた重源がこれを聞きつけ、この地に移し新たに本堂を建立し、当地の得分であり助力者だった藤原兼実の二つ名である「月輪関白」に因んで月輪寺と名付けた。
 
特徴
 
薬師堂

当時のまま現存しているのは観音堂(薬師堂)のみだが、鉋を使わず斧・釿のみで削ったと思われる珍しい建造物である。また、堂の柱という柱に無数の呪釘の跡が残されている。創建当時は正面3間、側面2間であったものを、文治年間の移築の際に5×4間に改めたとみられる。

堂の内部には、20年に一度開帳される秘仏薬師如来坐像のほか、聖観音菩薩立像、四天王像(いずれも県有形文化財)が収められている。《出典:Wikipedia》

 




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東大寺再建の俊乗坊重源上人は、徳地の杣の檜が再建用材として纏まって在るのを発見します。

重源上人、齢61歳の時です。養和元年(1181年)、後白河法皇の使者、藤原行隆に東大寺再建を進言し、

東大寺勧進職になりました。 国家的太事業である東大寺再建という大命題にも係わらず、国は荒れて資金や

資材の目途は立たなかったのですが、重源上人の努力によって大仏や大仏殿を完成させます。

東大寺の再建の用材の檜も長さ13丈(39m)・直径53寸(1.6m)クラスのものを100本とそれ以外の

用材を300本、佐波川から瀬戸内海を経由して奈良に運びました。用材伐採も徳地に入って、全ての

作業を指揮したそうです。木材切り出しや運搬など全てが人と牛馬であったろうと思いますが、

どれ一つ取っても気の遠くなるような事業です。

重源上人は、ここで働く人々に元気で作業して貰うために、薬師堂と石風呂を作ります。

堂宇だけでもいろいろ建立し、石風呂も多く、この薬師堂裏にもあります。

この石風呂は、最近まで使われたような雰囲気で残っていました。

東大寺が落慶法要したのちも、重源上人が徳地の住民に残した信仰や医療福祉や経済の基礎が町と

なって受け継がれ発展したのです。



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清涼山 薬師堂縁起

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