なかやわかさの独り言

愚痴も含め、山行を中心に記録しています

クロアチアの旅

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 サラエボを最後にクロアチアから日本への帰路に就きました。
 サラエボでは、トルコ式トイレというものを見ました。かつて日本には、トルコ風呂というのがありました。風俗の店だったので、クレームがついて、ソープランドに名称が変わりました。何故トルコ風呂と言われたのかはよく知りません。そしてこのトルコ式トイレも、一般的に呼ばれているのかは判りません。われわれの添乗員が、そう言っているだけなのかも知れません。ただ、この無料の公衆便所も、商店街の別の場所にある有料のトイレも、いわゆる様式の水洗ではありませんでした。日本のぼっちゃん便所との違いは、雪隠がないことでした。
 雨が降っていたので、軒先で雨宿りをする美女がたくさんいました。彫りの深い、色白の美人ばかりです。遠慮がちにカメラを向けました。

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 裏通りには、市場とモスクがありました。礼拝場は、男と女に別れています。カメラを向けて良いものかどうか心配だったので、近くからは写すことをためらいました。

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どの程度の利用客があるのか、どの程度の頻度で走っているのか、どの範囲を走っているのか、まったく判りませんが、路面電車が走る町って言うのは良いですね。
冬季オリンピックの時は、世界のアスリートがこれを利用して、競っていたのでしょうか。

サラエボの町並み

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 ミリャツカ川を中心に、サラエボの町並みができあがっているように見受けられた。庁舎もあり、人の動きも多い。

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1914年6月28日 ボスニアを統治していたオーストリア=ハンガリー帝国の大公にして皇太子フランツ フェルディナント夫妻が、セルビア人青年ガブリロ プリンツィプに狙撃され、第一次世界大戦のきっかけとなった現場である。

この橋の誕生は1541年で、サラエボ市内を流れるミリャツカ川にかかる橋の中で最も古い。この事件後のユーゴスラビア時代はプリンツィプ橋と改称されていたが、1990年代の内戦で破壊。ボスニア・ヘルツェゴビナ建国後に再建され、元の橋の名前に戻された。

これらの事実を示す石板が、橋のたもとの建物に埋め込まれていた。
第一次世界大戦前の状況に似てきたと言われる世界情勢だが、この時期に訪れることができたのも、不思議な気がする。

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