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サラエボを最後にクロアチアから日本への帰路に就きました。 |
クロアチアの旅
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裏通りには、市場とモスクがありました。礼拝場は、男と女に別れています。カメラを向けて良いものかどうか心配だったので、近くからは写すことをためらいました。 |
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どの程度の利用客があるのか、どの程度の頻度で走っているのか、どの範囲を走っているのか、まったく判りませんが、路面電車が走る町って言うのは良いですね。 |
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ミリャツカ川を中心に、サラエボの町並みができあがっているように見受けられた。庁舎もあり、人の動きも多い。 |
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1914年6月28日 ボスニアを統治していたオーストリア=ハンガリー帝国の大公にして皇太子フランツ フェルディナント夫妻が、セルビア人青年ガブリロ プリンツィプに狙撃され、第一次世界大戦のきっかけとなった現場である。 |




