なかやわかさの独り言

愚痴も含め、山行を中心に記録しています

日本にゾウがやってきた(鯖街道)

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『象が行く』その9

 象が歩いたであろう道を推理してきましたが、伝説からその存在を改めて明らかにしたいと思います。
 奈良東大寺の良弁僧正には、たくさんの伝説があります。どこの人であったかというのは別として、若狭にある伝説の意味するところがここでは重要です。
 『越前若狭の伝説』杉原丈夫編に、「良弁僧正は下根来の鵜の瀬に近い白石で生まれたという。僧正の幼名はお弁といい、ある日白石明神前の田のあぜで母親がふごに入れて遊ばせていると、突然大きなわしが現れ、お弁をふごのままさらって飛び去ってしまった。狂気のようになった母親はわが子を尋ねて旅に出たが、このお弁を入れたふごは奈良東大寺の大杉の上にかかり、子供の泣き声を聞いた実忠和尚がこれを育てあげたのが立身して良弁和尚となり、その母親は奈良へ来てわが子と対面したというのがその伝説である。」と書かれています。
 鵜の瀬は、二月堂のお水取りとつながっています。鵜の瀬から送られた水が、二月堂の若狭井から取り上げられるというものです。そのことも別においておきます。 問題は、下根来という場所です。この道の往来が多くあったからこそ、京都奈良につながる道中として下根来があると考えるのが自然です。これは、針畑峠を越える道なのです。象がこの道を通って、京の都に行ったに違いありません。

『象が行く』その8

 象が歩いたであろう道を推理してきましたが、具体的な史実を書くことで、その存在を改めて明らかにしたいと思います。
 元亀元年(一五七〇)、織田信長は朝倉義景を討つため、敦賀に兵を進めました。しかし、浅井長政が、挟み撃ちを企てたます。これを救ったのが、信長が妹のお市と言われています。袋に小豆を入れ、両端をむすんでこの危機を知らせたのでした。
 信長は、秀吉をしんがりにして、京に逃げ帰ります。この時、徳川家康は小浜にいました。彼も逃げ帰るのですが、その様子の記述が、「若狭郡県志」にあります。
「元亀元年織田信長公於越前敦賀ニテ朝倉氏与戦 東照大神君モ亦其行ニ従ヒ玉イ其帰路大神君小浜蓮興寺ニ宿玉フ 而メ後根来村自針畑峠ヲ経朽木谷ニ出テ而入−洛シ玉フト云フ」
 この本の信憑性については、評価されてないところもあり、細部で問題もありますが、家康軍がここを越えたのは事実のようです。また、相当な兵力が動いたとするのが、この場合は妥当であろうと思います。したがって、道としての存在は確かなものだったと言えます。

若狭の国小浜3

イメージ 1

イメージ 2

 若狭の国小浜2で紹介した「今富名領主次第」の写しの復刻本の表紙と象のくだりをお見せします。
 
 書きましたとおりで、それ以上のことは判りません。

鯖街道ウォーク25

イメージ 1

 14:37。花脊峠。鞍馬本町の標識が見える。ここから出町柳近くまで、バスで移動。あとは、商店街でのセレモニーを残すのみ。ウォークは終了した。
 針畑峠越えのコースは実踏していて、象が越えた可能性を信じていたが、久多からオグロ坂、大見尾根を、実際に歩いてみて、確信に変わった。象が京都に行ったコースに間違いない。

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