なかやわかさの独り言

愚痴も含め、山行を中心に記録しています

伯耆大山に登る

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全8ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8]

[ 次のページ ]

 始発でバスに乗車したのは、われわれ夫婦のみでした。米子駅までの途中乗車は七人、下車は四人でした。

 昨日はバスの中から大山が見えたが、今日は全く見ることが出来ませんでした。われわれが頂上にいたときも、このような状況だったのでしょう。
 米子駅まで半分以上過ぎてからだったと思います。「中江藤樹先生成長之地」という石碑を見ました。近江の聖人が、この米子に来ていたのです。無知でそんなことを知りませんでした。ちょっと驚きでした。そして、成長したということを売りにしようとしていることに、すごいことを発見したという気分になりました。


 米子からは、一四時四二分発のやくも20号に、それとその後の新幹線にも乗れるよう切符を変更した。バスの着時間が一三時四九分だったので、ここでの待ち時間は約一時間あった。朝は食べたが、昼は食べていない。ステーションビルの二階の食堂で、軽い食事をした。時間帯が時間帯だけに、ほとんど客はいなかった。
 ウェートレスで「西尾」の名札を付けたおばちゃんが、われわれに声をかけた。
 「大山に行って来られたのですか」
 「ええ」と、私が答えると。
 「何合目まで」と、聞いてくる。
 「頂上まで」と、私。
 「えっ」と、おばちゃん。
 よく判らない会話だった。だいたい何合目と聞くだろうか。登る以上、頂上を目指すに決まっている。われわれからは、そのような雰囲気が見られなかったのだろうか。それとも、頂上を目指さない大山登山があるのだろうか。

 おばちゃんは、なおも語りかけた。「大阪ですか」と聞く。「小浜市」と答えると、それはどこかと聞くので、福井県と答えた。ホテルの女の子とはちょっと違う。しかし、福井県と聞いて、言葉が違うと言った。この点は同じで、この地方では、福井県は越前でないといけないらしい。ここでまた、越前と若狭の説明をしておきました。


 米子を出て、根雨の駅で行き同様に、四分遅れた。ポイントの故障で、出発間際になって停止したのだ。どうも常態化しているとしか思えない。どうしても、国鉄とJRの比較をしてしまう。故障は、利益優先からくる人員削減が原因だと思う。たしかに、公務員のぬるま湯感覚があったかもしれない。しかし、ごちゃ混ぜの理論で、民営化していった。私は今も、民営化は失敗だったと思っている。

 岡山に一六時五六分に着き、京都に向かう新幹線のぞみ62号は、一七時二二分でした。晴れていた天気がおかしくなったのは、神戸に近づいた頃でした。雨が降り出したと思ったら、雷まで鳴り出し、すごいことになりました。細君の「晴れ女」伝説は、生きていたのです。


 一八時二五分。無事京都に着き、地下鉄に乗り換えて、京都国際会館からマイカーで帰路についた。
 大山登山は、体力の不安を露呈させました。トレーニングの必要性を痛感させられました。それと、近場の名山への挑戦を意識づけられるものでもありました。

 八合目あたりから、苦労した階段をひたすら下る。衝撃により、膝に痛みを感じるようになる。
 一定の幅の、一定の段差の階段は、リズムもついてそれほど疲れないのかもしれない。しかし、それらが一定でないとき、リズムもなく、着地の際の力の入り方にも違いがあって、衝撃を吸収できず、ショックは大きい。登りより下りの方が問題になる。愚痴ったところで仕方がない。ひたすら下るだけです。

 五合目分岐が、一〇時五七分だった。ここで迷った。時間のことと、「賽の河原」へ行ってみたいという思いがあったからです。しかし、階段がないかもしれないと考え、登りと違う元谷に向かうことにしました。
 ところが話はうまくいかないもので、木道の階段を下ることになりました。これはこれで、なかなかつらいものがあります。その上、元谷大堰堤は、ガレキの中を歩くことになり、道に迷ったのかとさえ思いました。
 そのうち、樹林の道に入り、大神山神社に出ました。「賽の河原」は、判らずじまいでした。大神山神社はなかなか立派な構えでした。そこでお参りをしましたが、大山寺にはよりませんでした。


 大山寺の参道を歩く頃、ペットボトルは、唯一買った炭酸飲料の一本と、スポーツドリンクの半分になっていた。炭酸を口にしたが、飲めるものではなかった。温かくなっていることもあったのでしょうが、疲れた状態では、お茶かスポーツドリンクに限ります。


 ホテルには、一二時に戻った。大山寺を出るバスは、一二時五五分を逃すと、一四時四〇分までない。とにかく五五分発に乗ることにする。
 大急ぎで、部屋に残しておいた荷物をまとめて風呂場に運び、汗を流した。ゆっくりと手足を伸ばし、達成感をじっくり味合うつもりでいたが、それは叶わなかった。とにかく気がせいた。
 客が一人、入ってきた。同じような行程をとった人だったのだろうか。口を利く余裕もなく、一通り石鹸でカラダの汚れを落とし、風呂を出た。

 バス停に向かい、バスを待つ。風呂を急いだ分、待つ時間が長く感じられた。もっとゆっくり出来たのにと思ったが、すべて後の祭りである。「余裕がある方が、いいやないの」と細君に言われ、それなりに納得するのでした。

 ふと時計を見ると、一〇時前になっていた。何も考えずに話し込んでいたため、時間の経過を忘れていたのだ。少し焦った。下山後、一風呂浴びる予定をしていたからです。
 急いで下山することにした。

 立ち上がったときだった。膝が痛い。時間に余裕がないのに大丈夫か、と心配になった。このことを細君に言うと、「時間どおりに帰らなあかんわけでなし、ゆっくり行こう」と返してくれた。少しは気楽になった。

 来た道を戻る。歩き出してしばらくすると痛みがとれた。同じ姿勢で座って膝を曲げていたので、関節が固まり、痛みが出たようでした。


 行きがけには気づかなかったが、ダイセンキャラボクの中に、「積立年金還元施設」の標識を見つけた。今にもパンクすると言われている年金が、どうして年金以外に使われるのか。この大山登山を計画する以前に、気になって調べようとしたことがありました。

 私は世間で言われている団塊の世代である。昭和五二年から皆保険となり、勤め人でない仲間も年金を納めるようになった。三〇歳の時である。その頃から推計すれば、莫大な納金があったはずである。一方、支払われる金額は、大きく下回っているに違いないと考えていた。入りと出に差があるのだから、当然残るはずである。ところが、インターネットで、関係省のホームページで資料を取り出しても、思ったほど残っているようにも思えないし、第一イメージさせる資料がない。つまり、その年にいくら入り、いくら支払って、いくら残っているのかがよく判らない。こんな会計があるのか。大いに疑問を持ったものです。

 本当に残っていないとするなら、大量の納付者が受け手に回ったとき、結果は明々白々である。小学生でも判りそうな話を、東大など優秀な学校を出たエリートに判らぬはずがない。そんないい加減を許してきた政府は、今まで何を見、考えてきたのか。
 残さずに支払、足りなくなったというのなら、払い過ぎだったということになる。結局政府は、人気取りのため散財しただけのことか。無責任きわまりない。そんなことを話しながら、なだらかな道を歩きました。

 頂上は、老人が言ったところの、この夏一番の暑さもあって、よく晴れていた。しかし、雲がないわけではなく、ガスで下は見えなかった。石組みのあるところで休んでいたのだが、横には先行していた、母娘がいた。娘が携帯で、何か話していた。聞き耳を立てると、下にいる者に電話をしていた。今頂上にいるが、頂上が見えるか、と言うようなことを話しているようだった。上から見えないのだから、下から見えるはずもなかろうと、そのあと聞くのをやめました。

 標識のある石組みを独占しているわけにもいかず、野外コンサートの舞台を囲む観覧席のように作られた板敷きに移動した。段差を利用して、板に腰を下ろし、辺りをぼんやり眺めながら、スポーツドリンクを飲んだ。
 登ってくるまでに、汗をかき、長袖Tシャツは、しぼれるほどになっていた。500ミリリットルのペットボトルは、汗にあわせて、二人で六本飲み干していました。


 休んでいるとき、年の頃六〇歳ぐらいの人と話ができた。そのとき、中山さんのことを聞いたのである。中山さんは、年間百回は登るとのこと。そして、今日は四八回目らしい。そんなによく知っているのだから、その人も相当登っているに違いないと思った。彼は謙遜しながら、二二回目だと答えた。本当に中毒のような人がいるものである。しかし驚くべきことに、年間二百回以上登る人もいるとのこと。それは女の人で、何でも日章旗の柄の服を着た人らしい。そろそろ上がってくるんじゃないかという。しかし、残念なことに、会うことはできなかった。下山中に、すれ違うことを願ったが、それも果たせませんでした。

 話の中で、私たちのことを聞かれた。福井県から来たと言うと、近くに白山や立山があるのに、なぜ大山なんだと問われた。これには困った。理由なんてない。まだ山歩きを始めたばかり。何となく来てしまっただけの話。しかし、これら近くの山には登っておかねばならんと思った。細君とて同じ思いだったようです。

 ヘリコプターの音がする。木道を整備するための資材を運んでいるらしい。このことは、六合目で先を越された老人から聞いた。早くも下山する老人に、ここで会ったのだ。そして彼は、「今日は暑い」と言った。頂上の観測所で、二二度あったそうな。最近では、一番の暑さとも言う。それがどうしてわかるのか。その疑問を尋ねてみた。答えは簡単だった。「今日で七日連続登っている。一種の中毒ですわ」そう自嘲的に言って笑った。なんでも、登山の所要時間は、上り1時間40分。下り1時間20分とのこと。すごい人がいるもんだと感心しながら、緩やかな木道を、頂上を目指して歩き始めました。

 九合目の標識を見ることなく、頂上の弥山に着いたのは、九時二五分だった。所要時間が、3時間を超えている。件の老人の約2倍である。ガイドブックによれば、所要時間は2時間40分とある。自信をなくした瞬間でした。


 頂上は、1709mとも、1711mとも言われている。そこには、「大山頂上」と言う板をはめ込んだ、石組みがあり、その文字の下には、1710.6mと記されていました。
 そこからは、縦走する道があったが、崩壊のため通行禁止になっていた。日本海側の北壁は、大山町から崩れているのがよく見えるが、反対側は、頂上に来なければ判らなかった。南側も崩れているのである。通行禁止の先には、剣が峰という、1729mの頂がある。何年か前には、まだ行けたそうです。


 自然も生きていることの証明が、この大山だ。人間が死ぬように、山が死んだっておかしくはない。長いスパーンの中で、大山は今、時間をかけながら、死のうとしている。今を生きている人間が、これに立ち会おうとしている。長い時空の中で、この瞬間に直面できることのすばらしさを感じた。いずれこの弥山にも、立ち入れなくなるだろう。来られたことを幸せに思おう。そんな感慨にふけりました。

全8ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8]

[ 次のページ ]


.
我が輩
我が輩
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(1)
  • edo*****
友だち一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事