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私は今まで仕事で伊豆半島の仏像や石仏を調査してきましたが、2年前、伊豆半島内の某市が、若輩者かつ未熟な私を文化財保護審議委員に任命して下さったことに感激し、期待に添えねばと勉強しているうちに仏像以外の伊豆の郷土史全般にも興味を持つようになりました。単純ですね(笑)それ以来、伊豆の郷土史関係の書籍や史料を見つけ次第、生活費と相談しつつ買い漁っていますが、先日ヤフオクで思いがけず発見し、無理をして競り落としたのがこの54点の古文書・古記録。落札価格は合計で20000円弱でした。出品者に送金後、手元に届くのを首を長くして待っていましたが、一昨日、ついに届き、感動の対面をしました。
まず52点の文書は江戸時代の君沢郡徳倉村(現三島市)から出たもので、ざっと見たところ、江戸後期から明治にかけてのもの。奉公人の請状や詫状などが目に付きます。気になるのが画像最前列の「御縄水帳」。要するに君沢郡徳倉郷の田の台帳ですが、表紙に「文禄三甲午年」の年号があります。文禄3年は1594年に当たりますが、この年、例の太閤検地が伊豆の各地で行われたのです。この水帳はこの時のものでしょうか。そうだとすれば嬉しいのですが、江戸期以前の水帳がそう残っているとも思えませんから、やはり後世の写しではないかと思います(詳しい方、ご意見をお聞かせ下さい)。それでも文禄検地の記録として、この水帳の史料的価値は高いのではと思っています。
一方、好奇心をそそられるのが二枚目の写真の古記録。一本の長い脊椎の両端に鋭い牙を持つ動物の頭がそれぞれ付いている図。書き込みによるとこの骨は、伊豆国君沢郡熊沢村(現伊豆市)の狩野川の用水で拾われたものとのこと。この文書の時代は幕末から明治初めと言うところでしょうか。それにしても奇妙な骨です。この姿で正常型であるとは思えないので、やはりヘビなどの奇形個体だろうかとも思ったのですが、あくまで印象ではありますが、どうも頭骨の形がヘビとは違うような気がします。そうなるといよいよ不思議ですが、よく見ると脊椎のちょうど中間、骨がピンク色に変色しているあたりで脊椎から上下に突出する突起の並びがそれぞれの両端に向けて逆についています。怪しい・・・。江戸後期から明治時代と言うと、一方では見世物、もう一方では現在でいう博物学が大いに流行した時代。このような世情を反映して、人魚や鬼、河童のミイラなど、怪しげなものが沢山製作された時代です。やはりこの奇妙な骨も作られたものなのでしょうか?これもまた皆さんのご意見を伺いたいところです。
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