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径5.6cm、高さ2.7cm。見込み右下に「近歩二」、上「除隊記念」とあるので、
近衛歩兵第二連隊所属の兵隊さんの除隊記念の盃のようです。wikiによると 近衛歩兵第二連隊は明治七年(1874)に軍旗が親授、同年の佐賀の乱、 明治十年(1877)の西南戦争も経験した古い部隊で、日清・日露戦争、1940年の 北部仏印進駐に参加。1941年8月に東京に帰還した後は、皇居の守護にあたって いたといいます。この盃がいつごろのものかの決め手はないのですが、 古いものでは「紀念」になっている文字が「記念」であるあたり、昭和に入っての ものではないでしょうか? それはともかく、リサイクルショップで見て釘付けになったのは見込み中央に
焼き付けられた写真。兵隊盃を集めるともなく拾い買いして14年。写真入りの 盃は、ネットでは見たことがあったものの、実物に出会うのは初めてでした。 早速購入、580円也。レアものにしては安い買い物でした(^^) 高台に「山本」とありますので、写真の主は山本さん。若い兵隊さんです。 「兵隊ー若いー盃」と来ると、特攻隊の水盃を思い出す人が多いようで、 この手の盃を集めていると言うと、「縁起が悪い」「怨念が籠っていそう」 などという人がいるのですが、私が知る限りこの手の盃は「除隊記念」「帰還記念」 に作られたものがほとんど。本質的には御目出度いものですから、いわれのない誤解といえるでしょう。 |
兵隊盃
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会議の時間を30分間違えての時間つぶし。なんとなく街中を歩いていると、リサイクルショップにたどり着きました。特に期待もせずぶらりと入って、出会ったのがこの盃。兵隊盃との2年ぶりの再会でした。例によってお盆の上に十個ほど並んでいたうち、傷のないもの2個を買ったうちの一つ。一個575円は、昔に比べれば驚きの高値ですが、今ではまあ、相場でしょう。
それはともかく、旧友に再会したように懐かしく、身近に置いて小休止のたびに手に取っています。戦争アレルギーの人などには嫌われるでしょうが、私などは純白の肌に書き込まれた金文字が意外に美しく、淡い彩色の桜花が添えられているところなど、背景よりも先に、日本の美を感じてしまいます。書き込まれた文字は「花ハ(は)桜 人者(は) 武士」。この言葉などもなるほど戦争の香りが漂いますが、軍国主義で片づけてしまうのは少しさみしいようにも思うのです。
旧友に再会した気持ちになって、久々にブログを更新してしまいました。
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花の命は短くて 今年も桜の季節が終ってしまいましたね…
って「何寝ぼけてるんだ!」と怒られそうですが、実は私が住んでいる町は
早咲き桜の名所。すでに葉桜の季節なのです(^^)
それにしても今年の花見はダメでした。
まず、天気に祟られたこと。咲いたと思ったら雨で、しまいには
こちらではほとんど降らない雪まで降り出して。。。
でもそれ以上に参ったのは花粉症。例年「やばいかな〜」と思いつつも
なんとか逃げていたのに、とうとう出ちゃいました。。。
で、アレって出ると容赦ない。前日までは何ともなかったのに、急に
両目がパンパンに腫れだして、鼻水は出るわ、喉は痒いわ…。
「寝たら治るかな?」と甘く見ていましたが、当然そんなことはありえない
わけで、完全にマスクマン(T T) 帰ると風呂場に直行し、シャワーを浴びて
花粉を落とさないと号泣状態。 自宅の窓は開けられないし、布団は干せ
ないし。。。
このまま一生治らないのかななどと思うと、悲しくなっています(←弱すぎる)。
だって一昨年のこの季節なんて、某山奥で崖に並ぶ石仏を調査中、周囲の
杉林から間断なく降ってくる花粉を全身に浴びながら、「雪みたい(喜)」なんて
恍惚としていたくらいなのに(←ヤバイ人だ)。
・・・ってそんなことしてるから、花粉アレルギーのキャパ越えちゃったのかなぁ。
それはともかく籠の鳥ならぬ「水槽の亀」のようになってしまった我が身。
今日は桜花の盃で花見酒といきましょうか。
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昨日、「征支凱旋記念」の盃を挙げたので、追加。
見込み中央に「信義」「質素」と大書、上に小さく「記念」と小さく書かれた盃。
「質素記念?倹約生活の記念?なら盃なんて焼くなよ!!!」と突っ込む人もいるでしょうが(←?)、裏を見ると「支那事変記念」の朱文字。支那事変の記念ですね(^^)
でも、あれ?支那事変の盃ってないんじゃ???
支那事変といえば、これはもう1937年開戦の日中戦争のこと。中華民国政府の抗議により、1946年以来「支那」の呼称は用いないことになっていますが、それ以前は「支那事変」が日本政府公式の日中戦争の呼称だったのです。
昨日、「(前回の)盃に書かれた「征支凱旋記念」の戦闘は日中戦争(支那事変)ではない。何故なら日中戦争では日本は勝利していないから」といいました。これが成り立たない???
問題は、日本の敗戦で終結した「日中戦争(支那事変)」を記念する盃が何故あるのかということ。これを考えてゆくうちに、あることに気がつきました。
今まで私は兵隊盃を「兵士(個人)の凱旋、帰還、退役の記念品」と考えていたのですが、中には戦意高揚の為に国や県、市町村、各種団体などが配布した記念品も含まれているのではないか?
そういえば以前「兵隊盃004 第一次世界大戦の盃」として紹介した、「三河村贈呈」の盃があったところを思い出しました。
信義・質素の言葉も「銃後の備え」をした女性や老人、子供たちへの訓示として理解できます。この盃、日中戦争(支那事変)の戦後ではなく、戦時中の真っ只中で焼かれ、配られたものだったようです。
そうなるとこの盃、厳密には兵隊盃ではないということになるでしょうか。
私は現代史に関しては全くの門外漢ですが、兵隊盃を集め、その背景を調べてい行くうちに色んなことを考えたし、調べ、学んだような気がします。書物や単なるデータではない「モノ(実物)の力」っていうのはやっぱり凄いです。
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見込み中央に草地に置かれた大砲と日の丸、その奥に薄藍の城門を
描く小型の兵隊盃。絵の上には金文字で「征支凱旋記念」と書き込まれて
います。
「征支」は「支那を征す」ですから、戦前、支那と呼ばれた中国との戦闘での
勝利ということになります。歴史上「支那事変」と呼ばれた戦争といえば、
1937年7月7日夜の盧溝橋事件を発端とする「日中戦争」をさしますが、
第二次世界大戦の一部をなすこの戦争では、最終的に日本は敗戦国と
なったわけですから、日中戦争はこの盃の戦闘ではありえません。この
場合は1931年9月18日〜1932年3月1日の満州国建国にいたる満州事変を
指すのでしょう。
城門は日章旗たなびく写真絵葉書が多数残っている錦州の城門でしょうか。
子供の玩具のように愛らしい小さな盃ですが、これもまた歴史の生き証人
なのです。
この盃は今はなき原宿・東郷神社の「東郷の杜能美の市」で購入。確か1000円。兵隊盃は外国人旅行者の土産として人気だそうで、場所柄この市での兵隊盃の相場は高めでした。それでも昔は兵隊盃を拾いに良く通ったものでした。。。
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