蒐集の日々

2年ぶりの更新(^^)

霊験譚・怪談・不思議なもの

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首のない仏像

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さる方のブログを拝見して、私も語りたくなってしまったことがあります。今回は怖いものが苦手な方、夜尿症の方は閲覧をご遠慮下さい(^^)

ここにこれから記すことはフィクションではありません。夢であった可能性はありますが。

もう三葉虫は絶滅していましたが、恐竜はいたのではないかと思われるほどの遠い昔(←もちろん主観的に見てです ^^)。私は大学4年生でした。その頃、私は私を古美術の世界に導いてくれた、年の離れた先輩に出会ったのです。先輩はさるお寺のご住職でしたが、時折私がお邪魔すると、寺のあちこちから怪しげな箱をいくつも出してくれては、私に色々なものを見せてくれ、時には「勉強してください」とプレゼントしてくれたりもしたのでした。

そんなある日、やはり私が先輩のお寺にお邪魔して、様々なものを見せていただいたときのこと、先輩、少々もてあまし気味に一体の仏像を出してきたのでした。先輩によるとこの仏像は、骨董市で他の仏像を求めたとき、店のオヤジに「この仏像もセットでないと売れないね」と押し付けられたものなのだそうです。先輩は「捨てようと思っているんだ」といいます。先輩は禅宗の修行を積まれたお坊様ですから、「仏像はただのモノに過ぎない。真実の仏の象徴に過ぎない」と悟っていらしたのだと思います。それに対して私は平凡な一般人ですから「仏様を捨てるなどはもってのほかです」と抗弁。すると先輩、珍しく悪戯っぽい笑顔を浮かべて「それなら君にあげよう」と私に手渡したのでした。

お寺からの帰りの電車の中で、私はずっとあることが気になっていました。それはこの仏像がお顔と手を失っていること。特に気になったのは手。この仏像、服制から見て如来像であることはすぐに分かりました。しかし如来像の種類を特定する唯一の方法は仏像の印を見ることであるにも関わらず。この仏像はそれを失っているのです。これではこの仏様をなんとお呼びしたら良いか分かりません。当時の私は、仏像を入手すると必ずその仏様にちなんだお経を上げることにしていましたから(当時私は出家しようかとも思い、密かにお経を覚えていたのです)、気になって仕方がなかったのです。やがて帰宅。仏像は家の本棚の一隅に納まりました。一応手を合わせ、焼香しましたが、やはり何とお唱えすればよいかわからない。気になりながらそのまま就寝したのです。

その夜、私は部屋の中の物音で目を覚ましました。耳を澄ますとそれは人の声のようです。私は最初、隣室の妹が起きているのかと思いました。しかしどうも違うようです。ついで窓の外に人がいるのかと思い、外をうかがいました。やはり誰もいません。ついで、ラジオのスイッチを切り忘れたかと思い、ラジカセのコンセントを引き抜きます。そして再び布団に。しかしやはり人の声がするのです。そこでいよいよ不思議に思って、聞き耳を立てました。何と言っているのか聞こうと思ったのです。すると凍りつくような恐怖が全身を駆け巡りました。それは「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」と低い声で念仏を唱える声だったのです。

激しく恐怖すると同時に、いきなり体の自由が利かなくなりました。生まれてはじめての金縛りです。すると声はいよいよ大きく聞こえてくるのです。もう声がどこからしているのかもはっきりとわかりました。ご想像の通りで、あの首のない仏像から聞こえてきていたんです。体は動かず、声はだんだん大きくなってゆきます。脂汗を流しながらどうしようもない恐怖に耐えました。そのうち心が落ち着いてくると、妙なことを思いつきました。「知っている限りの真言を唱えてみたらどうだろう」と思ったのです。真言とは古代インドの聖語、サンスクリット語の呪文のこと。お坊さんが唱える意味の分からない呪文がこの真言です。真言には悪しきものから身を守り、仏の加護を得る力があるといわれています。私はこれを思い出して「助かった」と思いました。

ところでこの時に私は実に面白いことを考えます。実は真言にはレベルや効力の強弱のようなものがあるのですが、私は20ほど知っている真言を効力の弱いものから使ってゆこうと思ったのです。何故なら最初から一番強力なものを用い、万が一通用しなかったら最後じゃないですか。そこで頭の中の序列順に言ってみることにしたのです。

ところがダメなのです!ダメと言うのは、何故か全く思い出せないんです。頭は恐怖で嫌なほど覚醒しているのに、肝心な真言はそこだけもやで覆われたように全く想起できません。これには心の底から焦り、そして恐怖しました。「霊能力者が悪霊に立ち向かって力及ばず・・・」というような話があるじゃないですか。私はあのような話を聞くたびに不思議に思っていたのです。「真言や呪文は聖なるもの。誰が用いても聖性は変わらないのでは?」それなのに何故その真言を習得している者がやられるのかと。その理由がこの夜、分かったような気がしました。恐らく相手の力が自分を圧倒したとき、体だけでなく、精神も金縛りに遭うのではないかと。

それはともかく、この夜の私は必死でした。もうどうしようもありません。必死に想起しようとしてもできない。真言は諦めて、般若心経などを思いだそうとしてもそれも全くダメなのです。声はどんどん大きくなります・・・。

そのうちにあることに気がつきました。「あの声」が唱えている念仏だって聖語ではないかと。「南無阿弥陀仏」。これは仏教の浄土教において、永遠の寿命と無量の光明を持つ阿弥陀如来と私達をつなぐ唯一にして絶対の絆とされています。偉大なる教主の御名。もしかしてこれが効くのではないかと。そこで声を出してみました。ところが声が出ません!声帯が麻痺してしまっていて、大声を出そうとしても口からはあえぎ苦しむような呻き声しか出てこないのです。私は自分のその声にさらに恐怖し、それでも唯一の方法である念仏にすがりました。そして出ないながらも「南無阿弥陀仏」と唱え終わった瞬間。全身の金縛りが一気に解けたのです。そして「あの声」も止みました。私はほっとしたと同時に引きずり込まれるような睡魔に襲われ、そのまま寝入ってしまったのです。

朝。昨夜の恐怖はリアルに覚えています。しかしその後眠ってしまった私はその夜のことが最初から全て夢であったようにも思えました。事実とても現実のこととは思えない出来事だったので。しかし私の枕元のラジカセのコンセントは、何故か抜いてあったのです・・・。

その日、私は恥を忍んで、大学の恩師の教授室を訪ねました。恩師の専門は梵語(サンスクリット語)。お坊さんではありませんが、寺に育ち、仏教関係の著作も多い方です。恩師は私を非常に可愛がってくれるのですが、いつもからかう癖があります。真面目に聞いてもらえるだろうかと不安でしたが、この人にしか言えないようにも思ったのです。

恩師は長い間黙って私の言うことを聞いてくれました。優しい、しかし心の奥底を見通すような瞳。私が話し終わると恩師は黙っています。私は急に恥ずかしくなって、妙な話を聞いていただいてしまった非礼を詫びて、部屋を出ようとします。すると呼び止められ、聞かれました。「それで君は私に何を聞きたいのかな」。私がさらに謝ると恩師は言いました。「君はその体験を何だと思っているのかね?」私が応えられないでいると、恩師は私の瞳を捕らえるように見つめて言いました。「それは霊験譚だよ」。「え?」と私。「君があまりに熱心に、純粋に仏様のお名前を知りたがるから、御仏が現れてくれたんじゃないか?違うかい?」。

恩師が与えてくれた答えが正しいものなのかどうかは正直分かりません。それどころか「あの夜にあったことはやはり夢ではなかったか」と強く思います。夢であったか現実であったか、今の私には区別できないし、その方法がわからないのです。夢であったとすれば心理学者は全く違った解釈をしそうですし、私も彼らの言いそうなことが大体わかります。それが正しいのかもしれません。ただ、現実であるなら「あの声」は聖語である念仏を唱えていたのですから、恩師の解釈が正しいように思います。チベットの死者の書によると、死者の前に御仏が現前しても、死者は自らの業に従ってその仏を恐れ、逃れてしまうのだそうです。もしそうならば、御仏の現前に遭遇して私が感じた恐怖はそのような性質のものだったのかもしれません。

いずれにせよ今でもかの仏像は私の手元にあります。そしてその後、仏像が声を出すことはないのです。

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