和錦城2009

〜゙和金"を゙和錦"にする為に…〜

☆★古の銘魚★☆

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過去に私が実際に見た、もしくは飼っていた『凄い!』と思える錦魚達の記事です♪
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第二回 更紗蝶尾

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画像は私の描いたもので、今から5年程前に飼っていた、中国産の更紗蝶尾(当時、明け3歳のオス)です。この子はとにかく尾と派手な更紗模様が特徴で、実物を見ながら、この絵を描きましたので、ほぼ画像の通りの蝶尾でした。

この子は関東の某熱帯魚店の店主様が、個人的に蝶尾が御好きで、御自宅で子引きした中から出た特級魚でした。その方とは随分御付き合いをさせて頂きましたが、2007年春に引越しをされ御店も現在はありません。

第一印象で、それまでの蝶尾に対する印象は吹き飛び『こんなに美しいものなのか!?』と、頭をハンマ-で殴られたような衝撃を覚えました。大きさも大きく、全長は約20cmほどで、これだけ大きな尾を持っているにも関わらず、安定した素晴らしい泳ぎっぷりを今でも鮮明に覚えております。

この子は、餌の食わせ過ぎにより腸満で残念ながら今は天国に居ますが、その素晴らしい雄姿は今でも私の心に焼き付いて離れません。

今でも、この子以上に美しく、迫力のある蝶尾には出会っていません。
もし、このような蝶尾が居たら、入手して、子引きをしてみたいです(^^)

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思えば、私(吉岡龍次)の人生は、ほぼ金魚一色であったように思います。私は島根県松江市で生を受け、岡山県倉敷市内で育ちました。その当時から父親が生き物が大好きで、当時の自宅には熱帯魚、金魚、錦鯉、犬までおりました。その影響もあってか、物心がついた時点で人間以外の生物も日常に自然と織り込まれるようになっており、極々自然な形で生き物を愛好するようになりました。そして多くの生き物に触れる中で、私が金魚という特定の生物にのめり込んだのは、間違いなく祖父である吉岡梅太郎(よしおかうめたろう:故人)の影響です。記憶が定かではありませんが、小学校2年生の頃に初めて祖父が庭先で飼っている金魚を見せて貰ったと思います。毎年のように私が学校の大型連休(春休みや夏休みなど)になると、決まって島根県の実家へ行くのが慣わしで、その時は祖父の方から『龍次、お前に白くて大きな金魚を見せてやろう。』と言われたのがきっかけだったと母から聞き及んでおります。

祖父は戦前から出雲ナンキンの愛好家で、父親の生き物好きは祖父からでした(笑)小学校4年生頃にもなりますと、春休みには子引きの手伝い、夏休みには叩き池の管理をしに父母同伴で島根県へ行くのが暗黙の了解になっていたようにも思います(笑)当時、私は出雲ナンキンなる金魚が、まさか天然記念物指定の貴重な金魚だとは全く知らず、膨大な数の色変わり前の子魚を前に『こんなに沢山居たら選別なんて面倒だなぁ』と、今思えば大変無礼な事を思いながら、祖父御手製の選別網で祖父から言われた奇形の特徴の出た魚等を撥ねておりました。当時の出雲ナンキンの印象は、とにかく“丸く白くて大きな金魚”というもので“貴重な島根県の天然記念物金魚”等という思いは一切ありませんでした。祖父もそのような事は言いませんでしたし、結構、手荒く扱っていたような印象もありました(笑)

当時、実家の庭には7つのモルタル製の叩き池があり、一番大きな池は水量4トン程も入る大きくて深めの池でした。その池は庭の一番奥にあり、私の一番のお気に入り池でした。と申しますのも、そこには大きな出雲ナンキンが群れていたからです。その池の中の一番大きな出雲ナンキンは大人の両手でも運び難い程で、子供の記憶なので信憑性に乏しいですが、その出雲ナンキンは確実に30cm以上はあったと思います。色柄は、尾が真っ赤で、後は全部真っ白だったように記憶しています。もしかしたら左の胸鰭も赤かったかも知れませんが、定かではありません。ちなみに子魚専用で、家の目の前にある田んぼの一角に水を張った広くて浅い池も3面持っていました。そこは毎年のように祖父と子魚を選別した思い出がありましたので、未だに田んぼに水が張った風景を見ると、祖父と出雲ナンキンを思い出します。

ちなみに当時、祖父が飼養していた出雲ナンキンは、現在の出雲ナンキンとは少し違う印象で、今の出雲ナンキンよりも胴体が太く、短めでした。顔付きと尾のバランスは現在でもほぼ同じだと思いますが、決定的に違ったのは、やはり胴体の形状です。あのような出雲ナンキンは、今では全く見られないもので、今で言えば『丸手体型の出雲ナンキン』と申し上げれば御分かり頂けるでしょうか。色柄は、確かに祖父も白を主体にしてはおりましたが、半分以上は頭にも赤が入った更紗の出雲ナンキンだったと記憶しています。とは言え、自家繁殖した子魚を誰に売る訳でもなし、あくまでも祖父の好みの体型と色柄で選りすぐられていましたから、当時でも保存会などで制定されている正式な出雲ナンキンの審美からは離れていた個体群であったろうとは思います。

祖父からは色々な事を学びました。一番大切な事として、祖父が常々言っていた事は『金魚は放置してはいけない。人間が世話をしてやらないと死んでしまうから、いつも気にかけて愛情を込めて世話をするのが一番だ』と言っていました。当時は“あっそ♪”と生意気な事を思っていましたが、今になれば本当に大切な事なんだなぁと実感しております。金魚飼育は労力のいる行為であり、人間が関わらなければ原型であるフナから、ここまで発展しなかったのは明白です。人間があってこその金魚、金魚があってこその愛好家なのだと思います。そんな色々な事を教えてくれた祖父も、平成元年の9月に、ずっと患っていた持病が悪化し亡くなってしまいました。祖父は亡くなるかなり以前の私が高校生の頃に金魚飼育自体を辞め、多数あった叩き池なども取り壊し、子魚専用だった田んぼも埋めて、出雲ナンキンも処分してしまいました。その頃から『あ、もう無理なのかな。』などと子供ながらに思い、非常に寂しい思いに駆られました。

私は数多くの金魚の中で和錦が最も好きですが、出雲ナンキンにも特別な思い入れが御座います。私の人生を金魚一色に染めるきっかけになったのは、間違いなく祖父であり、そしてその祖父が愛してやまなかった出雲ナンキンでした。ただ、今は和錦で手一杯ですので、出雲ナンキンは飼っておりませんが、いつかは出雲ナンキンにも再挑戦してみたく思う、今日この頃です。

今でこそ赤勝ち更紗も大好きですが、私は基本的に更紗か白勝ち更紗の金魚が好きです。その影響は勿論、祖父が飼っていた出雲ナンキンが発端です。ですから和錦を毎年交配させる度に『今年はメチャクチャ綺麗な白勝ち更紗がいっぱい出るといいなぁ』などと、一人で思いながら色変わりを待っております(笑)

<<画像説明>>
愛称:梅ちゃん(うめちゃん)
出雲ナンキン 明け5歳 メス 全長:24cm(巨大でした)

既にこの子は亡くなりましたが、私が飼育した出雲ナンキンの中で最も祖父が好んだであろう出雲ナンキンに近い子でした。

なかなかの子だとは思いますが、如何でしょうか?

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