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N,O 14
家に帰ってから、私は酒屋を手伝い始めた。髪は、まだ伸びていなかったが、そのままの頭に
めがね、トレーナーに、ジーンズといつも、同じ格好で。だが、発作は、繰り返し起こっ
ていた。発作が起きそうになると、私は、急いで店の奥にはいる、すぐ、いつもの硬直がはじまり
耳鳴りがして、意識を失った。しかし、私はどうにか子供と暮らしたかったので、発作の時は、顔
を横に向けつばが、口の中にたまらないようにした。「口につばが、たまり、呼吸困難になりあぶ
ない」と、医師に言われていたからである。身体もマヒがあり、いつも、恐怖感に襲われていた。
家は駅近くだが、田舎なので、あまり店がなかったため、繁盛したが、休みはまったくなく、
朝9時から、夜は、9時、10時まであけていた。
母も店を手伝ってくれていたが、食事を作ったりする暇などなかった。いつも、店が終わってから
外食か、てんやもの。店と車には、無線がついていた。
夫は、よく無線で連絡しても帰ってこない日や、応答がない日があり、配達出来ず、店の電話が
苦情だらけで、謝りっぱなしで、電話を持ったまま発作を起こしたこともある。
子供達と暮らせるようになったのは、娘が、2歳過ぎてからで、近所に同じ年頃の子供も多く
家の前は畑だったり、すぐ土手があったので、子供達は、元気よく遊んでいた。
娘はお兄ちゃんっ子で、外で遊んでいても、右へ走りながらも「おにいちゃーん」左へ息子を
追いかけながらも、「おにいちゃーん」と叫びながら走るので、いつも、どこで遊んでいるかが
わかった。
子供達と暮らせるようになってから、何ヶ月かした頃から、夫の行動がおかしいことに気づいた。
店の売上金がなくなったり、大事な配達へいっていなかったり、知らないうちに100万もする
システムソーラーを取り付けていたりと、おかしかった。今でこそ、システムソーラーはいいが
当時は、お湯になりますっていっても、冷たかったり、ほとんど役にたたない。夫は、当時必要
のないファックスを買ってみたり・・・そのうち、近所にもお金を貸すようになっていた。
しらずのうちに貸してしまうので、私はいつのまにか、発作もちの、まだ若い借金とりにならざる
を得なかった。「5日にかえしてくれるから」といっても、返るわけがない。しかたなく、私が
電話をすると、「家の息子が、借りたという証拠でも、あるんですか?」と言われる。
外に出られない私に変わって母までもが、近所のおくさんの所へ、借金の取立てやになって、大変
であった。そうしては、また、発作を起こしたが、ある日、子供のいる前で、発作を起こしそうに
なった。「おかあさん、今から発作起こすけど、大丈夫だからね。大丈夫だからね。」と横にな
り顔を横にむけて、硬直して意識を失っていった。しばらくして、目をあけると、息子が娘と
おもちゃで遊んでいた。私が発作を起こす前、私の叫びに息子がうなずいてるのを憶えている。
おそらく、彼は妹が、泣かないように自分を落ち着かせていたに違いない。
幼い子供が、可愛そうでならなかった。
店は繁盛しても、年中無休で、私は発作を起こし、子供達をどこかへ連れて行くなどということは
1度もなかった。そのうち、人に貸していく分マイナスになり、夫は「もう、しない」と言っては
繰り返しで、私の病気も悪くなり脳外科へ入院した。体力はもちろんはじめからないが、精神的
にも参っていたし、近所の奥さんと、不倫などということは、とっくに知っていたが、人にいわれて
も私には、どうでもよいことであった。これを、読んでくれている人も、またかと思うだろうが、
そう、いつも、またかなのである。
そして、病院で,また、偶然にも小川さんと同じ部屋になるのである。
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