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「昭和史 戦後編」 半藤一利 著 読了
1945〜1989年の日本です。
私は、1957年生まれですので、東京オリンピック少し前からの記憶はあります。
戦後は、占領史であり、講和に至る過程です。
右往左往しながら、してるふりをしながら、GHQと対峙する日本政府機関。
天皇陛下の存在。
日本国民の性格に、驚き、その特異性を認識するマッカーサー。
戦争の時代を終わらそうとする試み。
にもかかわらず、冷戦が始まる。朝鮮戦争。
共産主義と自由主義。ベトナム戦争。キューバ危機。
日本史は世界史なのです。
私は、高度成長を肌身で感じながら育ちました。
2015年。
世界史から日本史を見る必要があるかもしれません。
でも、その世界史的視点が正しいものかは、不明です。
その正しさの内容も不明です。
でも、日はのぼり、日はしずみ、またのぼる。
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私は 、戦争知らない 子どもたち。
後藤さんが、イスラム国で、殺害されました。
今、私たちは、何を知り、何を願うのか。
争いはなくなることはないだろう、だって人間だもの。
でも、妖怪人間は、人間になりたかった。
この地球は、摩訶不思議な存在。
われの存在も、また、不思議なりか。
命よ、安らかに。
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白鵬のように、少し批判をしたくなりました。少し時間が過ぎてますが。
それは、第49回近畿高等学校演劇研究大会です。
優勝した高校の演劇は、今風ではなく、大人の香りの詰まった演劇でした。
しかし、私は、この劇を、大阪地区大会、大阪大会、近畿大会と3回見てきました。私の年代では、何となく、捨てることのできない反戦の内容でした。
ま、子どもは退屈で、時々寝ていたといいますがね。
近畿大会優勝校の演劇中、落下物がありました。
劇は中断することなく、続行。アクシデントに動揺することなく高校生は演じつづけました。
しかし、時間オーバー。時間オーバーは失格です。
ですので、時間オーバーを避けるため、劇途中にもかかわらず、幕が下ります。
最後のセリフは、幕が下りてから、叫んでました。演者の無念さに同情します。
初めて見た観客は、不完全なエピローグを演出かと思うでしょうが、3回目の私は劇途中で幕が下りたことはわかりました。最後のセリフこそ、この劇の作者の表現したかったことかもしれません。
審査方法は、どのようなものか詳しくは知りませんが、大人の意思が多く影響した結果だと思います。高校生自身の感覚が生かされているのかどうか?
エピローグが中途半端であった劇が、優勝したことは、今後の近畿高校演劇界に、大いなる課題を残すものとなるでしょう。
高校演劇を広く一般のものとするのか、その事を望まず、自己満足するのか。
さて、でも、近畿大会出場校の演劇はすべて素晴らしいものでした。
私は、二日にわたる第49回近畿高等学校演劇研究大会の開会式から、閉会式まですべて見ました。
若者たちのさわやかな感性を楽しみました。笑いあり涙あり、感動ありの心がほのぼのと豊かになる時間でした。高校生たちに、感謝します。
最後に、出場順に出場校を紹介します。
・奈良市立一条高等学校 「トロイヤツとクレシダ」
・大阪府立淀川工科高等学校 「風に吹かれて」
・和歌山県立那賀高等学校 「ゴーストレイ」
・立命館高等学校 「よろこびの歌」
・雲雀丘学園高等学校 「われら、若葉色合唱隊!」
・大阪府立緑風冠高等学校 「太鼓」
・滋賀県立水口東高等学校 「ミーティングから始めよう!」
・大阪府立北摂つばさ高等学校 「あの村上さん」
・兵庫県立東播磨高等学校 「青い蝉」
・奈良県立ろう学校高等部 「思いは時を越えて―ナミヤ雑貨店の奇跡―」
高校演劇界の合言葉と思われる言葉で終わります。、「おつかれさまでした」
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イスラム国に、日本人が捕まり、一人が殺害されたとか。
残る一人のために、日本政府が対応しているとか。
いま、北朝鮮拉致被害者の会の方々は、どのように感じているのだろうか。
時が過ぎると、すべてが忘れ去られるのか。
きっと思っているだろう、私たちのこどものためにも、力をかしてくださいと。
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長英逃亡(新潮文庫 上・下)吉村 昭 著 を読了。
なんという人物、なんという時代。
その時代を生き抜くには、遅れてはいけないが、進んでもいけない。
時代遅れはいけないが、先進もいけない。
その時代にあわさなければいけないのか?????
逃亡。身の危険を顧みず、それを支える人々。
時代に振り回された人生だったかもしれません。
顔を破壊して、過去を捨てようとした長英。
その時代に家族と生きようとして、終焉を迎える。
高野長英は、明治維新少し前の江戸時代を生きたのだ。
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