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先日、またまた映画を観に行ってきました。
今回観た映画は「容疑者Xの献身」な〜のだ。
テレビシリーズのガリレオの延長線上の娯楽映画だと思って観たのだけど、期待を思いっきり裏切られました。
といっても、面白くなかったというのではなく、泣ける映画だったという事な〜のだ。
ここからは内容を書いてしまうので、まだ観てない人は読まないでくださいね。
堤慎一演じる高校数学教師の石神が松雪泰子演じる隣人親子の殺人事件の隠蔽工作をするのだが、トリックは粗方解った。
ホテルのロビーでダンカンと松雪が逢っているところを石神が盗撮する場面でわざとストーカーを演じようとしていると感じたし、親子が殺人を行った日が1日だったというのも途中で解ったんだけど、ど〜しても解せない部分があったんだよね。
それは、ホームレスを殺害したという事。
堤演じる石神の性格上、人を殺せるようには絶対に思えないんだよな。
いつもベンチに居るはずのホームレスが湯川と歩いた時に居なかったから、何かあったのだろうとは思ったんだけど、殺す事までは思わなかったよ。
だって、石神は今までの人生の中で友人も恋人もおらず、唯一数学だけが友達であり世界であったわけだ。
数学なら誰とも交わらなくても自分の脳内で完結でき、自分だけの世界中で心安らかにいられたのだろう。
大学院に進めれば、更なる安住の地を得られたはず。
そうすれば、最近ノーベル賞を取った物理学者たちのようにキモイけど結婚もできたろうし、それなりに幸せをつかめただろう。
それが親の看病で大学院に進めず、高校教師という石神にとっては牢獄に等しい人生を送る事になり、絶望の中に自殺を試みたくらいだ。
つまり、自分以外の人間と話すことも心を通わす事もなく、数学同様、自己完結しようとした人間が、いくら自分の命の恩人の親子の為とはいえ、他人の人生に自ら作用したり、ましてや殺人なんて残虐な事は絶対に考えないはず。
もし石神が残虐な人間なら、湯川はトリック解明に躊躇しないはず。
そこが唯一の違和感なんだよな〜。
あとで映画の話題で盛り上がっている掲示板を見たら、原作では、その辺の事がちゃんと描かれているんだとの事。
内容はわからないけど、例えば、殺されたホームレスが自殺願望があり、石神にその事を相談したとかあれば、石神がホームレスの自殺幇助をし、その後、隠蔽工作を行ったなどの描写があれば納得できたんだが。
今からでもいいから、そのシーンを追加してくれないかな〜。
あと、原作の石神と堤演じる石神とでは、人間性が違うらしい。
もっと陰湿で残忍な人間だったらしいが、堤が演じる石神は孤独と絶望の中に生きる純粋だけど社会の中で生きれない未熟な人間だ。
だから尚更残虐なホームレス殺人が行えるとは思えないのだが、そんな石神が殺人まで犯して命を投げ打ってまでして親子を助ける献身振りが最後の方で涙を誘ってしまう。
松雪が自首して石神に「あなたと一緒に罪を償います!」と涙ながらに訴えた瞬間、泣き叫びながら崩れ落ちる石神に思わず泣けてきた。
この日は用事で静岡に行ったついでに観に行ったので、一人で観たのだが、女の子と一緒じゃなくて良かった。
泣いてるとこを見られたら、恥ずかしいもんな。
周りにいる人にも気づかれないように、少し後から涙を拭いたのだ。
あのシーンでの石神の心情は映画と原作とでは違うようだ。
原作では、人生を掛けたトリックなのに、一番助けたい人に台無しにされたという単純な絶望感らしいが、堤演じる石神の涙には、今まで誰も自分の事なんか相手にしなかったのに、過去に命を助けられ、その人を救う為に全てを捨てたのに、そんな自分に幸せを捨ててまで自分の為に自首してきてくれた事に混乱しながらも、生まれて初めて自分の事を心の底から思ってくれた人が居た事に魂を救われたという、初めて自己完結できない自分では理解し得ない感情から溢れた涙だったのかもしれない。
その後の取調べでも頑なに全部自分がやったといい続ける理由も、原作と映画では違う意味なんだろうな。
映画の石神の涙の意味をもっと解り易くする為にも、ホームレスを殺す時のシーンを作り直してもらいたいな。
何の罪も無いホームレスを殺した理由が絶対に必要だ。
それも、ホームレス自らが死に値する、例えば極悪人だとか、余命わずかで自殺しようとした人間でなければならない。
原作では、ホームレスは社会の中の歯車のひとつに過ぎない、居なくなっても誰もなんとも思わないから殺してもいいんだ、みたいな石神の冷徹な残虐性が浮き彫りにされてるらしい。
そんな石神が最後に泣き崩れても誰も共感しないよな。
堤の残虐性の無い純粋で弱いしょぼくれた中年男性が初めて他人の為に全てを捨てた献身だからこそ感動するのだ。
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