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もっとも、ダスカロスは、実際に‘死’というものはないと述べています。 【‘死’はわれわれの自己意識を変えたりしないんだ】 唯一起こる変化は、肉体を捨て去っていくだけのようです。 ですので、多くの人は、死の過程で起こっていることに気づいていられず、この世とあの世の区別がつかずに、同じ感情と思考を持ってサイコノエティック界に存在し続けることになるそうです。 そのサイコノエティック界とは…。 いま私たちは、肉体のほかに、サイキック体とノエティック体の3つの身体を持っているそうです。 サイキック体は感情、気持ち、欲望の身体で、ノエティック体は思考の身体だと云います。 「私がなぜサイコノエティックと呼ぶのか…、サイキックとノエティックは浸透し合っているからだよ。 つまり、思考・想念のないところに感情はないというわけだ」 (「ところで、物質レベルの世の中にもこの二つの世界があるんだ」) 「身体をある時点で放棄した後は(死と呼ぶもの)、残りの二つの身体を持って、つまり感情と思考を持って異次元の世界で生き続けるんだ」 【死んでゆくのは肉体だけで、自己意識を持った人格としてわれわれは、感情や気持ちや自分の嗜好といったものを全部携えたまま、サイコノエティックの次元に存在し続ける】 「人はそこでも、地上で馴染んでいた自分の世界をつくるんだ。たとえば、この物質界で経験した人生をそこでも送っている。歩き方だって同じように歩いているんだ」 時間&空間を超越している次元なので、本人の意識とは違い、下手をすると何世紀も同じ繰り返しをそこで重ねることもあり得るようです…。 「〈ねえ、君、いつ、このことが起こったのか〉と尋ねると、〈きのう〉とか〈今日〉とか答えるんだ」 そこで、その次元では、透明なヘルパー達が、一人ひとりの意識革命のために奉仕をしていると云います。 「透明なヘルパーは、だいたいが‘大天使’なんだ」 人間も大天使であると述べているダスカロスですが、実際、肉体を持ち、物質界に意識を置きながらも、透明なヘルパーとして、低次元のサイコノエティック界で活躍している方々も多くいらっしゃるようです。 肉体の死に気づかず存在するその人自身のカルマもあり、制約もあるので、気づきのきっかけを与えるだけのようですが、それがこの著書でも描かれているとおり、なかなか厄介なモノで、はたから見ているとつい苦笑いしてしまうほどです。 「君は死んだのだ。ここは物質界ではない」と教えても、まずそこから信じてもらえません。 いらぬ気苦労だけを繰り返している…、物質界でも十分あり得ることですが、透明なヘルパーさんたちの寛大なる働きにおおいに心打たれます。 とにかく、肉体の死に直面しても、残念ながらほとんどの人は何も覚えていないことが多いそうです。 「サイコノエティック界では、いったん疑問を持ち、真理の探求者になると、自分で現象を起こせるようになるので、独力で真偽の発見に向かえるんだ。この世で真理の探究の道を進めば進むほど、サイコノエティック界での進歩はより簡単に加速されることになるんだ」 【もし君が地上にいる間に、人格的にしっかりとした土台を築き上げたとすると、サイコノエティックの次元では急激に成長が進むんだ】 『メッセンジャー永遠の炎』より 神宮外苑 : この携帯写真は合成していないのですが・・・。 |
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神宮外苑の紅葉、なんとも見事ですね〜
死は至福の体験なのでしょうね
2009/11/28(土) 午前 5:01 [ Joy all ]
ダスカロスのメッセージを読んでいると、「自然」というものの定義も変わってはきますが、その織りなす「美」は、「恩寵」そのものと感じ、その出合いに感謝してしまいます。^^
「死」については、期待ではなく、まさに「今」の意識の延長上のものであることを少しでも気付けたらという思いで記しました。
2009/11/28(土) 午後 3:14