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『禅語』、美しい写真とともに綴ってある言葉の奥深さ、それは心の琴線に触れる静寂なひととき
本屋さんに出かけたときに目にとまった本なのですが、
文章を書いている石井ゆかりさんの名を見て思わず微笑んでしまいました。
実は、少し前から、その独特の感性を言葉で上手に表現する石井さんに対し、
こんな風に日本語が使えたらいいなぁと密かにあこがれていたからです。
そしてページを開いてみると、今度はそのあまりに美しい写真に釘付けに
ここで紹介できないのが残念なくらい。
井上博道さんのHP http://www.asa-ban.com/photo.htm
「平常心是道 びょうじょうしんこれみち」
「ふだんの心が道である」の意。
振り子はしばらく、左右に揺れるが、だんだん振り幅が小さくなっていき、いつか、もとの場所に戻って動かなくなる。「平常心」というのは、このように「揺れても、戻ってゆく位置が一定していること」を言うのではないだろうか。
或いは、音楽では、曲の中でメロディが揺れ、音量が変化し、転調したり主役の楽器が次々に変わったりする。
でも、その曲を全体としてひとつにしているテーマやリズムは、安定していて変わらない。そういた安定的なリズムが「平常心」の仕組みなのではないだろうか。
平常心、という言葉は、「恋」と比較したときの「愛」と似ている。
恋は激しくなみだち、変化し、熱を持ったり冷めたりするけれど、愛はそうではない。
「平常心」は、いつも変わらない心、ではなく、自由に変化し反応できる心、のことを言うんだろうと思う。
「看却下 かんきゃっか」
足元を見よ、の意。足元とは、自分の日常生活やもっとも身近なもののこと。
自分の現状には、とかく、気づきにくい。家族のことや仕事のこと、タテマエや体裁など、自分の外側のことばかり気にしているうち、「自分」が自分の生活から消え、どこに立っているのかわからなくなってしまうのだ。
あの人がこれをしてくれれば、彼さえ変わってくれれば、と、私たちはしばしば、外側に期待をかける。
でも、そんなとき、本当の問題の所存は、自分の中にあったりする。
「落花流水太茫々 らっかりゅうすいただぼうぼう」
「茫々」は、果てしなく流れていく様。花が散り落ちて、それが川に流されていく光景。転じて、無心に、流れに逆らわず身を任せて生きよ、との寓意。
禅語の世界には、「止まる」ことと「動く」ことの不思議を見つめる眼が常にある。物事が移り変わり、動き、流れていく。その流れが、いつも変わらずにそこにある。変化し続けるという動きが、永遠に変化しないかのようにそこにあるのだ。「無常」とは、「常なるものは無い」、つまり「いつも同じ状態でいるということはありえない」という意味だ。健康、愛情、お金、若さなど、私たちは何かが刻々と失われていることに心を痛め続けて生きる。そうした、何かを失わずにいたい、取り戻したい、と思う心の切迫した苦痛には、終わりがない。なぜなら、どんなに努力しても、失われていくものを取り戻すことはほとんど、不可能だからだ。でも、目の前のものが失われるということは、もう一方の「繰り返される永遠」を保つことに繋がるのだろう。何かを失わずにいたいと思う苦痛から自由になることは至難の業だが、もしそれができたら、落花流水の美しさを自分のものにできる。真に美しい人の中に、そのような流れを感じることがある。 一語一語、ゆったり味わっていきたい本です。眠りにつく前、開いたページに癒されたりします。
前回のブログ↓明治神宮鎮座90周年記念作品「美しき神宮の森」DVD ジョー奥田さん/「禅語」 でも、
石井ゆかりさんの解釈の一部を紹介しています。
『禅語』の美しい写真を見ているとき、今、とても惹かれている自然音と共通するものを感じました。
気づくと余計な思考が「無」になっている解放感です。そしてよろこびやありがたい気持ち。
これが本来の在り方なのかも…
そして、この『禅語』に心うたれているとき、グッドタイミングで次の文章にも出合いました↓
『バーソロミュー』、メアリーマーガレット・ムーアさんの「日本の読者のみなさんへ」
若い頃、「私とはいったい誰なのか」「いったい何のために生きているのだろうか」「何が現実なのか」。。。
などという問いに対する答えを求めて悩んでいました。
そんな頃、シンプルでしかも明解な禅の教えにゆきあたったのは天の恵みでした。
真理を追求するこれらの勇者が私に与えてくれた心の平安、心の落ち着きは私のなかに常に存在しています。
日本は、宗教においても、美術建築においても、偉大な美を生んだ国です。
私にとって美と真理は同じものです。
美の創造に、そして真理の追求に力強い伝統を持つ日本の人々は、
世界の意識の目覚めにおいてもユニークで可能性に満ちた立場にあると思います。
日本の人々は、
「真理というのは単なる概念として知るのではなく、実際に目で見、体験されなければならないものであり、
この直接体験こそが生きることの意味である」という精神的伝統を持っています。
朝崎郁恵さんの『阿母』
(奄美の人々は、祖母や母のことを親しみと尊敬をこめて"阿母(あんま)"と呼ぶのだそう)
波の音とMixして聴くと、もう胸が…
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