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5次元文庫からでているゲリーさんの著書『新・光の12日間〜5次元へのシフト』ブログ
(ブログ書庫「新・光の12日間」にあります)
7月のイブニングレクチャーのお話にもありましたが、
“集団意識”の反応(レスポンス)が、当初の解釈(上記の著書)とは異なってきたため、
その更新された最新の情報を惜しげもなく公開しているゲリーさん
葛藤を否認する時、人は抑圧した感情を他者に反映します。
以下の予言に変わりはありません。
2011年の冬至から2012年の冬至までの間に光の12日間があり、
到来する大いなるエネルギーの波によって、ユニティの周期へとシフトしていきます。
すべての人がこの12日間を同時に通過します。
これまでの解釈と違い、すべての人が同時にこの光の12日間を通過するものの、
そこでの体験は、人類全体のものではなく、個人的なものになったということです。
つまり、内側に葛藤を抱えたまま生きていくことを選択した人たちは、
この12日間にほとんど変化を体験しません。
(そういった)人々は、おそらく妄想の時代が終わるまで変化しないでしょう。
シフトポイントが過ぎても、約25年間はそのように生きることが許されます。
残念ながら、葛藤を手放すことを拒否したことにより、
その葛藤の中で生きることになるのです。
シフトポイントが過ぎると、抱え込んでいる葛藤が現実の世界に現象として顕れるその程度は、
時間が進むにつれて激しさ、強さを増していきます。
つまり、個人においては、混乱と病気が増え、
集団においてはさまざまな苦難と対峙することになります。
意識的にシフトする人々もいます。
彼らは新しいユニティのエネルギーの中で意識的に生きます。
彼らは一瞬で覚醒したような状態になります。
自己認識から自己覚知へと至り、葛藤のない状態へと移行します。
彼らはすべてのことが明らかになっていくなかで生きるのです。
集合意識に呑み込まれて自分を見失ったまま生きるかどうかは、完全にあなた次第なのです。
ほとんどの場合、人々は12日間の体験を外的要因によるものとしようとするでしょう。
2年間の非常に不安定な時には(2年間といってもどの2年間と特定するのは難しい)、
ある種の食事法を取り入れるとよいかもしれません。
なぜならあなたが摂取するものは、肉体を維持するのみならず、
思考や感情、つまりあなたの意識そのものに大きな影響を与えているからです。
一人ひとりの状態を図るのは、「葛藤の程度」のみです。
それほど単純なのです。
重要なことは、2036年にやってくる、
決定的なシフトポイントを生き抜く若い世代と、その前後に生まれる人たちのために設定しているのです。
決定的なシフトポイントとは、先に述べた25年間の猶予期間が終わり、
完全にユニティの周期へと変わるポイントであり、
人々は、現在の分離の時代における信念や価値観、葛藤を持ち続けることはできません。
もしも、あなたが葛藤がなく、独立した個人として生きているならば、
あなたが許さない限り、何事にも影響されません。
葛藤がない純粋無垢の状態の中では、あなたはすべての影響から無傷でいられます。
あなたはこの世界になかにいて、この世界に属してはいないのです。
あなたを覚醒から遠ざけている唯一のものは、
あなたが、自分には葛藤が必要だと思いこんでいることです。
それを捨て去れば、覚醒の状態がやってくるでしょう。
ユニティへのシフトがいつになるのか、というのは最初から大きな論点でした。
結局、この日にちの問題は、
このシフトが、集合的なものになるのか、個人レベルにおけるものになるのか、
ということにかかってきました。
実際には、現時点においても今すぐ集合意識がシフトするのに
十分なエネルギーがこの惑星にはあるのです。
もしも十分な数の人間が内的葛藤を解放すれば、
天秤は集合的シフトの方に傾き、
すべての人が来たるシフトの間に完全に同じ出来事を体験します。
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新・光の12日間
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葛藤を手放すにはどうしたらよいのでしょう
そのままで、このままでよいとおもうだけなのでしょうね
おもえるときと
おもえないときと
それこそ葛藤しているようなしていないような
いまここをただ生きる
とは
シンプルすぎてとても難しい
ココロここにあらずです
でもそれはそれでよいのでしょうか
ココロは魂の道具だと教えられました
ココロに振り回されるなと
ずっとココロを大切に生きてきたので
少し混乱しています
支離滅裂な文章ですみません
いつもありがとうございます
2011/9/14(水) 午後 10:19 [ おさる ]
こんばんは。
とても貴重な胸の内をお話くださり、本当にありがとうございます。
たった一語の言葉の解釈も、大きな観点から再度見つめ直すとまた違った意味のその言葉の意図に気づくことがあります。そういったことも実は本人が一番よくわかっていたりするものです。感じる気持ちをココロとするならば、そういったいろいろな気持ちを感じることこそ、今生きているということなのかもしれない、そうも思っています。そこにいいだと悪いだのというジャッジはせず、ただ、今こう感じていると、感情=自分のものとせず、客観的に感じていることを見つめてあげるようにしています。とにかく、人にすすめられても気がすすまない読書はやめ、自分や自分を取り囲むものを信じ、ピンとくるものをどんどん楽しまれてはいかがでしょうか。私の場合、書庫にもある『空くう』〜舞い降りた神秘の暗号〜で多くのヒントをいただきましたが。^^
2011/9/15(木) 午前 0:30
お返事ありがとうございます
「空」 読んでみたいと感じました
ありがとうございます
客観的にみることもジャッジをしないことも覚えました
できないときもあります
なんていいますか
トリップというかずいぶんと健やかに穏やかに過ごしているときにかぎって
ふいにおちていく?おちてくる邪念にココロ乱されることに
すこし疲れてしまいました
まだまだこれが続くのかなあ と。
これが役割ならちと情けないなあ と。
「空」になにかヒントがあるといいです
ありがとうございます
今日も気持ちよい一日を過ごしてください
2011/9/17(土) 午前 9:55 [ おさる ]
こんばんは〜。
私の場合、もういい加減うんざり、なるようになる!というような心境になると、気づきが訪れることがあります。
こうでなければいけないという枠、正しくなければならないという凝り固まった信念というのは、時々尊敬するほど(笑)すごいなぁと感じます。
どうしようもない何かについては、『空』でも記されていますが、高次元の存在たち、「いのり」に委ねてもいいのではないでしょうか。
きっとこういった過程も何かで役に立つことがでてくると思います。
^^
ご丁寧にありがとうございました!
2011/9/17(土) 午後 9:35