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最初の部分は、こちら↓Youtubeで 都会での散歩の経験から、私たちの日常にとても密着したお話をされています。
歩いているとき、意識が行く先の場所や時間にとらわれていたら…
「唯一の現実、今ここから意識がはなれ、行かなくちゃ…と未来に思いが飛んでしまうとそれが緊張をうみだすことになるのです。」
「それが頭が創り出すパターンというものです」
「そこで必死に次の瞬間に急いでいるみなさんにおすすめしたいことがあります」
「ひとつひとつの動きをしっかり感じてみてほしい」
「いつでもその瞬間のあるがままの状態を楽しめるか、それが出来るかということです」
「常に瞬時に‘この瞬間’と共にあることを調整していくのです」
「それがストレスのない状態です」
「ひとつ一つの動きをしながら、‘いまに在る’ということを試みてほしいと思います」
「ひとつ一つのエネルギーの動きに意識を向けていってみてください」
「次の瞬間に行かなくちゃ、それからどうしようという思いは、未来に行こうとすることだからです」
「無意識のうちに、未来はこの瞬間より確実に重要だと信じこんでいるのです」
「あなたが無意識だった何かを意識的なものにすると、それがいかに愚かなことであるか、よりわかりやすくなるからです」
「人間は無意識のうちに信念につき動かされています」
「‘次の瞬間’は、‘いまこの瞬間’より重要なものであると信じこんでいます」
「誰もがわかっているように、もしかするとわかっていないのかもしれませんが、‘未来’は決してやってきません」
「次の瞬間がやってきたとき、それは‘今’になっています」
「今ある状態、生命のつながった‘今’にいられず、人生の豊かさを見逃してしまうのです」
「今ある、あるがままの状態にどっぷり浸ろうとはせず、人生の表面上に留まり、その人生の表面上において何か答えを探しているのです」
「今度はこれが私の人生を変えてくれるものかもしれない、とか」
「絶対にやってこない未来のどこかにそれがあるに違いないと思っているのです」
「それは目からウロコの気づきです」
「未来は存在しないということを、頭で理解するだけでなく、体中の細胞から感じていく必要があるのです」
‘いま’しかないんだ!「いま」「いま」「いま」何度聞いているでしょう。そして何度忘れているでしょう(笑)
いろいろなことを知った上で、今、また原点に戻らなければいけないようです。真摯に。
もちろん上記抜粋した以上に事細かにお話されています。
‘いま’より‘次の瞬間’のほうが重要だと思うある理由も。
「頭は、自分の人生に足りないものを‘次の瞬間’に見いだすことを次から次へと期待しているのです」
そして時間のお話へ。
「時間とは、ある思考なのです」
「ですから、時間があなたの人生を支配すればするほど、あなたは思考と一体化することになるのです」
思考に支配されていませんか?
「自分の思考のクセに気づいてください」
「その思考と自分自身を結びつけなくなれば、思考は徐々にあなたに対しての影響力を失っていきます」
「過去を忘れる必要はありませんが、それはもう本当の自分ではないのです」
「そしてどんどん自分のアイデンティティーがうすれてきます」
「思考を‘見る’ことが出来たとき、あなたは何者なのでしょう」
「あなたはもはや思考ではなく、思考の背後にある存在なのです」
「思考に支配も圧倒もされていないので、そこにはもう自我がないのです」
「過去、それはストーリーであって、単なるストーリーとしての認識なのです」
「エゴを存続させるために、ストーリーに依存していることにも気がついています」
「突如として、あなたそのものである意識が、思考という形態から自らを切り放します」
「すべての思考は生きもののようです。その形あるものに自分を一体化していたのです」
「それらを自分から切り放すと、純粋な存在の感覚だけになります」
「そこが‘いまこの瞬間’であり、その意識の状態への入り口になります。思考と一つになっている状態からの出口でもあります」
今この瞬間
「いまこの瞬間というのは、深層レベルで言うと、‘意識そのものである空間と一つであること’なのです」
「それが、時間や形を超越した本当のあなたなのです」
「この瞬間こそが人生であり、人生は形を持ってやってくるのです」
「あなたがそれを受け入れたとき、内面での調和が生まれてきます」
・・・・・・
「その空間から、あなたという空間から、‘いま’という空間からそれらは生まれ出てくるのです。それが人生の秘密です」
「言葉は単なる案内板です。言葉への執着を手放してください」
「ここには言葉より大切なものがあります」
というように、独特のエネルギーをDVDで体験するのも、また自分自身と今一度向き合いたいという方にも、
とてもいい機会になるかと思います。
金言のようなお話はまだまだ…
ゆったりとした息遣い、呼吸にイヤでも引き込まれるはずです。
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こちらは↓エックハルト氏の自伝
つづき↓
〜『The Power of NOW』(邦題:さとりをひらくと人生はシンプルになる)〜
エゴ的思考は、「わたしは不十分です」という根強い気持ちをともなうのが特徴です。
この気持ちを自覚している人もいれば、まったく無自覚の人もいます。
本人が自覚している場合には、「わたしは価値がない」という不安定な感情が、いつも表面化してきます。
これが自覚されていない場合だと、
なにかに対する渇望という、間接的なかたちをなってあらわれてきます。
いずれにしろ、心にぽっかりあいた穴をうめるために、何かに のめりこむケースが多いのです。
しかし、自分の外側、または形あるものごとをそれを求めても心の穴はうまるどころか、
穴が底なしであることにいずれ気づくと。
たとえば自分自身が満たされた状態ではないのに、身を粉にし、何かに尽くすケースなども…
そうすると自分を欺くこともできなくなり、にっちもさっちもいかなくなるのです。
エゴ的思考が人生をコントロールしているかぎり、真の心の平安を得ることはできません。
エゴ自体が、ほんとうの自分の代用品であるので、ほんものではなく、
自分の外側にある‘にせもの’で、アイデンティティを証明する必要があるのです。
思考をアイデンティティから切り離してしまえば、自分が正しいかどうかなどはどうでもよくなり、
負けたからといって、アイデンティティがゆらいだりすることもなくなります。
そうすると、
「絶対に自分は正しくないといけない」という強い感情(これは一種の感情的暴力です)を、
もう抱くことはありません。
これは思考ではなく、自分の内側にある「大いなる存在」をアイデンティティにしているからです。
自分が(たとえば)自己防衛をしていると気づき、その行動を観察すれば、その行動をやめるでしょう。
思考を観察して、自分から切りはなすと、思考がくりかえしおこなうパターンと、
エゴがいつも演じたがる役に気づくようになります。
意識の光に照らせば、無意識のパターンは消え去ります。
思考からパワーを奪回すれば、思考は強迫的な性質を失います。
思考の強迫的な性質というのは、「決めつけ」をせずにいられないことです。
決めつけをすると、「すでにそうあるもの」に抵抗することになり、
痛みを生む衝突やドラマをこしらえてしまうのです。
「すでにそうであるもの」を受け入れると、もう思考から支配されません。
「いま」に在り、自分の内側を観察しつづけるのです。
幸運にも身近に、しっかりと「いまに在る」人を見つけられたら、その人物と一緒に過ごすことをお勧めします。
「いまに在る」人のそばにいると、自分も比較的簡単に「いまに在る」ことができるからです。
その人といることが、自分自身の「意識の光」を、強くするのです。 最後に、ある意味とても矛盾するお話(笑)。雲 黒斎さんのツイートを。
【精神世界を「学ぼう(情報やマニュアルの収集をしよう)」という姿勢自体が、
精神世界の理解を妨げてしまいます。
なぜなら、僕たちが人生の中で培ってきた情報やマニュアル、
それらを一度手放した時にこそ、その理解が訪れるからです】
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