空(くう)/深・古事記

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【かちさび】とは
原文の「佐備」は、おおよそで「すさぶ」という解釈でよいかと思いますが、
本来「すさぶ」は「いよいよすすむ」という意味で、(第一段階)
次に「一方的に進みすぎて支障が出る」ということになり、
さらに「行き過ぎて衰えが生じる」ということになっていきます。(第二段階)
この『深・古事記 神ながらの道』の中では、
言葉の本来持つ意味が詳しく記されていますが、
現代においてもとても重要なことばかりです。
たとえば、「かつ」(勝つ)、「たたかう」等、解釈のゆがみを知ることが出来ます。
 
古事記では、「かちさび」の第一段階の有り様、
(いかなる難事にも臆せず、屈することなく、かち進む)を経て、
「かちさび」の第二段階が起こった話が語られています。
そこで「とがめず のりなおし」が。
「かちさび」を少しでもとがめるということは、
各自の自由な発達や進歩をおさえてしまうことになりますので、
弥栄いやさかの【清明心】をもって「かちさび」をとがめることなく、
限りない「あい」の【ひ】を示すことが大切なのです。
 
万物の中心、万物の根もと(中心)へ戻ろうとする方向性が「くしみたま」であるなら、
中心から離れて先へ先へと突き進む方向性が「さきみたま」で、
この作用を受け持っているのが須佐之男神です。
 
(「くし」は、物を統一しようとする働きのあらわす言葉。
毛髪も頭によって一まとまりになっているとき→「くし」。団子の串も。
数多くの独立しているものを一つにまとめること。
「さき」は、物を分裂・前進させる働きをあらわす言葉。陸地の崎や、刃の尖端の先、咲く、裂く、割く等。
内容を実現しようとする様子、数多く豊富となる様子、追進の様子をあわせ持つ)
 
「さきみたま」としての作用をする「荒魂」を働かせて、
人の世としての「現実界」を弥栄に発展繁栄させることが
須佐之男神の「うけひもち」ですので、どうしても「かちさび」は起こってくるのです。
この「かちさび」を「くしみたま」の作用によって調整して導くことが、
天照大御神の【のりなおし】です。
天照大御神の「ひのかみ」としての【清明心】を各自の中に思い起こし、
強く明確に自覚し、それを楽しくイキイキと輝かせると【ひ】の力が強くなって、
「ああ!生きていて嬉しい!この世はなんて素晴らしいのだ!
もっともっと生きていこう!」という思いが自ずと湧いてきます。
(これが「いのち」のあらわれのように感じます。
セミナーでは、「いのち」は平等。神・みことは実践するもの、自発的につまり選択する、と))
この弥栄の【清明心】を用いることで、過度の「とがめ」を避けて、
【のりなおし】をすることができます。
 
「のり」は、「みことのり」の「のり」。「いのり」の「のり」。「のりと」の「のり」
「神としての立場」から各自の考え方や行動を直すことですので、そこには
“悪いところ”という否定的発想はなく、各自に対する深い「あい」と信頼があるのです。
 
 
「うけひ」、「うけひもち」(「分」)
天照大御神の「うけひもち」が
【ひ】(ひかり)のこと、【あい】のこと、【たましい】(心)のことであるのに対して、
須佐之男神の「うけひもち」は、
「むすび」という【永遠の物理的創造】ですので、
物質そのもののことや、技法や、勉学などもその「うけひもち」に含まれてきます。
 
現実生活におきましては、
各自が持っている最奥の力を取り出すことが【うけひ】であり、
その最奥の根源的な力(=人の原点の力)を【ひ】と呼んでおります。
【ひ】は、光の【ひ】であり、「いのち」の【い】であり、
永久無限にどこまでも栄えて生きようとする「意」のことです。【和魂にぎみたま】の輝きです。
 
全てと一体化して全てと共に発展しようとする【ひ】は、
【和魂】とか「弥栄いやさかなる心」とも呼ばれ、
『全体他者のために弥栄に生きていくぞ!』と100%本気で決意することが、
各自の中にある【ひ】を完全に取り出すこととなり、これが【うけひ】ということです。
 
根本の【ひ】の力が宇宙の完全秩序のもとに働いていくとき、
「清明心」、「弥栄なる心」、「真の心」、「本の心」が自ずと現れてまいり、
それらを自らの中に発動させて、他者の中にも発動させていただくことが
「うけひ」です。
 
「うけひ」によって【ひ】の力が光輝き始め、
【いのち】が「命がけ」で燃えたぎるようになってまいりますと、
あらゆる全ての物事が、「高天原」の「調和秩序」のもとに適切な発現の場を持ち始め、
それぞれ物事が「適切な働きの場」において分担されます。
そして、その受け持ちをそれぞれに実行しようとし始めるのです。
 
全ての物事がそれぞれの受け持ちを持つことができたのは、
「天の安の河あめのやすのかわ」(いのちの大河)にある【ひ】を、
自己の中に充分に頂いたことによって可能となったわけですから、
受け持ちのことを「うけひもち」と申します。
「もち」とは、「持ち」であり、「餅」でもあります。
「うけもち」(=役割)や「うけひもち」とは粘り強い意志のもとに行われることなのです。
 
「天の安の河」(あめのやすのかわ)での対話より
須佐之男神
『私が泣きごとやグチを言う「泣きいさち」を行ってばかりいた頃の有り様を思い返してみますと、
そのときの自分の中には、内面的な枯渇感や不足感から生じる自分勝手な欲望や、
それを刺激するようなものしか見えませんでした。
でも、たった今、ここに至っては、もう違っています。
地球のいのち、国のいのち、町村のいのち、家々のいのち、自分自身のいのちなどが
脈々と感じられますし、見えてまいります・・・』
 
各々「うけひもち」「分」を明確に自覚し、よろこび勇んで「いのち」を全うする。
そこにはすべてが平等であることの尊さがあり、弥栄繁栄の流れがともにあり。
 
【ひ】への忠誠が森羅万象の「根本」であって、
衣食住のための商売や、研究開発や、技術は、
あくまでも「末」の事柄であることが明確になってきました。
「いのち」の【ひ】を「本」とすることが「神ながらの道」なのです。
根本中心から引き出される(=湧き出る)【ひ】の力によって、
調和された新しい豊かな状態ができていくことを「維新」と申します。
現代に生きる八百万神ともいえる私たちも、
【ひ】が円満完全なる「にぎみたま」によって動くものだということを
ゆめゆめ忘れてはなりません。
 
 
どんなものでも、どんな小さなものにでも、
「いのち」に対する敬意を忘れてはならないことを教えてくれた、
いのちあるものの極小単位の象徴である少名彦さまのお話。(できれば次回に)
もちろん対のような関係性を持つ、大国主命のお話も大変貴重なものです。
稲羽の白ウサギのお話も登場します。
近くの神社の末社が、大己貴命(おおなむちのみこと)、<大国主命とも>
少名毘古那命(すくなひこなのみこと)、櫛眞知命(くしまちのみこと)等が
御祭神であることをつい最近知って驚いています。
 
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深・古事記 神ながらの道  真名著
深・古事記 神ながらの道 真名著/「神ながら」ではないもの
深・古事記 神ながらの道 真名著/私たちの「ことよさし」

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