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バーソロミューの旅日記(上)日本編&(下)インド編/バーソロミューの道標(1)
バーソロミューの旅日記(上)日本編&(下)インド編/バーソロミューの道標(2)
 
 
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この『バーソロミューの旅日記(上)』には、
『どうして私はエイズから生還したのか〜NIROからのメッセージ』の簡約が紹介されています。
そこには病気だけのことではない、すべてに共通する大きなヒントが語られています。
 
この話の女性は病気を治そうと努力したのではありませんでした。この点がふつうの癒しの物語と違っている点で、おもしろいと思います。彼女は現時点では治らない病気にかかってしまいました。彼女は自分が治る可能性を信じていなかったので、自分が治るところをイメージできませんでした。エイズは治らないと信じていたからです。それでも彼女は治りました。どうやって治ったのでしょうか。ここでひとつ話をしましょう。
 
中国のある村でひどい干ばつが起こり、大勢の死者が出ました。ある日、お坊さんがやってきて、村はずれの小屋に住みつき、瞑想の日々を送りはじめました。二、三日すると雨が降り出したので、村人は大喜びでお坊さんのところに行き、礼を言うとともに「ところで、どうやって雨を降らせたんですか?祈ったんですか?」と尋ねました。お坊さんは、「いや、雨乞いの祈りはせんじゃった。干ばつと調和しただけじゃ」と答えたというのです。
 
(直接的な結果である)「雨が降るように祈ったのではなく、(まずその瞬間、その場の状況である)干ばつと調和しただけ」。この違いがわかりますか。調和するというのは、目の前にあるものをすべてありのままに受け入れることです。お坊さんにとって、それは干ばつだったのです。
 
ものごとをありのままに受け入れると、それが変化する可能性が生まれます。『抵抗すればするほど、それはなくならない』という言葉がありますね。それを忘れないでください。
 
病気に関していうと、病気と闘わなければ良くならないと信じている人がたくさんいます。戦争と同じで、敵と戦えば、どちらかが勝ってどちらかが負けます。こうしたイメージは強い恐怖を呼び起こします。恐怖が前面に出れば、調和ははるか後ろに引き下がります。
 
病気とは、身体の細胞の中にひっかかって出られなくなったエネルギーだということを思い出してください。この出られなくなったエネルギーは、過去の感情や考えや体験の集合体ですので、それを出してやるには別の種類のエネルギーが必要です。一番いいのは、愛と感謝と光、それに清らかなパワーのイメージで細胞を満たしてやることです。この方法は、病気を作ったエネルギーに抵抗する代わりに、むしろその存在を認めて、それに関心を払ってやることになります。いまあるエネルギーを快く受け入れ、それが別の種類のエネルギーに変わるようにそっと導いてあげるわけです。喜びに満ちた慈愛と感謝と賞賛のエネルギーをたえず注ぎ込んでいると、細胞は緊張を解きます。リラックスした細胞は開いて拡張します。エイズにかかったニロは拡張と収縮のふたつを経験しましたが、はじめニロは、拡張するのはよいが、収縮するのは嫌だと思いました。最後に彼女が学んだのは、生命にはその両方が含まれて躍動するリズムを形成しているという事実でした。
みなさんの呼吸も吸うだけで吐かないとどうなりますか。
 
イメージ 1旅日記からのニロのお話
彼女にも拡張した気分の時期が訪れますが、やがて意識が未来に入っていくと、「ああ、どうしよう。わたしはもうすぐ死ぬんだ。こんないい気分でいられるはずがない」と思って、拡張した気分を抑えてしまいます。これが理解できた彼女は、肩の力を抜いて、精神が拡張したり収縮したりするのに抵抗しなくなりました。ある日、海岸を散歩しながら、彼女は自分の踏む一歩一歩を鋭く意識していました。まるでその一歩が最後の一歩であるかのような気持ちで歩いていました。・・・・・そこで彼女は悟りを得ました。意識が大きく開いて、たとえどのような死に方をしようと、自分は目覚めた意識をもって死ぬのだとわかりました。それ以外に大切なことはない。これもまた拡張のひとつの形なのだ。ごく普通のことであり、当たり前のことだ、と悟ったのです。ニロはこの時点で、エイズの再検査を受けてみようと思いました。再検査のあと、もう一度検査し直したいと言われ、もう一度検査してもらうと、HIV陰性と言われました。彼女は自分がこれまでにしてきたことの結果、奇跡が起こったのだとわかりました。ウィルスは見つかりませんでした。潜伏しているのではなく、消滅したのです。
 
ニロの細胞は変容したのです。過去は人を支配し、未来は人に不安をもたらし、過去も未来も怖れでしかないとニロが気づいたとき、唯一安心できる場所は現在の瞬間だとわかりました。いまこの瞬間にだけ心の平安が得られるとわかって、彼女はそこに何度もくりかえし行きました。
 
この話を通してみなさんに気づいてほしいのは、常識では考えられないような不思議なことが実際に起こり得るし、起こるのだ、ということです。この一瞬には、あなた方の限られた思考能力ではとても理解できないような神秘や不思議が充満していることを知っておいてください。
 
吸う息と吐く息のリズムがあり、拡張と収縮のリズムがあり、ひとつのエネルギーが別のエネルギーと交替し、この世のすべてに両極を揺れ動くリズムが存在します。それは生命の踊りです。何ものもいっさい無視することなく、あらゆるものに意識を向けるとき、よろこびが生まれます。このようなやり方でリラックスできるようになると、奇跡が可能になるだけでなく、奇跡は日常茶飯事になります。
 
(また、人はもうどうしようもない状況の時、頭が真っ白になるか、もうお手上げ降参の心境に陥るようです。そうなると不思議なことに、それでも、今ここで与えられているものに目がいき、ありがたい気持ちが湧いてきたりします。雑念はなく、一転してとても穏やかな境地です。結果的とはいえ、抵抗をやめた上に意識はいまここ、そして心の奥からのよろこびのような感謝。すると、好転する結果を願ったわけではないのに、ほんとうに奇跡としか言いようのない現実が目の前に展開されることがあります)
 
身体に自分がどんなひどい言葉を浴びせてきたか…。それでも身体はあなたを見捨ててはいません。細胞を感謝と愛と賞賛で満たすチャンスはあらゆる瞬間にあります。たとえ完璧とは言えない状態であっても、です。身体の細胞が健康や病気をもたらすわけではありません。それはからだとこころの共同作業の結果です。
 
(病気だけではなく)愛の栄養に満ちたエネルギーをあふれるほど身体に流し込み、細胞のすみずみまで満たしてください。自分への贈り物です。これを実行すると、奥深い細胞レベルに信じられないような愛の波動があることに気づきます。これこそがあなたが待ち望んでいる体験です。自分自身に与える贈り物なので、あなたは他人に依存しない自力の人間になります。
 
過去や未来を現在の瞬間に引きずりこんで、偽の自己を悲劇や喜劇の主人公に仕立てようとしている自分に気づいても、あせらず気を楽にしてください。このドラマの主人公はわがままで、常に自分が正しいと思いたがり、権力を欲します。それに抵抗しないで、リラックスして、いまの瞬間に意識を向けましょう。そうすると、一瞬ののちに次の一瞬が来、それをくりかえしているだけだと気づきます。生きる目的は、いのちが躍動するすばらしいこの純粋な一瞬一瞬を楽しむことだとわかります
 
外の世界は内の世界を鏡のように映し出します。これは苦痛をともなうことだと考えられがちですが、鏡には美しいものも映し出されるということをほとんどの人が忘れています。
 
カメラは、谷間の全景やそこにある町、遠くの山々まで映し出すことができます。あなたの広大なる部分である意識も、カメラと同じように自分では気づいていない面までも把握しています。意識がいま起こっていることを感じ取り、精神がそれをメッセージに翻訳して身体に伝えます。人はこうした身体のメッセージをたえず受け取っているのですが、多くの場合、無視して回路を短絡させています。頭脳だけに頼って理解しようとします。思考を止めて過熱した頭脳を休める練習をすると、直感や虫の知らせ、インスピレーションが受け取れるようになります。もっと生き生きとなり、はるかに広大で目覚めた意識をもって充実した毎日が送れるようになります。
 
いまこの瞬間に意識を向けて、ただ呼吸そのものを呼吸する。そしてこれを一瞬一瞬し続けます。
 
 
 
 
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・まわりの人間や状況をいつも自分の思い通りにしようとすることが、どれだけストレスを生むかわかりますか。それに結局、思い通りにできたかどうかはたいして重要ではないということがわかりませんか。あなたの本質に照らし合わせると、あなたの好き嫌いは本来どうでもいいことなのです。あなた方はみな人類の一部です。自分はあらゆるものを含んだこの人類というすばらしい全体像の一部なのだと自覚して、もっと肩の力を抜いて自然体で生きていくことはできませんか。
 
・ほとんどの人は、見ると同時に考えています。みなさんにお願いしているのは、目に入ったものについて何か考えたくなる衝動を抑えて、ただ見てほしい、ということです。たとえばここにある柱を見ることもそうです。柱を見るなり、あなた方の頭は質問でいっぱいになります。どこから…、どんな…、どのくらい…、誰が…、等々考えはじめます。そうすると、もう柱はここには存在しません。ありのままの柱ではなくなって、あなたが考えるような柱になってしまいます。
努力して一体になる必要はありません。すべてはひとつですから。意識をただ柱に向けてごらんなさい。そうすれば、柱は柱なりのやり方で生き生きとした姿を見せてくれます。
 
・無関心というのは、いま起きていることと自分の間に壁を設けることです。その瞬間に完全に意識を置いているとは言えません。あなたはその場を離れたわけで、自分の肉体を出たことになります。
 
・ルールなんかありません。『ねばならない』は存在しません。この瞬間に生きるということは、『ねばならない』ことではないのです。それはあなたが常にしていることであり、しないでいることなどできないことです。それがたえず起きているということにあなたは気づいていない。だからむずかしく感じるのです。この瞬間にはいつも何かが起きていて、あなたはそれに反応しています。この瞬間には何か生き生きとしたものがあります。あなたはそれに気づけばいいのです。そしてその中にゆったりとくつろいでいればいいのです。
 
・身体の細胞がリラックスすると、そこにあるどんなエネルギーも受け取れるということをおぼえていてください。身体に向かってそっとやさしくリラックスするように言うと、身体はリラックスします。細胞は受け身で、精神の指示を待っています。あなたが命令することに細胞は意識を向けるのです。
 
・頭の言うことなんか気にしないでください。あなたの身体の細胞にメッセージを聞かせてください。細胞は感謝や受容の言葉を待ち望んでいます。『わたしはこのすばらしい身体を心から愛し受け入れます』。自分が受け入れられたという感覚を味わいましょう。
 
・身体がリラックスして何ごとも受け入れる体勢にあるときには、それまで隠れていた古い感情が表面に出てくる可能性があります。そうした場合には、自分に対してできるだけやさしい思いやりと理解を示してください。笑うことも忘れないでください。不安や疑いを消すのに笑いは大きな効果があります。
 
・死んだら、ふたつのことを訊かれます。どれだけ人を愛したか、どれだけ現実やエネルギーについて理解しているかということです。さらに、心のなかの暗闇にどれだけ直面したか、ということです。
 
・自分のなかの裁く心に気づいてください。裁く心が起こっても、それを押しのけようとしたり、無視したりしないように。目の前で展開する人間模様の一部に、あなた自身、少しずつなっていきましょう。結局、すべてはあなた自身なんですから。自分のことを笑いましょう。
 
<嫌悪する行為>をする傾向が自分にだってほんの少しはあるかもしれないと考えてみて、そうした行為に対する嫌悪感を少しずつ和らげることです。嫌悪するものと自分とがまったく無関係の別々のものではないかもしれないと感じはじめると、嫌悪する行為を生む心理が理解できます。そうしてはじめて、人は人間の可能性のすべてを含んだ全面的に完全な人間になれます。(自分がそんなことをするなんて夢にも考えられないと思うほど嫌悪する行為がまだ存在する人は、いつか将来その行為を体験しなくてはならないかもしれません)
その状況にまつわる心理を感じ取り、理解しようとする意志をもてばいいのです。自分とその状況とは何の関係もないのだ、そうした嫌悪したくなる状況を現在演じている人間と自分の間には、はっきりとした区別があるのだ、という非現実的な思いこみをなくせばいいのです。その人たちが演じてくれていることに感謝しましょう。おかげであなたは、彼らという鏡の中に自分自身を見る機会をあたえられ、みずからそれを直接体験せずにすんでいるわけです。
 
(ふたりの間に、何らかの確執が生じている場合等…) くりかえし何度も、相手が立っている空間の広がりに意識の目を向けてください。相手を取り囲む空間をできるだけ拡大してその広がりに目を向けましょう。さらに陳腐に聞こえるかもしれませんが、相手に愛の気持ち(『ふたりのあいだがうまくいきますように』というようなもの)を送りましょう。思いを送ったら、その結果は考えずに、すぐに次の瞬間のことに意識を向けます。たとえ関係が改善しなくても、少なくともあなた自身はそれから大きな恩恵を得ます。
 
(苦手な人に対して…)相手を批判しないで素直にあるがまま見ようとすると、自分の一部をそこに見て、それがもう自分から分離しなくてすむことに気づき、ほっとするでしょう。
 
(また)何かに嫌悪感を感じたら、それが自分のグリッド(ここでは、チャクラのセンターを電磁グリッド、配電網、パワーの集合点と呼び、人は生まれる前に自分が体験したい特定のエネルギーの場とつながるように電磁流を設定する、とのこと)のなかにあって、自分はそれから逃げ出さないで体験する必要があるのだと気づくと、嫌悪感は自然になくなります。
 
・真に執着を捨てた人は完全にその瞬間に意識があって、すべてにいつでも関心を向けることができます。その瞬間がもたらす結果に執着していないのです。
 
<>を邪魔するもののひとつが、<期待>です。期待というのは、エゴが好きなものや信じているものにもとづいて生まれます。それだけのこと、です。
 
・賞賛と感謝の気持ちを心にあふれさせましょう。そうした気持ちをもって、自分が目にするあらゆる花や山や川、身体の障害などをどんな区別もせずにすべての価値を認めてください。糞尿でさえも。すべてに心を開きましょう。深い感謝の目で眺めるとあらゆるものは美しいのです。
 
 
バーソロミューの旅日記(上)日本編&(下)インド編/バーソロミューの道標(1)↓
 
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本書は、バーソロミューとあるグループの旅の物語です。
 
バーソロミューのすべてのお話を通して感じたことは、
“自分を愛する”ということはとても広く深い意味合いを持つのだということ。
そして “ありのまま”を尊重するということについて。
いずれも頭だけで考えた狭い了見だけではとても知りえないすべてのつながりについて
(上)&(下)全編で易しく導いています。
 
ここでは順不同で何回かに分け、
いろいろな答えとなったバーソロミューの言葉を抜粋していきたいと思います。
 
魂はあなたがほかの人に対して考えたことと自分に対して考えたことを区別できません。それを忘れないでください。
 
・困難な状況に身を置いている人たちの意図や選択を尊重するなら、自分自身の選択も直接的に尊重することになります。究極的には“大いなる一”しかないのですから、そうなるのです。
 
・困難な状況にある人を見たら、心の中で次のように言ってみてください。『あなたがいまいる状況をみずから選んだことに対し、心から尊敬します。がんばってください』。あらゆる生きものに対する尊敬の念は愛の心から生まれるわけですが、その愛の心が、その人はそのとき自分にとって、もっとも完璧な状況を選んだということを教えてくれます。そう考えるのではなく、そうわかるのです。その状況の真理を見ようと決意すればいいのです。
 
 
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・日本の神社仏閣建築がすばらしいのは、どんな建築物においても空間こそがもっとも大事であると認識されているからです。空間を占める物体は空間に従属します。空間自体が神聖なものであり、物体はあくまで聖なる空間を一定の形に形作るために使われています。形と空間が協力し合っているので、無の空間と見えるのは実は形が生まれたり消えたりする子宮だと言えます。自分自身がその無のなかに流れこんでいくのを体験してください。そうすると、精神界の基本的な真理を実際に体験できます。
 
・(禅寺の砂山)この庭を設計した人は、分離が幻想にすぎないと知っていて、こうした意識の変化を視覚を通して体験できるような場を作ったのです。この庭を設計した禅僧の技術は、いまもこうして人々が腹の仏陀の目で見ることを可能にしています。分離、そして“一なるもの”、そしてまた分離。これがこの世の本当の姿です。両方の見方が可能です。何かを眺めているときに突然奇跡が起きて、人はこれまでとまったく違う見方に目覚めることがあります。
 
・あなたはこれまで神を探してきましたが、あなた自身が神の体験だということを忘れています。現在の人生が自分の求めてきたものだとはとても信じられないので、現在の体験を別の名前で呼んで、それとは別の何かを求めて、果てしない時間とエネルギーを使っています。いまここにあるものが<それ>なのです。いま現在の瞬間に専念して、何も考えずにこの瞬間をありのままに感じつづけることができたら、そうした体験も神なのだとわかるようになります。
 
・自分の体験のなかに“大いなる光”があるのがわからないからです。これがどういうことなのか、発見してください。どこかほかのところに“大いなる光”を探しに行っても決して見つかりません。なぜならいまここで起きていることのなかにすでにあるのですから。
 
・覚醒を妨げる最大の障害は、自分は覚醒していないという思い込みです。
 
・自分に向かって、『誰が怒っているのか』、『誰が腹をすかせているのか』と質問して、そのままじっとしていてください。この『誰が』という質問を真剣な気持ちで発したあと、神経をとぎすましてじっと待ちます。自分はもう答えを知っているなどと思わないでください。
 
・一見切り離された別個のものに見える物がほかの何かとつながっているという事実に気づいてください。言葉にしないで、ただつながりに気づくように。目に見えるすべてのものを含む何かが存在します。それら全部を包み込む膨大な<何か>の存在に気づいてほしいのです。
 
・自分の意識を向けたところから真実が姿をあらわす、という宇宙の法則を忘れないように。自分の意識を使って覚醒に向かってください。
 
・考えることに自分がどれだけ時間を費やしているか、気づいてください。思考を使って神に近づくことは不可能です。
 
すべてはこの瞬間に始まり、この瞬間に終わります。それ以外は何も存在しません。この瞬間のなかにすっぽりと包まれてごらんなさい。そうすると絶え間ない思考を止められます。意識をとぎすますのです。
 
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‘ふつう’とは、‘複雑でないシンプルな’という意味に解釈してください。
それは凡庸という意味ではありません。
ある意味、凡庸とは意識のパワーを何かに対して使うということをしていないので、
ダイナミックで美しさに溢れ、生き生きとした創造性豊かなものは
何も生み出していないということです。
自分自身や自分の意識や人生が、凡庸であることを望む人はいないでしょう。
 
たとえば、特定の結果を望んでいる自分の反応に気づいたとき、
何度も経験している思考と感情に気づいたとき、
「この瞬間、私はどうすればふつうになれるのだろうか」
この素朴な質問に表現されたあなたの願いは、
自分がつねに正しくありたい、人より先んじていたい、
人から尊敬されたい、人から認められたいという
根強い欲求を「解き放つ」体験へと導いてくれます。
 
自分が「ふつう」であることを認めると、
あなたはその瞬間、何か創造性に富むダイナミックで生き生きとしたものに、
自分のなかに入ってきて、自分とともに共同作業をしてほしいと頼んだことになります。
 
何でも全部しなければ気がすまないとか、
何でもきちんとしないとイヤだとか、
一定のやり方でなければ落ち着かないなどという気持ちを
あなたが捨て去ると、その瞬間、創造性の入り込む余地が生まれます。
生きるとはそういうことです。
 
あなた方は自分で人生を生きているのだと思っています。
じつはまったくその反対なのです。
あるパワーがあり、エネルギーがあり、不可思議があり、神秘があります。
それらがあなたを生かしているのです。
あなたは自分の人生ドラマを監督していないし、行動を管理してもいません。
 
何かにしがみつくのをやめれば、波が岸に打ち寄せるのと同じ確実さで、
人生の流れがあなたを確実に運んでいってくれます。
 
あなたが、自分はふつうでない特別な存在だと感じているとしたら、
それは、ふつうの意識のすばらしさの動きよりも高いところに、
自分を置こうとしているということです。
 
「見つける人」の境地に入ると、そこにはふつうのものしかないのです。
そして、このふつうのものとは、愛であり、“大いなる一”であり、光であり、心の平安なのです。
 
ふつうでない特別なものとは、
「ふつう」の枠外に出て、それよりも偉大であろうとするエゴの働きなのです。
 
私があなたに考慮してほしいのは、特別でありたいという、
こうした欲求を自分の人生から捨て去ることです。
 
 
自分以外のものになろうとするとき、
あなたはその瞬間の感情を殺しているのです。
少しでも無理をしているのなら、とにかくその努力を「解き放ち」、
その瞬間のありのままの自分になってください。
自分自身になるだけでいいのです。
 
ふつうであることがその答えです。
それぞれの瞬間に「シンプル」であろうとすると、
どのようにしてすべてを解き放つかということがわかってきます。
解き放つことによって、それまで自分をしばりつけてきたエネルギーが放出されます。
残ったエネルギーは、もっと創造的な面に使うことができます。
 
たとえば、いまあなたは非常に重要な瞬間に置かれているとします。
そうした瞬間に、リラックスして、「ふつう」であることの意味を深く味わうと、
その瞬間に存在するあらゆる創造的パワーがあなたのなかに入ってきて、
あなたにインスピレーションを与えます。
インスピレーションなくしては、どんな素晴らしいことも生み出せません。
インスピレーションはエゴからは生まれません。
 
生きるとは…
“広大無辺の自己”から、つねにインスピレーションを与えられることなのです。
そしてそのためには、ふつうであればいいのです。
 
ふつうであることは、平等であることです。
ふつうであるということはどういうことなのかを、最も深い意味で理解すればするほど、
あなたはより多くのエネルギーを持てるようになります。
 
さまざまな欲求によって失われるエネルギーの量はじつに膨大なのです。
 
自分の人生をいかに輝かしくふつうにすることができるかを知りたい、
という意志を持って、自分の人生を注意深く観察してみてください。
 
(訳された「ふつう」の原文は何だったのでしょうね、気になります)
 
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バーソロミューと呼ばれるエネルギーについて。
メアリーマーガレット・ムーアさんを通しての交信が1997年から1995年まで行われていました。
バーソロミューの言葉より
「わたしたちは、師という代わりにヘルパーという言葉を使いたいと思います。
ただ概念を教えるのではなく、
いつでも助けの手を伸ばす用意のある者という意味でヘルパーです。
<バーソロミュー>というエネルギーがメアリーマーガレットを通して語りかけるという形の
アプローチをやめることにしたのは、ひとつには、
バーソロミューからの援助が彼女の体を通してしか得られないという
考えを取り除きたいからです。
わたしと話すのに自分以外の人間の存在は必要ではありません
バーソロミューの助けを求めるには
心を開いてそう決心するだけでよいのだと知っていると、
他の人たちが仏陀やキリスト意識の助けを求めるのと同じやり方で助けを得ることができます。
こうしたエネルギーは結局はあなた方に手を貸す友人にすぎません。
わたしたちを何か特別なものにすればするほど、わたしたちとあなた方との距離が開きます。
必要なときに助けを求めることは、その人の成熟度を示すバロメーターのひとつです。
自分ひとりで何でもできるつもりでいると、不必要な苦しみを味わうことになります」
 
バーソロミューの本のタイトルに共通して使われているのが「brother」という言葉。
訳者の方も「brother」の訳は、日本においては、
“同胞”または“友人”という言葉のほうが対等感があるでしょうと述べています。
また、「聖霊」↓という言葉も日本においては他の表現の方がピンとくるかもしれませんね。
言葉そのものより指し示すものを感じ取った方がいいのかも。
 
多くの人にとって聖霊とは知的概念にすぎません。
私の定義では、聖霊とは、想像もつかないほどの巨大なエネルギー源で、
人間のエネルギー域とつながる電磁域を持っているものです。
あなた方が肉体と呼ぶ物質機構のなかには、
細胞のなかに存在する電磁的磁石があり、
私たちが聖霊のパワーと呼ぶ電磁域と連結します。
この電磁域を誘発するのは、あなたの意志です。
「このすばらしい電磁流のスイッチを入れるのは私の責任です」と。
 
違う次元の意識が、許可なくあなたの電磁域に押し入ることは、
個人の尊厳の侵害であり、許されないことです。
その選択はいつもあなたにあります。
 
世の中に尽くしたいと、自分が何か高尚なことをしなければならないと
イメージを抱いている人がいますが、私が言う奉仕者とは、
日々の生活のなかで意識的にスイッチを入れ、電磁流がとぎれないようにする人のことです。
つながることを知っており、そうすることで、
自分のまわりのエネルギー域が異なったパワーを帯びることを知っている人です。
そうなると、その人は外側からではなく、内側から変化しはじめます。
 
宇宙の調和とともに生きることを決心した人には、
“大宇宙”のあらゆるエネルギーがその人を助けるために集まってきます。
 
 
バーソロミューは、本当に不思議なくらいタイミングよく
助けの手を差し伸べてくれる存在であることを気づかされることが多々あります。
そういったエネルギーの存在からのサポートは、きっとそれぞれに。。。
 
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これもまさにパラドックス↓
目覚めに関してあなたができることは何もない。
目覚めのプロセスは一つの恩寵として始まる。
自分で起こすことはできないし、そのための準備をしたり、そのために功績を積み重ねていくこともできない。きちんと段階を踏んでいけば到達できるというものではないのだ。
 
何かしようとしても、それは目覚めや悟りを価値ある所有物とし、自分をもっと重要に大きく見せようとエゴの試みになってしまうだろう。目覚めの代わりに「概念」を精神に付け足すか、目覚めた人はこうだろうとイメージを描き、そのイメージ通りに生きようとするだけになる。(当然)他人のイメージに合わせて生きることは、真正な生き方ではない。
ありのままの自分を見失い、‘いい人’を演じてしまうありがちなこと。何かに縛られているような窮屈さや頑なな印象が伴う。言いかえると、そのままの自分の不完全さを無意識に宣言、証明、実践しているようなものなのでしょう。
 
意識はすでに目覚めている。
 
Stillness Speaks
「正しい人」になることによって、自分が優越なポジションにいるような錯覚におちいり、ニセの自己であるエゴを増大させているのです。他人や物事を悪者にし、自分を「正しい人」扱いすることによって、日常的に抱いている「わたしは不完全な人間です」という自己認識に、知らず知らずのうちに拍車をかけるしくみになっています。
 
あなたの身近に、こんな人はいませんか?
自分はもちろん、まわりの人をも惨めにして、不幸のウィルスを撒き散らすことだけが、人生の目的のように見える人。そのような人たちを赦してください。なぜなら、その人たちも、人類の意識の覚醒において、大切な役割の一端を担っているからです。エゴ的意識という悪夢、いいかえるなら「非放下状態」に拍車をかける役目を果たしているのです。彼らのしていることに、なんら個人的な悪意はありません。それは、彼らの「本当の姿」ではないからです。
 
「わたしの物語」がなかったら、人生は、どんなにシンプルになることでしょう。
 
レッテル貼りは、たしかに根強い習慣かもしれませんが、それは、かならず克服可能です。食器を落として割ってしまっても、ぬかるみに足を取られて転んでも、小さなことから徐々に、「嫌だ」とか「痛ましい」などのレッテル貼りをやめる練習をはじめてみてください。その瞬間の「そうであるもの」「事実」を、いさぎよく受け入れられますか?
思えば、起こっているコトというのは常に中立ですね。
 
善悪のレベルを超越してください。レベル貼りの習慣を超えると、宇宙のパワーがあなたを通して働きだします。出来事に対してリアクションしないという姿勢を貫くとき、それまで「悪」と見えていたものは、即座に、あるいは、時間の経過と共に、生命パワーを通して、好転していくものです。
 
魂の求道者は、未来に悟りをひらこうとします。
「求める者」であるということ自体がすでに、未来を必要とすることを暗示しているからです。
もしあなたが、未来に悟りをひらけると信じているならば、それが、あなたにとって真実となります。
すなわち、「本当の自分」になるためには、時間など必要ないと気づくまで、時間が必要になってしまうのです。
 
なんであれ、完全に受け入れるなら、あなたは平和へと導かれます。たとえそれが、自分が抵抗していることの受容であろうと、受け入れ不可能なことの受容であろうと。
 
人生を放っておきましょう。逆らわず、そのままにしておくのです。
 
自分自身を、万象万物が発生する源である意識と知ることによって、出来事に依存することをやめ、状況、環境の中に自己を見つけようとする習性から解放されます。いいかえるなら、どんな出来事が起こるか、あるいは起こらないかは、どっちでもよくなります。物事の重要性、深刻さは薄れはじめます。代わりに「遊び心」が芽生えます。世界は、宇宙が繰り広げるダンス━形態のダンス━であり、それ以上でもそれ以下でもない、そう悟るのです。
 
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『ニュー・アース』
起こるべきでないのに起こることなどないのだ。つまり偉大なる全体とその目的の一部でないことなど、いっさい起こらない。
 
ほとんどの人の現実は… 何かを認識するとすぐに、幻の自己であるエゴがそれに名前をつけてラベルを貼り、解釈し、何かと比較し、好悪や善悪を決める。これは、思考の形に、モノの意識に閉じこめられている。この無意識の強迫的なラベル貼りがやまない限り、少なくともその行為に気がついて観察できるようにならない限り、スピリチュアルな目覚めはない。
 
未来に救済を求めるなら、無意識のうちに自分の心に救済を求めることになる。つまり形に、エゴの罠に落ちる。なぜなら、私たちを解放するのは、現在のこの瞬間だけなのだから。
そこに気づくこと、それが目覚めである。
自分の本質が意識であることに気づき、その本質をすべての「他者」、生きとし生けるもののなかに認める人だ。大いなるものに身を委ね、それゆえに全体及びすべての源との一体感を覚えている。
 
環境が変わらない人もいる。その人たちにとっては、何をするかは同じでどのようにするかだけが変化する。
 
受け入れると、安らかな気持ちで行動できる。微妙な振動のエネルギーとして行動に流れ込む。実は受け身ではなく、積極的で創造的な状態だ。そのエネルギーを流入させる方法の一つが、抵抗せず、降参すること
 
いまこの瞬間に全身全霊をこめて行動すれば、どんな行動でも楽しむことができる。もっと正確に言うなら、外形的な行動が楽しいのではなく、行動に流れ込む内なる意識の次元が楽しくなる。
人生の主たる目的は、意識の光をこの世界に持ち込むことだと気づいて、することなすことすべてを意識のための道具にする人が増えていけば、新しい地が生まれる。「大いなる存在(Being)の喜びは、意識的であることの喜びである。
 
情熱とは心のなかの青写真を物理的な次元に移し替える力だ。これこそが心の創造的な活用法であり、だからこそそこでは欠落も欲望も関係ない。目覚めた行動の第三のモードである情熱。情熱を燃やすとは、自分がしていることに深い喜びを感じると同時に、目指す目標やビジョンの要素が加わることを意味する。行動の喜びに目標が加わると、エネルギーの場というか振動数が変化する。情熱にかりたてられた創造的な活動のさなかには、何をしてもとてつもない緊張感とエネルギーが伴うだろう。傍観者にはストレスの重圧があるように見えるかもしれないが、情熱の緊張感はストレスとは関係ない。ストレスと違って情熱はエネルギーの振動数が高いので、宇宙の創造力と共鳴する。情熱という語源は、「神」や「神に憑かれた」という意味を含む。
たとえば、先日のブログ『絹谷幸二画伯の祈りのカンバス』でみたものもまさにこれ。案外、私たちは何でも、目にしたそのものより、背後にあるエネルギーを感じとっているのかもしれませんね。http://blogs.yahoo.co.jp/wanchan1wan/37531189.html
 
いまこの瞬間は、全体(世界、宇宙、存在するすべて)と不可分、そのとき全体、つまり生命・人生そのものの総体があなたを通じて動き出す。
自分は回路で、形として現れていないあらゆる生命の源から発するエネルギーが自分を通じて流れ、すべての人々のために役立つことを感じ取ろう。
 
目覚めの恩寵には責任が伴う。
 
日々の暮らしを通じて、「ただ在ること」と他者との関わりを通じて、新しい意識を生み出すことだ。
 
The Power of NOW
「私は瞑想を日課にし、これまで参加してきたワークショップも数知れません。精神性を高める本も山ほど読みましたし、他にもかなりがんばりました。なぜそれ(永続的な心の平安)を見つけられないのでしょう?ほかに何をすればいいのでしょう?」
「自分の外側に心の平安を求めているからです。もしかすると次のワークショップに答えがあるかもしれない、…このように“探す”という姿勢でいるかぎり、この境地に達することはできません。探してはいけません。そうすると無意識のうちに、軋轢や抵抗を心につくりだすことになります。自分が“非・平和”にいることを、完全に受け入れた瞬間、“非・平和”は、平和に変わります。わたしたちが“何か”を完全に受け入れると、それがどんなものでも、わたしたちはその“何か”を超越することができるのです。これが受け入れることから生まれる奇跡です」
 
『ポケットの中のダイアモンド』
「私が何より欲しいのは、真理、神、そして覚醒です━なぜ私にはそれを手に入れることができないのでしょうか?」
ガンガジは、もしほんとうに何にもまして求めているならば、それらはもうすでにここにあることに気づくはずだと述べています。
それがもうすでにここにあることに気づかないのは、条件付きでそれを求めているからなのです。それはあくまでも自分の望むように、自分の条件に従った形で・・・・・と考えているのではありませんか?傷つくのを防ぐために使っているエネルギーを感じることができるでしょうか?自分がどうやって、どんな思考習慣を使って傷つくのを防ごうとしているかを検証してごらんなさい。繰り返し起こっているパターンを見つけ、傷つくのを防ぐ代わりにあなたが支払っている代償、つまりそのためにあなたがどれほど時間とエネルギーを費やしているかを感じてごらんなさい。今、この瞬間、あなたがそれら全部に心を開き、何も防ごうとせず、すべてを喜んで受け入れたら、何が起きるのでしょうか?自由になるために必要なものなど一つもないとしたらどうでしょうか?
 
模索をやめる、ということは真実を知るのを諦める、ということではありません。真実を探しに行くのをやめ、どうしたら真実を見つけられるかということについて、理性(あそこへ行け、これをしろ、あれも試してみろ、という声)の指揮監督に頼るのをやめる、ということです。
真実を知りたい、という願望が生まれる━それは人生において、本当に神聖な、神の恩寵に充ちた瞬間です。悲しいことにこの願望はしばしば、どうすれば得られるか、あるいはどうすれば到達するのかを阻むものを排除できるか、という頭の中の概念に変化しがちです。そして人は、真実そのものよりもこの概念を、崇拝し、信頼するのです。
 
真実への願望とは、あなたが心の中に感じる餓え、渇望です。その渇望が邪魔なので、あなたはさまざまな手段を講じてそれを追い払おうとします。これが理性とあなたが感じる渇望の関係です。もしあなたに、心の渇望にあれこれ差し出さず、渇望からの逃げ道を求めるのをやめる意思があるならば、渇望はおのずと終焉を迎えます。
 
あなたが探し求めているもの、それはあなたです。あなたの肉体のことを言っているのではありません。思考でも感情でも、運命、カルマ、過去、未来のことでもありません。これらはすべて、あなたという存在の真実の中で、現れ、存在し、そして消えていきます。あなたはすでに真実です。あなたは意識そのものなのです。
 
あなたはすでにあらゆるテクニックを試みましたが、すべてをやめることはまだしていません。まだやめていないとしたら、あなたはまだ探し続けています。それほどシンプルなことなのです。
 
 
6:27〜
「自分が他人を助けられるかどうかを問うとき、一番大切なことは、他人の意識を変えられるものが
自分のなかにあるかどうかです。あなたのなかにある変化が起きなければ、できません。
心配って何でしょう?
その意味は幻想を映している無意識の思考活動で、
普通はネガティブな未来を映しています。もちろんその多くは起きません。
心配が役に立たないと理解できれば… いまに在るようになります。
助けが必要な人とつながっているとき、いまに在るか?
彼らに余裕のある空間を与えられるかどうか。それが癒しです」
そして“抵抗”についても
 

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