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リュック・ベッソン監督の『ルーシー/LUCY』エンディング曲 : デーモン・アルバーン “Sister Rust”
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「 I'm everywhere. 」 (私はあらゆるところに存在する)
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こんにちは、ゲストさん
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リュック・ベッソン監督の『ルーシー/LUCY』エンディング曲 : デーモン・アルバーン “Sister Rust”
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「 I'm everywhere. 」 (私はあらゆるところに存在する)
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たどりついた境地
「 作家であり、僧侶でもある自分にしかできない役目があるのかもしれない 」
「 長い道のりを経て やっと気がつかされたってことかなと思います 」
家田荘子さんがいま残したい言葉
「 波風を 幾度も乗り越え 泥の中から私は何度も這い上がってきました。
蓮の花は汚い泥の中から芽を出し きれいな花を咲かせます。
人は必ず花を咲かせることができます。
その時期は はやい おそい 人それぞれ違いますが 咲きどきが必ずあります。
たとえ泥の中でもがいておぼれそうになっていても
波に流されそうになったり 風に飛ばされそうになっていても
あきらめず
蓮の花のようにと 小さな努力を 毎日毎日 積み重ねていくことが大切なのです。
私も ドロドロとした いろいろなことが次から次へと起こりますが
蓮の花のようにと 蓮の花にあこがれ 日々を重ねています。
そして 最期は
蓮の花のように きれいに散りたい
悔いのない人生を 全力で生きて生きぬきたいと思っています。 」
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『自閉症の僕が跳びはねる理由』
【日本人の少年が書いたエッセイが今世界中で読まれています】
【日常会話は出来ない直樹さんですが、
パソコンを使うと自分の考えを存分に表現できるのです。
会話が出来ないほど重度の自閉症を抱える人が
高い表現力を持つのは世界でも極めて稀なことです】
【幼い頃から文字に強い興味を示していた直樹さんは
キーボードを使う練習を母親と繰り返し、意思を表現できるようになりました】
その文章力たるや実に素晴らしいものです。
【直樹さんは、キーボードと同じ配列で並んだ
母親手作りの文字盤を使うと他人と会話することが可能になります】
直樹さん:「よくわかりませんが、みんなの記憶はたぶん線のように続いています。
けれども僕の記憶は‘点’の集まりで
僕はいつもその点の集まりを拾い集めながら記憶を辿っているのです」
イギリスの作家デイヴィッド・ミッチェル氏は
映画『クラウド アトラス』の原作者。
(下記はその映画のブログ)↓
デイヴィッドさんをはじめとする多くの親御さん、ご家族たちは
はじめはどう接すればいいのか、どう愛せばいいのか、とても戸惑うそうです。
その理解できなかった言動や
どうしても知りたかったことを
直樹さんは媒体となって声を届けてくれたようです。
それは直樹さんにとっても簡単なことではないのですが、
最終的には、双方の感謝やよろこびの思いが溢れだし、循環します。
そして、その思いは見る者にもとてもとてもたいせつなことを教えています。
直樹さん:「誰かにとっての‘よろこび’になるのは
僕にとってもうれしいことです」
デイヴィッドさんのお話
「ナオキの言葉を借りて、息子が話かけてくれるのを感じたのです」
【この本は多くの人を救うはずだと考え
すぐさま翻訳に取りかかりました。
そして世界20か国以上で出版されることになったのです】
デイヴィッドさん:「どんなものが怖いですか?」
直樹さん:「人の視線が怖いです。人はいつも刺すような視線で見ます」
デイヴィッドさん:「お父さんとして、どうすれば自分の息子を手伝うことが出来ますか?」
直樹さん:「僕はそのままで十分だと思います。
お子さんもお父さんのことが大好きで
そのままで十分だと思っているはずだからです」
「子どもが望んでいるのは親の笑顔だからです。
僕のために
誰も犠牲になっていないと
子ども時代の僕に思わせてくれたのが
僕の家族のすごいところです」
人のためになるならと言って承諾したMRI検査でわかったことは、
他人の意図を読み取る役割をする右脳の一部分の体積が健常者よりも大きいということ。
【ハンディキャップのあるところには その代償のための
脳をうんと発達させた部分というのがある訳ですよね。
我々は今まで このマイナスの部分に目を留めるってことが多かったんですね。
でもそうじゃなくて、代償的に伸びている部分はどこなんだろうと
それに注目をするってことがこれからの療育の中心になってくるだろうと思います。
その子の脳がよろこぶことをやってやればいいんですね】
桜の季節の直樹さんの言葉
「僕はきれいな桜を長く見続けることができません。
それは桜の美しさがわからないからではありません。
桜を見ていると なんだか胸がいっぱいになってしまうのです。
繰り返す波のように
心がざわざわとかき乱されてしまいます。
その理由は
感動しているせいなのか、居心地の悪さからくるものなのか
自分でもよくわかりません。
わかっているのは 僕が桜を大好きだということです」
絵を描いているときの直樹さん
「絵の具で色を塗っているとき 僕は色そのものになります。
目で見ている色になりきってしまうのです。
筆で色を塗っているのに
画用紙の上を自分が縦横無尽に駆けめぐっている感覚に浸ります」
「ものはすべて美しさをもっています。
僕たちはその美しさを自分のことのように喜ぶことができるのです」
直樹さん:「そばにいてくれる人は どうか僕たちのことで悩まないでください。
自分がつらいのは我慢できます。
しかし、自分がいることで周りを不幸にしていることには
僕たちは耐えられないのです。
思いはみんなと同じなのに それを伝える方法が見つからないのです」
「子どもが一番望んでいることは
自分を受け止めてくれる場所と親の笑顔です
デイヴィッドさん:「人生の成功とは何だろう?」
直樹さん:「成功からほど遠いように見える人の瞳にもきっと美しい山が映っています。
僕は自分の言葉を世界中の人に届けられた幸運に感謝し、
さらに高い山の頂上を目指すつもりです」
他人の視線が怖いという人は、まずその意図を人一倍感じ取ってしまうから、なのでしょうか。
多くの方が「わかる」と感じたのでは.....
直樹さんは、つらいとき、嬉しいとき、跳びはねますが、
それもなんだか自身のなかにあるような気がしています、衝動というか本能的に。
まるで自分の心の奥の声を聴いているようでもありました。
自分自身を含む、一人ひとり違うすべての個性との向き合い方、など
まさに‘いま’を生きる直樹さんの姿はたいせつなことを伝えているように思います。
根底にあるのは案外シンプルなことなのかもしれませんが。
9月13日(土)午後3時05分〜再度の放送が予定されています。
【希望の物語は広がります】
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『FAKE BOOK 』〜「贈る言葉」
『FAKE BOOKⅡ』〜CALIFORNIA DREAMIN’
『plugged』〜「サヨナラの雨」
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私たち一人ひとりの世界も、ミクロ的にもマクロ的にも、
まるでこの‘はてしない物語’のように思えてきます。
人生の縮図のような物語でもあり、
私たちが知っておきたいことが
ぎゅ〜っと凝縮されているお話でもあります。
『Die unendliche Geschichte』 ネバーエンディング・ストーリー
映画の内容はすっかり忘れていましたが、
どうも忘れていたほうが都合がよかったかもしれません。
あらすじ (アイゥオーラおばさまのお話から)
「ファンタージエン国の女王:幼(おさな)ごころの君は、重いご病気で、もう死にかけていらっしゃいました。女王さまには新しいお名前が必要で、それをさしあげることができるのは人間世界のものだけだったのに、人間がもうファンタージエンにこなくなっていたからです。どうしてこないのか、だれもわかりませんでした。もし女王さまがおかくれになれば、ファンタージエンはおしまいになってしまうのです。ところがある夜のこと、やっとまた人間がやってきました。小さな男の子でした。そのぼうやが、幼ごころの君に、新しい名前をさしあげました。女王さまはそれでまたお元気になられ、お礼に、この国でぼうやの望みはなんでも実現させてあげると約束なさいました。___ぼうやが、真(まこと)の意志を見つけるまで、なのだけれど。それからというもの、ぼうやは一つの望みから次の望みへと、長い旅をして、そのつど望みがみたされてゆきました。一つ望みがかなえられると、新しい望みが生まれました。よい望みばかりではなく、わるい望みもありましたが、女王幼ごころの君は全然区別なさいませんでした。幼ごころの君は何もかも等しくお認めになり、女王さまの国ではみんな同じように大切なのです。ところが、ぼうやは、望みが一つかなえられるたびに、自分の元いた世界の記憶を、一つずつなくしていったのです。といっても、ぼうやはもう帰る気持ちはなかったので、気にもかけませんでした。だから次から次へと望みを持っては進むうちに、とうとう記憶のほとんどを失ってしまいました。覚えていることがなくては、もう望むこともできません。ぼうやはそれでもまだ、何が真の意志なのかわかりませんでした。今やそれが見つからないまま、残されたわずかな記憶までなくなってしまう危険が出てきたのです。もしそんなことになれば、ぼうやは元の世界に帰れなくなるのです。そのとき、ぼうやは、やっと〇〇〇〇にたどりつきました。真の意志が何なのか、それがわかるまでそこにいることになりました。それはぼうやにとってとても大切なことでした。ぼうやはそれまで、自分とはちがう、別のものになりたいといつも思っていましたが、自分を変えようとは思わなかったからです。」
登場人物等についてはこちらのウィキペディアを↓
ファンタージエン中に‘虚無’が広がり、危機に瀕しているときの会話
「(アトレーユ)人の子らの国へゆく道を教えてくれないか?」
「(人狼)虚無にとびこみゃいいのよ。だが希望なんぞ持てるようなこととはまるっきりちがうんだぞ。人間世界に現れたら、おまえ(アトレーユ)はもう今のおまえじゃないんだから。これこそ、ファンタージエンじゃだれもしらない秘密なんだ。おまえたちファンタージエンの生きものってのは、なんなんだい?夢に描かれたものにすぎないんじゃないか。詩の世界のつくりもの、はてしない物語の中の登場人物!おまえは自分が実在するものだと思ってんのか?まあ、この国にいる間はそうだろうよ。しかしな、虚無に入りこんでいっちまえば、もうそうじゃなくなるんだぜ。今のおまえらとは似ても似つかぬものになる。つまりな、幻想(イリュージョン)になったり目くらましになったりして人間世界に入りこむんだ。人間の頭の中で妄想になるんだ。ほんとは怖れる必要なんかなんにもないのに、不安がっていろんな思いを持つようにさせたり、自分自身をだめにしちまうものなのに、まさにそれを欲しがる欲望を持たせたり、実のところ絶望する理由なんかないのに絶望だと思いこませたりするんだ。」
「だから、人間どもはファンタージエンとそこからくるものをみんな憎み、怖れるんだよ。やつら、そういうものを亡ぼしちまうつもりだぜ。まさにそれが、人間世界にひっきりなしに流れこんでくる虚偽(いつわり)をどんどんふやしてるんだってことには気がつかねえんだな。」
「人間どもを支配するのに虚偽くらい強いものはないぜ。人間てのはな、頭に描く考えで生きてるんだからよ。そして、これはあやつれるんだな。あやつる力の召使いになるんだ。人間にいりもしないものを買わせる役にたつかもしれん。それとも人間が知らないものを憎んだり、盲目的に信じこんだり、救いであるはずのものを疑ったりするのに役立つかもしれん。おまえたちファンタージエンの生きものが、人間世界では大きなことを起こすのに使われてるんだ。戦争をおっぱじめたり、世界帝国をつくったり…」
「もちろん自分じゃたいそう利口で、真理に仕えているんだと思いこんでいるんだがな。その連中ときたら、子どもの頭からファンタージエンをすっかりたたきだしちまうよりほか、することがないみたいなんだ。」
ファンタージエンに虚無が広がれば広がるほど、それだけ人間世界に虚偽(いつわり)が氾濫し、そしてほかならぬそのせいで、せめて一人でも人の子がきてくれはしないかという望みが、刻一刻うすらいでゆくのだ。この悪循環から逃れるすべはないことが、今こそアトレーユにわかった。
そして、もう一人、そのことがわかったものがいた。ファンタージエンばかりでなく、この人間世界も病んでいることが、今やはっきりわかった。この二つは結びついているのだ。
「千の扉の迷路は、なにかほんとうの望みがあってはじめて通りぬけられるのですから。ほんとうの望みを持っていないものは、自分が何を望んでいるのかはっきりするまで、寺の中をぐるぐる迷い歩かねばなりません。それが、ときにはずいぶん長くかかるのです。」
「望もうと思っても、簡単には望めるものじゃないね。望みって、どこから起こってくるんだろう。望みって、いったい何なんだろう?」
「あなたさまはご自身の物語を体験なさらなくてはなりませぬ。ここにとどまっておられてはいけません。」
それぞれの章で、はてしなく続きそうなお話を終わらせる、よく出てくる言葉が↓また愉快傑作
「けれどもこれは別の物語。いつかまた、別のときにはなすことにしよう。」
幼い頃封印してしまった‘何か’がよみがえってきたり、
本と一緒に旅をし、さまざまな経験をすることで、
実際の個人の旅をも誘導してくれることになるかも…。
モモ / エンデのメモ箱 / ミヒャエル・エンデ (ブログ↓)
『エンデのメモ箱』から↓
「読者と本のあいだに生じることは、どこで起こるのでしょうか?」
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