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「ねえ、おしえて、」 「時間て、いったいなんなの?」
主人公のモモ
小さなモモにできたこと、それはほかでもありません、あいての話を聞くことでした。なあんだ、そんなこと、とみなさんは言うでしょうね。話を聞くなんて、だれにだってできるじゃないかって。
でもそれはまちがいです。ほんとうに聞くことができる人は、めったにないものです。そしてこのてんでモモは、それこそほかにはれいのないすばらしい才能をもっていたのです。
モモに話を聞いてもらっていると、どうしてよいかわからずに思いまよっていた人は、きゅうにじぶんの意志がはっきりしてきます。モモがそういう考えをひきだすようなことを言ったり質問したりした、というわけではないのです。ただじっとすわって、注意ぶかく聞いているだけです。
たとえば、こう考えている人がいたとします。おれの人生は失敗で、なんの意味もない、生きていようと死んでしまおうと、どうってちがいはありゃしない。この人がモモのところに出かけていって、その考えをうちあけたとします。するとしゃべっているうちに、ふしぎなことにじぶんがまちがっていたことがわかってくるのです。いや、おれはおれなんだ。世界じゅうの人間のなかで、おれという人間はひとりしかいない、だからおれはおれなりに、この世のなかでたいせつな者なんだ。
こういうふうにモモは人の話を聞けたのです!
( ここで思い出したゲリーさんのお話を再度 ↓
「もし、あなたが誰かを、本当に心から承認したとします。
ただ存在を認める・・・、それだけで相手の葛藤が解放されていくのです」 )
モモは人の話を聞くだけではありません。
犬や猫にも、コオロギやヒキガエルにも、いやそればかりか雨や、木々にざわめく風にまで、耳をかたむけました。するとどんなものでも、それぞれのことばでモモに話しかけてくるのです。
モモはひとりで長いあいだ、古い劇場の大きな石のすりばちのなかにすわっていることがあります。頭のうえは星をちりばめた空の天井です。こうしてモモは、荘厳なしずけさにひたすら聞きいるのです。こうしてすわっていると、まるで星の世界の声を聞いている大きな耳たぶの底にいるようです。そして、ひそやかな、けれどもとても壮大な、ふしぎと心にしみいる音楽が聞こえてくるように思えるのです。
モモの親友、道路掃除夫ベッポ(人の見ないものを見るベッポじいさん)
道路掃除夫ベッポは頭がすこしおかしいんじゃないかと考えている人もありました。なにかきかれても、ただニコニコと笑うばかりで返事をしないからです。ベッポはじっくりと考えるのです。そしてこたえるまでもないと思うと、だまっています。でも答えがひつようなときには、どうこたえるべきか、ようく考えます。
ベッポじいさん 「とっても長い道路をうけもつことがあるんだ。
おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。」
「そこでせかせか働きだす。
どんどんスピードをあげてゆく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はちっともへっていない。そしてしまいには息がきれて、動けなくなってしまう。道路はまだのこっているのにな。こういうやり方は、いかんのだ。」
「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?
つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことをな。」
「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな。たのしければ、仕事がうまくはかどる。
こういうふうにやらにゃあだめなんだ。」
「ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶおわっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからんし、息もきれてない。」
「これがだいじなんだ。」
ひとあし___ ひと呼吸(いき)___ ひと掃き。
こうしてすすんでいるあいだに、とても意味ぶかい考えが心にうかんでくることがよくありました。でもそれは、ことばで表現することのできない考えでした。ベッポは仕事がすんでモモとならんで腰かけているとき、こういうふかい考えを話しました。モモはとくべつにすばらしい聞き手でしたから、ベッポの舌はひとりでにほぐれ、ぴったりしたことばがみつかるのです。
「むかしのわしらに会ったよ。」
「ときどきだがね___ 世界がすきとおって見えてくる___ 川みたいにだ、
いいかね?___ 底まで見えるんだ。」
「その底のほうに、ほかの時代がしずんでいる、ずっと底のほうに。」
モモのもう一人の親友、観光ガイドのジジ。
あらゆるてんで道路掃除夫ベッポと正反対の若ものでした。これがまた口からさきに生まれてきたようなおどろくべき口達者なのです。たえずじょうだんをふりまき、へらず口をたたいて、あいてが思わず知らずつりこまれて笑ってしまうような、しんそこ陽気な笑い方をします。名前はジロラモなのですが、みんなジジを呼んでいました。
ジジの物語はこれまではいわばよたよた歩いていたのが、モモと知りあってからというもの、とつぜんに翼をえて空たかく舞うようになったのです。
そしてとくに、モモがそばで聞いていてくれるときには、ジジの空想力はまるで春の野のように花ひらきます。
ふしぎなことに、ジジを軽薄だと非難したことのない唯一の人は、ほかならぬベッポじいさんでした。そしておなじくふしぎなことに、変わりもののベッポじいさんを笑いものにしたことのないたったひとりの人間が、まさにジジだったのです。
( ジジについては、後述にもある『エンデのメモ箱〜四十四の問い〜』から作者エンデの次の言葉を。
「詩的虚構と嘘のちがいは何なのでしょうか?」 )
他の主な登場人物は
モモの他の友だちたち
‘カシオペイア’、モモの相棒となるかめさん
時間をつかさどる‘マイスター・ホラ’&時間の花
そして‘灰色の男たち’
灰色の男たち…
モモ 「どうしているようになったの?」
マイスター・ホラ 「人間が、そういうものの発生をゆるす条件をつくりだしているからだよ。それに乗じて彼らは生まれてきた。そしてこんどは、人間は彼らに支配させるすきまであたえている。それだけで、灰色の男たちはうまうまと支配権をにぎるようになれるのだ。」
時間の謎。
鳴りひびく光・・・
どれとして同じもののないあの類なくうつくしい花のひとつひとつ・・・
丸天井のまんなかから射しこんでいる光の柱は、光として目に見えるだけではありませんでした___モモはそこから音も聞こえてくることに気がついたのです。
やがてモモは、ことばが聞きとれるようになりました。太陽と月とあらゆる惑星と恒星が、じぶんたちそれぞれのほんとうの名前をつげていることばでした。そしてそれらの言葉こそ、ここの時間の花のひとつひとつを誕生させ、ふたたび消えさらせるために、星々がなにをしているのか、どのように力をおよぼしあっているのかを、知る鍵となっているのです。
モモの体験はそっくり私たちのヒントになるようです。
モモは急に自分の中に不思議な変化が起こったのを感じました。
不安と心細さが激しくなって その極に達したとき、
その感情は突然に正反対のものに変わってしまったのです。
マイスター・ホラのなぞなぞ。
「三人のきょうだいが、ひとつ家に住んでいる。ほんとはまるですがたがちがうのに、三人を見分けようとすると、それぞれたがいにうりふたつ。一番うえはいまいない、これからやっとあらわれる。二ばんめもいないが、こっちはもう出かけたあと。三ばんめのちびさんだけがここにいる、それというのも、三ばんめがここにいないと、あとの二人は、なくなってしまうから。でもそのだいじな三ばんめがいられるのは、一ばんめが二ばんめにきょうだいに変身してくれるため。おまえが三ばんめをよくながめようとしても、見えるのはいつもほかのきょうだいの一人だけ!さあ、言ってごらん、三人はほんとは一人かな?それとも二人?それとも・・・だれもいない?さあ、それぞれの名前をあてられるかな?それができれば、三人の偉大な支配者がわかったことになる。三人はいっしょに、大きな国をおさめている・・・ しかも彼らこそ、その国そのもの!そのてんで三人はみなおなじ。」
一ばんめ、二ばんめ、三ばんめ、それぞれ何?おさめている国とは?そして住んでいる家は?
‘作者のみじかいあとがき’によると、この物語は、
旅先で出会ったなぞめいた旅行者から聞いたお話だそうです。
話がおわったあと、わたしたちはふたりともしばらくだまっていました。するとこのなぞめいた旅行者は、もうひとことつけくわえたのですが、そのことばをわたしは読者にお伝えしなければと思うのです。
「わたしはいまの話を、」とそのひとは言いました。
「過去におこったように話しましたね。でもそれを将来おこることとしてお話ししてもよかったんですよ。わたしにとっては、どちらでもそう大きなちがいはありません。」
作者・エンデのお話
「『モモ』の中で、灰色の男たちが登場しますが、私は大真面目にあれを書いています。灰色の男という「力」は目に見えない世界に明らかに実在していますから。」『三つの鏡』
「灰色の男たちは、こまぎれ、分解の原理です。彼らにとっては、計算、計量、測定できるものだけしか現実性をもたない。計量思考を代弁しているのです。計量思考は現代社会をほとんど覆い尽くしている。しかし、人間は今、そこから再び全体性を見つけ出そうとしている。 」
「皆さんが褒めるには、私が『モモ』を書いたのは、現代社会で誰もが忙しくて「時間」の持てない存在になったことに注意を喚起させるためだった。あるいは、人々のストレス状態、世の中の慌ただしさを警告するためだった、というのです。けれども、いや、いや、ちょっと違います、とは言いたい。」
『エンデと語る』
わたしは、これを読んでこう思った。こう感じた。きっと人それぞれ。
そのどれも間違いではなく、やはり回答はあっても解答はないのかもしれません。
『エンデのメモ箱』で問いかけている‘愛読者への四十四の問い’↓もそうなのかもしれませんね。
「おおぜいの人が同じ本を読むとき、本当にみんな同じものを読むのでしょうか?」
「千人の苦しみは、一人の苦しみよりも大きいでしょうか?」
「小説でカフカが言わんとすることが、評論家がその小説を解釈して述べることであるとすれば、
なぜカフカはそれをはじめから言わなかったのでしょうか?」
「本に登場する人物は、その本が読まれないとき、なにをしているのでしょうか?」
「それを表す言葉がまだない、そのようなものを考えることができますか?」
「美は客観的事実なのでしょうか、それとも主観的体験なのでしょうか、
それともこのように問うこと自体が、そもそもまちがっているのでしょうか?」
・・・・・
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「世間や周囲から“誤解”されることが多い」 by 堀江さん
先日放映されたTV番組ですが 堀江さんが云々ということではなく
わかりやすい視点から 私たちが活用しやすいお話をされていたので
ちょっとまとめてみました。
テーマは“誤解”ということだと思うんですけど
実は“誤解”ではなくて “理解”されていたりするんですね
「なんで世間はお金のことばかり言うのかな」 by 堀江さん
↑
“理解”とは何かというと
○○さんの(○○さん=堀江さんですが(笑)、ここでは堀江さんは関係がないので)
出している価値観が世間からかえってきているだけなんですね
○○さんが出している価値観というのは
・世間の役に立つ
・ちゃんと働いて
・お金を儲ける
というのが自分の自信になってきたじゃないですか
ゼロから積み上げてきたことが自信になってきた
それがつまり一番見えやすく、わかりやすかったのがお金だった
自分の価値をお金ではかるっていうのを
自分の頭の中のどこかわからないところでずっと持っていて
自分がお金ばかり見ているから
お金ばっかりが結果としてかえってきてる
↑
こういうサイクルが出てるんじゃないかなってことをちょっと想像したんですね
で 誤解は解いていきたいじゃないですか
誤解を解いていくときに一番効果的な方法があって
それは誤解を解かないっていうことが一番効果的なんですね
というのも いくらこっちが違うと言っても 世間はそうだって言ってくるんですね
世間から見えているのは それしか見えてないから
言えば言うほどかえってくる
これはものすごい不毛のたたかいです
だから俺のことを誤解してもいいと
でも自分が自分のことを
本当はこんな人間だと知っておけば
絶対にいつかは理解される日が来ると思うんです
結局○○さんは働いているときすごく楽しいじゃないですか?
で、その根っこは
子ども時代に戻りたくないんだろうなって
あの家庭に戻りたくないために
いかに自分が遠くに行くのかってことで
頑張っておられるんじゃないかなって想像したんですけど
寂しさを紛らすために
前に進んできたんじゃないかなと
やってもやっても 手に入れても入れても
心がおさまらない限り ずーっと満足出来なくて
だから次、次…と
ずっと自分を忙しさで寂しさを紛らわせているところがあるんじゃないかって
もっとなかに、つまり自分が生まれ育ってきた家族というものに
もう一度思い出してみようね
かえって行こうねっていう時間が出来たはずなんです
本当は寂しかったんだなーって
一度ちょっと思い出してみることがいいのかなって思うんです
「失ったもの 取り戻せないもの それを考えたくない」
実は今からでも取り戻せるんですよ
取り戻すきっかけを一つやりますので言うとおり言ってみていただきたいんですけど
「本当は皆でゆっくり一緒にごはんを食べたかったなぁ」
「もっとかまってほしかったなぁ」
「もっとやさしくしてほしかったなぁ」
今まで避けてきた これを感じる時間をぜひ作ってみてほしいんです
で それをしながら
自分の心を自分で埋めていってほしいんですね
それがないと何が起こるかっていうと
自分は大事にされなかった人間
自分は愛されない人間という 大前提を持ってしまうんですよ
だから 外に
認めてもらいたい 愛してほしい もっと褒めて欲しい という大前提があるから
外に求めに行ってしまう
だから ○○さんの一番の誤解が
自分は大事にされていない
自分は愛されていない人間だって
〇〇さんがご自身を誤解しているから
世間が○○さんのことを誤解するんです
その誤解を解いてほしいんです
どこかで一度 自分の中に向かっていって確認してみてほしい
そこを避けて頑張るのをやめて
そっちに向かい合うことにチャレンジしてほしい
「 短所を減らして 長所を伸ばそうとしていた
今から思えば それが一番間違いだった
(断ったり出来るようになって)
自分の弱みをちゃんと出すようにしたら
知らんことを知らんと言えるようになった
知らないことが恥ずかしいとかレベルが低いとか そう思っていた
間違った自分の自信の作り方をやっていたのは
自分のダメなところを克服したら 自信がつくと思っていた
出来ない自分をやめた
皆さん 自分のことを 信じられないくらい過小評価している
出来ないところは決して克服してはいけません
自分の素晴らしさに気づいていないということは
自分が素晴らしくないということを信じているということ 」
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12月8日はジョン・レノンの33回目の命日でした
John Lennon - Mind Games
2001年から続いているチャリティ・コンサート(ジョン・レノン スーパーライヴ)
今年は12月7日(土)に開催
よく知らなかった出演者たちのそれぞれのパワーと
改めてとても身近に感じたジョンレノンの魅力
あの空間を共有できたことをとても誇りに思います
なんとかうまく伝えられないかと思ったところ
下記のサイトを発見↓ 感動的なコンサートの詳細が語られています 大拍手
大好きなモンキーマジックは初参加で「I Feel Fine」&「I Wanna Hold Your Hand」
それ以外のみ〜んなもホント最高でした
特に 細美武士さんの話やギターの音&歌声、
一体化した会場のペンライト(オノコード)が忘れられません
細美さんも
「きれいだなぁ〜!俺のライト(細美さんを照らしているステージの照明)消して!その方がキレイ!」と
真っ暗ななかで演奏(笑)
ステキな人だなぁ〜って
「俺の名前は覚えなくていいから、(Tシャツに書かれてある活動中の)
“東北ライブハウス大作戦”だけ覚えて帰って」とも
活動の一部が掲載されているサイト ⇒ http://p.tl/y5rq
細美武士さんのギター弾き語り 「Let It Be」&「Stand By Me」
the HIATUS (細美さんのプロジェクト)「The Afterglow - A World Of Pandemonium -」トレイラー
で、次に登場のTOSHI- LOWさんは
上記の細美さんとの活動の他にも 様々な支援活動をされている方
石巻の大川小学校で感じたことをステージから言葉でぶつけてくれた
「 大人が言うことが全部正しいとは限らない
大人が言うことを信じたばっかりに大人になれなかった子どもたちがいる 」 その言葉や歌声から感じる熱いもの、たしかに受け取りました
↓
OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUNDのTOSHI- LOWさんの美しーい歌
上記の歌↑「夢の跡」ライヴ映像
↓
奥様のりょうさんとお子様もそうでしょうか、ご家族で共演されているビスコのほっこりCM映像はこちら
↓
オーヴァーグラウンド・アコースティック・アンダーグラウンドオフィシャルサイト
↓
BRAHMAN「初期衝動」MV とにかく歌詞もスゴイや…
↓
BRAHMAN Live DVD / Blu-ray「超克 the OCTAGON」Trailer
↓
支援活動をするにあたっての葛藤なども話しされています
↓
ある方がツイッターで
『今日は細美さんとTOSHI-LOWを知らなかった人たちも
「なんだあのかっこいい人たちは⁉︎」と思ったにちがいない!』と
まさにありのままの生き様がメッセージそのものといった人たち
ほんとうは誰しもそうなのだろうけど 浅井健一さんの声も印象的でした
他、井上陽水さん&奥田民生さんも
詳しくはこちらで http://ototoy.jp/news/74622
John Lennon - Love
ヨーコさん今年は80歳ということで皆でハッピーバースディ♪も
ペンライト(オノコード:写真↓のカタログの上)の点滅であらわす
「I(1回) LOVE(2回) YOU(3回)」にも感動
素晴らしいひとときでした〜!感謝
John Lennon - Power To The People
John Lennon & Yoko Ono - Happy Xmas
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めざめランド園長:さとる氏×アウルズ・エージェンシー:下野誠一郎氏×知井道通氏
主に下野氏のお話。聞き取りづらかったので、以下、超訳として(笑)流してください。
必ずしも 覚醒を目的として生きる必要はないんじゃないか…
エゴというのは羅針盤として働いて 自分の防御作用としても役に立つものなんですけど…
大人になり社会に出てからのエゴの作用は、人との摩擦が深まる要因ともなる
自分は(仕事柄)エゴについて考える機会があったが
エゴというのは ある種のもぐらたたきだと思った
いろんな局面でエゴって出てきますよね
たとえば、いい席を取りたいとか…
ホントに些細なところでエゴはボコボコ出てきます
エックハルト・トールもウエイン・ダイアーも「コンシャス」、意識することって言ってますけど
つまりエゴが出てきたときにそれを意識すると、それを客観的にヒュっと見れるんです
ヒュっと見れると そのエゴはストンと落ちるんです、実は
それを繰り返し繰り返し、毎日やっていたんです
それをエゴのもぐらたたきと言ってたんです
それを繰り返しやってると そのうちエゴが可愛く見えてくるんですよ
「あ、出てきたよ。かわいいなぁおまえ」ってかんじでエゴをなでなでしてあげると
エゴはヒューっと↓
そうすると なぜか知らないけれど
周りの状況っていうのはスムーズにすすんでいくんです
逆に今度はいい席にとおしてもらえるし、店員にはやさしくしてもらえるし
あらゆる状況で エゴがヒュっと出てきたときに なでなでしてあげると
すごくスムーズにものごとがすすむことがわかります
それはエゴの飼いならしなんです
最初はもぐらたたたき、次は飼い慣らし
そして飼い慣らしてくると エゴはなついてくるんです
エゴは最初言ったように指針なんです
指針ということは、エゴは羅針盤となって
あなたにとって素晴らしいことを教えてくれるんです
この背景にあるもの 何だと思います?
これは好奇心なんです
人間って好奇心はカテゴライズ出来ないんです
どっから出てくるかわからないんです
面白いなと思うから出てくるんです、好奇心が
で、好奇心が出てきたときに エゴが可愛い飼い犬のように
ここ掘れワンワンとやってくれると 必ず結果がよくなるんです
省略
ナチュラルオネスティという言葉がある
まず、ラジカルオネスティってことで
とにかく正直になっちゃえ あらゆる状況で 正直に語ってしまえ 嘘は言うな
そうするとどうなるか やった男がいた
そうすると問題がいっぱい生じた
で、ナチュラルオネスティっていうのはもうちょっとやさしいバージョン
やりたいこととか正直になる
客観的にみて 状況が許す限りやっちゃう
やっちゃいけない理由というのは 意外とないもの
極端な話 この世は幻想ですから
ただ幻想だとは思えないから そこは折り合いをつけていかなければいけないんですけど
これからはナチュラルオネスティ運動(笑)
パラレルワールドについて
瞬間的に会うじゃないですか こういう場で
会っているときの感じは 固定しているじゃないですか
で、昨日会った人 それも固定していますよね
それって ある種のパラレルじゃないかと思うんです、お互いの
お互い、同じ人に会っているつもりでも
実は中身というか 思っていることとか完全に食い違っているわけですよ
相手のイメージとこちらのイメージが
翌日会って 同じようなつもりで会っても 相手は全然違っているわけだから
それは同じ人間に対峙していることにぜったいならないんですね
だからこれは身近な誰しもが 会う度に新しい人に会っていることになる
この話を元にして
普段会っている人に違う人を見て
あれ、同じ私がこの人に会っているのかしらと
あるいは、私は同じこの人に会っているのかと思って会っていくと
結構面白い発見があります
マジで違う人じゃないかと思う瞬間がある
あきらかに違っていると
さとる氏のお話:↑それは、下野さんといると一番感じられます。
下野さんはその仮説に基づき、それを自分に許してしまっています
自分がパラレルな存在であることをもう許可するという…
下野氏のお話に戻って:皆、ホントはそうありたいの
自分は違うんだよというのを出したいのに 演じちゃうの なぜか
昨日とおんなじ自分を演じるの 昨日と同じ立場、役割を演じるの
それを変えないの
変えたら変だと思われるとか 変えるのがこわかったり
それがナチュラルオネスティの感覚を身につけると
その場その場の自分が出てくる
常に新しい自分 常に展開されている
そうすると それがスペース
みんな、実はスペースなの 場
ここにいる人全部がこのスペースを持っている人なんですよ
僕はこのスペースを全部持っているし、あなたがたも内側に全部持っているんです
そしてそれに気づくことが出来るんです
スペースだから
自分は劇場だと思ってください
移動型の劇場で 舞台背景 登場人物 全部違うんです
で、それを誰が見てる?
自分はいないんです 実は 見てる自分はいないんです
これだから面白い
お互いのパラレルワールドが触れ合っているだけ
この触れ合っているシンクロっていうのが最大の奇蹟
エネルギーの構造が変わってきたこと等のさとる氏のお話の続きは動画で。
今までのやり方が通用しなくなってきている理由なども述べられています。
以前掲載した知井道通氏のお話も。
さとる氏:誰か悟っている人、覚醒している人を見て
そこに行くにはどうしたらいいんだ? どうやったらこういう人になれるんだ?
みたいな そういう一切を全部やめればいい!
凄い情報を集めて、人と比較して
そんなことを考えているんだったら。マインドの餌食だから
もうスピリチュアルなんてやめてしまった方がいいわけ
肩の力を抜いて生きて欲しい リラックス
動画はエックハルト・トール氏:スピリチュアルな目覚めは人生を楽にするのですか?
以下、エゴについて
知井 道通さんのブログより
僕たちは精神世界というものに出会ったことで、どれくらい楽になれたのでしょうか?
自我をなくせ! 執着を手放せ! ハートを開け! etc 色んな本やあらゆるところでこういった言葉を目にします はたしてどれだけ実践出来ていますか? 自我も執着もハートも実際に見たことはありませんが(笑)、 それでも日々見えない
そういったものに苦しんでいる人が多く思えます。 僕たちは三次元という世界に生きています。
はたして自我は不要なのでしょうか?
僕たちは日々生活をする上で、自我がもしも無くなったらどうなるのでしょう?
恐らくですが、『要介護状態』になると思われます(笑)
僕たちは自我があるから、道路を飛び出さずに済んでいます。
僕たちは自我があるから、熱い飲み物を誤って一氣飲みせずに済んでいます(笑)
僕たちは自我があるから、誤ってスクランブル交差点の真ん中で全裸に成ったりしません(笑)
まれにいらっしゃるかもしれませんが…(笑)
自我が手放せないというか、僕は手放さなくていいと思っています
こうして文章にして読んでみると、おかしいでしょ(笑)
でも実際の生活ではこうしたことに悩み苦しんでいる方もいらっしゃるのです。
雲 黒斎さんの『もっとあの世に聞いた、この世の仕組み』より
人はみな、自我を形成するために現象界に現れる。
なぜ存在の根源(全体意識)は、さまざまな存在次元や自我(分離意識)をつくり出す必要があったのか。
エックハルト・トール氏
エゴはこう問う。どうすれば、この状況を使って自分の要求を満たせるのか?あるいは自分の要求を満たす、別の状況に変えることができるか?
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自分の中からわき出る衝動を抑え込まずに、一度、素直に感じてみる。
怒りや悲しみなど、ネガティブといわれるものも避けることなく、
ありとあらゆる感情を感じてみる。
実は怒りも悲しみも、外側から訪れるのではありません。
生まれたときからすでに内在しているものなんです。
僕たち人間は、この現象界へ現れる際、たくさんの感情を抱えてやってきます。
それらを人生の中で解放するために。
解放しようともってきたものを、
「怒りを出してはならない」「悲しんでいけない」と、
どのまま外に出さず心に閉じ込め、押し殺してしまうからこそ、
ゆがみが生まれてしまうんです。
あなたを怒らせた出来事や、悲しませた出来事が、
あなたに感情を与えたのではありません。
それらの出来事は、もともとあなたの中にあった感情を
アウトプットするきっかけを与えたにすぎません。
ですから、その出来事がなかったとしても、
解放する予定の感情が、心の中にあるならば、
別の出来事が引き金となって、
やっぱり怒ったり悲しんだりすることになるのです。
このことが理解できると、少なからず出来事に対する恨みはなくなっていきます。
「加害者」に見えていた人が、「解放のきっかけをくれた人」に切り替わります。
そのきっかけづくりは、“その人”じゃなくてもよかったのですから。
感情解放のコツは、その感情にストーリーを持ち込まないこと。
その気持ちに「理由」をもたせないことです。
下記のガンガジの著書でも
「自分の物語を語るのをお止めなさい。」と↓
ポケットの中のダイヤモンド〜あなたの真の輝きを発見する〜ガンガジ著
外側へ向かおうとする感情を抑え込んでいると、
僕たちの活動エネルギーはその部分に浪費されます。
その分だけ、自分の行動力も抑制されてしまう。
誰かや何かを恨まず、また、自分自身も責めることなく、
その感情の存在を認めること。
苛立ちと状況を結びつけることなく、
ただ、そこに怒りがあることを感じきること。
誰かや何かに罪をなすりつけるのではなく、味わうこと。
叫ぶ、泣く、笑う。
それらが素直にできるようになると、
「心の運動不足」や「感情面での不感症状態」が解消され、
エネルギーのゆがみは徐々に消えていきます。
「あなたも泣くのですか?」
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