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追記あり
『セスは語る』 病いや苦しみは、神仏あるいは「すべてなるもの」といった外からの働きかけによって あなたがたに押し着せられるわけではありません。 それらは学びの過程の副産物として、あなたがた自身によって創り出されるのであって、 それら自体はまったく中立的なものです。 病いや苦しみは、創造的エネルギーが誤った方向に向けられた結果、生じてきます。 しかし、それも創造の力の一部です。 すべての人が、この創造的エネルギーをいかに取り扱うかを学んでおり、 まだ習得途上にあるあなたがたは、 それを用いる方向をしばしば間違えるであろうという話を以前したことがありました。 その結果生じる混乱は、 あなたがたを自動的に内側への問いかけへと引き戻す役割を果たします。 苦しみは、いかにして苦しみを止めるべきかを教えてくれるものでなければ、 魂にとって好ましいものではありません。 苦しみを止める方法を教えてくれることが、苦しみの目的なのです。 『ニュー・アース』 人生は意識の進化に最も役立つ経験を与える。 いまの経験が自分に必要だとどうしてわかるのか? それは現にこの瞬間に体験しているからだ。 苦しみは深みのある人間をつくる。 苦しみの原因は、形への自分の同一化だが、逆にその苦しみが形との同一化を突き崩す。 苦しみの多くはエゴに起因するが、結局は苦しみがエゴを破壊する。 ただし、苦しみに意識的でなければならない。 人間は苦しみを乗り越えるようにできているが、 しかし、エゴが考えるようなやり方で乗り越えるのではない。 エゴは「私は苦しむべきではない」と言うし、その考えがさらにあなたを苦しめる。 これは真実の歪曲で、つねに逆説的だ。 あなたが苦しみに抵抗し続ければ、 その抵抗が焼き尽くすべきエゴをさらに生み出すから、苦しみのプロセスは長引く。 だが苦しみを受け入れると、意識して苦しむことによってそのプロセスは加速される。 意識的な苦しみのただなかで、変容はすでに起こり始めている。 苦しみの火は意識の明かりとなる。 あなたは苦しみを変容させる前に、苦しみにイエスと言う必要がある。 それが真実である。 苦しみには崇高な目的が、 意識を向上させてエゴを焼き尽くすという目的があるのだ。 『Stillness Speaks』 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/imgdata/4198621632.jpg
「真の自由」が欲しいですか? 「苦しみ」にピリオドを打ちたいですか? それなら、あらゆる瞬間に、 自分が感じているもの、あるいは経験しているものすべてを、 あたかも事前に選択したかのように生きることです。 心の中で、「いまと一つになること」によって、 「苦しみの終息」が訪れるのです。 出来事は、身体に苦痛をもたらすことはあるかもしれませんが、 人間を不幸にするパワーはありません。 人間を不幸にしているのは、ほかでもない、自分自身の思考なのです。 「いま、自分がこうしてめぐらしている思考が、わたしを不幸にしているんだ」 この気づきによって、思考と一体になってしまう、無意識の習慣から脱却できるのです。 人生で起こるさまざまな出来事には、なんら相関性がないように見えますが、 なに一つとして、単独で起こっているのではありません。 判断を下したり、レッテルを貼ったりすることが、それを独立させてしまうのです。 あらゆる出来事を引き起こしているのは、 生命のワンネスであり、宇宙という緊密な相互ネットワークの一部なのです。 一見したところ理不尽としか思えない出来事が、 宇宙の全体性の中で、どんな役割を果たしているのかを理解するなど、大抵は不可能です。 けれども、広漠たる宇宙という視点からみれば、 それは必要だから起こったのだと認識することによって、 「すでにそうであるもの」への内なる受容がはじまり、 生命のワンネスとシンクロするようになります。 「わたしの物語」(偽の自己であるエゴ)がなかったら、 人生はどんなにシンプルになることでしょう。 不幸も問題も、「いま」の中では生き延びることができません。 善悪のレベルを超越し、物事にレッテルを貼らず、ありのままに放っておくだけで、 たちまち物凄いパワーを手にすることができます。 苦しいとき、不幸なとき、 完全に「いま、そうであるもの」の中に在ることです。 『The Power of NOW』 思考が人生をコントロールしていると、ほんとうの意味で選択していないので、 無意識に行動してしまいます、 すると、無意識の行動ゆえに、痛みや苦しみをこしらえてしまいます。 時間に生きることではなく、「いまに在る」ことをいつも選び、 「すでにそうであるもの」を「Yes!」と言って受け入れます。 この道を選ぶと、痛みとは無縁でいられます。 (ジム・キャリー主演の映画「イエスマン」“YES”は人生のパスワードを思い出します) タイミングよくTwitterタイムラインに、KenWilber_bot(ケン・ウィルバー氏)の言葉が。 【 われわれは、苦しみ・病い・苦痛などと親しくなって初めて、 「すべて」というより大きなアイデンティティ、 「自己」というアイデンティティを発見できる 】 (思考で一つひとつの言葉を捉えると矛盾することがありますが、どうぞ大局的な視点で) 【 感謝することのみが私たちの表現 】 ゲリーさんが述べているように結局はここに行き着くのでしょうか。 しかし、だからといって必ずしも苦しみを伴う必要性があるかというと。。。 そのためにも多くの教師たちが在るように思えます。 |
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2011年01月27日
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