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‘ふつう’とは、‘複雑でないシンプルな’という意味に解釈してください。
それは凡庸という意味ではありません。
ある意味、凡庸とは意識のパワーを何かに対して使うということをしていないので、
ダイナミックで美しさに溢れ、生き生きとした創造性豊かなものは
何も生み出していないということです。
自分自身や自分の意識や人生が、凡庸であることを望む人はいないでしょう。
 
たとえば、特定の結果を望んでいる自分の反応に気づいたとき、
何度も経験している思考と感情に気づいたとき、
「この瞬間、私はどうすればふつうになれるのだろうか」
この素朴な質問に表現されたあなたの願いは、
自分がつねに正しくありたい、人より先んじていたい、
人から尊敬されたい、人から認められたいという
根強い欲求を「解き放つ」体験へと導いてくれます。
 
自分が「ふつう」であることを認めると、
あなたはその瞬間、何か創造性に富むダイナミックで生き生きとしたものに、
自分のなかに入ってきて、自分とともに共同作業をしてほしいと頼んだことになります。
 
何でも全部しなければ気がすまないとか、
何でもきちんとしないとイヤだとか、
一定のやり方でなければ落ち着かないなどという気持ちを
あなたが捨て去ると、その瞬間、創造性の入り込む余地が生まれます。
生きるとはそういうことです。
 
あなた方は自分で人生を生きているのだと思っています。
じつはまったくその反対なのです。
あるパワーがあり、エネルギーがあり、不可思議があり、神秘があります。
それらがあなたを生かしているのです。
あなたは自分の人生ドラマを監督していないし、行動を管理してもいません。
 
何かにしがみつくのをやめれば、波が岸に打ち寄せるのと同じ確実さで、
人生の流れがあなたを確実に運んでいってくれます。
 
あなたが、自分はふつうでない特別な存在だと感じているとしたら、
それは、ふつうの意識のすばらしさの動きよりも高いところに、
自分を置こうとしているということです。
 
「見つける人」の境地に入ると、そこにはふつうのものしかないのです。
そして、このふつうのものとは、愛であり、“大いなる一”であり、光であり、心の平安なのです。
 
ふつうでない特別なものとは、
「ふつう」の枠外に出て、それよりも偉大であろうとするエゴの働きなのです。
 
私があなたに考慮してほしいのは、特別でありたいという、
こうした欲求を自分の人生から捨て去ることです。
 
 
自分以外のものになろうとするとき、
あなたはその瞬間の感情を殺しているのです。
少しでも無理をしているのなら、とにかくその努力を「解き放ち」、
その瞬間のありのままの自分になってください。
自分自身になるだけでいいのです。
 
ふつうであることがその答えです。
それぞれの瞬間に「シンプル」であろうとすると、
どのようにしてすべてを解き放つかということがわかってきます。
解き放つことによって、それまで自分をしばりつけてきたエネルギーが放出されます。
残ったエネルギーは、もっと創造的な面に使うことができます。
 
たとえば、いまあなたは非常に重要な瞬間に置かれているとします。
そうした瞬間に、リラックスして、「ふつう」であることの意味を深く味わうと、
その瞬間に存在するあらゆる創造的パワーがあなたのなかに入ってきて、
あなたにインスピレーションを与えます。
インスピレーションなくしては、どんな素晴らしいことも生み出せません。
インスピレーションはエゴからは生まれません。
 
生きるとは…
“広大無辺の自己”から、つねにインスピレーションを与えられることなのです。
そしてそのためには、ふつうであればいいのです。
 
ふつうであることは、平等であることです。
ふつうであるということはどういうことなのかを、最も深い意味で理解すればするほど、
あなたはより多くのエネルギーを持てるようになります。
 
さまざまな欲求によって失われるエネルギーの量はじつに膨大なのです。
 
自分の人生をいかに輝かしくふつうにすることができるかを知りたい、
という意志を持って、自分の人生を注意深く観察してみてください。
 
(訳された「ふつう」の原文は何だったのでしょうね、気になります)
 
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バーソロミューと呼ばれるエネルギーについて。
メアリーマーガレット・ムーアさんを通しての交信が1997年から1995年まで行われていました。
バーソロミューの言葉より
「わたしたちは、師という代わりにヘルパーという言葉を使いたいと思います。
ただ概念を教えるのではなく、
いつでも助けの手を伸ばす用意のある者という意味でヘルパーです。
<バーソロミュー>というエネルギーがメアリーマーガレットを通して語りかけるという形の
アプローチをやめることにしたのは、ひとつには、
バーソロミューからの援助が彼女の体を通してしか得られないという
考えを取り除きたいからです。
わたしと話すのに自分以外の人間の存在は必要ではありません
バーソロミューの助けを求めるには
心を開いてそう決心するだけでよいのだと知っていると、
他の人たちが仏陀やキリスト意識の助けを求めるのと同じやり方で助けを得ることができます。
こうしたエネルギーは結局はあなた方に手を貸す友人にすぎません。
わたしたちを何か特別なものにすればするほど、わたしたちとあなた方との距離が開きます。
必要なときに助けを求めることは、その人の成熟度を示すバロメーターのひとつです。
自分ひとりで何でもできるつもりでいると、不必要な苦しみを味わうことになります」
 
バーソロミューの本のタイトルに共通して使われているのが「brother」という言葉。
訳者の方も「brother」の訳は、日本においては、
“同胞”または“友人”という言葉のほうが対等感があるでしょうと述べています。
また、「聖霊」↓という言葉も日本においては他の表現の方がピンとくるかもしれませんね。
言葉そのものより指し示すものを感じ取った方がいいのかも。
 
多くの人にとって聖霊とは知的概念にすぎません。
私の定義では、聖霊とは、想像もつかないほどの巨大なエネルギー源で、
人間のエネルギー域とつながる電磁域を持っているものです。
あなた方が肉体と呼ぶ物質機構のなかには、
細胞のなかに存在する電磁的磁石があり、
私たちが聖霊のパワーと呼ぶ電磁域と連結します。
この電磁域を誘発するのは、あなたの意志です。
「このすばらしい電磁流のスイッチを入れるのは私の責任です」と。
 
違う次元の意識が、許可なくあなたの電磁域に押し入ることは、
個人の尊厳の侵害であり、許されないことです。
その選択はいつもあなたにあります。
 
世の中に尽くしたいと、自分が何か高尚なことをしなければならないと
イメージを抱いている人がいますが、私が言う奉仕者とは、
日々の生活のなかで意識的にスイッチを入れ、電磁流がとぎれないようにする人のことです。
つながることを知っており、そうすることで、
自分のまわりのエネルギー域が異なったパワーを帯びることを知っている人です。
そうなると、その人は外側からではなく、内側から変化しはじめます。
 
宇宙の調和とともに生きることを決心した人には、
“大宇宙”のあらゆるエネルギーがその人を助けるために集まってきます。
 
 
バーソロミューは、本当に不思議なくらいタイミングよく
助けの手を差し伸べてくれる存在であることを気づかされることが多々あります。
そういったエネルギーの存在からのサポートは、きっとそれぞれに。。。
 

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