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2015年2月22日の東京講演会の動画サンプルが配信されています。
阿部さん曰く
『 わずか5分足らずですが、自分なりに真実を言いきっています。 』
この頃は滅多に拝見することのないブログを訪問したのは2月15日でした。
その前後のブログのテーマが“存在の真実”とやらで
とても興味深いものになっています。
当日の講演会は、
語るとまた違ってしまうという矛盾を回避しながら
とてもわかりやすくお話くださいました。
政治・宗教談義もまた然り。
「あれ、こんなにハッキリおっしゃる方だったんだ〜」と思ったほど。(笑)
(阿部さんのことを知らな過ぎるのだと思います、あまりご縁がなかったことは確かです)
また、翻訳家として大変素晴らしい活躍をしておられる山川紘矢さんとの共著
【99 パーセントの人が知らない死の秘密】が27日に発売されましたが、
共著といっても二人の意見の違うところは
そのまま正直に載せているというお話もされていました。
私も以前に、紘矢氏のお話を聞いたことがあり、
上記のそのお話にも「うん、うん」頷いたりして。
(いや、自我が望む完璧さはないものねだりですから)
あの言葉の魔術ぶりは、亜希子さんの功績が大きいのではないかというご意見は
私も大いに同感するところ(笑)です。
で、結局たいせつだなぁと思ったことは、
いかなるときにも いかに気楽でいられるか… ということ。
『 あなたの意志で‘こと’をしていると思っているかもしれませんけど
‘こと’はそのように起きているということなんです。
あなたの意志も含めて。
そのとき、その瞬間、そのようなことがただ起きていたというだけなんですね。 』
3/1から動画はサンプルではなく配信されるようですから詳しくはそちらで。
(全篇¥1000で配信されています。会員制にしたわけは
の中で、たぶん、ですが語られていたように思います。)
『 自分がどれくらい自我に取りこまれているか、
自分というニセの実体とどのくらい同化しているか、
あるいは、その同化がどのくらい薄れているか、
そのことを教えてくれるバロメーターは、
気楽さ(リラックス)、または対極の深刻さ。
自己と同化すればするほど深刻になります。
‘いま こうして ことが起きている’
という以外にはリアリティはないんです。
もしリラックスしていられないとしたら、
緊張やあるいは深刻さのようなものを持ちこんだとしたら、
それは何らかの勘違いからつくられていることです。 』
『 何も心配いらないわけです。 』
『 自分はまだまだだなとか そんなこと思う必要いっさいないです。 』
『 スピリチュアル、精神世界 そのことに目覚めだした人が
間違った方向にその精神性、スピリチュアルといわれているものを
高めようとして、自己をより高めようとして、いってみれば、
自己同化している偽物である自分をより優れたものにしようとして
そういうことをさせようとするスピリチュアルな情報があまりにも多い。 』
『 いま それが起きているってだけ。
で、我々が知るべきものは
取り逃がしようのないものだから、
いわゆる真理は失敗しようがないものだから
だから安心していい。 』
『 (スピリチュアル等の)学んできたと思っていることを
すべていったん横に置いて、チャラにして
自分自身のなかにくつろぐこと。安心すること。
あるがままの自分でいいんだということがどういうことなのか
実感として知ること。
あるがままの自分でいいということが完全にわかれば
そこで探究は終わります。
実は、探究というのは、
今のあるがままの自分以上の自分になるためには
自分は何かを解明しなければいけない、
何かを理解しなければいけないと思っているからはじまるわけです。
そのゲームが終わるのは探究の結果じゃないんです。
探究が終わったときにそれがあるんです。
もうあなたはすでにその段階にいるんです。 』
最近、自分の興味の対象というのが、実は自分で思っていたことと違うのでは?というような疑問が湧いています。
とても個人的なことですが、ちょっと面白いです。
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