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豊かな人生を送るためには
“今この瞬間” に向かって 心を開く必要があります。
今この瞬間に対して
「今こういう状態なんだね」と受け入れ、
最大限の注意と敬意を払うことが出来れば…
“今”の状況にどんなことが起こっても
次のマントラを唱えることをおすすめします。
この言葉は あなたと“今この瞬間”との関係性に関するものです。
「私は 今この瞬間のための空間となることが出来るか?」
質問形になっています。
アファメーションではなく 質問の方がより開かれていて
その方が自分で答えを探しだそうとするからです。
質問することによって“今この瞬間”に対して
たとえそれが満足のいかない状況に思えても これが今の状態かと言えるのです。
これからは違ったやり方をしていきましょう。
“今この瞬間”のあるがままを認めないようなことはしないことです。
人生をあるがままに受け入れ 仲良くしていくのです。
機能不全を認め 自分がしたことを認めるのです。
“今この瞬間”のあるがままの状態を受け入れるのです。
この簡単なステップを踏むことによって
まったく新しい意識の状態が生まれてきます。
あなたは そのあるがままの状態のための空間となるからです。
・・・・・・・・・
イリュージョン 幻想としての時間[DVD]/ストレス・機能不全からの脱却 ↓
アウェイクニング 今、ここに目覚める[DVD]/エックハルト・トール その1
10月25日(金)イマジン・ピース・タワー
↑水面に何か反射しているのでしょうか…20分後 今度は奥の空がグリーンがかっています↓
700回!!
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エックハルト・トール
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「いまこの瞬間」の大切さを説くエックハルト・トール氏
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「大抵の場合は、あなたは思考しているのではなく、
思考に支配されているのです。
あなたは完全に思考と一体化しているのです。
その思考が決めつけた判断を鵜呑みにし、
それが真実だと疑いもなく信じこんでいるのです。
それが人間の現状、機能障害の状態です。
ですので 決して個人的に捉えないでください」
「すべての思考には それを生み出す自我があります。
そして、その思考が絶対的な現実であると信じこんでいるのです」
「自分の内面を見る練習をしてみましょう。
思考、あるいは思考に伴った感情が
あなたの全スペースを占領していないかどうか見てみましょう」
こちらで DVDの冒頭部分(上記はこのなかの一部)をみることができます↓
↑こちらの続きをDVDから↓
「(思考または感情が)‘そこに在るな…’と注意深く監視します」
「‘こんな思考がなければいいのに’と思わないでください」
「‘確かにそこに在る’
しかし突如として あなたは単なる思考なのだと認識します。
さらに思考に伴ってくる感情も認識します」
「どんな感じがしているか 感じてみるのです。
そうやってあなたが注意を向けた途端、
思考をしている自分がいること、
そしてもはや思考には支配されていないことに気づくのです」
「なぜなら あなたが注意を向けた瞬間に
完全に無意識だったゲームに
新しい次元の意識が差し込んできたからです。
今まで存在すら知らなかった意識の次元が現れてきたのです」
「思考や付随した感情を観察してください。
すると突然
その思考と感情の周りに少しだけ空間が生まれてきます。
“注意を向けること”が“空間”ということです」
あなたは この瞬間において
このための空間として存在しています。
行ったり来たりしている思考に気づいている意識
感情でもそう
この浮上してきた形にすぐさま気づく意識があるのです。
それがあなたなのです。
それが空間です。
それがつまり“今”の本質なのです。
“今”というものは起こっている出来事ではなく、
今というのは そのための空間です。
本質としての自分は対象としてではなく
主体としてのみ知り得るものなのです。
ですから ここで語られている言葉はすべて
深層にある存在としての自分自身に気づいていくための道しるべなのです。
そこに世界が現れ やってきては消えていく
あなた自身が空間なのです。
これをどのように日常生活のなかで認識していけるでしょうか。
あたふたしている日常で・・・・・
次から次へと あなたは思考という形も含めた形ある世界のなかで
自分自身を見失うのです。
しかし その領域を知ろうとして 何年も長い間探し求めている
精神世界の探究者はたくさんいます。
彼らの過ちは・・・・・
まず第一に 彼らは未来に悟りを探し求めているということがあります。
他の人が何かを未来に探しているように。
「素晴らしい悟りの体験をしたい。私もいつかはその境地に至りたい」
あたかも悟るという体験でもできるように探し求めているのです。
でも その“いつか”は来ないのです。
なぜなら その“いつか”は“今”であり、あなたは“今”を見ていないのです。
“いつか”というのは未来への予測です。
“悟り”はすでに“今ここ”にあるのです。
それを簡単に知る方法は “今この瞬間”と違う接し方をするしかありません。
それは“今この瞬間”こそが 深い領域への入り口として存在しているからです。
たとえ表面的には満足いくものに見えないとしても
その根底には常に深層の領域が隠れているのです。
しかし それを知ることができるのは
あなたが“今この瞬間”と
内面的に抵抗のない関係性にある時だけです。
(追記)
「私は“今この瞬間”こそが人生であることがわかっている」
「私は 人生とはいつも“今ここ”であることがわかっている」
「私は“今この瞬間”がすべてなのだとわかったからには“今”と仲良くしていこうと思う」
「‘今’を心地よく迎い入れ ‘今’がどんな形でやってきても気を配っていこう」
「これが“今この瞬間”のあるがままの状況なのだから
私はこの状況に抵抗することなく あるがままに身を任せよう」
これがエゴの終焉です。
・・・・・つづく・・・・・
『イリュージョン 幻想としての時間[DVD]/ストレス・機能不全からの脱却』の紹介ブログ
今朝5:36(現地20時過ぎ)のイマジンピースタワーです。今日は雨でしょうか…
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以前発売されたDVD『イリュージョン 幻想としての時間』に続く『アウェイクニング 今、ここに目覚める』
4/25頃発売予定だそうです。
以前のDVDのブログはこちら↓
エックハルト・トール/イリュージョン 幻想としての時間[DVD]/ストレス・機能不全からの脱却
↓目覚めの花火
マインドは、「目覚めはどこ?」「目覚めなくては…」と言い続けるのです(笑) まるで形あるものを見つけ出せるかのように。目で確認できる形のサインを探しているのです。「“目覚めの花火”とか“悟りの花火”はどこにあるんだ?」「10年も目覚めの花火があがるのを待ち続けているのに、何も起こらない…」
目覚めは、自然に湧き起こってくるものなのです。(それは、いろいろな場面で…)
そこで突然、“反応”するのではなく、穏やかで研ぎ澄まされている自分を発見するのです。
それは、“目覚め”の一側面です。
それは、“こういうことが私に起こった”と具体的にわかるような出来事ではないのです。
稀に永続的な変化が起こる人もいますが、それはとても稀なことで、ほとんどの人にとっては段々と移り変わっていくものです。
絶えず思考の流れに埋もれているような状態、次から次へとやってくる思考の流れだけに引きずられている状態から徐々に変化していくのです。「まだ悟っていないけれど、私はいつ目覚めるのだろう?」という思考も含めて。
その状態からの移行は、まず最初は、時々何か違ったことが現れてくることからはじまります。研ぎ澄まされた感じ、生き生きとした感じが強まってくるような状態がやってきます。
考えることに代わってそれが現れてきます。もちろん思考はまだやってきます。しかし、それは強制的に起こってくる思考ではなくなり、考えることが必要のないスペースが現れてくるのです。
あなたは思考を超えたものとなったのです。
それが“目覚め”というものです。
こちらの↓YouTubeで“スペース”を…
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これもまさにパラドックス↓
目覚めに関してあなたができることは何もない。
目覚めのプロセスは一つの恩寵として始まる。
自分で起こすことはできないし、そのための準備をしたり、そのために功績を積み重ねていくこともできない。きちんと段階を踏んでいけば到達できるというものではないのだ。
何かしようとしても、それは目覚めや悟りを価値ある所有物とし、自分をもっと重要に大きく見せようとエゴの試みになってしまうだろう。目覚めの代わりに「概念」を精神に付け足すか、目覚めた人はこうだろうとイメージを描き、そのイメージ通りに生きようとするだけになる。(当然)他人のイメージに合わせて生きることは、真正な生き方ではない。
ありのままの自分を見失い、‘いい人’を演じてしまうありがちなこと。何かに縛られているような窮屈さや頑なな印象が伴う。言いかえると、そのままの自分の不完全さを無意識に宣言、証明、実践しているようなものなのでしょう。
意識はすでに目覚めている。
『Stillness Speaks』↓
「正しい人」になることによって、自分が優越なポジションにいるような錯覚におちいり、ニセの自己であるエゴを増大させているのです。他人や物事を悪者にし、自分を「正しい人」扱いすることによって、日常的に抱いている「わたしは不完全な人間です」という自己認識に、知らず知らずのうちに拍車をかけるしくみになっています。
あなたの身近に、こんな人はいませんか?
自分はもちろん、まわりの人をも惨めにして、不幸のウィルスを撒き散らすことだけが、人生の目的のように見える人。そのような人たちを赦してください。なぜなら、その人たちも、人類の意識の覚醒において、大切な役割の一端を担っているからです。エゴ的意識という悪夢、いいかえるなら「非放下状態」に拍車をかける役目を果たしているのです。彼らのしていることに、なんら個人的な悪意はありません。それは、彼らの「本当の姿」ではないからです。
「わたしの物語」がなかったら、人生は、どんなにシンプルになることでしょう。
レッテル貼りは、たしかに根強い習慣かもしれませんが、それは、かならず克服可能です。食器を落として割ってしまっても、ぬかるみに足を取られて転んでも、小さなことから徐々に、「嫌だ」とか「痛ましい」などのレッテル貼りをやめる練習をはじめてみてください。その瞬間の「そうであるもの」「事実」を、いさぎよく受け入れられますか?
思えば、起こっているコトというのは常に中立ですね。
善悪のレベルを超越してください。レベル貼りの習慣を超えると、宇宙のパワーがあなたを通して働きだします。出来事に対してリアクションしないという姿勢を貫くとき、それまで「悪」と見えていたものは、即座に、あるいは、時間の経過と共に、生命パワーを通して、好転していくものです。
魂の求道者は、未来に悟りをひらこうとします。
「求める者」であるということ自体がすでに、未来を必要とすることを暗示しているからです。
もしあなたが、未来に悟りをひらけると信じているならば、それが、あなたにとって真実となります。
すなわち、「本当の自分」になるためには、時間など必要ないと気づくまで、時間が必要になってしまうのです。
なんであれ、完全に受け入れるなら、あなたは平和へと導かれます。たとえそれが、自分が抵抗していることの受容であろうと、受け入れ不可能なことの受容であろうと。
人生を放っておきましょう。逆らわず、そのままにしておくのです。
自分自身を、万象万物が発生する源である意識と知ることによって、出来事に依存することをやめ、状況、環境の中に自己を見つけようとする習性から解放されます。いいかえるなら、どんな出来事が起こるか、あるいは起こらないかは、どっちでもよくなります。物事の重要性、深刻さは薄れはじめます。代わりに「遊び心」が芽生えます。世界は、宇宙が繰り広げるダンス━形態のダンス━であり、それ以上でもそれ以下でもない、そう悟るのです。
『ニュー・アース』
起こるべきでないのに起こることなどないのだ。つまり偉大なる全体とその目的の一部でないことなど、いっさい起こらない。
ほとんどの人の現実は… 何かを認識するとすぐに、幻の自己であるエゴがそれに名前をつけてラベルを貼り、解釈し、何かと比較し、好悪や善悪を決める。これは、思考の形に、モノの意識に閉じこめられている。この無意識の強迫的なラベル貼りがやまない限り、少なくともその行為に気がついて観察できるようにならない限り、スピリチュアルな目覚めはない。
未来に救済を求めるなら、無意識のうちに自分の心に救済を求めることになる。つまり形に、エゴの罠に落ちる。なぜなら、私たちを解放するのは、現在のこの瞬間だけなのだから。
そこに気づくこと、それが目覚めである。
自分の本質が意識であることに気づき、その本質をすべての「他者」、生きとし生けるもののなかに認める人だ。大いなるものに身を委ね、それゆえに全体及びすべての源との一体感を覚えている。
環境が変わらない人もいる。その人たちにとっては、何をするかは同じでどのようにするかだけが変化する。
受け入れると、安らかな気持ちで行動できる。微妙な振動のエネルギーとして行動に流れ込む。実は受け身ではなく、積極的で創造的な状態だ。そのエネルギーを流入させる方法の一つが、抵抗せず、降参すること。
いまこの瞬間に全身全霊をこめて行動すれば、どんな行動でも楽しむことができる。もっと正確に言うなら、外形的な行動が楽しいのではなく、行動に流れ込む内なる意識の次元が楽しくなる。
人生の主たる目的は、意識の光をこの世界に持ち込むことだと気づいて、することなすことすべてを意識のための道具にする人が増えていけば、新しい地が生まれる。「大いなる存在(Being)の喜びは、意識的であることの喜びである。
情熱とは心のなかの青写真を物理的な次元に移し替える力だ。これこそが心の創造的な活用法であり、だからこそそこでは欠落も欲望も関係ない。目覚めた行動の第三のモードである情熱。情熱を燃やすとは、自分がしていることに深い喜びを感じると同時に、目指す目標やビジョンの要素が加わることを意味する。行動の喜びに目標が加わると、エネルギーの場というか振動数が変化する。情熱にかりたてられた創造的な活動のさなかには、何をしてもとてつもない緊張感とエネルギーが伴うだろう。傍観者にはストレスの重圧があるように見えるかもしれないが、情熱の緊張感はストレスとは関係ない。ストレスと違って情熱はエネルギーの振動数が高いので、宇宙の創造力と共鳴する。情熱という語源は、「神」や「神に憑かれた」という意味を含む。
たとえば、先日のブログ『絹谷幸二画伯の祈りのカンバス』でみたものもまさにこれ。案外、私たちは何でも、目にしたそのものより、背後にあるエネルギーを感じとっているのかもしれませんね。http://blogs.yahoo.co.jp/wanchan1wan/37531189.html
いまこの瞬間は、全体(世界、宇宙、存在するすべて)と不可分、そのとき全体、つまり生命・人生そのものの総体があなたを通じて動き出す。
自分は回路で、形として現れていないあらゆる生命の源から発するエネルギーが自分を通じて流れ、すべての人々のために役立つことを感じ取ろう。
目覚めの恩寵には責任が伴う。
日々の暮らしを通じて、「ただ在ること」と他者との関わりを通じて、新しい意識を生み出すことだ。
『The Power of NOW』↓
「私は瞑想を日課にし、これまで参加してきたワークショップも数知れません。精神性を高める本も山ほど読みましたし、他にもかなりがんばりました。なぜそれ(永続的な心の平安)を見つけられないのでしょう?ほかに何をすればいいのでしょう?」
↓
「自分の外側に心の平安を求めているからです。もしかすると次のワークショップに答えがあるかもしれない、…このように“探す”という姿勢でいるかぎり、この境地に達することはできません。探してはいけません。そうすると無意識のうちに、軋轢や抵抗を心につくりだすことになります。自分が“非・平和”にいることを、完全に受け入れた瞬間、“非・平和”は、平和に変わります。わたしたちが“何か”を完全に受け入れると、それがどんなものでも、わたしたちはその“何か”を超越することができるのです。これが受け入れることから生まれる奇跡です」
『ポケットの中のダイアモンド』↓
「私が何より欲しいのは、真理、神、そして覚醒です━なぜ私にはそれを手に入れることができないのでしょうか?」
ガンガジは、もしほんとうに何にもまして求めているならば、それらはもうすでにここにあることに気づくはずだと述べています。
それがもうすでにここにあることに気づかないのは、条件付きでそれを求めているからなのです。それはあくまでも自分の望むように、自分の条件に従った形で・・・・・と考えているのではありませんか?傷つくのを防ぐために使っているエネルギーを感じることができるでしょうか?自分がどうやって、どんな思考習慣を使って傷つくのを防ごうとしているかを検証してごらんなさい。繰り返し起こっているパターンを見つけ、傷つくのを防ぐ代わりにあなたが支払っている代償、つまりそのためにあなたがどれほど時間とエネルギーを費やしているかを感じてごらんなさい。今、この瞬間、あなたがそれら全部に心を開き、何も防ごうとせず、すべてを喜んで受け入れたら、何が起きるのでしょうか?自由になるために必要なものなど一つもないとしたらどうでしょうか?
模索をやめる、ということは真実を知るのを諦める、ということではありません。真実を探しに行くのをやめ、どうしたら真実を見つけられるかということについて、理性(あそこへ行け、これをしろ、あれも試してみろ、という声)の指揮監督に頼るのをやめる、ということです。
真実を知りたい、という願望が生まれる━それは人生において、本当に神聖な、神の恩寵に充ちた瞬間です。悲しいことにこの願望はしばしば、どうすれば得られるか、あるいはどうすれば到達するのかを阻むものを排除できるか、という頭の中の概念に変化しがちです。そして人は、真実そのものよりもこの概念を、崇拝し、信頼するのです。
真実への願望とは、あなたが心の中に感じる餓え、渇望です。その渇望が邪魔なので、あなたはさまざまな手段を講じてそれを追い払おうとします。これが理性とあなたが感じる渇望の関係です。もしあなたに、心の渇望にあれこれ差し出さず、渇望からの逃げ道を求めるのをやめる意思があるならば、渇望はおのずと終焉を迎えます。
あなたが探し求めているもの、それはあなたです。あなたの肉体のことを言っているのではありません。思考でも感情でも、運命、カルマ、過去、未来のことでもありません。これらはすべて、あなたという存在の真実の中で、現れ、存在し、そして消えていきます。あなたはすでに真実です。あなたは意識そのものなのです。
あなたはすでにあらゆるテクニックを試みましたが、すべてをやめることはまだしていません。まだやめていないとしたら、あなたはまだ探し続けています。それほどシンプルなことなのです。
6:27〜
「自分が他人を助けられるかどうかを問うとき、一番大切なことは、他人の意識を変えられるものが
自分のなかにあるかどうかです。あなたのなかにある変化が起きなければ、できません。
心配って何でしょう?
その意味は幻想を映している無意識の思考活動で、
普通はネガティブな未来を映しています。もちろんその多くは起きません。
心配が役に立たないと理解できれば… いまに在るようになります。
助けが必要な人とつながっているとき、いまに在るか?
彼らに余裕のある空間を与えられるかどうか。それが癒しです」
そして“抵抗”についても
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↑
その選手は、勝とうと頑張っているのに思うようにいってなかったので、
ある人が禅マスターに尋ねたところ、
「彼は勝つ必要があると思っているが、その思いが彼からパワーを奪ってしまっている」と。
勝つ必要があると思っている、ということは未来のある時点で満たされると思っているんです。
彼の思いは完全には‘いま’にいないのです。
でもすべてのパワーは‘いま’のなかにしかないのですから、
どんなことでも全力を尽くすためには、今やっていることにどっぷりと浸らなければ…
一流選手は100%いまにいること(そのゾーンに入っているとも言う)をマスターしている
いまこの瞬間はつねにシンプルで、その意味はつねに小さいでしょうが、そこに偉大な力が秘められています。いまこの瞬間と自分自身を調和させたとき、そのときだけ、その大きな力(生命そのものの力)にアクセスすることができます。と言うよりも、その力のほうがあなたにアクセスし、あなたを通じてこの世界にアクセスする、と言うほうが正確かもしれません。
どうして不安やストレスやネガティブな精神が生じるのでしょう?
いまという瞬間に背を向けたからです。では、どうしていまという瞬間に背を向けるのか?何か他のことのほうが重要だと思ったからです。ほんの小さな過ち、誤解、それが苦しみの世界を生み出すのです。
世間一般に言う成功とは、あなたの行為の結果のことです。
あなたがビジネスマンで、二年間ストレスに耐えてがんばって、ようやく良く売れる製品あるいはサービスを送り出し、金儲けをしたとしましょう。これは成功でしょうか。世間的には成功です。だがあなたは二年間、自分の身体だけでなく、地球もネガティブなエネルギーで汚し、自分自身もまわりの人たちも惨めにして、会ったこともない大勢の人たちにも影響を及ぼしてきたのです。そういう行為の陰にある無意識の想定は、成功とは未来の出来事で、目的が手段を正当化するというものだが、目的と手段はひとつです。手段が人類の幸福に貢献しないなら、目的だって貢献しないでしょう。結果はそこに至る行為と不可分ですから、行為によってすでに汚染されているなら、未来の不幸を生み出すはずです。
(これは私も経験してきた過ちです。まったく無意識の状態でしたが、いわゆる世間一般に言われる成功を手にしたとき、何か言い知れぬ大きな力が背後で働いているように思えてなりませんでした。たしかに当初は謙虚に情熱的に打ち込んでいましたが、その後は、正しくなければいけないとか、こうでなければいけないという信念、要するにエゴそのものだったのでしょう、ストレスが膨大になり、帯状疱疹や頸椎ヘルニア等の神経痛に悩まされることに。嫌で嫌でしょうがなかったのに、自分が頑張ればとか、自分が我慢すればという過ちを身体が身をもって教えてくれていたのです。神経痛=神経にさわる、そう、自分がそんなでしたから当然周囲も神経にさわることばかりでした。嫌なことを我慢し、頑張っていたつもりがネガティブなエネルギーをまき散らしていただけなのですね〜
いまや、行為の第一義的な目的は、その行為に意識を込めることです。その行為を通じて達成しようとする何かは二次的な目的です。
いまに在り、全身全霊をあげて「いま」していることをするなら、あなたの行為にはスピリチュアルな力が働きます。
以前の目的はつねに未来にあったのに対して、新たなもっと深い目的はいまに、時間を否定した「いま」にだけ見つかるのです。
人と向き合うとき、相手に関心のすべてを注ぎなさい。個人としてではなく、気づきの場として、研ぎ澄まされた「いまに在る」状態として、そこにいるのです。二人のあいだに立ち上がる気づきの場、それが人との関わりの第一義的な目的になるのです。その気づきの空間が、その場の話題よりも、物理的な対象や思考の対象よりも、もっと重要になります。「human being」。人との関わりの本来の理由(モノの売り買いや情報のやりとりなど)は、二次的なことになります。
全体と調和すればあなたは全体のつながりとその目的、つまりこの世界に意識を出現させるための、意識の一部になるわけです。するとどこからか助けが現れ、まさかの出会いや偶然があり、共時性と言われる不思議な一致が頻繁に起こります。(まさに波に乗る!の状態。ただ、創造的エネルギーが外に向かう時期と同様に、形の解体に向かう回帰の時期というのも当然訪れます)
創造的エネルギーの波が通りすぎ、構造的な緊張が再び低下しても、行動に感じる喜びは残っている。誰も情熱的なままで一生を過ごすことはできない。回帰の動き、帰路の旅には、降伏を通じてのみ、自分を調和させることができる。(降伏というとちょっと誤解しがちですが、この言葉が指し示す根底には期待<未来という幻の時間を創ってしまう=エゴ>ではなく、絶対的信頼が必須。昨日たまたま再度、無料配信していた星野佳路氏の「プロフェッショナル仕事の流儀」をみたのも偶然ではないのでしょうね)
こういう理由でこう行動する、というのは、心が現実を切り取るやり方です。自然は無意識のうちに全体とひとつになって生きている。全体と意識的にひとつになり、宇宙の知性と意識的に調和することで、この世界に新しい次元をもたらす。それが私たちの目的であり、運命です。
インスピレーション(スピリットのなかに、という意味です)が働くとき、そして情熱(enthusiasmとは神のなかに、という意味です)があるとき、単なる個人をはるかに超えた創造力が生まれるのです。
世間が教えてくれないのは(知らないから教えられないのですが)あなたは成功者になることはできないってことです。できるのはいま成功すること、それだけです。成功とは、いまこの瞬間の成功でしかない。いまこの瞬間の成功とは何か?自分の行為に、それがどれほどシンプルな行為であっても、質の値打ちがあることです。心遣いと関心、つまり気づきがあるということです。そのためには、あなたが「いまに在る」必要があるんです。行為に時間を超えた「大いなる存在」という質が注入されれば、それが成功です。
「未来」の成功は、行動が生じる意識によって左右される。
真の成功と言える行動は、条件づけられた無意識の思考であるエゴからではなく、研ぎ澄まされた観察と関心の場から生まれる。
あなたを通じて意識がこの世界に流れ込む。
苦闘やストレスはエゴが戻ってきた証。
エゴの欲求の陰にある力は、同じくらいの反発力、言ってみれば「敵」を生み出す。反発力を引き起こさない唯一の活動は、全体の善を目指す行動だ。そのような行動は排他的ではなく、すべてを包み込む。分割するのではなく、足し合わせる。生きとし生けるものすべてのための活動だ。創造の第一義的な要素は意識なのだ。活動は必要だが、外的な現実を出現させるうえでは二次的な要素にすぎないことも学ぶ。内なるレベルで変化がなければ、いくら行動しても何も変化は生まれない。
何をするかではなく、どのようにするかで、あなたが運命をまっとうしているかどうかが決まる。
あなたには自分に欠けていて欲するものを表現することはできない。
すでにもっているものを表現することができるだけだ。
心の創造的な活用法→何でもすでに受け取っていると信じること。
目標やビジョンが自分自身のなかで(心と感情レベルで)、すでに現実になっている必要がある。
情熱とは心のなかの青写真を物理的な次元に移し替える力だ。目標があっても、関心の焦点は現在この瞬間にしていることに置かなければいけない。そうでないと宇宙的な目的と調和できなくなる。
自分は回路で、形として現れていないあらゆる生命の源から発するエネルギーが自分を通じて流れ、すべての人々のために役立つことを感じ取ろう。自分の活動が自分自身だけでなく無数の他者の人生を豊かにし深めていることを感じよう。
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