|
@lenonさんの画像
【メディテーション=瞑想こそが、超感覚的認識の手段なのである。】
瞑想の本質を知る人たちは、けっして浮世離れするわけではなく、目の前のなすべきことや様々な体験が、
広大無辺なる宇宙の諸事情と関連し合っていることを改めて深く洞察するようです。
【瞑想は、自分の永遠不滅の核心を認識し、直観するための道である。】
(正当な(目を閉じる)瞑想法以外でも、日常で身近に行なっている動作の中にも含まれることを知り始めましたが…道は多様なようです…)
内的生活の開発をする上で守る必要があると思われる幾つかの規則
それには、自分が体験する一切をより客観的な観点から見るように心がける。
自分の中に見出せるかどうかにかかっている。
目覚めさせられるまでは、いくらでも隠れたままでいる。(自分を臆病にしてきた考え方が克服される)
怒ったり怒らなかったりすることが、自分以外の何かに依存しているとすれば、私は自分自身の主人ではない。
↓下記の霊界参入(私は光の世界と捉えます)の三段階は順序不同であり、
ここで云うまだ準備段階にいる間に、開悟、霊界参入ができることは周知の事実だと思います。
とはいえ、ある期間は開悟に到ることなしに、ひたすら準備段階における努力を続けなければならない、
とも述べています。そこで今回は「準備」から。
【個人的な意見や感情を表さず、静かな没我的傾聴を通じて、
本当に内から受容できるようになった人だけに神秘学の述べる
高次の存在者たちは語りかけることができる。】
だから、
【主観的な自分の意見や感情を、耳を傾けるべき相手の中へ投影している間は、
霊界の存在者たちは何も語ろうとしない。】
ようです。
神秘学の言語的に表現されたものは、すべて真の向上を求めて耳を傾ける人を
到達すべき方向へ向かわせる力をもっているといいます。
【あなたが神秘学の熟達者の話をきき、深い内的経験に発した書物を読むとき、その行為は、
あなたの霊眼を開かせる力となって、あなたの魂に作用するのである。】
神秘学の教義は、高次の真実が「内なる語りかけ」を通してあらわれたものと述べています。
【神秘学の教義は、生きた「内なる言葉」の「直接の語りかけ」から汲み取られたもの。
それ自身、霊的生命を持っている。単なる言葉ではない。それは生きた力である。】
ブログでも数々紹介しているとおり、いまの時代は光の存在からのメッセージ本が数多く、ありがたいです…。
そこで、物質音では表せぬ霊界からの(私は光の世界と解釈しています)知らせを
「聴く」ための方法が記されています。
【はじめは、できるだけ熱心に外なる事物を観察する。】
↓
【そしてそのあとで、魂の中に立ち現れる感情と思考に没頭する。
完全なる心の平静を保ちながら、感情と思考の両方に注意力を集中することである。】
【感情や思考が、感覚界での机や椅子とまったく同じ現実的な事実なのだ
という意識を身につけなければならない。】
【自己の内部に沈潜する静観的態度と結びついた芸術感覚は、
霊的能力を発達させるための最上の前提である。】
内なる世界が整うと、むしろ豊かな情感や創造的なファンタジーが目覚めてくるのを人は悟るであろうとも。
音の世界もまた同様に訓練(とさせていただきます)の対象となることが書かれています。
音を、生物の音または声、無生物によって生じる音に分け、特に動物や人間の発する生物の音や声から
「音が、自分自身の魂の外に存する何かを告知しているという点に注意力のすべてを集中する」
【その音が何であるか、自分にとってそれが好ましいか好ましくないか、気に入るか気に入らぬかという観点を
超えなければならない。音を発する存在自体の中でいとなまれるものだけが、
自身の魂を充たすまでに到らなければならない。正しい計画に基づき、(そのような訓練を)続ける人は、
音を発する存在の内面と融合する能力を獲得するであろう。】
余談ですが…「音楽」について、
「メロディーは思考センターにハーモニーは感情センターにリズムは動作センターに影響をあたえる。
音楽療法の研究によるとヴァイオリンなどの弦楽器は特に視床下部を刺激するという。
音楽が脳の視床下部に作用して、治癒力を活性化させることは知られている。
視床下部にはホルモンの調整、自律神経の中枢があり、食欲や性欲、睡眠とも関係があるので
音楽療法では薬の処方箋のように音楽が使われる。」
【(音や音楽体験だけでなく)、全自然をこのような仕方で感得する術を学ばなければならない。】
(自然のなかの精霊とのつながりにも通じるように思います)
【傾聴…、賛成や反対いずれの意見をも沈黙させなければならない。】
思考のみならず、意識の表面に現れて来ない、魂の奥底にひそむ感情の動きにも注意を促しています。
【何らかの意味で、自分より劣ると思われる人の発言に耳を傾けながら、
あらゆる種類の優越感や知ったかぶりを抑制することが必要なのである。】
無意識を意識化することからでしょうか。
また、このような態度で子どもに接することは誰にとっても有益であるとも述べています。
【こうして人間は、他人の言葉をまったく没我的(無私無欲の境地)に、
自分の意見や感じ方を完全に排除して、聞くようになる。】
そして、自分とは反対の意見が述べられるときにも、見当違いがまかり通るときにも、
没批判的に傾聴することを心がけている人は、
【相手の言葉を聴く行為を通して、相手の魂の中へ自己を移し入れる。
この鍛錬こそが高い目標へ導いてくれる。】
自然音で述べた開発された新たな能力と結びつくとき、新しい聴覚が魂の中から生じてくるそうです。
そしてまた、ある程度の段階において注意すべき点も記しています。
【「自分の行為や発言がどんな人の自由なる決意にも干渉しないように配慮せよ」に従った態度を求められる】
支配、コントロールや依存を生みださないこと、でしょうか。
これは社会における集団意識云々という前に家族の間で、また自分自身に対してもよくある事かもしれません。
こういう場面で思い出される言葉が、「中庸」ですが、それが「調和」とつながっていくのでしょうか。
下記の続編です。
@akiliusさんの画像
|
R・シュタイナー
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
|
前回
そして今回は、道の過程において経ていく七つの段階を記します。
第一
第二
第三
第四
第五
第六
第七
また、次の五つの特性を育成しておくことが、その段階において不可欠になってくると述べています。
これは心臓のチャクラを開発するものだそうです。
第一
第二
第三
第四
第五
また同様に記されている重要な喉のチャクラを開発する方法は、次の八点です。
一
二
三
四
五
六
七
八
『瞑想と祈りの言葉』より
そしてやはり、自分の立つ足場を確固としたものにすること
(グランディング)が大切なことを述べています。
それぞれ時期がくれば各々の方法で自然に向かうような気もします…。
|
|
【 どんな人間にも、感覚的世界(物質社会である三次元)を超えて、
より高次の諸世界にまで、認識を拡げることができる能力がまどろんでいる。 】
シュタイナーの本に限らず、たとえば『神との対話』等、スピリチュアル系の本は、多次元の世界を
体験すればするほど、書かれている文章の真意を深く読み取れると思えます。
しばらく経ってから読み返すと、「あ〜こういうことだったのか」とか「なんだ、同じことがここにも書かれていた」
というようなこともしばしば経験します。
本来、本の読み方とか条件等の枠などないと考えていますが、もしかすると近道になるかもしれません…。
【表現内容の中へ今まで以上に深く参入しなければならない。
ひとつの事柄を理解しようとする場合にも、
その事柄について書かれている箇所だけではなく、まったく別の事柄について書かれた部分にも眼を向けるべきだ、という前提に立たねばならない。】
【ひとつの真理の中に本質が存在するのではなく、あらゆる部分的真理の調和と一致の中にそれがある、という見方をもつことが大切なのである。】
【多くの箇所は 行を試みた後でこそ はじめて十分満足のいく理解が得られるのである。】
そして、多次元の世界を知ることについては
【超感覚的世界の認識内容を人生に正しく適用するとき、それは非実用的どころか、
最高の意味で有用なものとなる。】
とは、まさしくそうだと思います。認識なしの人生では、常に何かが欠けている感がつきまとうし、
生を受けた目的を模索するばかりになってしまいます。
そして、書かれていることがわからないとき、それをどう理解すべきか、という疑問が見出されることでさえ、
進化の過程の一つだと思われます。
忘れていた頃、ふと答えがあらわれたり、出会ったりすることは誰しも経験していることですよね。
【読むことがひとつの内的体験となるほどにまで至るなら、
読者は知識として知るだけに留まらず、ある箇所ではある感情を、
別の箇所では別の感情を体験するようになるであろう。
そして、感情が魂の進化のためにもっている重要さを認識するようになるであろう。】
さらにそれらの行を、自分の個性にふさわしいやり方でどう試みたらいいかを知ることにもなると述べています。
真理の道を歩むにあたって、シュタイナーはまずふたつの指針を述べています。
意外に思われるかもしれませんが、私にはとても納得のいくものでしたので掲載致します。
【われわれが意識の中の世界と人生についての思考内容を、
讃美・敬意・尊敬で充たすような場合、われわれは特に急速な進歩を遂げる。
このような瞬間に、今までまどろみ続けてきた諸力が目覚める。】
これはある事の他、天然石に対する讃美、敬意などでも経験があります。
また、引き寄せの法則の必須条件である「感情」もこれに含まれるかもしれません…。
追記 : 上記の目に見えぬ点とはまた別の観点からとも捉えることが出来る次の言葉です。
野口嘉則さんのツイートより。
【安岡正篤先生曰く「人間が人間たる意義を求めるならば、まず敬するという心を持つことである」
『安岡正篤一日一言』より
周りの人たちに、どれだけ敬意をもって接することができるか。
この「尊敬する力」こそ、豊かな人生を築いていく根本的能力ですね。】
(↓以下シュタイナー)
【尊敬や敬意のような感情が、(多次元の)認識に関係があるとは、はじめのうちは信じがたいであろう。】
真理を求める者、意識の拡大を目指す者は、この感情を自分の中に生み出す努力が
必要であることを述べています。
【認識活動もまた魂の行為なのであり、感情は魂にとって、
肉体にとっての栄養分に等しい存在なのである。】
【このことは勉学によっては達成されない。その達成は生活を通してのみ可能となる。】
【誰かと出会い、その人の弱点を非難するとき、自分で自分の中の高次の認識能力を
奪っている。愛をもってその人の長所に心を向けようと努めるとき、この能力を貯える。】
繰り返し、繰り返し、あらゆる事象の優れた部分に注意を向けることとシュタイナーは述べています。
畏敬によって引き起こされた能力に、ある別種の感情が結びつくとこの能力はさらに一層活発になるとも。
そして、楽しみを通して次へと向かうこと。
【楽しみを世界のために、自己を高貴な存在にしようとする
意図の手段と見なすべきである。】
楽しみをいつまでも完全に味わいつくそうとするのではなく、
【享受したあとで、この楽しみから何かを明らかにさせる人は、
自分の認識能力を育成し、向上させる。】
要するに、手放さなければ新たに求めるものは入ってこないということですね。必要なのは、
【内的作業を通して、享受したものを消化しようとする態度である。】
【常に豊かな内面生活が、外から印象を受け取る際に、
主導権を持ち続けるべきだというのである。】
楽しみもそのしあわせも本当に「旅」であり目的地ではないのですね…。次の言葉を思い出しました。
幸せは 旅であり 目的地ではない
踊りなさい 誰も見ていないように
愛しなさい 一度も傷ついたことがないように
歌いなさい 誰も聴いていないように
生きなさい 今日が最後の日であるように
〜 アルフレッド・D・スーザ神父の言葉 〜
真理への道での、真の在り方として
【あなたの求めるどんな認識内容も、あなたの知的財産を蓄積するためのものなら、
それはあなたを進むべき道からそらせる。
しかし、あなたの求める認識内容が人格を高貴にし、世界を進化させるためのもので
あるなら、それは成熟への途上であなたを一歩前進させる。】
自身が使う言葉についても、ある意味「思いこみの世界」ですので、どのような捉え方をしても自由といえば
自由なのですが、言葉がうまく伝わらなかったりすると言葉の限界を感じてしまいます。
そこで、限界などと思うのではなく、誰しも自分のやり方で工夫をしているという観点から、
まず意図を大切に考えること、私は私で元々持つ感覚的な表現を創意工夫し、
楽しんでいこうと思っていた矢先に出会った文章の数々でした。
感嘆詞ばかりの日々はきっとステキな予感…。
シュタイナーの本をひとつのブログにまとめるのは焦点を絞らないと無理が生じることに気づきました。
今回は「道」の出発点に触れてみました。
|
全1ページ
[1]




