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・人生で起こることはすべて覚醒の役に立ちます。あらゆるものがあなた方を愛または覚醒に導いています。あなたに起こる出来事にはすべて理由があります。もっともその理由は頭で考えてもわからないことが多いですが。
・感情にとらわれてそこから身動きできなくなったときにできることはただひとつ、逃れようとして逃れられないものを完全に体験しようと決心することです。その感情をあるがままに見つめ、それを感じようとする意志が解放をもたらします。
・何を感じているのかと頭で分析するのはやめましょう。拡張から収縮へ、笑顔から仏頂面へ、良いことから悪いことへ、幸せから悲しみへと移行するよろこびもあることを知ってください。いのちの流れやいのちの動きを感じましょう。何ごとも一瞬として同じでない、この興味のつきない人生模様を充分に感じつくしましょう。いのちの流れに抵抗しないでください。そうすると、生まれたり消えたりする両極端のものを包み込んでいる、もっと大きなものが見えてきます。
・あなたが覚醒を求める動機は何なのか。いまや、あなたは自分に正直に向き合わなくてはなりません。自分がいかにすばらしい人間かをまわりに示してエゴを満足させようという動機ではいけません。また、まわりの人たちを苦しみから救いたいとか、世界の人々の苦しみをなくしたいという理由でもダメです。神を探す人から神を見つける人に変わるには、あなたの動機が何なのか、という点が何よりも大切です。覚醒を得るためだけに覚醒を望まなくてはなりません。
・自分が覚醒する方法を頭で考えてその通りに実行しようとすると、自分で自分の邪魔をする結果になります。
・自分の身体の細胞にできるだけ何度も「リラックスしてすべてを受け入れよう」とやさしく話しかけてください。
・些細なことにイライラしはじめたら、「ほらまた、くだらないことに感情を投影させてる」と自分のことを笑ってみましょう。自分の怖れをユーモアの精神をもって眺めてみましょう。自分の不安は自分で創りだしたのだと自覚して、自分の感情を人のせいにしないでください。自分の感情を外部のものや人に投影しないように努めましょう。
・人から間違っていると指摘されて腹が立ったとします。その場合、間違っていると言った人はあなたの心の傷を映し出す言葉を放ったのです。その言葉はすでに存在していた過去の心の傷を思い出させる言葉だったわけです。その人があなたを傷つけるわけではありません。その瞬間あなたにできることは、過去の心の傷を認めると同時に、その人が自分を傷つけたのではないと理解することです。
・あなたはこの一瞬の出来事だけに反応しているのではないということです。あなたの身体がこれまで処理しきれなかったものの総量に対して反応しているのです。身体の細胞が蓄積してきたそれらのイメージにあなたは反応しているのです。攻撃させたとき、あなたの身体も心も細胞もぎゅっと緊張して固くなります。現在起きていることに加えて、記憶にある過去の出来事がすべてよみがえるからです。心のイメージが細胞の反応を誘発して、細胞は緊張し、内にこもり、外界を遮断します。
・相手に対する自分の反応の中には、現在の瞬間に起きている以上のことが含まれていることを忘れないでください。
・自分は何でも知っているのでまわりの人間の生き方にあれこれ口を出す権利があるのだとエゴは主張します。人が他人の人生についてあれこれ批評するのは、自分のほうがものがわかっていると本気で信じているからです。これはとてもおもしろい人生ゲームで誰もが演じています。なぜでしょうか。おたがいに相手のエゴを鏡で見せて、そうしたゲームが何にもならないつまらないゲームだということを理解させるためです。こうしたゲームを演じていると、心の平安は絶対に得られません。これがはっきりと理解できたときに、人はゲームをやめます。そこではじめて、混沌の向こうにいつも存在するものに気づきます。
・できるだけたくさん笑いましょう。笑うと身体がリラックスします。
・探す人から見つける人になるというのは、ほかを探すのをやめて、自分が探しているものはすでに完全にここにあるのだと認めるということです。自分以外のところを探すかぎり、失敗します。あらゆる瞬間に意識を置いて、油断せずにすべてに注意を払っていると、あなたがこれまで長い間探してきたものが自然と姿を現しはじめます。
・人々は、偉大な覚醒者からの支援に支えられています。まず覚醒を手助けしてくれるように頼んでください。助けの手が本当に伸びているのかどうかを確かめるには、自分がどんな助けや導きを必要とし、望んでいるかをまず知ることです。愛情、思いやり、やすらかな心、明晰性、どんなことが起きてもありのままに人生を受け入れる態度などを求めてください。意識をとぎすまして、よい結果が生まれる可能性を受け入れてください。こうしたものはあらゆる瞬間の中に常に存在し、いまこの瞬間にあるので、簡単にもらえる贈り物です。
・自分ひとりで何でもできるつもりでいると、不必要な苦しみを味わうことになります。
・音の持つすばらしさに深く感動したまま、心を開いてリラックスするなら、“大いなる源”に気づかせてくれるでしょう。(たとえばマントラなどが一例)。音にすべての意識を向けるという行為を通して、あらゆる音の“源”が姿を現します。
・あらゆる所にいのちあふれる静かな創造の原理があって、それがあらゆるものの中に常にあるのだと知りながら、人生を歩み続けてください。それに気づこうと決心してください。リラックスして、真理が姿を現すにまかせましょう。わかるまでくりかえしリラックスしましょう。
・罪悪感に襲われたら、それはエゴの声だということをわかってください。
・愛情豊かで子ども思いのエネルギッシュな母親としての自分を尊敬しはじめてください。あなたが罪悪感を感じつづけるかぎり、結局は愛情を感じることができないので、あなたの言葉で言うと、お子さんを傷つけることになります。
・自己批判は小さな自己の思いのままになることですから、一種のご機嫌取りなのです。
・大切なのは、すべての感情を体験し、自分の体験が刻々と変化しているのに気づき、この状況があの状況よりも好ましいなどと思わない心境になれるのだとわかることです。落ちこんでいる人がいたら、元気を出せと言うのではなく、その人のみじめさに感心してください。相手が元気いっぱいなときに感心するのと同じようにです。
・相手が自分の一部を見せてくれているのだと思い出すことです。自分はいまそれを表現していないが、いつでもその可能性があるのだと思い出すことです。意識をとぎすまして、はじめから終わりまで観察しましょう。人間のあらゆる面を受け入れることを学ばなければなりません。
・激しい怒りや恨みを感じて、相手を拒絶して自分の殻に閉じこもるか、または相手を攻撃したくてたまらないときに、そうしないのです。その衝動を抑えて、相手と何らかの形で心をひとつにしたところを静かに心に思い描くと、“気”(生命力、個人的エネルギー)が集まります。怒っているときでもこの瞬間にいられます。自分の怒りや緊張感や火照った身体の部分に気づいていればいいのです。
・怒りがわき起こってきたら、その存在を認め、自分の中にとどめます。怒りを人にぶつけてはいけません。怒りというのは、もっとも深いレベルでは、相手と何の関係もありません。攻撃したり、いつまでもそのことを考えてむしゃくしゃしたりして、気のパワーを失わないでください。あなたが怒ると、まわりの人もみんなパワーを失うことになります。あなたのパワーなんですから、怒りとともにいて怒りを独占しましょう。怒りを味わい、理解し、親しくなって、何を自分に言いたいのか発見しましょう。どんなイメージが浮かんできますか。善悪の判断をしないように。善悪の判断なしに怒りをじっくり味わっていると、怒りの核心にあるものが発見できます。それはあらゆるものの核心にあるのと同じで、純粋な意識であり、“大いなる自己”であり、神です。
・高尚で純粋な感情からだけでなく、あらゆる感情から何かを学んでください。あなたが知っておくべきことは、そうした感情はすべて自分に関わることであって、外の世界で起きていることとは関係ないということです。
・人々がもっとも深い愛を感じ合うのは、過去を思い出すことも未来のことを考えることもなく、いまこの瞬間に意識を向けているときです。お互いがいまこの瞬間どんな人間であるかを見ます。あなたがいつでも人にあげられる贈り物は、相手の人といまこの瞬間の静寂の中にいっしょにいることです。(いずれ)彼らはあなたが思っていたような人ではなかったことがわかります。あなたの誤った記憶があなたの考える通りに彼らを再創造しつづけているのです。お互いを創造し合っています。そうしておいて、自分が創り出した相手が好きだとか嫌いだとか言うわけです。
・雑多な思考や行動や感情の渦巻く中で心を静める方法を学んでください。
・ただこの瞬間に意識を向けてください。それが唯一の解決策です。頭脳の役目は選択肢を示すことで、あなたに融合をもたらすのはいまこの瞬間にある意識です。
・自分の価値が問題となっている場合、あなたが持っている唯一のものを使って自己観を変えるしかありません。それはあなた自身です。自分の身体や心や能力に対する愛と感謝の言葉をマントラにして、たえずくり返しましょう。賞賛と受容を自分に与えてください。自分を愛することを真剣に学んでください。細胞に向けて深い感謝の念を一貫して送りつづけてください。誰でも自分の中に高く評価できるものを持っています。くり返し何度もそれを賞賛してください。まわりの世界はあなたがいま創造したもの、つまりあなた自身の深い存在感を正確に反映します。
・自分の思考をはっきりと意識するようになると、もっと深い意識と波長を合わせることができます。あなたは広大無限のすばらしい創造にいま参画しているのです。現在のようにエゴの二極化した価値観に基づいてその場その場で創造される人生ではなく、創造を自分のコントロール下に置くことができます。
バーソロミューの旅日記(上)日本編&(下)インド編/バーソロミューの道標
♪Mantra of Guru Rinpoche by Anael & Bradfield, Buddha Spirit, vol. 2♪ |
バーソロミュー大いなる叡智が語る
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バーソロミュー
大いなる叡智が語る愛と覚醒のメッセージ
大いなる叡智が語る愛と覚醒のメッセージ
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バーソロミューの旅日記(上)日本編&(下)インド編/バーソロミューの道標(1)
バーソロミューの旅日記(上)日本編&(下)インド編/バーソロミューの道標(2)
この『バーソロミューの旅日記(上)』には、
『どうして私はエイズから生還したのか〜NIROからのメッセージ』の簡約が紹介されています。
そこには病気だけのことではない、すべてに共通する大きなヒントが語られています。
↓
この話の女性は病気を治そうと努力したのではありませんでした。この点がふつうの癒しの物語と違っている点で、おもしろいと思います。彼女は現時点では治らない病気にかかってしまいました。彼女は自分が治る可能性を信じていなかったので、自分が治るところをイメージできませんでした。エイズは治らないと信じていたからです。それでも彼女は治りました。どうやって治ったのでしょうか。ここでひとつ話をしましょう。
中国のある村でひどい干ばつが起こり、大勢の死者が出ました。ある日、お坊さんがやってきて、村はずれの小屋に住みつき、瞑想の日々を送りはじめました。二、三日すると雨が降り出したので、村人は大喜びでお坊さんのところに行き、礼を言うとともに「ところで、どうやって雨を降らせたんですか?祈ったんですか?」と尋ねました。お坊さんは、「いや、雨乞いの祈りはせんじゃった。干ばつと調和しただけじゃ」と答えたというのです。
(直接的な結果である)「雨が降るように祈ったのではなく、(まずその瞬間、その場の状況である)干ばつと調和しただけ」。この違いがわかりますか。調和するというのは、目の前にあるものをすべてありのままに受け入れることです。お坊さんにとって、それは干ばつだったのです。
ものごとをありのままに受け入れると、それが変化する可能性が生まれます。『抵抗すればするほど、それはなくならない』という言葉がありますね。それを忘れないでください。
病気に関していうと、病気と闘わなければ良くならないと信じている人がたくさんいます。戦争と同じで、敵と戦えば、どちらかが勝ってどちらかが負けます。こうしたイメージは強い恐怖を呼び起こします。恐怖が前面に出れば、調和ははるか後ろに引き下がります。
病気とは、身体の細胞の中にひっかかって出られなくなったエネルギーだということを思い出してください。この出られなくなったエネルギーは、過去の感情や考えや体験の集合体ですので、それを出してやるには別の種類のエネルギーが必要です。一番いいのは、愛と感謝と光、それに清らかなパワーのイメージで細胞を満たしてやることです。この方法は、病気を作ったエネルギーに抵抗する代わりに、むしろその存在を認めて、それに関心を払ってやることになります。いまあるエネルギーを快く受け入れ、それが別の種類のエネルギーに変わるようにそっと導いてあげるわけです。喜びに満ちた慈愛と感謝と賞賛のエネルギーをたえず注ぎ込んでいると、細胞は緊張を解きます。リラックスした細胞は開いて拡張します。エイズにかかったニロは拡張と収縮のふたつを経験しましたが、はじめニロは、拡張するのはよいが、収縮するのは嫌だと思いました。最後に彼女が学んだのは、生命にはその両方が含まれて躍動するリズムを形成しているという事実でした。
みなさんの呼吸も吸うだけで吐かないとどうなりますか。
彼女にも拡張した気分の時期が訪れますが、やがて意識が未来に入っていくと、「ああ、どうしよう。わたしはもうすぐ死ぬんだ。こんないい気分でいられるはずがない」と思って、拡張した気分を抑えてしまいます。これが理解できた彼女は、肩の力を抜いて、精神が拡張したり収縮したりするのに抵抗しなくなりました。ある日、海岸を散歩しながら、彼女は自分の踏む一歩一歩を鋭く意識していました。まるでその一歩が最後の一歩であるかのような気持ちで歩いていました。・・・・・そこで彼女は悟りを得ました。意識が大きく開いて、たとえどのような死に方をしようと、自分は目覚めた意識をもって死ぬのだとわかりました。それ以外に大切なことはない。これもまた拡張のひとつの形なのだ。ごく普通のことであり、当たり前のことだ、と悟ったのです。ニロはこの時点で、エイズの再検査を受けてみようと思いました。再検査のあと、もう一度検査し直したいと言われ、もう一度検査してもらうと、HIV陰性と言われました。彼女は自分がこれまでにしてきたことの結果、奇跡が起こったのだとわかりました。ウィルスは見つかりませんでした。潜伏しているのではなく、消滅したのです。
ニロの細胞は変容したのです。過去は人を支配し、未来は人に不安をもたらし、過去も未来も怖れでしかないとニロが気づいたとき、唯一安心できる場所は現在の瞬間だとわかりました。いまこの瞬間にだけ心の平安が得られるとわかって、彼女はそこに何度もくりかえし行きました。
この話を通してみなさんに気づいてほしいのは、常識では考えられないような不思議なことが実際に起こり得るし、起こるのだ、ということです。この一瞬には、あなた方の限られた思考能力ではとても理解できないような神秘や不思議が充満していることを知っておいてください。
吸う息と吐く息のリズムがあり、拡張と収縮のリズムがあり、ひとつのエネルギーが別のエネルギーと交替し、この世のすべてに両極を揺れ動くリズムが存在します。それは生命の踊りです。何ものもいっさい無視することなく、あらゆるものに意識を向けるとき、よろこびが生まれます。このようなやり方でリラックスできるようになると、奇跡が可能になるだけでなく、奇跡は日常茶飯事になります。
(また、人はもうどうしようもない状況の時、頭が真っ白になるか、もうお手上げ降参の心境に陥るようです。そうなると不思議なことに、それでも、今ここで与えられているものに目がいき、ありがたい気持ちが湧いてきたりします。雑念はなく、一転してとても穏やかな境地です。結果的とはいえ、抵抗をやめた上に意識はいまここ、そして心の奥からのよろこびのような感謝。すると、好転する結果を願ったわけではないのに、ほんとうに奇跡としか言いようのない現実が目の前に展開されることがあります)
身体に自分がどんなひどい言葉を浴びせてきたか…。それでも身体はあなたを見捨ててはいません。細胞を感謝と愛と賞賛で満たすチャンスはあらゆる瞬間にあります。たとえ完璧とは言えない状態であっても、です。身体の細胞が健康や病気をもたらすわけではありません。それはからだとこころの共同作業の結果です。
(病気だけではなく)愛の栄養に満ちたエネルギーをあふれるほど身体に流し込み、細胞のすみずみまで満たしてください。自分への贈り物です。これを実行すると、奥深い細胞レベルに信じられないような愛の波動があることに気づきます。これこそがあなたが待ち望んでいる体験です。自分自身に与える贈り物なので、あなたは他人に依存しない自力の人間になります。
過去や未来を現在の瞬間に引きずりこんで、偽の自己を悲劇や喜劇の主人公に仕立てようとしている自分に気づいても、あせらず気を楽にしてください。このドラマの主人公はわがままで、常に自分が正しいと思いたがり、権力を欲します。それに抵抗しないで、リラックスして、いまの瞬間に意識を向けましょう。そうすると、一瞬ののちに次の一瞬が来、それをくりかえしているだけだと気づきます。生きる目的は、いのちが躍動するすばらしいこの純粋な一瞬一瞬を楽しむことだとわかります。
外の世界は内の世界を鏡のように映し出します。これは苦痛をともなうことだと考えられがちですが、鏡には美しいものも映し出されるということをほとんどの人が忘れています。
カメラは、谷間の全景やそこにある町、遠くの山々まで映し出すことができます。あなたの広大なる部分である意識も、カメラと同じように自分では気づいていない面までも把握しています。意識がいま起こっていることを感じ取り、精神がそれをメッセージに翻訳して身体に伝えます。人はこうした身体のメッセージをたえず受け取っているのですが、多くの場合、無視して回路を短絡させています。頭脳だけに頼って理解しようとします。思考を止めて過熱した頭脳を休める練習をすると、直感や虫の知らせ、インスピレーションが受け取れるようになります。もっと生き生きとなり、はるかに広大で目覚めた意識をもって充実した毎日が送れるようになります。
いまこの瞬間に意識を向けて、ただ呼吸そのものを呼吸する。そしてこれを一瞬一瞬し続けます。
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・まわりの人間や状況をいつも自分の思い通りにしようとすることが、どれだけストレスを生むかわかりますか。それに結局、思い通りにできたかどうかはたいして重要ではないということがわかりませんか。あなたの本質に照らし合わせると、あなたの好き嫌いは本来どうでもいいことなのです。あなた方はみな人類の一部です。自分はあらゆるものを含んだこの人類というすばらしい全体像の一部なのだと自覚して、もっと肩の力を抜いて自然体で生きていくことはできませんか。
・ほとんどの人は、見ると同時に考えています。みなさんにお願いしているのは、目に入ったものについて何か考えたくなる衝動を抑えて、ただ見てほしい、ということです。たとえばここにある柱を見ることもそうです。柱を見るなり、あなた方の頭は質問でいっぱいになります。どこから…、どんな…、どのくらい…、誰が…、等々考えはじめます。そうすると、もう柱はここには存在しません。ありのままの柱ではなくなって、あなたが考えるような柱になってしまいます。
努力して一体になる必要はありません。すべてはひとつですから。意識をただ柱に向けてごらんなさい。そうすれば、柱は柱なりのやり方で生き生きとした姿を見せてくれます。
・無関心というのは、いま起きていることと自分の間に壁を設けることです。その瞬間に完全に意識を置いているとは言えません。あなたはその場を離れたわけで、自分の肉体を出たことになります。
・ルールなんかありません。『ねばならない』は存在しません。この瞬間に生きるということは、『ねばならない』ことではないのです。それはあなたが常にしていることであり、しないでいることなどできないことです。それがたえず起きているということにあなたは気づいていない。だからむずかしく感じるのです。この瞬間にはいつも何かが起きていて、あなたはそれに反応しています。この瞬間には何か生き生きとしたものがあります。あなたはそれに気づけばいいのです。そしてその中にゆったりとくつろいでいればいいのです。
・身体の細胞がリラックスすると、そこにあるどんなエネルギーも受け取れるということをおぼえていてください。身体に向かってそっとやさしくリラックスするように言うと、身体はリラックスします。細胞は受け身で、精神の指示を待っています。あなたが命令することに細胞は意識を向けるのです。
・頭の言うことなんか気にしないでください。あなたの身体の細胞にメッセージを聞かせてください。細胞は感謝や受容の言葉を待ち望んでいます。『わたしはこのすばらしい身体を心から愛し受け入れます』。自分が受け入れられたという感覚を味わいましょう。
・身体がリラックスして何ごとも受け入れる体勢にあるときには、それまで隠れていた古い感情が表面に出てくる可能性があります。そうした場合には、自分に対してできるだけやさしい思いやりと理解を示してください。笑うことも忘れないでください。不安や疑いを消すのに笑いは大きな効果があります。
・死んだら、ふたつのことを訊かれます。どれだけ人を愛したか、どれだけ現実やエネルギーについて理解しているかということです。さらに、心のなかの暗闇にどれだけ直面したか、ということです。
・自分のなかの裁く心に気づいてください。裁く心が起こっても、それを押しのけようとしたり、無視したりしないように。目の前で展開する人間模様の一部に、あなた自身、少しずつなっていきましょう。結局、すべてはあなた自身なんですから。自分のことを笑いましょう。
・<嫌悪する行為>をする傾向が自分にだってほんの少しはあるかもしれないと考えてみて、そうした行為に対する嫌悪感を少しずつ和らげることです。嫌悪するものと自分とがまったく無関係の別々のものではないかもしれないと感じはじめると、嫌悪する行為を生む心理が理解できます。そうしてはじめて、人は人間の可能性のすべてを含んだ全面的に完全な人間になれます。(自分がそんなことをするなんて夢にも考えられないと思うほど嫌悪する行為がまだ存在する人は、いつか将来その行為を体験しなくてはならないかもしれません)
その状況にまつわる心理を感じ取り、理解しようとする意志をもてばいいのです。自分とその状況とは何の関係もないのだ、そうした嫌悪したくなる状況を現在演じている人間と自分の間には、はっきりとした区別があるのだ、という非現実的な思いこみをなくせばいいのです。その人たちが演じてくれていることに感謝しましょう。おかげであなたは、彼らという鏡の中に自分自身を見る機会をあたえられ、みずからそれを直接体験せずにすんでいるわけです。
・(ふたりの間に、何らかの確執が生じている場合等…) くりかえし何度も、相手が立っている空間の広がりに意識の目を向けてください。相手を取り囲む空間をできるだけ拡大してその広がりに目を向けましょう。さらに陳腐に聞こえるかもしれませんが、相手に愛の気持ち(『ふたりのあいだがうまくいきますように』というようなもの)を送りましょう。思いを送ったら、その結果は考えずに、すぐに次の瞬間のことに意識を向けます。たとえ関係が改善しなくても、少なくともあなた自身はそれから大きな恩恵を得ます。
・(苦手な人に対して…)相手を批判しないで素直にあるがまま見ようとすると、自分の一部をそこに見て、それがもう自分から分離しなくてすむことに気づき、ほっとするでしょう。
・(また)何かに嫌悪感を感じたら、それが自分のグリッド(ここでは、チャクラのセンターを電磁グリッド、配電網、パワーの集合点と呼び、人は生まれる前に自分が体験したい特定のエネルギーの場とつながるように電磁流を設定する、とのこと)のなかにあって、自分はそれから逃げ出さないで体験する必要があるのだと気づくと、嫌悪感は自然になくなります。
・真に執着を捨てた人は完全にその瞬間に意識があって、すべてにいつでも関心を向けることができます。その瞬間がもたらす結果に執着していないのです。
・<愛>を邪魔するもののひとつが、<期待>です。期待というのは、エゴが好きなものや信じているものにもとづいて生まれます。それだけのこと、です。
・賞賛と感謝の気持ちを心にあふれさせましょう。そうした気持ちをもって、自分が目にするあらゆる花や山や川、身体の障害などをどんな区別もせずにすべての価値を認めてください。糞尿でさえも。すべてに心を開きましょう。深い感謝の目で眺めるとあらゆるものは美しいのです。
バーソロミューの旅日記(上)日本編&(下)インド編/バーソロミューの道標(1)↓
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本書は、バーソロミューとあるグループの旅の物語です。
バーソロミューのすべてのお話を通して感じたことは、
“自分を愛する”ということはとても広く深い意味合いを持つのだということ。
そして “ありのまま”を尊重するということについて。
いずれも頭だけで考えた狭い了見だけではとても知りえないすべてのつながりについて
(上)&(下)全編で易しく導いています。
ここでは順不同で何回かに分け、
いろいろな答えとなったバーソロミューの言葉を抜粋していきたいと思います。
・魂はあなたがほかの人に対して考えたことと自分に対して考えたことを区別できません。それを忘れないでください。
・困難な状況に身を置いている人たちの意図や選択を尊重するなら、自分自身の選択も直接的に尊重することになります。究極的には“大いなる一”しかないのですから、そうなるのです。
・困難な状況にある人を見たら、心の中で次のように言ってみてください。『あなたがいまいる状況をみずから選んだことに対し、心から尊敬します。がんばってください』。あらゆる生きものに対する尊敬の念は愛の心から生まれるわけですが、その愛の心が、その人はそのとき自分にとって、もっとも完璧な状況を選んだということを教えてくれます。そう考えるのではなく、そうわかるのです。その状況の真理を見ようと決意すればいいのです。
・日本の神社仏閣建築がすばらしいのは、どんな建築物においても空間こそがもっとも大事であると認識されているからです。空間を占める物体は空間に従属します。空間自体が神聖なものであり、物体はあくまで聖なる空間を一定の形に形作るために使われています。形と空間が協力し合っているので、無の空間と見えるのは実は形が生まれたり消えたりする子宮だと言えます。自分自身がその無のなかに流れこんでいくのを体験してください。そうすると、精神界の基本的な真理を実際に体験できます。
・(禅寺の砂山)この庭を設計した人は、分離が幻想にすぎないと知っていて、こうした意識の変化を視覚を通して体験できるような場を作ったのです。この庭を設計した禅僧の技術は、いまもこうして人々が腹の仏陀の目で見ることを可能にしています。分離、そして“一なるもの”、そしてまた分離。これがこの世の本当の姿です。両方の見方が可能です。何かを眺めているときに突然奇跡が起きて、人はこれまでとまったく違う見方に目覚めることがあります。
・あなたはこれまで神を探してきましたが、あなた自身が神の体験だということを忘れています。現在の人生が自分の求めてきたものだとはとても信じられないので、現在の体験を別の名前で呼んで、それとは別の何かを求めて、果てしない時間とエネルギーを使っています。いまここにあるものが<それ>なのです。いま現在の瞬間に専念して、何も考えずにこの瞬間をありのままに感じつづけることができたら、そうした体験も神なのだとわかるようになります。
・自分の体験のなかに“大いなる光”があるのがわからないからです。これがどういうことなのか、発見してください。どこかほかのところに“大いなる光”を探しに行っても決して見つかりません。なぜならいまここで起きていることのなかにすでにあるのですから。
・覚醒を妨げる最大の障害は、自分は覚醒していないという思い込みです。
・自分に向かって、『誰が怒っているのか』、『誰が腹をすかせているのか』と質問して、そのままじっとしていてください。この『誰が』という質問を真剣な気持ちで発したあと、神経をとぎすましてじっと待ちます。自分はもう答えを知っているなどと思わないでください。
・一見切り離された別個のものに見える物がほかの何かとつながっているという事実に気づいてください。言葉にしないで、ただつながりに気づくように。目に見えるすべてのものを含む何かが存在します。それら全部を包み込む膨大な<何か>の存在に気づいてほしいのです。
・自分の意識を向けたところから真実が姿をあらわす、という宇宙の法則を忘れないように。自分の意識を使って覚醒に向かってください。
・考えることに自分がどれだけ時間を費やしているか、気づいてください。思考を使って神に近づくことは不可能です。
・すべてはこの瞬間に始まり、この瞬間に終わります。それ以外は何も存在しません。この瞬間のなかにすっぽりと包まれてごらんなさい。そうすると絶え間ない思考を止められます。意識をとぎすますのです。
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‘ふつう’とは、‘複雑でないシンプルな’という意味に解釈してください。
それは凡庸という意味ではありません。
ある意味、凡庸とは意識のパワーを何かに対して使うということをしていないので、
ダイナミックで美しさに溢れ、生き生きとした創造性豊かなものは
何も生み出していないということです。
自分自身や自分の意識や人生が、凡庸であることを望む人はいないでしょう。
たとえば、特定の結果を望んでいる自分の反応に気づいたとき、
何度も経験している思考と感情に気づいたとき、
「この瞬間、私はどうすればふつうになれるのだろうか」
この素朴な質問に表現されたあなたの願いは、
自分がつねに正しくありたい、人より先んじていたい、
人から尊敬されたい、人から認められたいという
根強い欲求を「解き放つ」体験へと導いてくれます。
自分が「ふつう」であることを認めると、
あなたはその瞬間、何か創造性に富むダイナミックで生き生きとしたものに、
自分のなかに入ってきて、自分とともに共同作業をしてほしいと頼んだことになります。
何でも全部しなければ気がすまないとか、
何でもきちんとしないとイヤだとか、
一定のやり方でなければ落ち着かないなどという気持ちを
あなたが捨て去ると、その瞬間、創造性の入り込む余地が生まれます。
生きるとはそういうことです。
あなた方は自分で人生を生きているのだと思っています。
じつはまったくその反対なのです。
あるパワーがあり、エネルギーがあり、不可思議があり、神秘があります。
それらがあなたを生かしているのです。
あなたは自分の人生ドラマを監督していないし、行動を管理してもいません。
何かにしがみつくのをやめれば、波が岸に打ち寄せるのと同じ確実さで、
人生の流れがあなたを確実に運んでいってくれます。
あなたが、自分はふつうでない特別な存在だと感じているとしたら、
それは、ふつうの意識のすばらしさの動きよりも高いところに、
自分を置こうとしているということです。
「見つける人」の境地に入ると、そこにはふつうのものしかないのです。
そして、このふつうのものとは、愛であり、“大いなる一”であり、光であり、心の平安なのです。
ふつうでない特別なものとは、
「ふつう」の枠外に出て、それよりも偉大であろうとするエゴの働きなのです。
私があなたに考慮してほしいのは、特別でありたいという、
こうした欲求を自分の人生から捨て去ることです。
自分以外のものになろうとするとき、
あなたはその瞬間の感情を殺しているのです。
少しでも無理をしているのなら、とにかくその努力を「解き放ち」、
その瞬間のありのままの自分になってください。
自分自身になるだけでいいのです。
ふつうであることがその答えです。
それぞれの瞬間に「シンプル」であろうとすると、
どのようにしてすべてを解き放つかということがわかってきます。
解き放つことによって、それまで自分をしばりつけてきたエネルギーが放出されます。
残ったエネルギーは、もっと創造的な面に使うことができます。
たとえば、いまあなたは非常に重要な瞬間に置かれているとします。
そうした瞬間に、リラックスして、「ふつう」であることの意味を深く味わうと、
その瞬間に存在するあらゆる創造的パワーがあなたのなかに入ってきて、
あなたにインスピレーションを与えます。
インスピレーションなくしては、どんな素晴らしいことも生み出せません。
インスピレーションはエゴからは生まれません。
生きるとは…
“広大無辺の自己”から、つねにインスピレーションを与えられることなのです。
そしてそのためには、ふつうであればいいのです。
ふつうであることは、平等であることです。
ふつうであるということはどういうことなのかを、最も深い意味で理解すればするほど、
あなたはより多くのエネルギーを持てるようになります。
さまざまな欲求によって失われるエネルギーの量はじつに膨大なのです。
自分の人生をいかに輝かしくふつうにすることができるかを知りたい、
という意志を持って、自分の人生を注意深く観察してみてください。
(訳された「ふつう」の原文は何だったのでしょうね、気になります)
バーソロミューと呼ばれるエネルギーについて。
メアリーマーガレット・ムーアさんを通しての交信が1997年から1995年まで行われていました。
バーソロミューの言葉より
「わたしたちは、師という代わりにヘルパーという言葉を使いたいと思います。
ただ概念を教えるのではなく、
いつでも助けの手を伸ばす用意のある者という意味でヘルパーです。
<バーソロミュー>というエネルギーがメアリーマーガレットを通して語りかけるという形の
アプローチをやめることにしたのは、ひとつには、
バーソロミューからの援助が彼女の体を通してしか得られないという
考えを取り除きたいからです。
わたしと話すのに自分以外の人間の存在は必要ではありません。
バーソロミューの助けを求めるには
心を開いてそう決心するだけでよいのだと知っていると、
他の人たちが仏陀やキリスト意識の助けを求めるのと同じやり方で助けを得ることができます。
こうしたエネルギーは結局はあなた方に手を貸す友人にすぎません。
わたしたちを何か特別なものにすればするほど、わたしたちとあなた方との距離が開きます。
必要なときに助けを求めることは、その人の成熟度を示すバロメーターのひとつです。
自分ひとりで何でもできるつもりでいると、不必要な苦しみを味わうことになります」
バーソロミューの本のタイトルに共通して使われているのが「brother」という言葉。
訳者の方も「brother」の訳は、日本においては、
“同胞”または“友人”という言葉のほうが対等感があるでしょうと述べています。
また、「聖霊」↓という言葉も日本においては他の表現の方がピンとくるかもしれませんね。
言葉そのものより指し示すものを感じ取った方がいいのかも。
多くの人にとって聖霊とは知的概念にすぎません。
私の定義では、聖霊とは、想像もつかないほどの巨大なエネルギー源で、
人間のエネルギー域とつながる電磁域を持っているものです。
あなた方が肉体と呼ぶ物質機構のなかには、
細胞のなかに存在する電磁的磁石があり、
私たちが聖霊のパワーと呼ぶ電磁域と連結します。
この電磁域を誘発するのは、あなたの意志です。
「このすばらしい電磁流のスイッチを入れるのは私の責任です」と。
違う次元の意識が、許可なくあなたの電磁域に押し入ることは、
個人の尊厳の侵害であり、許されないことです。
その選択はいつもあなたにあります。
世の中に尽くしたいと、自分が何か高尚なことをしなければならないと
イメージを抱いている人がいますが、私が言う奉仕者とは、
日々の生活のなかで意識的にスイッチを入れ、電磁流がとぎれないようにする人のことです。
つながることを知っており、そうすることで、
自分のまわりのエネルギー域が異なったパワーを帯びることを知っている人です。
そうなると、その人は外側からではなく、内側から変化しはじめます。
宇宙の調和とともに生きることを決心した人には、
“大宇宙”のあらゆるエネルギーがその人を助けるために集まってきます。
バーソロミューは、本当に不思議なくらいタイミングよく
助けの手を差し伸べてくれる存在であることを気づかされることが多々あります。
そういったエネルギーの存在からのサポートは、きっとそれぞれに。。。
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