ガンガジ

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『ポケットの中のダイヤモンド』本や記事を読まれた方へ
情報、知識、知識欲、またサポートについてはこちらのブログ↓からもなんとなく読みとれるかも。
 
 
GANGAJI  私たちの本質
 
以下↓本文〜順不同
 
この本を読むうちにどんな疑問が浮かんだとしても、
それに対する最も直接的な答えはただ、「自分を開く」です。
言葉を理解する必要はありません。
ただ・・・・・
 
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精神的探究を進める中で、取り除く必要がある障害の一つは、
真理、完璧さ、あるいは覚醒を自分の外に求めようとする習慣です。
この、硬く凝り固まった信念を解きほぐすためには、
これがそもそもどのようにして発生するのかを理解することが重要です。
 
意識が存在するために何の概念も必要ない、ということに気づくその永遠の一瞬、
概念と自己の同一視は忘れ去られます。
これは必要不可欠な経験です。
 
自己探求が、苦悩を防ぐバリアを築くための巧妙なテクニックになってしまったのに気づいたら、
まず、そのことを正直に認めることが大切です。
 
一般的に、ほとんどの人は何かしらの苦痛から逃れようとしています。
それはたいがい、子供時代に充たされなかったニーズが原因となっている幼児期の苦痛です。
 
抵抗を止め、逃げ出そうとするのを止める、という選択をしたとき、
否応なく、見事に、何の努力も必要とせずに、
あなたという存在の宝物が、あなたの真実の姿として現れます。
 
自分にこう尋ねてごらんなさい。
「自分は何から逃げようとしているのだろうか?」
 
凝り固まった苦しみのパターンはどれも、
恐れという核心的な感情を避けようとすることから生まれますが、
本当の問題は恐れではありません。
問題なのは、そしてそこから派生する混乱はすべて、
恐れを本当に経験するのを避けるために起こる理性の活動です。
恐れと向き合う・・・ 
コツは、恐れと向き合うのを私たちが常に避けているということに気づくことです。
 
あなたの人生における混乱は、あなたがあなたに取り憑いたものを避けようとしている、
あるいはあなたが欲しいものを掴もうと追いかけている、そのどちらかの結果です。
 
恐れとは不思議な生き物です。
それは、その存在に対する抵抗があるときにだけ存在するのです!
 
精神的成熟とは、自分は人生をコントロールできない、ということに
気づいているかどうかにかかっています。
コントロールを手放すというのは、もっと深い意味でリラックスすることです。
ここでコントロールとサポートの違いをはっきりさせておきたいと思います。
なぜなら、コントロールが可能だと思うことからは多くの不幸が生まれ、
サポートを提供することから人は大いなる喜びを得るからです。
コントロールしたいという願望を手放すことであなたは自分が充ち足りるのを感じ、
そしてこの充足感によってサポートを提供できるのです。
 
悟りを得たい、という願望は問題ではありません。
問題なのは、悟りが自分をある特定の結果に導いてくれるとか、
特定の姿、特定の気持ちにしてくれる、と期待することです。
すべての期待を捨て去って、ただここに存在してごらんなさい。
何もかも捨てるのです。
何ひとつ持たなくなったとき、あなたに残されたのはただあなた自身です。
 
真の自由を見つけるためには、自分が何を守ろうとし、何を失うのを恐れているかを
追究してみることが役に立ちます。
自己探求とは、
あなたの思考や理性の戦略の原動力となっている力とついに対峙する、ということです。
その力はいつも結局は、失うことに対する恐れに行き着きます。
 
あなたがこれを読んでいるということは、
あなたは自分の中に平和を見いだすことを望んでいるのだと思います。
つまり、ほかの人が平和を生み出してくれるのを待っているのではないということです。
それは朗報です。
なぜなら戦争とはいつも、ほかの人を自分たちのやり方に従わせること、
それによって自分たちが平和に暮らせることを目的としているからです。
自分自身の内面に注意を向ければ、あなた自身の中に、
全体主義、憎悪、復讐、固執といった、戦争へとつながりやすい傾向があることに気づくでしょう。
そして、こういった傾向が絶え間なく苦しみを生み出していることにあなたは気づくはずです。
あなたには、今この瞬間、平安を手に入れることができます。
私たち一人ひとり、全員が、自分自身の内面の平和に責任を持たない限り、
戦争はなくなりません。
程度はどうあれ、あなた自身の頭の中で行われている戦争はどれも、
一つの確信に基づいています。
自分は、両親や子供、恋人、そして敵とは分離した、別の存在であるという思い込みです。
すべての戦争は、私たちが自分の本当の姿を知らず、一人ひとり隔離された存在である、と
錯覚することに原因があります。
全体、平和、愛から切り離された存在であると固く信じてしまうと、あなたは自分を防衛します。
その防衛は、自己認識や領土意識と関連し、さまざまな形をとります。
それは思考にすぎません。
自分はどういう人間である、という思考は計り知れない力を持っています。
なぜなら、あなたはすべての現実をこのフィルターを通して体験するからです。
・・・・・
 
問題について考えるためには、まず過去の記憶を呼び起こして、
「問題」とされる物語を思い起こす必要があることがわかるでしょうか。
それをするかどうかはあなたの選択次第です。
そして、その選択肢はあなたの人生のすべての瞬間に存在しています。
 
自分は被害者だという物語を自分に語ってなどいないという確信があり、
それでも苦しみがなくならないようなら、
あなたは自分に嘘をついているのではないかと思います。
 
人間が引き起こすおぞましい物語のすべてを直視するとき、
そこから学ぶことは多く、あなたは謙虚な気持ちにならざるをえません。
けれどもあなたは同時に、
物語を生かし続けるためにはどれほどの努力が必要かにも気づくはずです。
物語を生かし続けるためにつぎ込む注意と努力は、実は
「許さない」ということについて瞑想しているようなものであることがわかりますね。
物語を再現し続けるのはあなたのエネルギーを浪費します。
 
いわゆる「精神生活」を送る上で注意しなくてはならないことの一つは、
自我が、精神的な生活を、傷心、困難なこと、
そして止むことのない憎悪、報復、戦争の連鎖からの逃げ道に使おうとすることです。
人間のあらゆる美しさ、あらゆるどうしようもなさ、
そのすべてを含めた一切合切に向かって心を開き、受け入れることよりも、
それらを超越したいという欲望のほうが大きくなるのです。
自由になる用意ができている、ということは、言い換えれば、
人生のどんな側面からも逃げることはできないということを認識し、
いつかは逃れられると夢見ることも止める、ということです。
その意思が強ければ強いほど、もっと完全に今、ここに在ることができるようになります。
ここで起こることは何であれ、ここで対処することが可能です。
 
ただ静観していてごらんなさい。
わからないということの中で、無防備なまま、静かにしていてごらんなさい。
真実の、永続する発見というのは、
あなたがこれまで誰かから聞いたりどこかで読んだものとは違います。
それはあなた自身が直接体験することなのです。
 
心が傷つく痛みを感じまいとし、
何がどうあるべきであるかをわかっていようとするとき、私たちには自由はありません。
 
世界各地で起こっている苦難は恐ろしいものではありますが、
それらは私たちの日々のトランス状態を刺し貫き、
今、この瞬間、本当にここに在るものを経験するための入口となってくれます。
 
私たちが自分の頭の中にどんな憎しみと非難のパターンを持ち、
そしてそれがどのように世界情勢に映し出されているかに気づくためには、
覚醒は必須です。
自分自身のそれを止めなければならないのです。
自分の内側に、そして外側に生み出している戦争の連鎖をストップする力を、
私たちはみな持っています。
直接体験によって、どんな習慣的な思い込みも、一瞬のうちに消えることがあります。
 
あなたがどんな状況に置かれていようと、あなたは今、この瞬間、ここで、
平和の完全さを体験することができます。
痛みを抱合する喜び、憎しみを抱合する愛、戦争を抱合する平和を
見つけることがあなたにはできるのです。
 
自己探求とは、
人生から切り離された行為でも、ここでないどこかに到達するための方法でもなく、
すべての瞬間のうちに新しく見つける、それがヴィジランスです。
(ヴィジランス・・・常に意識を最大に広げた状態でいること)
ヴィジランスとは、あなたの本当の姿、
すなわち、純粋で自由な意識に忠実に生きる、という決意を意味します。
ヴィジランスとは、一瞬一瞬、すべてを内包する真理にその身を委ねる、という心構えです。
あなたの人生のすべての一瞬一瞬にヴィジランスを受け入れるとき、
ヴィジランスを「行う」という概念は消えます。
 
昔からずっと、人は霊的な理解を、自我を大きく見せることに利用してきました。
ですから、その種の驕りが生まれる可能性があることに気をつけてください。
ヴィジランスとは、その誘惑が生まれるのに気づくこと、つまり、
自分が何か特別なものを持った誰か特別な人であろうとしている、ということに気づくことです。
この傲慢さに気がつけば、その力を阻むことができます。
そう、驕りは生まれます。生まれるままにしておきなさい。
そしてその痛みを経験し、その虚偽をあらわにするのです。
本当のことを言いなさい。
あなたの本当の姿を受け入れれば、その真実があなたの人生を導いてくれます。
 
あなたは、自らを探究する自覚そのものであり、
自らを、あらゆるところ、形のないもの、形あるすべてのものの中に発見しているのです。

 
あなたが真剣に、目覚めた状態で生きると決意するとき、その決意は試されます。
自分が再び何かと自分を同一視してしまう、ということもあるでしょう。
そうだとしたら、それに伴う苦しみによって、
どんな傲慢さ、無覚醒状態、否定、あるいは何か昔からの物語に対する思い入れが
いまだに信じられているかがわかるでしょう。
そしてあなたの謙虚さは絶えず深まり続け、
それが、目覚めて生きることへのより強い決意をもたらすでしょう。
 
思考の後ろで、あらゆる思考に気づいているもの、それを体感してください。
 
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 いつかのガーデンプレイス↑
 
本書からは心強いサポートを得ることができるかも
 
こちらのブログの続きです↓
ポケットの中のダイアモンド〜あなたの真の輝きを発見する〜ガンガジ著/
序文 エックハルト・トール
  
 
↑『CHORAL-Ⅰ』が入った高橋全さんのCD「ダンス・オブ・シルエット」はこちら↓視聴も♪
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〜エックハルト・トール氏の序文〜
精神的な探究の道程も終わりに近づき、
希釈されていない真理を受け取る準備のできている探究者。
この本は、急激にその数を増やしつつあるそんな人々のためのものである。
 
『私とは起きる出来事のことではない。出来事の起きるスペース(空間)、それが私である』
すべての出来事が起きるスペースとは何か?
それは形以前の意識そのものである。
・・・・・
分裂した自我は癒され、あなたは再び完全な存在となる。
つまり、突然、意識がそれ自身を意識するのだ。
この世に覚醒をもたらそうとする宇宙の進化衝動と足並みを揃える。
 
仮にあなたの人生が苦しみと過ちの連続であったとしても、
この知覚さえ手にすることができればあなたの人生は価値を取り戻し、
一見何の価値もないように見えたものが、振り返れば重要な意味を持つものとなる。
あなたが犯した過ちのすべてが今この地点、
つまりこの気づきにあなたを導いたのだとすれば、それらは過ちなどでは決してなかったのだ。
 
あなたが今これを読んでいるという事実は、
この集団覚醒(宇宙的規模の進化的変容、形象との自己同一化という夢、
自己と他者の乖離という夢からの覚醒のプロセスの一部)という
素晴らしい冒険に欠かせない一部となることが、
あなたに運命づけられている、ということを意味するのだ。
 
この本には物語は登場しないし、その必要もない。
言葉そのものが、稀に見る生命感と、変化を誘う力に満ち溢れているのだ。
それは、これらの言葉が、頭の中に蓄積された知識から来ているのではなく、
真実に関する生きた気づきから生まれているからである。
 
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以下、本文から抜粋(順不同)
 
私が「静止する」、「探すのを止(や)める」と言うとき、私はただ、
何かを得ようとする傾向が私たちにあるということを示しているにすぎません。
 
意識は「もの」ではありません。それは「今ここ」そのものです。
 
私たちはおそらく、肉体以上に、理性と自己を同一視しています。
理性という言葉で私が意味するのは、
「私とはこの肉体であり、私はこういう人であると思う。したがってこれが現実である」
というような思考のことです。
 
理性には私たちを導く力はありません。
発見したり追随したりすることはできても、先導することはできないのです。
理性は敵ではありません。
それ自体は何も問題ありません。
悲劇は、理性による結論が現実であると私たちが信じてしまう点にあります。
今あなたが追い求めているものが、俗世的なものであろうと精神的なものであろうと、
それを止(や)めてごらんなさい。
 
あなたはこれまでたくさんのことを知るのに成功してきたので、
一生懸命頑張りさえすれば真理を知ることができるのではないか、と願っています。
けれども真の自由の実現は、理性を必死に働かせるというのとは正反対のものです。
ここであなたが頑張らなくてはいけないのは、
理性によって自由が手に入るという希望を捨てることです。
心(つまり愛)や、悟り(つまり真理)を理性によって手に入れる、そんな希望を捨てるのです。
そのことに気づくとき、あなたはおのずと真実の前にひれ伏すでしょう。
 
自我もその発展形である超自我も、素晴らしいものです。
そこには本質的に何の問題もありません。
問題が生じるのは、これらがあなたの注意と生命力を独占してしまうときです。
そうなるとあなたは、人生を自然にかつありのままに経験することができなくなり、
自分の中で繰り広げられる戦いばかりに注意が注がれるようになってしまいます。
「私はこうだ」と自分を定義する声と、
それに対する「お前はもっとこうあるべきだ」という声の対立です。
この分離に気づくとき、あなたの中の激しい戦い、特に「精神的」な分野において、
超自我が自我を追い払おうとしているのが露呈します。
相手を排除したがっているのは超自我だけです。
自我の排除は究極のコントロールです。
 
お話してきた探究の中であなたは、あなたがあなた自身に語る、
あるいはあなたを囲む文化があなたに語ってきた、あなたは何者か、
ということについての物語に気づいたかもしれません。
あなたは自分に物語を語り聞かせてはいませんか?
あなたが持っているもの、いないもの、あなたに必要なもの、不要なもの、
あなたの悲しみ、喜び・・・
あなたは、個人的な物語を語るのを止(や)める気がありますか?
本当のことを言う気がありますか?
自分に物語を語り聞かせるのを止めるには、ほんの一瞬もかかりません。
たとえそれがよい物語であったとしても、
それを語ることに溺れるのを止めさえすれば、たちどころに真実を経験することができます。
たった今、自分の物語を語るのをお止めなさい。
 
今、この瞬間、努力しなくてもそこにあるものの存在に気づいてごらんなさい。
これは、最も簡単で、最もシンプルで、そして最も自明の真理です。
このことが長年にわたり知られずに来たのは、
それがあまりにもシンプルで、すぐにも手に入るものだからです。
 
永続性のないものには本質的な真実はありません。
このことを完全に認めるとき、すべての思考活動は停止します。
 
思考活動は常に、何かを否定する、
あるいは何かをつかまえようとすることが土台になっています。
思考が否定するものもしがみついているものも、すべては一時的なものです。
あなたの理性がこの真実を受け入れるとき、思考活動は行き場を失い、思考は静止します。
 
私があなたに提案している「止(や)める」とは、
思考に思考を重ねないこと
過去の出来事を頭の中で繰り返し、夢想に耽らないということです。
「止める」にはまず、理性の活動に気づきつつ、それに従わないことです。
理性の活動を追わない、というのは、理性に逆らったり思考を抑制するのとは違います。
思考を追いかけ、物語をさらに膨らませてしまうと、本当のあなたでいることがいかにシンプルで、
素晴らしく簡単なことであるかに気づくことはできません。
 
感情を押し殺しもせず表にも出さないという、もう一つ別の可能性があります。
私はそれを「直接体験」と呼びます。
ある感情を直接体験するというのは、それを否定もせず、それに溺れることもしない、
ということであり、それはその感情についてどんな物語も存在しない、
ということを意味します。
 
意識の中で生まれるどんな感情も、意識によって完全に対峙することができます。
物語や分析に身を隠す必要はありません。
理性の働きには従わず、ただじっとして湧き上がる感情のすべてを完全に経験するという意思が
あなたにあれば、あなたにはそうした感情は存在しないことがわかるはずです。
感情とはただ思考によってのみつなぎ合わされています。
あなたが本気で「いらっしゃい」と言い、そしてあなたの心が本当に開かれていたならば、
感情は湧き上がることはできません。
なぜならその瞬間、あなたはそれについて何の物語も語っていないからです。
 
私は、パパジが私にくれた招待状を、そのままあなたに贈ります。
今この瞬間、その場で止まってごらんなさい。
あなたが、充足を与えてくれると思うもの、
真実を与えてくれると思うものが何であれ、
それを手に入れようという努力をすべて ( や )めてごらんなさい。
必要なのは、ほんの一瞬、本当にそれを止めることだけです。
 
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たとえば
「この人の話を聴けば何か変わるかもしれない」
「何かヒントになる情報があるかもしれない」
そして
ワクワク感が訪れてはまた去り、の繰り返し
「一体いつまで続くのだろう」
「正直、もううんざり」
覚醒、悟り、目覚め、アセンション、真理、瞑想等々の‘知識’が十分なほどあるのに、
いつになったら“本当に欲しいもの”が見つかるのだろう?
そんな思いがよぎるとき
 
また
精神性を高めるために得た(学んだつもりの)情報が、正しいものとしがみついていると
次々と新たな葛藤を生んだりします。
戦争とはどういうものなのかわかっているつもりが
自分に適さないと思っているもの(相手の言動やダメな自分、ネガティブな感情等々)を排除しようと
頭(思考)のなかで争いを繰り返したり。
「そうだから、いけない」
「そんなことを言ってはいけない」
「どうしてイライラさせるのだろう」
「あ、また責めてしまった」
「どうして繰り返すのだろう」
それこそ、思考が次々と重なり自分の正しさを顕示しようと
果ては躍起になって疲れてしまう経験
 
きっと著者のガンガジは同様の経験をしているのだと思われます。
 
こんなときも、あんなときも、今ここに立ち戻る機会なのですよ、とサポートしています。
 
ピンポイントに、正直に、そして真摯に語られている文章から得られるものは
人によっては、大いなる解放となるとてつもない自由かもしれません。
 
なぜ、‘いまここ’なのか?
今までのすべてをつなげてくれるそんな本から
「おかえり!」と聞こえてくるようです。
 
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つづく。。。

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