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初女さんの言葉


『 ずっとこのことを話したかったの


ずっとこのことを書きたかったの


ずっとこのことを伝えたかったの


透明のこと。


いちばん大事なのは、待つことです。


母性に立ち返るとき、


問題は解決します。


「いのちのうつしかえ」のとき、人も透明になるのです。
 
透明だと、ほんとうに、生きやすい。


何かになろうとしなくても、


それは自分の中にすでにあるものです。


透明になって真実に生きていれば、


それがいつか必ず真実となってあらわれます。


だからわたしたちに今できることは、


ただ精一杯、真面目にていねいに生きていく、

これだけだと思うのです。 』



透 明 / い の ち の う つ し か え

『 「森のイスキア」は悩みを抱えた人たちを手料理でもてなす場です。 
・・・
なぜ食べるだけで、これほど変わるのでしょうか。
わたしはお米や野菜、すべての食材にいのちがあると考えています。
そのいのちを食べることで、
わたしたちの口を通じて体に入り、一緒に生きていくからだと思うのです。
だからこそわたしは、
その食材のいのちを生かすように調理したいとつねに思っています。 』


『 緑の野菜をお湯でゆがくとき、
これまでの緑よりもいっそう鮮やかな緑に輝く瞬間があります。
この一瞬を逃さず野菜をお湯から引き上げて冷やして食べると、
とてもおいしい。
野菜のいのちがわたしたちの体に入り、生涯一緒に生き続ける
これを“いのちのうつしかえ”と呼んでいますが、
このとき野菜の茎を切ってみると透明になっている。 
“地球交響曲(ガイアシンフォニー)”の龍村仁監督は、
「透明になった野菜に味付けすると、野菜がそれを“受け入れる”から、
いちばん味がしみこむのだ」とおっしゃいました。 
緑の野菜だけでなく、
何でもいのちが変わるときは透明になります。 』


聞 く  /  寄 り 添 う
 
『 お話を聞くときは、
視線を合わせ、その人が話していることをそのまま聞かなくてはダメなので、
どういう内容であっても、まず受け入れます。
こちらの感情を入れずに、心を空っぽにして、その人の話を
そのまま正しく聞いていきます。 』


『 わたしは自分の意見は最後までほとんど言いません。
わたしは話を聞いて答えは出さなくてもいいと思っています。
いい答えを出そうと思うほうがダメ。
その苦しみを受け入れてくれる人がいれば、
その人は素直な気持ちになれるので、
その答えが見えやすくなります。
答えは必ず自分の中にありますから、
それを自分で気づくのがいちばんいいお答えになるのです。 』

『 自分は無力だなと思っても、
ただそばにいるだけで大きな力になります。 』


多 様 性
 
ガイアシンフォニー第二番の冒頭の言葉より
『 多様なものが多様なままに共に生きる。
それは生命の摂理であり宇宙の摂理である。 』
『 「生物多様性」というのは難しく考えることではなく、
わたしたちの生活そのものの中にあると感じました。 』
『 友人の話を聞いていてふと、ぬか漬けこそが
「多様なものが多様なままに共に生きる」、
つまり「生物多様性」なのだ、と気づいたのです。 』
『 人と人の出会いもまったく同じもの。
わたしたちもみんな、
ぬか漬けのようにいいところを出し合って生きていけばいい。 』


 
先日のブログ『職業としての小説家』でも
田口ランディさんや村上氏と河合先生の
一風変わった初対面の場についてちょっと紹介しましたが、
この書でも、
初女さんと作家の柳田邦男氏との独特の出会いが書かれています。
第4章 “無限の安心感”に包まれる「心」の作法です。
『 一目で人を判断するようなことはいけないことだなと
わたしにもわかったのです。 』



第5章は対談形式になっていて、それぞれの観点から
“透明”をお話されています。
佐藤初女さん   ×  芳村思風さん
 佐藤初女さん   ×  晴佐久昌英さん
佐藤初女さん    ×  池川明さん


 
上記のサイトで詳しく紹介されています。


他のサイトで見かけた初女さんの言葉より
『 さすがに80歳をすぎてから、一人息子に先立たれたときには
余りにも思いがけないことなので言葉を失いました。
しかし、いくら人間が緻密な計算をしたところで現実はそうはいきません。
息子を思い出したときや亡くなった人の話をした時には
その人が傍にいてくれると確信しています。
それが復活だと思うのです。 』


 
『 お米「ひと粒ひと粒」を大切にすると、
「一人ひとり」にやさしくなれる 』



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2015・4月に出版記念講演会があり、
はじめて初女さんのお話を聴いてまいりました。
たまたま見かけたことで知ったのですが、
そういった流れには、毎度新鮮なよろこびがあるものです。


以前に、初女さんを知ったとき、すぐ思い浮かべたのが
『モモ』(ミヒャエル・エンデ作)でした。
どなたかもお話されていましたが。


そう、初女さんはモモと同じだなぁ〜と。
『 小さなモモにできたこと、それはほかでもありません。
あいての話を聞くことでした
なあんだ、そんなこと、とみなさんは言うでしょうね。
話を聞くなんて、
だれにだってできるじゃないかって。
でもそれはまちがいです。
ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいないものです


モモに話を聞いてもらっていると、
ばかな人にもきゅうにまともな考えがうかんできます。
モモがそういう考えをひきだすようなことを言ったり、
質問したりした、というわけではないのです。
ただじっとすわって、注意ぶかく聞いているだけです。 』


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ゲリー・ボーネルさんの言葉です。
『 もし、あなたが誰かを、本当に心から承認したとします。
ただ存在を認める・・・、
それだけで相手の葛藤が解放されていくのです。 』
素敵な魔法です。


 
以前、ツイッターで‘たそ’さんが次のように述べていました。
『 他者への過剰なアドバイスは
「話を聞いて貰っていない」
という内側のあなたが発しているサインです
過剰に誰かに何かを伝えたい
それは
私の声を聞いて欲しいという
傷ついたあなた自身の声を聞いていないから
外側にエネルギーを放出しないで
あなたはあなたの世話を優先させてください 』
あ〜このブログはそうしてうまれたんだなぁ〜と
そう気づいた瞬間でもありました。

 
 
『モモ』(ミヒャエル・エンデ作)ブログ


 

2016年2月15日追記
追悼
2016年2月1日、佐藤初女さんが 天に召されました。

感謝しかありません。ありがとうございました。



『海辺のカフカ』舞台での印象的な台詞を。↓
 
「 私は昔、雷についての本を書いたことがあるの。
(省略)
でもほとんど売れなかった。
そこには結論というものがなかったの。
そして結論がないような本を誰も読みたがらなかった。
結論がないのは私にはとても自然なことに思えたんだけれど 」

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もしかすると、習慣になっているかもしれない、答えを探すこと=結論を導くこと。
しかも、それは直観的に求めたものではなく、
学校生活で身についた作法のようなもので
答えを出しておくと安心できるから、とか、
きっとこれが正しいから、といった類いのもの。
案外自分では気づかないのだが、結論を求める動機が‘不安’だったりするのだ。
それが自分の思いどおりにしようとする
‘コントロール’のきっかけになってしまったりもする。


 だから、このセリフを耳にしたとき
「あ〜そうだった」と、腑に落ちたようにしっくりきたのかもしれません。

そしてそれをとても印象づけたのは、
読んだばかりの村上春樹氏の新書『職業としての小説家』でした。
“結論”について、貴重な自論を展開されています。


『 経験から申し上げますと、結論を出す必要に迫られるものごとというのは、
僕らが考えているよりずっと少ないみたいです。
僕らは――短絡的なものであるにせよ、長期的なものであるにせよ―
結論というものを本当はそれほど必要としていないんじゃないかという気がするくらいです。 』


 また
『 よくアンケートなんかで「どちらともいえない」という項目がありますが、
僕としてはむしろ「今のところどちらともいえない」という項目があるといいなと、
いつも思ってしまいます。 』
と続けていますが、思わずこちらも頷いてしまいます。
断言を求められるものは、
またすぐ変わるかもしれないという思いも根底にあるので、
なんか違うなぁ〜というこだわりのようなものが常に湧き上がり、
いつも困ってしまいます。
結局そういった答えや問いには、
あくまで「今のところは」と捉えるといいのかもしれませんね。


この本のなかにも書かれているように
ありのままに受け入れることと、結論を出すこと、結論を急ぐことは、
意外と大きく違ってくるように思えます。


 ‘結論’というものの捉え方が人の生きザマでもあるのかもしれませんが。


 そして、ここで述べている職業としての‘小説家’というのは、
人生の‘観察者’として
置き換える(読み換える)ことが出来るかもしれません。
それも想定内、きっと気づいて書かれて(シェアして)いるのでしょう。
ひとつの生き方を愉快に覗きながら
我が身にもおおいに参考になる、
そんなテキストのような本だと思います。


 以下、幾つか…


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 次の‘奇跡’のような出来事は、意外と身近で起こっているのかもしれません。
‘奇跡’という簡単な言葉では片づけたくない、
それはそれは豊かな体験です。


 『 返済するお金がどうしても工面できなくて、
夫婦でうつむきながら深夜の道を歩いていて、
くちゃくちゃになったむき出しのお金を拾ったことがあります。
シンクロニシティーと言えばいいのか、何かの導きと言えばいいのか…
(僕の人生にはなぜかときどきこういう不可思議なことが起こります) 』


 『 僕は三十数年前の春の午後に神宮球場の外野席で、
自分の手のひらにひらひらと降ってきたものの感触をまだはっきり覚えていますし、
その一年後に、やはり春の昼下がりに、怪我をした鳩の温もりを、
同じ手のひらに記憶しています。
僕にとってそのような記憶が意味するのは、
自分の中にあるはずの何かを信じることであり、
それが育むであろう可能性を夢見ることでもあります。
そういう感触が自分の内にいまだに残っているというのは、
本当に素晴らしいことです。 』


 常々どうかと思っていた、
‘勝手に残念だったで賞’ の‘文学賞’についても語っています。
『 一律に論じることはできない。だから一律に論じてほしくもない。 』


 ↑それぞれの‘流れ’の一環なのでしょう。ある意味完璧な。

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 『 何がどうしても必要で、何がそれほど必要ではないか、
どのようにして見極めていけばいいのか?
自分自身の経験から言いますと、
すごく単純な話ですが、
「それをしているとき、あなたは楽しい気持ちになれますか?」
というのがひとつの基準になるだろうと思います。 』


 『 あらゆる表現作業の根幹には、
常に豊かで自発的な喜びがなくてはなりません。 』
 
‘オリジナリティー’について、この辺りは今の世間を何か象徴しているように思えます。
イコール、自身の中でもあるのでしょう。
 『 オリジナリティーの定義…
「新鮮で、エネルギーに満ちて、そして間違いなくその人自身のものであること」 』


 『 世界はつまらなそうに見えて、
実に多くの魅力的な、謎めいた原石に満ちています。 』


 『 自分の「実感」を何より信じましょう。
たとえまわりがなんと言おうと、そんなことは関係ありません。 』


 『 自分の内なる混沌に巡り合いたければ、じっと口をつぐみ、
自分の意識の底に一人で降りていけばいいのです。
我々が直面しなくてはならない混沌は、
しっかり直面するだけの価値を持つ真の混沌は、そこにこそあります。
まさにあなたの足もとに潜んでいるのです。 』 


 『 人生というのはそんなに甘くありません。
傾向がどちらかひとつに偏れば、人は遅かれ早かれいつか必ず、
逆の側からの報復(あるいは揺れ戻し)を受けることになります。
フィジカルな力とスピリチュアルな力は、いわば二つの車の両輪なのです。
それらが互いにバランスを取って機能しているとき、
最も正しい方向性と、最も有効な力がそこに生じることになります。 』



 原発事故に触れ、次のような話も
『 話がいささか広がってしまいましたが、
僕が言いたいのは、日本の教育システムの矛盾は、そのまま社会システムの矛盾に
結びついているのだということです。 』


 『 社会の勢いが失われ、閉塞感のようなものがあちこちに生まれてきたとき、
それが最も顕著に現れ、最も強い作用を及ぼすのは教育の場です。
なぜなら子どもたちは、坑道のカナリアと同じで、
そういった濁った空気をいちばん最初に、
最も敏感に感じ取る存在であるからです。 』


 『 つまり僕にとっては読書という行為が、そのままひとつの大きな学校だったのです。 
それは僕のために建てられ、運営されているカスタムメイドの学校であり、
僕はそこで多くの大切なことを身をもって学んでいきました。 』


 『 僕がイメージしている「個の回復スペース」というのは、まさにそれに近いものです。
もしそのようなカスタムメイドの「個の回復スペース」を手に入れることができたなら、
そしてそこで自分に向いたもの、自分の背丈に合ったものを見つけ、
その可能性を自分のペースで伸ばしていくことができたなら、
うまく自然に「制度の壁」を克服していけるのではないかと思います。 
しかしそのためには、そのような心のあり方=「個としての生き方」を理解し、
評価する共同体の、あるいは家庭の後押しが必要になってきます。 』


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『 僕にとっての余地というか、「伸びしろ」は
まだ(ほとんど)無限に残されていると思っているから… 』


 
長くなるのでここでは載せられませんが、
心の深いところと、世界・社会との関係性を解いた
著者の貴重な実感も詳しく書かれていますのでそちらも必見。


 
ジョギングと創造力との関係もお話されています。


 
『 物語というのはつまり人の魂の奥底にあるものです。
人の魂の奥底にあるべきものです。
それは魂のいちばん深いところにあるからこそ、
人と人とを根元でつなぎ合わせられるものなのです。
僕は小説を書くことによって、日常的にその場所に降りていくことになります。 』


 


 また、余談ですが、田口ランディさんも述べられていた、
河合隼雄先生の独特な第一印象のお話、
村上氏の見解もそうであったように、‘受動形態’、大変興味深い話です。
(ちなみに、佐藤初女さんの『限りなく透明に凛として生きる』の中にも同様の貴重なお話があります。↓

 
今、手元にないのが残念なのですが、
リチャード・バック著『ONE―ワンー』のアイデア工場の話を思い出します。
(詳しい工場の話はありませんが以前のブログで取り上げています。↓)
それらをキャッチするアンテナ(ある能力)に気づいているということなのかもしれませんね。

『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです/村上春樹インタビュー集1997−2009』

立ち位置が違いますが、『職業としての小説家』 もより踏みこんだお話が楽しめます。

 
 『 新しい小説を書き始めるとき、僕はいつもわくわくするのです。』



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 以前のブログ、
『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです/村上春樹インタビュー集1997−2009』
検索するとすぐ出てきて驚きました。
過去の‘今のところ…’なので、今の気持ちとは多少異なるところもありますが、
多くの方に訪問いただき、感謝です。


舞台 海辺のカフカ ブログ↓


 


 




以下、三冊目の自愛メソッド本、『完全なる自愛メソッド』(完結編)から抜粋
 
 
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「自愛メソッドも記憶のひとつに過ぎない」 わたしが創った記憶なのです。
 
その必要があれば自然に広まるでしょうし、
そうでなければ段々と忘れられていくのです。
わたしが言いたいことは、気負わず、楽しく実践して欲しいということなのです。
 
 
1冊目『幸せを呼ぶ自愛メソッド』は、“問題をクリーニングしましょう。
そして、ホ・オポノポノよりも簡単に記憶をクリーニングできます”という趣旨の本でした。
2冊目『人生を創造する自愛メソッド』は、“そもそもわたしたちは完璧な存在なので、
クリーニングする必要はありません”という趣旨の本でした。
3冊目『完全なる自愛メソッド』は、“記憶こそ愛すべきものでありギフトそのもの
わたしたちは金太郎飴のようにどこを切っても完璧”という趣旨の本なのです。
 
 
わたしたちは、自分の潜在意識の記憶をそのまま現実社会に投影しています。
わたしたちがプロジェクター、潜在意識の記憶がパワーポイントのデータ、
スクリーンが現実社会だと考えてください。
プロジェクターは、パワーポイントのデータの内容をそのままスクリーンに映し出します。
スクリーンに映し出されている現実社会を、
わたしたちは動かすことができない事実だと思って生きていますが、
実はそうではありません。
パワーポイントのデータ(潜在意識の記憶)を書き換えれば、
スクリーンに映し出される内容はいくらでも変化するのです。
 
すべての問題は、潜在意識のなかにある過去の記憶が再生して起きています。
 
では、“問題がある世界”から“完全な世界”へ移行するには
どうすればいいのでしょうか。
 
「良くなりたい」と思わないことなのです。
 
“問題がある”というのは幻想に過ぎません。
 
この宇宙は完璧に創られているので、“悪いこと”は存在しないのです。
そして、“良いこと”も存在しません。
ただ、“完璧なこと”が存在しているだけなのです。
 
わたしたちが「良くなりたい」とか「変わりたい」と思った瞬間に、
宇宙に「悪いこと」を創造し、自分自身を「不完全な存在」にしてしまうのです。
 
つまり、自分を今のままでいいと思うことこそが、“完全な世界”への扉なのです。
 
愛するとはそのままでいい、つまり完璧だと思うことに他ならないのです。
 
とはいえ、現実の社会を生きていると、
わたしでも“問題”のように思えることが起きることがまだまだあります。
その時は、その問題を体験しているときに、
浮かんでくる感情を愛してあげればいいのです
すぐに押し込めずに、感情を味わって大切に扱ってあげましょう。
 
「すべては愛」「すべては完璧」
これさえ、つかめれば、あとは何もいらないのです。
 
人生とは「不完全に見える記憶を愛していくプロセス」だと言えます。
 
自分の気が済むまで、その感情を味わうのです
しっかりと(中途半端は厳禁)味わった後でその感情に対して
「愛しているよ」と言ってあげてください
 
 
宇宙は完璧に創られているので。そもそも心配も、悩みも、問題も存在しません。
ただ、そのような感情が存在しているだけのことなのです。
 
わたしたちが今悩んでいる問題は、実は、過去の出来事の再生であって、
今この瞬間のことではないのです。
わたしたちは、過去に体験した感情を再度感じているだけのことなのです。
わたしたちは、そろそろ過去に生きることを手放す時期に来ているのではないでしょうか。
 
問題にフォーカスするのを止めて、人生を楽しむことこそ、
完璧な人生を歩む最短の道なのです。
今、この瞬間を楽しむのです。
 
 
【 記憶に付随する感情をとことん味わい、そして愛する。
すなわちそのままでいいと認めることこそが、クリーニングの極意である・・・ 】
 
 
もしかすると 完結編となるこの三冊目で 疑問に思っていたことなどが解けるかもしれません...
 
 
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『自閉症の僕が跳びはねる理由』
【日本人の少年が書いたエッセイが今世界中で読まれています】
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【日常会話は出来ない直樹さんですが、
パソコンを使うと自分の考えを存分に表現できるのです。
会話が出来ないほど重度の自閉症を抱える人が
高い表現力を持つのは世界でも極めて稀なことです】
 
【幼い頃から文字に強い興味を示していた直樹さんは
キーボードを使う練習を母親と繰り返し、意思を表現できるようになりました】
 
その文章力たるや実に素晴らしいものです。
 
【直樹さんは、キーボードと同じ配列で並んだ
母親手作りの文字盤を使うと他人と会話することが可能になります】
 
直樹さん:「よくわかりませんが、みんなの記憶はたぶん線のように続いています。
けれども僕の記憶は‘点’の集まりで
僕はいつもその点の集まりを拾い集めながら記憶を辿っているのです」
  
 
イギリスの作家デイヴィッド・ミッチェル氏は
映画『クラウド アトラス』の原作者。
(下記はその映画のブログ)↓
 
 
デイヴィッドさんをはじめとする多くの親御さん、ご家族たちは
はじめはどう接すればいいのか、どう愛せばいいのか、とても戸惑うそうです。
その理解できなかった言動や
どうしても知りたかったことを
  直樹さんは媒体となって声を届けてくれたようです。
それは直樹さんにとっても簡単なことではないのですが、
最終的には、双方の感謝やよろこびの思いが溢れだし、循環します。
そして、その思いは見る者にもとてもとてもたいせつなことを教えています。
 
 
直樹さん:「誰かにとっての‘よろこび’になるのは
僕にとってもうれしいことです」
 
 
デイヴィッドさんのお話
「ナオキの言葉を借りて、息子が話かけてくれるのを感じたのです」
 
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【この本は多くの人を救うはずだと考え
すぐさま翻訳に取りかかりました。
そして世界20か国以上で出版されることになったのです】
 
 
デイヴィッドさん:「どんなものが怖いですか?」
直樹さん:「人の視線が怖いです。人はいつも刺すような視線で見ます」
 
デイヴィッドさん:「お父さんとして、どうすれば自分の息子を手伝うことが出来ますか?」
直樹さん:「僕はそのままで十分だと思います。
お子さんもお父さんのことが大好きで
そのままで十分だと思っているはずだからです」
 
「子どもが望んでいるのは親の笑顔だからです。
僕のために
誰も犠牲になっていないと
子ども時代の僕に思わせてくれたのが
僕の家族のすごいところです」
 
 
 
人のためになるならと言って承諾したMRI検査でわかったことは、
他人の意図を読み取る役割をする右脳の一部分の体積が健常者よりも大きいということ。
【ハンディキャップのあるところには その代償のための
脳をうんと発達させた部分というのがある訳ですよね。
我々は今まで このマイナスの部分に目を留めるってことが多かったんですね。
でもそうじゃなくて、代償的に伸びている部分はどこなんだろうと
それに注目をするってことがこれからの療育の中心になってくるだろうと思います。
その子の脳がよろこぶことをやってやればいいんですね】
 
  
 
桜の季節の直樹さんの言葉
「僕はきれいな桜を長く見続けることができません。
それは桜の美しさがわからないからではありません。
桜を見ていると なんだか胸がいっぱいになってしまうのです。
繰り返す波のように
心がざわざわとかき乱されてしまいます。
その理由は
感動しているせいなのか、居心地の悪さからくるものなのか
自分でもよくわかりません。
わかっているのは 僕が桜を大好きだということです」
 
絵を描いているときの直樹さん
「絵の具で色を塗っているとき 僕は色そのものになります。
目で見ている色になりきってしまうのです。
筆で色を塗っているのに
画用紙の上を自分が縦横無尽に駆けめぐっている感覚に浸ります」
 
「ものはすべて美しさをもっています。
僕たちはその美しさを自分のことのように喜ぶことができるのです」
 
 
直樹さん:「そばにいてくれる人は どうか僕たちのことで悩まないでください。
自分がつらいのは我慢できます。
しかし、自分がいることで周りを不幸にしていることには
僕たちは耐えられないのです。
思いはみんなと同じなのに それを伝える方法が見つからないのです」
 
「子どもが一番望んでいることは
自分を受け止めてくれる場所と親の笑顔です
 
 
デイヴィッドさん:「人生の成功とは何だろう?」
直樹さん:「成功からほど遠いように見える人の瞳にもきっと美しい山が映っています。
僕は自分の言葉を世界中の人に届けられた幸運に感謝し、
さらに高い山の頂上を目指すつもりです」
 
 
 
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他人の視線が怖いという人は、まずその意図を人一倍感じ取ってしまうから、なのでしょうか。
多くの方が「わかる」と感じたのでは.....
 
  
直樹さんは、つらいとき、嬉しいとき、跳びはねますが、
それもなんだか自身のなかにあるような気がしています、衝動というか本能的に。
 
まるで自分の心の奥の声を聴いているようでもありました。
 
自分自身を含む、一人ひとり違うすべての個性との向き合い方、など
まさに‘いま’を生きる直樹さんの姿はたいせつなことを伝えているように思います。
根底にあるのは案外シンプルなことなのかもしれませんが。
 
913日(土)午後305分〜再度の放送が予定されています。
 
 
【希望の物語は広がります】
 
 
 
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「世間や周囲から“誤解”されることが多い」  by 堀江さん
 
先日放映されたTV番組ですが 堀江さんが云々ということではなく
わかりやすい視点から 私たちが活用しやすいお話をされていたので
ちょっとまとめてみました。
 
テーマは“誤解”ということだと思うんですけど
実は“誤解”ではなくて “理解”されていたりするんですね
 
「なんで世間はお金のことばかり言うのかな」   by 堀江さん
“理解”とは何かというと
○○さんの(○○さん=堀江さんですが(笑)、ここでは堀江さんは関係がないので)
出している価値観が世間からかえってきているだけなんですね
○○さんが出している価値観というのは
・世間の役に立つ
・ちゃんと働いて
・お金を儲ける
というのが自分の自信になってきたじゃないですか
ゼロから積み上げてきたことが自信になってきた
それがつまり一番見えやすく、わかりやすかったのがお金だった
 
自分の価値をお金ではかるっていうのを
自分の頭の中のどこかわからないところでずっと持っていて
自分がお金ばかり見ているから
お金ばっかりが結果としてかえってきてる
こういうサイクルが出てるんじゃないかなってことをちょっと想像したんですね
で 誤解は解いていきたいじゃないですか
 
誤解を解いていくときに一番効果的な方法があって
それは誤解を解かないっていうことが一番効果的なんですね
 
というのも いくらこっちが違うと言っても 世間はそうだって言ってくるんですね
世間から見えているのは それしか見えてないから
言えば言うほどかえってくる
これはものすごい不毛のたたかいです
 
だから俺のことを誤解してもいいと
でも自分が自分のことを
本当はこんな人間だと知っておけば
絶対にいつかは理解される日が来ると思うんです
 
結局○○さんは働いているときすごく楽しいじゃないですか?
で、その根っこは
子ども時代に戻りたくないんだろうなって
あの家庭に戻りたくないために
いかに自分が遠くに行くのかってことで
頑張っておられるんじゃないかなって想像したんですけど
 
寂しさを紛らすために
前に進んできたんじゃないかなと
 
やってもやっても 手に入れても入れても
心がおさまらない限り ずーっと満足出来なくて
だから次、次…と
ずっと自分を忙しさで寂しさを紛らわせているところがあるんじゃないかって
 
もっとなかに、つまり自分が生まれ育ってきた家族というものに
もう一度思い出してみようね
かえって行こうねっていう時間が出来たはずなんです
 
本当は寂しかったんだなーって
一度ちょっと思い出してみることがいいのかなって思うんです
 
「失ったもの 取り戻せないもの それを考えたくない」
 
実は今からでも取り戻せるんですよ
 
取り戻すきっかけを一つやりますので言うとおり言ってみていただきたいんですけど
「本当は皆でゆっくり一緒にごはんを食べたかったなぁ」
「もっとかまってほしかったなぁ」
「もっとやさしくしてほしかったなぁ」
 
今まで避けてきた これを感じる時間をぜひ作ってみてほしいんです
で それをしながら
自分の心を自分で埋めていってほしいんですね
 
それがないと何が起こるかっていうと
自分は大事にされなかった人間
自分は愛されない人間という 大前提を持ってしまうんですよ
 
だから 外に
認めてもらいたい 愛してほしい もっと褒めて欲しい という大前提があるから
外に求めに行ってしまう
 
だから ○○さんの一番の誤解が
自分は大事にされていない
自分は愛されていない人間だって
〇〇さんがご自身を誤解しているから
世間が○○さんのことを誤解するんです
その誤解を解いてほしいんです
 
どこかで一度 自分の中に向かっていって確認してみてほしい
 
そこを避けて頑張るのをやめて
そっちに向かい合うことにチャレンジしてほしい
 
 
「 短所を減らして 長所を伸ばそうとしていた
今から思えば それが一番間違いだった
 
(断ったり出来るようになって)
自分の弱みをちゃんと出すようにしたら
知らんことを知らんと言えるようになった
知らないことが恥ずかしいとかレベルが低いとか そう思っていた
 
間違った自分の自信の作り方をやっていたのは
自分のダメなところを克服したら 自信がつくと思っていた
 
出来ない自分をやめた
 
皆さん 自分のことを 信じられないくらい過小評価している
 
出来ないところは決して克服してはいけません
 
自分の素晴らしさに気づいていないということは
自分が素晴らしくないということを信じているということ 
 
 

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