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オーストラリアの<真実の人>族、アボリジニの少部族である彼らと不思議な旅をした
著者の体験談である『ミュータント・メッセージ』
裏表紙から
「言葉を介さず通い合う心、手を触れるだけで癒される体・・・・・
灼熱の大地で体験する目をみはるような出来事の数々。
その中で、ひとつずつ気づかされていく本来の地球と人類の姿。
そして、120日間の旅の末に彼女が到達したものとは・・・・・」
注:アボリジニ全体ではなく、
<ワイルド・ピープル><エンシェント・ワンズ>と呼ばれる
アウトバックの小さな国の人々のお話。 読者のみなさんへ
「あなたがここに書かれたメッセージに耳を傾けるタイプなら、
それはあなたの心に強くひびくでしょう。
内臓で、心で、頭で、骨髄で感じとれるはずです。
私たちはそれぞれ自分の内にアウトバック体験を持っています。
私の場合は、たまたまそれを本物のアウトバックで体験したにすぎません。
この本のページをめくるうちに、彼らがあなたの心に触れますように。
このメッセージを自分にふさわしいところだけ味わい、残りを吐き出すのはいかがでしょうか。
とどのつまり、それが宇宙の法則なのですから」
訳者あとがきより
「自然との共存、地球環境の見直し。耳にたこができるほど聞いてきた言葉である。
だが<真実の人>族の生き方に接すると、それが単なるお題目ではなく
自分の問題としてとらえられるようになるからふしぎだ。
ベストセラーとなった理由は、おそらくここにあるのだろう。
今この世界で私たちひとりひとりになにができるか、
どう生きるかという根本的なことを彼らはじつに明快に教えてくれる」
本文より
「彼らがいうミュータントという言葉は、心と頭の状態をさしているようだ。
つまり生きる姿勢のことなのだ。
むかしの記憶や宇宙の真理を忘れたり 心を閉ざしている人のことを言っているのだ」
文明社会に生きている私たちすべてが“ミュータント”と言えるようです。
なにも持たずに生まれ、
なにも持たずに死ぬ。
私は最高に豊かな人生を、
なにも持たずに目撃した。
マルロ・モーガン
「私に変えられないものを受け入れる平和な心と、
変えられるものを変える勇気と、そのふたつの違いがわかる知恵を与えてください」 この旅同様、ふしぎな本でした。
奥底で求めていたようなメッセージに出会えるかも。
本文からの抜粋、詳細はまた後日…
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いろいろな本
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GaryBonnellBot (ツイッターより)
時は十分に満ちています。
自分自身に目覚めるために、自分が本当にすべきことを先延ばしにするのをやめ、
瞬間瞬間の行動を通して自分自身を表現していくかどうかは、あなたの選択と決意次第。 読む、というよりページをパラパラめくっていたレーネンさんの著書
『すべての人が幸せになる「魔法の言葉」』からちょっとご紹介。
人生は、そのままでよろこびです。
あなたの人生を祝福しましょう。
自分で望まなければ、あなたはこの世にいないのです。
戦争のない惑星に住みたかったのであれば、
あなたはそうしています。
肉体的な、精神的な病気のない惑星に住みたかったのであれば、
あなたはそうしています。
別の体がよかったのであれば、そうしていたのです。
劣等感を感じるのは、自分と他人とを比較し、
その人のようになろうとしているからです。
あなたは、あなたであり、ほかのだれかになることはできません。
あなたは、自分を含む宇宙のバランスを整えるため、
自分が生まれる前に選択した「完璧なあなた」なのです。
今、岐路に立っているけれど、何を選ぶべきかわからないことがあります。
そんなとき、人にアドバイスを求めてもかまいませんが、
人は自分の経験にもとづいたアイディアをあなたに与えているだけです。
人からアドバイスを受けても、自分にとって心地よくない考えは捨てていいのです。
究極的に選択するのは、あなたしかいないのです。
人間が質問をするずっと前から、宇宙にはすでに答えが存在しています。
そのため、何かしら問題が起こったときには、
自分を信じて、内なる声から答えを見つけてください。
決断をくだすときには、あれこれ考えてしまうことでしょう。
決断をくだしたあとには、選択しなかったアイディアにも感謝してください。
そうしたアイディアを宇宙に返すのです。
(「私は選択しなかったアイディアを解放します」というアファメーションをいいましょう)
そうすると、ほかの人々がその考えを利用することができます。
他人があなたに「こうしてほしい」「こうなってほしい」といったとしても、それを聞かないでください。
他人の言葉に振り回されない辛抱強さと、自分を尊敬し、尊重することを学んでください。
そうすれば、あなたは、自分と他人を比較しなくなります。
これから起こる出来事は、それがどんなものであれ、
あなたにそうした出来事に対する準備ができているから起こるのです。
だれかを心配しても、なんの役にも立ちません。
心配はネガティブなエネルギーです。
だれをも助けないし、自分のエネルギーを失うことになります。
大事なだれかを心配し、あなたの人生に必要なエネルギーを失わないでください。
「その人、その出来事に関連するすべての人の魂にとって、適切な対処が行われますように」
という客観的な姿勢で、ポジティブな祈りとヒーリング・エネルギーを送ってください。
その際、大事なことは期待を持たないことです。
見ず知らずの人に、客観的な思いやりを持つことは簡単かもしれません。が、
家族や恋人、親しい友人に感情移入を排して、客観的な思いやりを持つことは難しいことでしょう。
ただ見守ることは困難です。よかれと思い、口を挟んだり、行動しようとしてしまいます。
しかし、もっとも困難なことこそが、私たちが取り組むべき本当の課題なのです。
過去生を知ることは、自分がだれであり、なぜこの人生を生きているかを
大きな視点で理解することです。そうした意味で、価値あるものです。
過去生で有名だったこと、もしくはその逆であったことなどは、重要ではありません。
大事なことは、過去生での経験と出来事です。
すべての事柄が、大きなエネルギーの円で起こるのです。
宇宙すべてのバランスを欠いたことは、バランスが整うまで、
転生を超えてくり返し起こるのです。
人が同意しないことに同意することが大事です。
人が同意しないとき、必ずしもそれを摩擦ととらえないことです。
人は自分の好きな意見を持つ権利があります。
異なる意見が許される状況は、健康的な状況です。
自分が理解できなかったり、同意できなかったりすると、
ネガティブなエネルギーを放出する人がいます。
あなたにそのネガティブなエネルギーが向けられたときには、
自分のガイドやサポートしているスピリットにお願いして、
このエネルギーが放出された源へ戻すようにしてください。
だれが、どんなエネルギーをあなたに放出しているのかを知る必要はありません。
ネガティブなエネルギーを放出された源へ戻すことは、
あなたが他人のいい・悪いを判断せず、
自分の尊厳に値しないエネルギーを受け取らないというだけなのです。
(自分の周囲を鏡で取り囲み、跳ね返すことをイメージしてください)
人間の心はティーチャー(教えを語る人)たちに完璧さを求めます。
ティーチャーを攻撃できるポイントを見つけると、変わろうとせず、
よくなろうとはしない言い訳ができるのです。
歴史上の偉大なティーチャーと聖人(キリストやブッダなど)は、
衆人によって攻撃され、虐待されてきたことを思い出してください。
あなたは、幸せや満足、仕事の達成感、そして平和で平等な人間関係を持ち、
変化に準備ができているならば、次のアファメーションをいいましょう。
「私は、幸せや満足、仕事の達成感、
そして平和で平等な人間関係を持ち、変化に準備ができています」
そして、このアファメーション通りに生きてください。
それ以上は考えないことです。
宇宙のもたらす必要な出来事に身を任せ、流れに沿って生きてください。
期待を持つことはやめましょう。
期待によって、これから起こるすばらしい出来事をブロックしてしまいます。
「新たな経験に対する準備ができています。新しく、いつもとは違うことをするのを楽しみます」と、
毎日、アファメーションとしていってください。
偶然やってくる経験などありません。
すべての経験は、あなたのためにあります。
あらゆる出来事や人に、
「その出来事に関連するすべての人の魂にとって適切な行動が行われますように」
という祈りを捧げましょう。
ハワイを感じるイラストがなんだかほっとさせてくれる、そんな本でした。
どなたの言葉でもそうですが、まるまる全部同意ということではなく、
自分にとって心地よいものだけをチョイスしています。
またそれがオンリーワンの生き方なのかもしれない、そんなことも感じながら。
チャラマナのお二人、宮良牧子さんと上原まきさん
ハワイと沖縄が溶け合い、独特ながらも絶妙なバランスを醸し出す、そんなお二人
チュラマナのCD『チュラアロハ』 http://p.tl/G1UV
宮良牧子さんのCD
『マブイウタ』レビューより
「プロデユーサーの赤川新一さんがライナーノーツで書かれていますし宮良牧子さん本人も仰っていますが、
宮良牧子さんが唄っているというより“歌の魂”が直に唄っているのではないかという感銘すら受ける作品です。大袈裟に言ってしまうと歌を聞いてるという次元を超え、神からの御託宣を聞いている感じすらします」
「サンゴぬファーの物語」
以前のブログで紹介しましたが、こちらでも
それはそれは素晴らしい
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【すべきことなどなにも無い。やらねばならぬことなどなにも無い】
【あなたがしなくてはならないことなど何もありません】
『神との対話』から『バーソロミュー』などの本の他、いろいろな方がよく言われていること。
「あ〜これかぁ」と思う瞬間。それは身近な母をはじめ、周囲の人たちの言動から気づいたこと。きっと奥深い自身の“意図”に気づいていないのかもしれませんが、「何かを得るためには、何かをしなくてはならない」そんなことが感じられるのです。もちろん、身をもって経験してきたことですが、気がすすまないというのに「頑張らないと」とか、いつもいつも「まだまだ」と、まるで自己犠牲のような日々。偽り続けてきたために、何が自分の本心かさえわからなくなっていたりして。
【ほとんどの人は、誰かを愛するということは相手にもっと優しくするとか、もっと魅力的に見せるとか、もっと相手に気に入られるようにするとか、そういうことだと考えています。そういう考えを持っていると、とても傷つきやすい立場に自分をおくことになります。こういう愛し方は自分の外側から来るものです。他人から愛されるために、外的条件に頼っていると、うまくいきません】
他者との関わり方でとても参考になった本は、よしもとばななさんでもお馴染みなハワイに住むウィリアム・レーネンさんの著書『スピリチュアルなお話』
【あなたがだれかを不快に感じたとしても、他者を変えようとはしないでください。自分を変える、あるいはその人と人生をともにしないという選択もあるのです。すべての人に平等に与えられた権利とは、ありのままの自分でいることなのです】
【他人が何を必要としているのかを察知することはよいことですが、「あの人にとって何が最適なのだろう、私に何を望んでいるのだろう」と考え込んで時間とエネルギーを無駄にしてはいけません。大切なのは、自分にとって快適な事を基準に選択をすることです。結果が気にいらなくても又新しい選択をすればいいのです】
『スピリチュアルなお話/ウィリアム・レーネン著』 ブログ↓
『バーソロミュー』
【神とは、天真爛漫で、創造性に富んだダイナミックなエネルギーの動きであるということは、何度もくり返し言ってきました。“大いなる命”の基本的要素は喜びであり、その喜びが何であれ、その瞬間に起こっていることの自然な動きのなかから生まれるのです。“大いなる自由”は、そうした動きのなかから生まれます。“大いなる自由”を得ると、自分を裁くのをやめられます。
自分がなろうとしているものになろうとする努力をやめ、その代わり、今の自分が自分なのだ、今この瞬間がその瞬間なのだと感じるようになれば、あらゆる葛藤は終わります。悟りに達することができるのは、葛藤をやめたときだというわけです。
ラマナ・マハリジ「悟りへの唯一の障害は、自分は悟りを開いていないという考えである」
自分を求道者だとみなす癖を捨てられない人はどのくらいいるでしょうか。自分が他人より一歩先んじていると思わせるためにエゴが使う最良の武器だということがわかります。人生のほかの面で失敗した人が、「地球界ではさんざんな結果だったが、あちらの世界ではもう少しましなことができる」と考え、精神世界を追求しようとすることがよくあります。残念ながら、地球界とあちらの世界とはひとつなのです。
地球界を飛び越して、雲の上の天国でちがう意識のなかに存在することはできないのです。
悟りの境地への一番の近道は、この地球界を完全にありのままに受け入れ、自分を完全にありのままに受け入れ、他人を完全にありのまま受け入れ、自分自身を愛するように他人を愛することです。自分のほうがすぐれていると思っていると、他人を愛することはできません。それはわざとらしいへり下りの行為であっても、愛ではありません。
自分の人生をすばらしいものにするために必要な承認は、ひとつだけです。それは、今あるがままの自分を受け入れるということです。勇気をもって自分を見つめていくことによって、それができるようになります。そのような内観の結果、自分は今のままで全く問題ないのだ、ということを学びます。「命」というものが、今の自分、あるがままの自分を通して表現されている、そのあり方に人は心から感動し、その不可思議に驚きます。
自分の心のなかで自分を受け入れてください。そうすれば、世界をすべて完全に受け入れることができるようになります。
あなたがしなければならないのは、目覚めることです。
「目覚める」ということは、今まで自分の後ろに隠していたものを取りだし、自分の視野のなかにおくことです。これまでのあなたは、これ以上小さくできないというほど、自分を小さく考えてきました。思いだすことで目覚めがやってきます。必ずやってきます。目覚めてください。全人類とひとつになりきった人の目には慈しみの涙があふれ、すべてであり唯一である「大いなる一」しか見えないでしょう。「大いなる一」しかありません。あなたほどの広大無辺な存在が、どうして自分の小ささを怖れたりするのでしょうか。それは不可能です。あなたは自分の本当の姿を忘れてしまっているのです。今のあなたが自分の小ささを意識すると同じくらいのたしかさで、広大無辺を意識できるようになります。自分が何者かを思いださなければなりません。思いださなければならないのはそれだけです】
(目覚め…そういえば先日紹介した高橋全さんのニューアルバム『INFINITE LIGHTS』の中に『Mezame』という曲が。地球ラジオで聞いたばかり
↓こちらは高橋 全さんの
言葉の解釈もそれぞれ奥深くにあるブロックで屈折されてしまうこともしばしば。
心を開き、オープンでいることと言われても、それだと傷つくことが多くなるという過去の思いこみも、よくわかるような。自分が自分の解釈で自分を傷つけているということが。意図と結果が同じであること、自身の中心軸をしっかりと定めるということ、自分らしく生きるということ。「これでいいのだ〜♪」のフレーズが湧き上がってきました(笑) なるようになるんですよね、なるようにしかならないんじゃなく。
ブログの背景、模様替え
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目の前の出来事や人の行動が、過去に自分が経験したことと重なり、気になるとき、
または抵抗を感じたとき、
自分自身の中のまだ“ゆるされていないもの”(ブロック又は解放されていないもの)が明らかに。
思えば自分は過去知らず知らず我慢ばかりしていた、とか
なんだか無理をして頑張っていた、傲慢だった、自分に嘘ばかりついていた、
間違いは許さない、など諸々
つまりはありのままの自分を認めることが出来ずにいたこと、
それを認識しているにも関わらず、
同様のことが現象として目の前にあらわれているとき、思い出したこと。
【(目の当たりにしている)君の暗黒面は、君の苦悩、悲しみ、拒絶感、屈辱感などの集合体なんだ。】
ここでいう‘暗黒面’は、日常の様々な現象と捉えることができるかも
【君の暗黒面は、君の哀れみを得たところでどうにもならない。
君が(映し出された)彼を理解しようとしなければ、
彼ばかりか君自身も、決して自由になれないのだよ。】
つい、かけてしまうのが‘哀れみ’
【もしも君が、これからも彼(暗黒面)に変わるよう求めたら、保証する。
彼はまず間違いなく、さっきのように、
同じことをされたらほとんどの人間が示してくるのと同じ反応―怒り―ばかりを示してくるだろう。】
そうなんですよね…変わることばかりに囚われてしまいがち
気になることが本当に気にならなくなるためには、
たいせつな瞬間瞬間の言動で気づいていくしかないのかも
【君が自分の二元性を調和平衡させる必要性を認識したために、君の影の自己は、
超潜在意識内の住み慣れた場所に逃げ込んだ。
超潜在意識への入り口は、思考とフィーリングの間の隙間の中
(=欲望のエネルギーが発生する場所)に存在している。】
再度姿をみせるときには、さらに厄介になっているような…
【これまで長い間、怖いから見たくないと考えてきたもの――
今回の生涯、あるいは過去の生涯における不合理な恐れ――
それを正面から見据えるために、そしてその結果、それを手放すために…そのために見るのだよ。】
我慢するでもなく、怒りをおさえるでもなく、
そして相手云々ではなく、ただただ自身のなかを見つめてみた。
そうすると自然に湧き出てきたものはホ・オポノポノそのもの。
媚びるのではなく、自身のなかに湧き出たあたたかいものを素直に言動に示すことで、
事態が変わっていく…
【姿勢を変えるもっとも効果的な方法は、知的配慮をめぐらす範囲を広げることだろうね。
君はそれを、自分以外の人たちの思考と行動のパターンを、暖かく抱きしめようとすることで行える。
多様性の中に存在する美しさに、もっともっと気づこうとすることだね。
他人の中の光と闇の多様性を、裁こうとする意識を持たずに、
暖かく抱きしめることができているとき、
君は自分の二元性(暗黒面)をも同じように抱きしめることができていて、
明らかに“統合”への入り口に立っている。】
裁くことはいけないことであるという知識、頭によって、自分の感情を否定しがち
【おそらく最終的には、自分の現実を作ってきたのは自分自身であったことを認めることになる。
それを認めたとしたら、自分の人生環境の悪さを他人のせいにしたりは、もはやしなくなる。】
【君の内側を愛と理解で満たしてごらん。
愛と理解の光、そのフィーリングを送りこんでごらん】
【現時点において、人類意識は外側の世界の中で完全性を見出そうとしている。
しかし、完全性は、内側からやってくるものなんだ。】
【大事なことは、理解することではなく、体験すること。】
【神と呼ばれる創造原理は、光であり闇であるとともに、
それらの観察者なのだということ。】
「新次元の叡智〜ゲリー・ボーネル著」より ブログはこちら↓
ゲリーさんの言葉
【善悪の判断なしに、すべての感情を等しいものとしてとらえたとき、
それらの感情が持つ特定の波長(スピン)は中立化され、純粋なエネルギーに変わる。】
【葛藤がもはや感情を駆り立てなくなったとき、私たちは、
魂意識と身体意識が完全に統合された状態からの放射として、真の慈愛と歓びを感じる。】
【自己認識、自己覚知がなければ、他の人への本当の意味での貢献や奉仕はできないのです。】
エックハルト・トールさんの言葉
【わたしたちが「なにか」を受けいれると、それがどんなものでも、
わたしたちはその「なにか」を超越することができるのです。
つまり「非・平和」を超越することで、平和へと到達できるのです。
これが「受けいれること」から生まれる奇跡です。
「すでにそうであるもの」を受けいれた時・・・
すべての瞬間は、ひとつ残らず、全部極上になるのです。】
順序というか、段階を飛び越えて、ただ受け入れようとすると、それは嘘をつくことになる、ような…。
そうすると解放されていない様々な感情が暴れだし?(笑)知らせてくれるかも、ですね。
少し前、頻繁に目にしたある三桁の数字からのメッセージ
【関わりのあるすべての人に神の恵みが与えられて、
あらゆるものが本来なるべきようになると信じてください。
信頼して、すべてをゆだねましょう。】
『エンジェル・ナンバー』
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『禅語』、美しい写真とともに綴ってある言葉の奥深さ、それは心の琴線に触れる静寂なひととき
本屋さんに出かけたときに目にとまった本なのですが、
文章を書いている石井ゆかりさんの名を見て思わず微笑んでしまいました。
実は、少し前から、その独特の感性を言葉で上手に表現する石井さんに対し、
こんな風に日本語が使えたらいいなぁと密かにあこがれていたからです。
そしてページを開いてみると、今度はそのあまりに美しい写真に釘付けに
ここで紹介できないのが残念なくらい。
井上博道さんのHP http://www.asa-ban.com/photo.htm
「平常心是道 びょうじょうしんこれみち」
「ふだんの心が道である」の意。
振り子はしばらく、左右に揺れるが、だんだん振り幅が小さくなっていき、いつか、もとの場所に戻って動かなくなる。「平常心」というのは、このように「揺れても、戻ってゆく位置が一定していること」を言うのではないだろうか。
或いは、音楽では、曲の中でメロディが揺れ、音量が変化し、転調したり主役の楽器が次々に変わったりする。
でも、その曲を全体としてひとつにしているテーマやリズムは、安定していて変わらない。そういた安定的なリズムが「平常心」の仕組みなのではないだろうか。
平常心、という言葉は、「恋」と比較したときの「愛」と似ている。
恋は激しくなみだち、変化し、熱を持ったり冷めたりするけれど、愛はそうではない。
「平常心」は、いつも変わらない心、ではなく、自由に変化し反応できる心、のことを言うんだろうと思う。
「看却下 かんきゃっか」
足元を見よ、の意。足元とは、自分の日常生活やもっとも身近なもののこと。
自分の現状には、とかく、気づきにくい。家族のことや仕事のこと、タテマエや体裁など、自分の外側のことばかり気にしているうち、「自分」が自分の生活から消え、どこに立っているのかわからなくなってしまうのだ。
あの人がこれをしてくれれば、彼さえ変わってくれれば、と、私たちはしばしば、外側に期待をかける。
でも、そんなとき、本当の問題の所存は、自分の中にあったりする。
「落花流水太茫々 らっかりゅうすいただぼうぼう」
「茫々」は、果てしなく流れていく様。花が散り落ちて、それが川に流されていく光景。転じて、無心に、流れに逆らわず身を任せて生きよ、との寓意。
禅語の世界には、「止まる」ことと「動く」ことの不思議を見つめる眼が常にある。物事が移り変わり、動き、流れていく。その流れが、いつも変わらずにそこにある。変化し続けるという動きが、永遠に変化しないかのようにそこにあるのだ。「無常」とは、「常なるものは無い」、つまり「いつも同じ状態でいるということはありえない」という意味だ。健康、愛情、お金、若さなど、私たちは何かが刻々と失われていることに心を痛め続けて生きる。そうした、何かを失わずにいたい、取り戻したい、と思う心の切迫した苦痛には、終わりがない。なぜなら、どんなに努力しても、失われていくものを取り戻すことはほとんど、不可能だからだ。でも、目の前のものが失われるということは、もう一方の「繰り返される永遠」を保つことに繋がるのだろう。何かを失わずにいたいと思う苦痛から自由になることは至難の業だが、もしそれができたら、落花流水の美しさを自分のものにできる。真に美しい人の中に、そのような流れを感じることがある。 一語一語、ゆったり味わっていきたい本です。眠りにつく前、開いたページに癒されたりします。
前回のブログ↓明治神宮鎮座90周年記念作品「美しき神宮の森」DVD ジョー奥田さん/「禅語」 でも、
石井ゆかりさんの解釈の一部を紹介しています。
『禅語』の美しい写真を見ているとき、今、とても惹かれている自然音と共通するものを感じました。
気づくと余計な思考が「無」になっている解放感です。そしてよろこびやありがたい気持ち。
これが本来の在り方なのかも…
そして、この『禅語』に心うたれているとき、グッドタイミングで次の文章にも出合いました↓
『バーソロミュー』、メアリーマーガレット・ムーアさんの「日本の読者のみなさんへ」
若い頃、「私とはいったい誰なのか」「いったい何のために生きているのだろうか」「何が現実なのか」。。。
などという問いに対する答えを求めて悩んでいました。
そんな頃、シンプルでしかも明解な禅の教えにゆきあたったのは天の恵みでした。
真理を追求するこれらの勇者が私に与えてくれた心の平安、心の落ち着きは私のなかに常に存在しています。
日本は、宗教においても、美術建築においても、偉大な美を生んだ国です。
私にとって美と真理は同じものです。
美の創造に、そして真理の追求に力強い伝統を持つ日本の人々は、
世界の意識の目覚めにおいてもユニークで可能性に満ちた立場にあると思います。
日本の人々は、
「真理というのは単なる概念として知るのではなく、実際に目で見、体験されなければならないものであり、
この直接体験こそが生きることの意味である」という精神的伝統を持っています。
朝崎郁恵さんの『阿母』
(奄美の人々は、祖母や母のことを親しみと尊敬をこめて"阿母(あんま)"と呼ぶのだそう)
波の音とMixして聴くと、もう胸が…
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