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「現実は精巧に作られた夢である」 画家・長谷川潾二郎
長谷川 潾二郎(はせがわ りんじろう) 1904 年 1 月 7 日 - 1988 年 1 月 28 日
父・清(淑夫)ジャーナリスト、母・由起の次男として函館の元町に生まれる 長男は作家の海太郎(牧逸馬、林不忘、谷譲二)、 三男、濬はロシア文学者で詩人、 四男は作家の四郎 潾二郎は、地味井平造の筆名で探偵小説を書いた他、詩や短歌等も制作 なんだかパラレルワールドを感じさせる不思議な魅力があります
また覚書でもハッとさせられる言葉が多く、その洞察力は天才的 展覧会図録として売られていた画文集「静かな奇譚」は 多分にユーモアもおありのようで
画文集中から、自筆「この人Q&A 長谷川潾二郎」を一部抜粋、タイトルからして笑えますが…
(自己PR) 三十才の時描きはじめた画が未だ仕上がらず、今も描いたり消したりしている有様 (熱中していること) 日常生活
(ストレス解消法) 空想
(特技) 睡眠 (感銘をうけたもの) 太陽の光線 (好きな言葉) 何事も判断してはいけない・・・ 熱中していることが日常生活とはさすが… 画集の表紙にもなっている猫のタローの履歴書まであります しかし上記、画文集の「タローの思い出」は、様々な面で感動的な随想だと思います 解説に、長い画歴の割には作品数が多くないこと、未完成のまま放棄された作品が多いことを
画伯の完璧主義が寡作の一因と記してありますが、案外ご本人は描くプロセスで十分楽しみ
それで満足していたのかもしれないなどとも思わせます
そして、パリに行った理由、運命の流れを承知していた様子などもうかがえる画文集です
「塀は私が描きに来るのを待っていたようだった。 そして私はこの塀を描くために巴里から帰って来た。そんな気がした…」 パリ留学のため、旅券の申請で出かけた所でたまたま見つけた《時計のある門》 、帰国の数年後に実現
描くことが決まっていた…そう思わせます
「よい画はその周囲をよい匂いで染める。 よい画は絶えずよい匂いを発散する。
よい匂い、それは人間の魂の匂いだ。 人間の美しい魂の匂い、それが人類の持つ最高の宝である」 窓辺のかまきりは何だか笑えます… 異次元の様な風景と 艶感と鮮明さが印象の静物画
惹かれる反射光の表現、木々や木の枝、
また京都の名所で描かれた画も、そこに描かれているのは名所ではなく、何気ない風景のみ そんなフォーカスする視点も実に独創的で思わず感心
「可視と不可視の境界にあるもの。目に見えるものは目に見えないものだ」
「現実を超えて、現実の奥に隠れて、それでいて表面にありありと現れるもの」
なんだかとてもスピリチュアルな世界です
なぜ今、脚光を浴びはじめたか…わかる気がします
平塚市美術館は13日(日)まで、下関〜北海道〜宮城と順次開催されるようです
平塚市美術館周辺、平塚八幡宮、市役所近辺のくすのきは実に素晴らしくとてもいい時間でした
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絵画・アート・展覧会
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3日に六本木の国立新美術館
「オルセー美術館展」へ
まずは、クロード・モネの絵が出迎えて
くれる第一章“最後の印象派”から
「日傘の女性」「ボルディゲラの別荘」
「ノルウェー型の船で」
「睡蓮の池」を書き始めた頃の緑のハーモニー
「ロンドン国会議事堂、霧の中に差す陽光」
また、ドガの「階段を上がる踊り子」
シスレーの「モレの橋」、ピサロの「ルーアンのボワルデュー橋」が展示されています
モネといい、ゴッホといい、魅かれている
この時期に、これだけの作品を観ることが出来、なぜか感慨深い思いが湧いてきます
第二章は“スーラと新印象主義”
ゴッホの映画にも名前が登場したスーラです。シニャックやリュス等の綺麗な点描画を展示
第三章は“セザンヌとセザンヌ主義”
セザンヌの作品の他、ドニの「セザンヌ礼賛」では足元に描かれた猫ちゃんが何だか笑えます…
第四章の“ロートレック”では、以前のサントリー美術館・ロートレック展が思い出されました
第五章は"ゴッホとゴーギャン”
一緒なんだ…と一瞬思いましたが、よくよく考えてみると、
どちらもお互い喜んでいるかもしれないなぁと思い直しながらゆっくり観賞
1887年の「自画像」は、ゴッホの‘青’が素晴らしく、見惚れてしまいます
この2年後の自画像がつい浮かんできてしまいますが…
「アニエールのレストラン」「銅の花器のフリティラリア」「ウジェーヌ・ポック」
「馬車、アルル郊外のロマのキャンプ」「アルルのゴッホの寝室」
そして「星降る夜」、映画で、 帽子にロウソクを立て描いていた姿が浮かんできます
ゴーギャンは、「タヒチの女たち」「黄色いキリストのある自画像」他8点が展示されています
「黄色い積みわら」はゴッホとゴーギャンの個性の違いを深く感じさせてくれました
(違って当然なのだ)きっと後にお二人、そう気づいたのではないでしょうか
今、お知らせで知りましたが、2010年10月1日(金)〜 2010年12月20日(月)
没後120年(だったのですね…) 『ゴッホ展 こうして私はゴッホになった』 が開催されるようです 第六章“ポン=タヴェン派”、エミール・ベルナール、他、
ジョルジュ・ラコンプの「紫の波」はちょっと不思議…
第七章は“ナビ派”
モーリス・ドニが5点、他、ピエール・ボナールが3点、ボナールは猫好きのようです…
第八章は“内面への眼差し”
モローの「オルフェウス」、ルドンの「目を閉じて」、ドニ、ベルナール、他
ここでのボナールの3点は、何気ない人の営みの瞬間を真摯に描きだしているように思えます
そうそう、ヴィルヘルム・ハンマースホイのお馴染みの後姿の絵を見つけ、嬉しくなってしまいました
第九章“アンリ・ルソー”
「戦争」「蛇使いの女」、多次元の世界を感じさせます
第十章“装飾の勝利 ”
ドニやボナール等の室内用装飾絵画で飾られています。
こんな装飾のお部屋、あこがれてしまいます
オルセー美術館展、きっとまた訪れるでしょう…
6月13日の「炎の人ゴッホ」上映の他に
オルセー美術館20周年記念映画 「夏時間の庭」の上映会もあるようです
日時:7月4日(日)14:00〜
会場:国立新美術館3階講堂
定員:260名(先着順)
※聴講は無料ですが、オルセー美術館展の観覧券(半券可)が必要となります。
1年前の映画『夏時間の庭』のブログです
ボストン美術館展
語りかける風景
映画『炎の人ゴッホ』
ゴッホの魂 イメージの森のなかへ 利倉隆著
インターネットラジオ 聴くオルセー ポスト印象派と同時代の音楽
今晩は久々の東京タワー展望台へ
特別展望台へのエレベーター待ちの間、瞬間強めに降ってきた雨が見られ、楽しめました
最近、六本木ヒルズ展望台や恵比寿ガーデンプレイスタワーと不思議に高い所が続いています
携帯の写真なので鮮明ではありませんが、右端は床が透けている所で、地上と一緒に私の足元が見えています(笑) |
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金曜に続き、日曜もボストン美術館展を鑑賞。
紹介ブログはこちら
展示されていたゴッホの作品「オーヴェールの家々」を
思い出しながら、映画「炎の人ゴッホ」を観賞しました。
繊細さと激しさの両極を生きたゴッホ、
その両極は、きっと誰もが持ち合わせているものだと思っています。
ただそれぞれに微妙にそのバランスが違うだけのことのように思います。
だから多くの人の琴線に触れるのだと、そうも思います。
「感じるものを抵抗なく表現できなきゃダメだ」
「色の混合はやらない それは観るものがする」
「顔よりも その表情を描こうと努める」
「春が終わり夏に――――― 感動する その金色と青銅色と赤褐色の自然に」
「感動を伝えたい 心が伝わるような絵を描きたい」
ボストン美術館展では、ミレーの「馬鈴薯植え」が展示されていますが、
映画でミレーについても語っています。
「労働の尊さだ 絵の具で神の言葉を伝えている」と。
ボストン美術館展でも4点出展されていたピサロの絵ですが、
映画にも登場し、ゴッホに次のように語りかけます。
「 木の葉は それだけなら一つの色だ。
だが 空や水が作り出す―――― 影や反射でより複雑な色にもなる
自然を描くとき 一カ所に視点を据えず すべてを観察するんだ そして大胆に描く 」
他には、セザンヌ、ルノアール、モネ、スーラ等の名が登場します。
ゴッホの絵を観ると、とても素直な感情が湧いてきます。
そんな気持ちを引き出す絵は、
そうして長年大きな役割を果たしてきたのかもしれません。
太陽を追う旅人、ゴッホはそうも評されていますが、
渦のような絵の表現のなかに、
私たちの本質でもある姿・色を表しているようにも思えます。
絵画を通して愛を伝えたいという明確な意図を持ち、自分自身に正直に生きた人…感動は尽きません
「 死は明るい昼に現れる 太陽の金色の光が満ちるとき 」
その世界を垣間見ていたのでしょうか…
1890年7月29日 満37歳没
映画には、もちろんゴーギャンも登場します。とても気性の激しい性格で…。
でも彼も、未遂に終わったものの自殺を試みるなど、
繊細さを押し隠すがゆえ、とも捉えられる行動が多分に感じられます。
有名な『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』
そのタイトルは、何かを知った者の言葉のように思います…
そして、一見、自己犠牲的にゴッホを支えた弟のテオの存在。
もしかすると彼は使命を感じ、それは‘よろこび’とともにあったのかもしれないと思えます。
いずれにせよ、そこには素晴らしい役割上のバランスを感じます。
どんな面でも、いい悪いではなく、
すべてはバランス・調和であること…一層感じられた映画でした。
息子の部屋に「ゴッホの手紙」上・中・下があるのを発見、借りて読んでみようと思います。
こうして「手紙」という多くの記述が残されていることも、
きっと大きな目的から意図されていたことなのかも…
尚、映画「炎の人ゴッホ」は下記で上映会が開催されます。
日時:6月13日(日)14:00〜
会場:国立新美術館3階講堂 定員:260名(先着順) ※聴講は無料ですが、本展の観覧券(半券可)が必要となります。 |
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工夫された展示構成は、さすがボストン美術館展です…
なんといってもモネの風景画10点が並んでいるコーナーは圧巻でした。
珍しい雪の絵があったと思ったら、「プールヴィル、ラ・カヴェの道」に惹きつけられ、美しい海岸風景、
「アンティーヴの古城」「小クルーズ川の峡谷」とそれぞれ個性的な絵が続き、
「ジヴェルニー近郊のセーヌ川の朝」では釘付けになってしまいました。
お馴染みの「積みわら」や「ルーアン大聖堂」「睡蓮の池」も展示されています。
モネのもう一点は、同じような構図で描かれたルノワールの絵と並べて展示されていました。
興味深く鑑賞でき、飽きさせません…素晴らしいです。
ゴッホの「オーヴェールの家々」は、なんとも言葉では言い尽くせない感情を与えてくれます。
また、子どもの頃から「なんてマジメな絵なのだろう」と思っていたミレーの絵は、
「馬鈴薯植え」が展示されています。他の作品同様、人柄が滲み出ているように感じます。
他には、セザンヌ、ピサロ、シスレー、コロー、ブーグロー、ブラック、マティスレンブラント等々
図録の表紙はミレー、モネ、ゴッホから好きなものを選べたり、他の企画商品も面白いものが多いです
森美術館 ボストン美術館展サイト↓
美術館入り口から見下ろした風景
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Bunkamuraザ・ミュージアムへ
抽象絵画の象徴のようなカンディンスキーの一筆一筆色を置くような風景画が特に印象的でした。展示されていたモネの絵画は、あまりにも何気ない風景なのですが、全体にパープルがかった色調にモネ自身の光が投影されているように感じます。
キュスターブ・ブリオンの「女性とバラの木」もほんとうに美しい世界です。またシニャックの点描画、
何年も前の初鑑賞時、離れて観た印象と近くで観たその印象の違いに感銘を受けた画家です。
これは描きたくなります…。コローのヴィル・ダヴレーはもはや絵の世界の故郷のようなもので、
帰ってきたという感があります。「木」が主役のような、程よく和む「語りかける風景」でした。
ブリオン
ツイッターより
横尾忠則さんのすべてに共感しているわけではありませんが、
(これは横尾さんに限らずすべての人に対して思うことです)
常々感じていたことがツイッターでつぶやかれていました。
「著者が何をいいたいのかをギュッとひとつにまとめて、要点を述べることはぼくには至難の技だ。
でも逆に上手くまとめあげてしまうと面白くない。逆に著者自身も気付かないでポロッと書いてしまった 個所を見つけて書くのがぼくのやり方だ。これは意地悪ではなく、未完の絵や失敗作に
秘密が隠されているように、本人さえ気付かない魅力があるのだ。
書き手の思惑に反して、読者は勝手に読む。
百人が読めば百の読み方がある。書評はそんな不特定多数の読者を代表して書くわけではない。
私はこう読んだ。それでいいのだ。書き手はこう読んでほしいと思っているかも知れない。
もし100人の読者が著者の求めるように読んだとすれば、・・・・・だと思ってもいい。
100通りの読み方がされる本こそ普遍的だと思う」
また、書評とは関係ないのですが、自身の生き方に通じているところがあり共感したツィートです。
「終りよければ、すべてよし」と言うが、ぼくは「途中(プロセス)よければ終りはどうでもいい」
と言いたい。絵でも途中が一番面白い。
あゝでもない、こうでもない、と述べるからだ。遊びの結果(終り)などどうでもいい。
ところでツイッター
Twitter is over capacity.
Too many tweets! Please wait a mo ment and try again
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