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NHKの大河ドラマ「風林火山」、なかなか面白くて毎週見ています。一介の浪人・山本堪助がいかにして戦国最強を誇る武田軍団の軍師となったか、回を追うごとに面白くなりそうです。
ところで、誰もが知る甲斐武田氏ですが、発祥の地がどこかご存知でしょうか? 実は、茨城県ひたちなか市の武田というところなのです。これを話すとほとんどの人から「えぇーっ? それ、ほんと?」と疑いの眼差しを向けられてしまいますが、無理もありません。近くに住んでいる私でさえ長い間知らなかったトリビアの泉的?史実なのですから。
ひたちなか市武田には「武田氏館」という小さな施設があり、武田氏の発祥についての資料が展示されています。パンフレットには次のように書かれています。ちょっと長いのですが、引用してみます。
ひたちなか市武田は、戦国時代の名将武田信玄で知られる甲斐武田氏の発祥の地です。
平安時代末期(12世紀初め頃)、源義家(よしいえ)の弟義光(よしみつ)は、常陸国への進出を図り、
長男義業(よしなり)を久慈郡佐竹郷(常陸太田市)に、三男の義清(よしきよ)を
当市域の那珂郡武田郷に土着させました。
義清は地名をとって武田を名字とし、武田氏の始祖となりました。
また、義業の子、昌義(まさよし)は中世・戦国期に常陸国に君臨した佐竹氏の祖となりました。
義清とその子清光(きよみつ)は、武田郷周辺の古くからの豪族との間で勢力を張り合っていましたが、
そのゆき過ぎた行為を朝廷に訴えられ、その結果、義清父子は甲斐国に配流となってしまいました。
甲斐の国に土着した義清・清光父子は、新天地に甲斐源氏発展の基盤を築き、
その17代後に信玄が輩出いたしました。
八幡太郎義家とくれば、言わずと知れた武士の中の武士、源氏のスーパースターであり、鎌倉幕府を開いた源頼朝の曽祖父にあたる人です。この八幡太郎義家の弟が新羅三郎義光。そして新羅三郎義光の三男、義清が武田氏の祖です。
同じく新羅三郎義光の孫、昌義が佐竹氏の祖です。つまり武田氏と佐竹氏は親戚ということになります。
武田氏の祖である義清父子は、武田郷で本当にむちゃくちゃな事をしたせいか喧嘩相手にはめられたせいかはわかりませんが、甲斐に流され、その17代後に信玄が誕生するのです。
「へぇー」と思っていただければこの記事を書いた「甲斐」があります。
1枚目・・・武田氏館の門と板塀。
武田氏館は絵巻物などを参考にして再現された鎌倉時代の地方豪族の建物です。
「主殿造り」と呼ばれます。本来は茅葺ですが、防火のため銅版葺きにしてあるそうです。
板塀の前には堀が掘られています。
2枚目・・・武田氏館の主屋。中に資料が展示してあります。
3枚目・・・厩。馬は本物ではありませんでした。
4枚目・・・主屋内に展示してあった鞍です。武田菱が刻まれています。
5枚目・・・義清・清光父子の像です。
6枚目・・・配流の命を受けた義清・清光父子の辿った経路です。
栃木県の小山、埼玉県の狭山を経て甲斐に入ったらしい。
歴史に「もし」は禁物といいます。それでも、もし義清父子が武田郷から配流にならなかったら・・・と考えると、名将・武田信玄は生まれず、川中島の合戦もなかったことでしょう。そう考えると歴史の綾とでもいうようなものを感じ、不思議な気がしてきます。
(撮影日:2007/1/28)
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