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お散歩、お出かけの写真を載せてます。ただいま一時休止中。落ち着いたら復活します。

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大猷院

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 大猷院は三代将軍家光の廟です。
 東照宮に勝ってはならない、という家光の遺言によって、規模、豪華さとも東照宮よりはなるほど控えめです。しかし、控えめとはいえやはり豪華なことに変りはなく、東照宮を見る前ならば十分驚くでしょう。
 東照宮が自由奔放な、一種の芸術的豪華さとすれば、大猷院は比較的落ち着いており、かろうじて?寺院的豪華さの範囲かと思います。

1枚目・・・鐘楼
2枚目・・・唐門の龍
3-4枚目・・・夜叉門
5-6枚目・・・夜叉 写真のほかに白と青の夜叉もありました。それぞれ色に意味があり、
        赤が南、青が北、緑が東、白が西を意味しているそうです。
7枚目・・・仁王

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 1枚目の「眠り猫」は「三猿」と並んで東照宮で最も有名な彫刻でしょう。平和と安定の願いを表しているといわれ、名工、左甚五郎の作といわれています。左甚五郎は架空の人物という説もありますが、おそらくモデルとなった人物は実在していたのではないでしょうか。

 眠り猫の下をくぐると、奥社に向う階段に通じますが、この階段が結構急な上に、207段もあるそうです。途中で息は切れるし脚は痛くなるし、運動不足を思い知りました。奥社に近づくと、2枚目の狛犬が迎えてくれます。

 3枚目は家康の墓である奥社「宝塔」の門です。青銅の門の色調といい守っている狛犬といい、何か近づき難いものを感じます。

 この門の後ろには4枚目の鶴と亀の象があります。鶴が亀の上に乗っていて、どちらも鍵を咥えています。実に意味深げです。ダ・ヴィンチ・コードではないですが、暗号が隠されていそうな雰囲気がありませんか? 考えすぎかな?

 そしてこの後ろには家康の墓があります。墓は、八角形の台座が九段になっていて、その九段目の台座の真ん中に宝塔が乗っている形になっています。肝心の宝塔の写真ですが、何となく撮りそびれてしまいました。

 5枚目と6枚目は唐門。陽明門に比べると小さいですが、非常に凝った造りの門です。白い人物彫刻が見事です。

東照宮・・・陽明門

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 ご存知陽明門。日光東照宮の絢爛豪華さを象徴する門です。

 日本建築はどちらかといえば簡素な造形の中の美しさが特徴と思いますが、その中にあってこの門はひときわ異彩を放っています。

 陽明門は508の彫刻で飾られていて、見ようによっては装飾過多とも思えますが、私は不思議にくどく感じることはありません。白い柱や彫刻がアクセントを与えていますし、彫刻の種類、表情に変化があって、なかなか見飽きません。もっと人が少なければ時間をかけて眺めていたかったのですが、やはりここには人が集まるのでそうもいきませんでした。

 一日見ていても見飽きないことから別名「日暮の門」とも。ひとつの彫刻を平均1分間見たとすると8.5時間かかる計算になるので、なかなか説得力のある名前?だと思います。

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 神厩舎、上神庫と同じ広場には水盤舎と経蔵があります。

 1枚目が水盤舎。水盤舎はどこの神社にもある、お清めの水があるところですが、東照宮は水盤舎も豪華です。

 2枚目が経蔵。内部には、輪蔵とよばれる八角形の回転式大書架があり、日本で最初に翻訳された天海版の一切経1456部、6323巻が納められていたということです。ここでも天海の名が出てきました。

 広場からひとつ階段を上がったところに鐘楼があります。3〜6枚目が鐘楼。今回最も見たかったのが鐘楼に描かれている桔梗紋です。
 TVでも紹介されましたが、天海が実は明智光秀と同一人物だという異説があります。桔梗紋は明智の家紋であるため、鐘楼の桔梗紋はこの説の傍証に挙げられているのです。実際におびただしい数の桔梗紋を見ることができました。徳川の葵紋の陰で、鐘楼に描かれているおびただしい数の明智の桔梗紋。これはいったい何を意味するのでしょうか?

 この説では桔梗紋の他にも次のような傍証が挙げられています。
1.光秀が山崎の合戦での敗戦の後、小栗栖の長兵衛にかかり自害したという記録は、状況から見て信憑性に
  疑問がある。
2.光秀の木像と位牌が京都の亀岡近郊の「慈眼」寺にある。この地はかつて光秀の居城があったところである。
  そして天海の諡号は寺と同じ「慈眼」大師である。
  ちなみに天海は108歳で入寂したという。(他に90歳説、135歳説もある。)
3.日光には明智平という地名があるが、それは天海が名付けたと言われており、その地名を聞いた天海が
  「懐かしい響きだ」と言ったという。
4.慶長十三年(1608年)、天海が駿府を訪れ家康と面会した際、初対面であるにもかかわらず旧知の間柄のよう
  に親しく語り合ったので、側近の者たちも不思議に思うほどだったという。
5.天海は将軍「秀忠」、「家光」の名付け親で、それぞれ「光秀」からとって名付けられたという。
  その時の直筆の紙片が東照宮に保管されているが、「光秀」という名が出てくるように不思議な折りたたみ方
  になっているという。
6.春日の局は名を「ふく」といい、光秀の重臣である斎藤利三の娘であり、光秀の姪でもある。
  春日の局は天海に異常なほど敬意を払っていたらしいが、父の主君であれば当然である。
7.本徳寺に光秀唯一の肖像画と位牌がある。位牌には「当寺開基慶長四巳亥」と書かれているが、
  これは、光秀が慶長四年(1599年)に寺を開いたという意味。本徳寺は、かつて光秀の子が住職だったことも
  ある寺。また肖像画には、「放下般舟三昧去」(光秀は仏門に入り去って行った。)と書かれている。
8.比叡山の文庫のなかに大僧都にまでなった光秀の名がはっきりと記載されてあるとのこと。
  また比叡山長寿院にも願主光秀の名で、慶長二十年(1615年)二月十七日付で灯籠が寄進されている。
9.筆跡鑑定の結果、光秀と天海の筆跡が良く似ていることが判明している。

 調べればまだまだ出てきそうです。反論も当然あるでしょう。しかし、単なる偶然だけでは片付けられない気がして、非常に興味をそそられる話です。

 私はこういう異説、奇説、歴史ミステリーの類が結構好きです。たとえ少々ゲテモノ的な説でも、考えながら史跡を見ると、静的なものが動的に、生き生きと見えてくる気がします。

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 輪王寺の横の表参道を進むと、東照宮の一の鳥居が見えてきます。

 日光東照宮は三代将軍家光によって1636年に現在の形にされたもので、これ以前は簡素な造りだったそうです。家康の21回忌に合わせての大造替ですが、工期が1年5ヶ月という短期間であったというのは驚きです。これだけの絢爛豪華さを誇り、設計的にも大変に手の込んだ建造物が1年5ヶ月でできるとはとても信じられません。

 一の鳥居の中央には「東照大権現」と記されています。この神号を決めたのは天海であったといわれています。天海は家康、秀忠、家光の3代の将軍に仕えた幕府の大ブレーンですが、その前半生は謎につつまれている「怪僧」です。

 2枚目は「見ざる聞かざる言わざる」で有名な「三猿」です。これは表門から入ってすぐ左の神厩舎にあります。神厩舎にはこのほかにも3枚目、4枚目のような猿の彫刻があります。これらは組になっていて人間の半生を表したものと言われています。東照宮にある絢爛豪華な彫刻群の中では、この彫刻は最も簡素な部類と思いますが、おそらく「眠り猫」と並んで最も有名ではないでしょうか。見た人に感じさせるものが多いのでしょうね。あるいはまた、東照宮の謎めいた雰囲気を表しているから、というのは考えすぎでしょうか?

 5枚目は神厩舎の向い側にある上神庫の彫刻です。きらびやかな色彩で、何とも不思議な動物、いわゆる霊獣が彫られています。右側は象かマンモスかいうところですが、左側は・・・虎と獅子のあいの子? とにかくファンタスティックです。


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