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お散歩、お出かけの写真を載せてます。ただいま一時休止中。落ち着いたら復活します。

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虎塚古墳

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 またまた古代の話ですが、前回の記事に書いた十五郎穴のすぐ近くに石室の壁画で有名な虎塚古墳があります。虎塚古墳は7世紀初頭に造られた後期古墳様式の前方後円墳です。1枚目が虎塚古墳を前方側から撮ったところ、2枚目が後円部にある石室への入口です。石室には3枚目の看板のように幾何学模様の壁画が描かれています。

 この古墳の発掘調査の際には石室を開く前に室内の状態に関する科学調査(温度、湿度、微生物など)が世界で初めて実施されたのだそうです。(前年に発見された高松塚古墳の壁画保存の参考にするためだったそうですが。)その調査結果をもとに石室の前に監察室が設置されました。石室は常時密閉されており、年間を通じて室温約15℃、湿度90%以上に保たれているそうです。

 石室は春と秋の年2回だけ一般公開され、監察室の小さなガラス窓越しに室内を覗き見ることができます。近くに住んでいる特権?で公開日に出かけて行って見たことがありますが、1300年〜1400年も前に描かれたとはとても思えない鮮やかな朱色に目を見張りました。描かれている幾何学模様も神秘的で、自分が今、古代人と同じものを見ているのだと思うと何とも言えない感動をおぼえました。

 この壁画の特徴は九州の装飾古墳の壁画と共通しており、九州から移住してきた氏族がこの古墳を造ったと言われています。この氏族が多(太、大、意富、飯富、於保)氏ではないかという説があります。ちなみに古事記を編集したとされる太安万侶も多氏の一族です。この説が学術的にどの程度の評価なのかは知りませんが、こういう面白い説、私は好きなのです(笑)。1300年間も石室で眠りについていたのは一体どんな人物なのだろうと思いながら古墳を見るとき、付近に住んでいた何某かの豪族だろうと漠然と思って見るよりも、ひょっとしたら古事記編集に関係した多氏なのかもしれないと思って見た方が生き生きと見えてくるからです。

                                                       (撮影日:2009/10/12)

吉見百穴と十五郎穴

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 巾着田で彼岸花を見た帰り道に埼玉県吉見町にある吉見百穴に立ち寄りました。1〜2枚目が吉見百穴の写真です。吉見百穴は古墳時代末期に造られた集団埋葬墓です。百穴と名付けられていますが、現在確認されている横穴の数はそれより多く、219基だそうです。

 3〜4枚目は茨城県ひたちなか市にある十五郎穴。我家から車でほんの10分くらいのところにあります。奈良時代に造られた複数の支群から成り、すべての横穴の数を合わせると300以上と言われています。十五郎穴の名称はこの地に十郎、五郎なる人物が住んでいたという伝承に由来するそうです。

 十五郎穴は奈良時代に造られたということなので吉見百穴より少し新しいのかもしれませんが、良く似ています。そしてこの構造は古墳の横穴式石室と類似しているのです。

 古墳時代には大規模な古墳が数多く造られましたが、末期には大規模古墳は造営されなくなりこのような集団埋葬墓が造られるようになりました。どのような変化があったのでしょうか。現代の社会情勢も目まぐるしく変っていますが、この時代にもきっと大きな変化があったのでしょうね。

                                                    (撮影日:2009/9/21,10/12)

めんたいパーク

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 3連休なのに残念ながら遠出はできない状況。かと言ってどこにも出かけないのも面白くない気がしていたところ、ラジオで「かねふくめんたいパーク」というテーマパーク?が大洗でオープンしたと聞いたので行ってみることにしました。「明太子」と「パーク」というのが何かアンマッチで面白そうだと思ったのです。

 大洗まではおよそ30分のドライブ。海岸沿いの道路を走っていくと一目でそれとわかる明太子の看板が見えました。1枚目がめんたいパークの看板、2枚目が建物です。

 建物の中ではスケソウダラの漁や明太子の製造工程のビデオを見たり明太子の製造現場を見学できますし、できたての明太子を試食して買うことができます。ベンチも明太子型になっていました。

 からし明太子は好きなのでぜひ買っていこうと思ったのですが、我が家には量が多すぎたので試食だけして帰りました。でも帰り道にやっぱり食べたくなったのでスーパーで少し買いましたが(笑)。

 この日は良いお天気で海にはヨットがたくさん出ていました。大洗水族館の駐車場も満車。大洗の海を楽しんだあと、ここでおみやげにおいしい明太子を買っていくのもありですね。

                                                        (撮影日:2009/10/11)

 映画「ハゲタカ」を見ました。

 GW中にTVシリーズの「ハゲタカ」を通して見て、すっかりハマってしまいましたので6月6日から公開の映画もさっそく見に行きました。とてもいい映画だと思いました。

 リーマン・ショックの影響により、この映画の内容は製作段階で大きく変更されたそうです。さらに折しもGMが経営破綻して国有化された今、自動車会社が舞台であるこの映画にはひしひしと迫ってくるような臨場感と迫力があります。そして見終わったあとはなんとも言えない感じになりました。
 
 これから日本は、そして世界はどうなっていくのだろう。困惑と不安と希望が入り混じったような、なんとも言えない感じ。そして自由と平等をどうバランスしていくのか、とても重い問題を突きつけられたような気がしました。

 資本主義の崩壊とまで言われ始めた昨今ですが、資本主義に代わる有効なシステムは未だ生み出されていないのも現実です。自由が行き過ぎれば競争過剰になり不平等が生まれるが、その一方で過剰な平等は平等という名の不平等を生むことになります。それに加えて大量生産、大量消費を前提とした資本主義は環境問題からもまた限界が見えてきているのかもしれません。・・・理想的な経済システム、社会システムなど夢なのでしょうか。
 
 今後絶え間ない努力でシステムが改善されていくことを私は信じたいと思います。しかし、どんなに理想的なシステムを構築できたとしても、人間の欲が強過ぎれば破綻することは明らかです。人間の強欲はシステムで抑えることはできません。人間そのものが変わらなければ理想的な社会を築き上げることはできません。人間が試される大きな曲りかどの時代・・・そんなことを感じさせられた映画でした。

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 NHKの大河ドラマ「風林火山」、なかなか面白くて毎週見ています。一介の浪人・山本堪助がいかにして戦国最強を誇る武田軍団の軍師となったか、回を追うごとに面白くなりそうです。

 ところで、誰もが知る甲斐武田氏ですが、発祥の地がどこかご存知でしょうか? 実は、茨城県ひたちなか市の武田というところなのです。これを話すとほとんどの人から「えぇーっ? それ、ほんと?」と疑いの眼差しを向けられてしまいますが、無理もありません。近くに住んでいる私でさえ長い間知らなかったトリビアの泉的?史実なのですから。

 ひたちなか市武田には「武田氏館」という小さな施設があり、武田氏の発祥についての資料が展示されています。パンフレットには次のように書かれています。ちょっと長いのですが、引用してみます。


   ひたちなか市武田は、戦国時代の名将武田信玄で知られる甲斐武田氏の発祥の地です。
   平安時代末期(12世紀初め頃)、源義家(よしいえ)の弟義光(よしみつ)は、常陸国への進出を図り、
   長男義業(よしなり)を久慈郡佐竹郷(常陸太田市)に、三男の義清(よしきよ)を
   当市域の那珂郡武田郷に土着させました。
   義清は地名をとって武田を名字とし、武田氏の始祖となりました。
   また、義業の子、昌義(まさよし)は中世・戦国期に常陸国に君臨した佐竹氏の祖となりました。

   義清とその子清光(きよみつ)は、武田郷周辺の古くからの豪族との間で勢力を張り合っていましたが、
   そのゆき過ぎた行為を朝廷に訴えられ、その結果、義清父子は甲斐国に配流となってしまいました。
   甲斐の国に土着した義清・清光父子は、新天地に甲斐源氏発展の基盤を築き、
   その17代後に信玄が輩出いたしました。


 八幡太郎義家とくれば、言わずと知れた武士の中の武士、源氏のスーパースターであり、鎌倉幕府を開いた源頼朝の曽祖父にあたる人です。この八幡太郎義家の弟が新羅三郎義光。そして新羅三郎義光の三男、義清が武田氏の祖です。
 同じく新羅三郎義光の孫、昌義が佐竹氏の祖です。つまり武田氏と佐竹氏は親戚ということになります。
 武田氏の祖である義清父子は、武田郷で本当にむちゃくちゃな事をしたせいか喧嘩相手にはめられたせいかはわかりませんが、甲斐に流され、その17代後に信玄が誕生するのです。
 「へぇー」と思っていただければこの記事を書いた「甲斐」があります。

 1枚目・・・武田氏館の門と板塀。
       武田氏館は絵巻物などを参考にして再現された鎌倉時代の地方豪族の建物です。
       「主殿造り」と呼ばれます。本来は茅葺ですが、防火のため銅版葺きにしてあるそうです。
       板塀の前には堀が掘られています。
 2枚目・・・武田氏館の主屋。中に資料が展示してあります。
 3枚目・・・厩。馬は本物ではありませんでした。
 4枚目・・・主屋内に展示してあった鞍です。武田菱が刻まれています。
 5枚目・・・義清・清光父子の像です。
 6枚目・・・配流の命を受けた義清・清光父子の辿った経路です。
       栃木県の小山、埼玉県の狭山を経て甲斐に入ったらしい。

 歴史に「もし」は禁物といいます。それでも、もし義清父子が武田郷から配流にならなかったら・・・と考えると、名将・武田信玄は生まれず、川中島の合戦もなかったことでしょう。そう考えると歴史の綾とでもいうようなものを感じ、不思議な気がしてきます。

                                                       (撮影日:2007/1/28)

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