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二泊3日で行ってきた、大分日田、天ケ瀬の旅の旅行記を連載しております。
さーやっとのことで、日田市内につきましたよ!
今回の旅で、僕の日田に行く目的は、温泉と飲み歩きが中心だったのですが、 温泉も飲み歩きも楽しかったですが、一番の収穫は、なんといっても、 広瀬淡窓との出会いと、咸宜園(かんぎえん)でした。
広瀬淡窓(1782〜1856)を御存知でしょうか? 広瀬淡窓は、1782年、商業で栄える日田の商家の長男として生まれました。
後に 江戸時代、幕府・諸藩の公金出納を扱った商人である掛屋となる大商人
の長男ですね。 ところが淡窓は体が弱く、家を継いだのは、二男の久兵衛でした。 広瀬家は、商人でありながら、私欲を抑えて、義を行う生涯に徹したと言います。 人の和を重んじて、日田商人の結束を図り、日田金の運営を円滑にするなど、天領日田の繁栄を築いた第一の功労者でした。
利益の8割は、公共事業などにつかったというから、まさに商人の鏡ですね。
広瀬家のそうゆう姿勢があったからこその天領日田の繁栄だったわけですね。
さて、一方、広瀬淡窓は、儒者としての道を選びます。
広瀬淡窓は、儒学者であり、漢詩人であり、そして、なんといっても、近世 日本で最大規模の私塾「咸宜園(かんぎえん)」を主宰し、日本中から弟子が集まり、後の日本を支える多くの有用な人物を育てた教育者だったのです。 僕は商人として、広瀬家に見る商人としての在り方に感動しますし、商人として生まれながらも、教育の世界で大いに力を発揮した広瀬淡窓に凄い感じるものがありました。 僕は霊感の強い方から、僕の前世は寺小屋の先生だったことがあると言われたことがありますが、どうも江戸時代の寺小屋、私塾には何とも言えない懐かしみ、親しみを感じるんですよねー。 今回の旅ではわかりませんでしたが、商人として僕は、商人としての倫理を説き、梅岩心学を唱えた、石田梅岩(1685〜1744)を尊敬していますが、その梅岩以後に生まれた広瀬淡窓に梅岩の思想が影響があったのか、なかったのか、そのあたりを知りたい気持ちになりました。
広瀬家の在り方は、まさに石田梅岩先生が唱えた、商人としてのこうあるべきだという姿そのものだったから、なおさら知りたいなって思いました。
商人として、自分の私利私欲のためでなく、日田の街全体を盛り上げ、そして教育を通じて多くの社会のために自分の力をそそごうという日本を支えていった日本人を育てていった、広瀬家と広瀬淡窓。
僕はもっともっと日本人は誇りとして、賞賛していいと感じました。 そして、わらべも、大泉宝店を目指す会も、この商人倫理は大切にしていきたいと思います。
さて、広瀬淡窓の咸宜園の教育については、つづきです。 (つづき) |
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日田にいて 日田のことを知らない人が多い中 日田人としては何となく 嬉しくなります ブログに紹介しても構いませんか??
2010/11/27(土) 午後 0:03 [ 助け太郎 ]
新ちゃんさんありがとうございます。日田には初めて行きましたが、本当に感動しました。
広瀬淡窓さん、日田の宝であり、日本の宝ですね。
日田の街の豊さは、広瀬家の功績あってこそだと思います。
日田の人はもっと誇りに思い自慢していいですね。
日田の旅行記、まだまだ連載で続きますので、よかったらお付き合いいただき、感想ご意見などきかせていただけえばうれしいです。宜しくお願いいたします。
2010/11/27(土) 午後 0:23
新ちゃんさん、ぜひぜひブログで紹介してください。うれしいです。
2010/11/27(土) 午後 0:24