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二泊三日で行った、大分日田の旅、その旅行記を連載しています。
さて、日田の街で、僕が一番感動したのは、広瀬淡窓との出会いでした。
広瀬淡窓の咸宜園は、当時まだ教育は士族の特権だったという中、身分、年齢、学歴を全く平等に教育したというのは画期的なことだったでしょう。
だからこそ、全国から門人があつまってきたのでしょうね。
開塾から閉塾まで、全国から約4800人が入門し、最盛期には、在籍者が200人以上もいたというのですから凄いことです。
身分を超えて志の高い若者たちが集まり、そしてそこでは、ある一定の分野、 イデオロギー、考えではなく、それぞれの個性を伸ばす教育が行われていたのですね。 だからこそそこから巣立ったものは、地元、あるいは国のために、様々な分野で活躍して行ったのでしょうね。
政治家では、大村益次郎、文部省の基礎を創った長三州。
有名な坂本龍馬の写真を撮った写真術の創始者、上野彦馬、
蘭学者の高野長英。 その他、僧侶、儒学者、画家、歌人、などなど様々な分野で、活躍できる、広い教養、情緒を学ばせる塾だったのですね。
これだけ沢山の人が集まり、そしてそこから、後の日本に多大な有益な人物を生んだのには、きっとそこには、今の日本が見習わないといけない、理想の教育の在り方があったのではないかって思います。 そこでは、徹底的に学ぶのは自分自身であり、塾はその基礎作り、自分で学ぶ環境作りに徹していたのだと思います。 多くの人集まり、それぞれが、地域、日本全体に有益なことをしている、実践的、社会性、そして道徳性。 そこまでを含めて人間形成をきちんと行っていたのですね。 広瀬淡窓の塾では、厳しい教育・指導と規律正しい塾生活が確立されていた。 各人をあくまでも平等公平に扱う一方で、学力・能力の向上と社会性・人間性の修養については厳しく指導・育成するという姿勢を貫いていた。まさにこれこそ教育の原点だといえるのだと考えます。 広瀬淡窓は、単なる学力だけでなく、詩作の奨励を通じて、情操面の養成も重視しました。 今の教育はこの部分が疎かにされているよね。 他人を毛散らかして自分が利益を得ようとしていないか。
たとえば、今の専門学校などで、どれだけ、社会性を教え、情操面の養成を行っているだろうか?
美容師学校しかり、パソコン教室しかり。 技術ばっかりを教えてないだろうか? 技術の前に、しっかり基礎の部分で学ぶべきことがあるはず。 咸宜園は、その基礎の部分をきちんとやった上での実力主義、能力主義だったからこそ、多くの自分の為だけでない、地域貢献社会貢献を果たした有能な人材を育てって行ったのだと思います。
またそうゆう教育を求めて全国から沢山の志の高い若者たちが集まってきたということにも感動を禁じ得ません。 平成のこの世。 もう一度、理想の教育を考え直してみたい。 そして、こんな素晴らしい師匠、こんな素晴らしい塾があれば、きっと沢山志の高い若者たちが、今の世でも、集まってくることでしょう。
日本国をしっかり誇りある形で立て直すには、教育の見直しが急務だと改めて感じました。 僕は商人として、商家出身の広瀬淡窓に親しみを感じると同時に、教育者として、きちんと実績として、社会に有用な人物を沢山そだてた、その教育方針に、今の平成の世に最も欠けてるものを感じると同時に、そこに理想の教育のあるべき姿を見る思いがしました。
僕は商人として、この大泉の街で、広瀬淡窓、広瀬家に学び、街の商店主同士との和を重んじ、儲けは街に還元し、商人倫理を守り、仲間を増やし、多くの若者たちを育てていくぞと決意を新たにしました。
これからもがんばります。
時々広瀬淡窓のことを思い出して、自分をしっかり戒めて頑張っていこうと思います。
(つづく) |
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ご訪問いただきありがとうございます。まさしく素晴らしい教育ですね。学問と人、ワクワクと勉学にはげみたいものですね。ありがとうございます。ポチ!
2010/11/29(月) 午後 4:39 [ しんた ]
コメントありがとうございます。
時代が違うというようないいわけは出来ないと思います。
今の時代でも、この咸宜園の教育は、立派に通用し、今このような私塾があれば、志の高い若者は日本中から集まると思います。
そして、これからの日本を支える本当に有用な立派な日本人がこのような教育を通じて生まれると僕は信じています。
2010/11/30(火) 午前 10:24