|
呉座勇一氏の初めての一般書、 「一揆の原理―日本中世の一揆から現代のSNSまで」 を読みました。
呉座さんは、日本の歴史の研究員で、ネット上でも、僕も色々勉強させていただきました。
僕は日本史には全く無知だし、しっかりと研究されてる呉座さんの話しは、素人が抱いているイメージと全く違う新鮮な世界がそこにはありますね。
僕もそうでしたが、多分多くの人が、この本を読むと、一揆に対するイメージが変るでしょうね。
凄く新鮮でした。
@なぜ戦国時代や江戸時代の一揆が「階級闘争」と認定されたのだろうか。それは、戦後を生きる歴史家の夢と希望が「一揆」に投影されたからである。(略)したがって、戦後歴史学では、「日本の人民が権力と闘った歴史」を明らかにすることが最重要の課題となった。このような潮流の中、一揆史は、「階級闘争の歴史」として研究されたのである。「過去の歴史において、民衆は一揆を起こして権力と闘った。我々も革命のために闘おうじゃないか!」というわけだ。
僕ら素人の一般的なイメージは、まさに階級闘争ですね。
なるほど、そうゆう視点からしか今まで一揆を見てこなかったですね。
そこを改めて見直すと、確かに面白いことになりそうですね。
@グローバル化が進展し、主権国家体制という近代的秩序が相対化されつつある現代社会は、しばしば「新しい中世」と評される。そして、共同体の復活ではなく、新しい社会的ネットワークによって危機の時代をこり超えようという発想は、実は中世の一揆の思想と重なるのである。
この本では、一揆とは何かを詳しく解説したうえで、さらに、中世の一揆は、
現代のSNSに繋がるんだってことを述べています。
なかなか興味深いので、ちょっとでも興味持った方は、是非読んでほしいですね。
ほんの少しだけ紹介しながら、僕の感想を書いてみたいです。
@中世は一揆の最盛期。実のところ百姓一揆は本来の一揆が変質した姿でしかない。
@実は一揆とは、たった二人しかいなくても一揆を結べるのだ。一揆の本質は体制を倒す実力行動ではなく、人と人をつなぐ紐帯にあると私が主張するゆえんである。
@一揆も「契約」を結ぶことで成立するものであった。
@竹槍で戦う一揆が登場するのは、実は明治になってからのことなのである。(略)竹槍一揆の歴史はわずか10年ちょっとに過ぎない。
まさに「へー」の連続でした。
確かに一揆に対してのイメージが変わりました。
@鎌や鍬は百姓のシンボルであった。鎌や鍬を使っても鉄砲や弓矢を使わないということは、自分たちが百姓身分を逸脱していないということを幕府や藩に示すアピールだったと思われる。
武器は持っていたけど、それを使わず、百姓のシンボルを使ったというところがミソですね。
@島原・天草一揆の鎮圧により幕藩体制が確立し、平和な時代が訪れると、百姓たちは多くの被害を出す「一揆」=武装蜂起という選択肢を捨てた。武器を使わない抗議活動に転換した。これが百姓一揆である。
@一揆が禁止されたか否か、この点で中世社会は近世社会と180度異なる。中世においては、一揆は社会的に認められていた。だから一揆を結ぶ者たちは「一揆」を自称していた。
また江戸時代には「一揆の参加者は百姓である」という社会通念があった。実際、江戸時代の一揆イコール百姓一揆であり、他の一揆はない。ところが中世の場合、百姓だけが一揆を結んだわけではない。武士も僧侶も一揆を結んだのである。
どうしても、江戸時代の一揆ばかり思い浮かべてしまいますが、一揆の最盛期は中世だったってことは、注意しないといけないですね。
@世俗社会は大寺院の強訴を実態以上に深刻にとらえ、恐怖を感じたが、これは寺院大衆の情報戦略、宣伝戦の結果である。
宣伝効果をあげるために、実際よりも大きく見せたのですね。そのためのパフォーマンスもおこなったのですね。
この辺りは、この著作を是非読んでほしいのですが、現代の広告宣伝の世界とも通じるし、プロレスファンとしては、やけに面白い。
たとえば、アントニオ猪木と戦うことになる、グレートアントニオがバスを引
っ張るパフォーマンスを見せたりする。
それを見て、ファンは素直に熱狂するわけだけど、研究者って、それを真に受けるではなく、冷静に事実関係を探っていくんだね。
日本の歴史の常識とされているものの中にも、沢山、当時の人たちのパフォーマンスに騙されている部分もあるような気がしますね。
@徳政一揆は幕府を転覆させる意思を持たず、幕府も徳政一揆を徹底的に弾圧しようとしない。武力行使を伴いつつも、ある程度の自制がはたらいているのであり、暗黙のルールの下で、あたかも試合のように勝負しているのである。(略)徳政一揆は大臣の強訴や荘家の一揆と本質的には変わらない。やはり権力側との、なれあい、が見てとれるのである。
@強訴とは結局、ある種の脅迫によって自分たちの要求を強引に通そうとする行為であるから、一揆の実力を(現実のもの以上に膨らませて)交渉相手にみせつけることが、時に実際の武力行使よりも大きな意味を持つからである。
なるほど。このあたりはとても面白いですね。
この本には詳しく書かれてますので、是非読んでください。
@中世社会は人と人との「契約」によって回っていたことが解明されつつある。
@日本中世は、危機の時代、変化の時代であった。特に南北朝時代以降は、先の見えない不安な社会の中で、人々は生きなければならなかった。その後、彼らは従来のような、なあなあ、のなれあいではなく、一揆契約による新たな絆を求めた。(略)もとから存在する親子兄弟の情にすがるのではなく、「契約」によって新たな人間関係を創出することで、中世人は危機を乗り越えていこうとしたのである。
中世に対してのイメージが変わりますね。
現代も、危機、変化の時代。
中世に現代が似ているのかどうか、その辺りを、筆者は探っていきます。
@百姓一揆とは、既存の社会秩序を否定するものではない。それどころか百姓たちに「政治参加」の意思はこれっぽっちもないのだ。新進気鋭の日本近代史研究者である與那覇潤氏は、百姓一揆を、「政治はすべて武士にお任せ、ただし増税だけは一切拒否」と評しているが、言いえて妙である。つまり百姓は、「お客様」感覚で、幕府や藩のサービスの悪さにクレームをつけているだけなのだ。
たしかに、ネット社会、似たような構造はあるような気がしますね。
@東島誠氏は、「高邁な思想、思想家が社会を変えるのではなく、社会的な結集極、人と人との<つなぎ目>の再組織化こそが社会を変えていくのだ」という<市民的公共圏>の考え方は今日においてこそ有効であると説いている。
なるほど。
@コミュニティーを元の姿に、復旧、するという方向性では解決できない。家族だから、ご近所さんだから、ではなく、赤の他人、とも親密な関係を築くことこそが、これからの時代には求められている。そして実は中世の一揆も突発的・衝動的な大衆闘争ではなく、「他人とつながる」という点に本質を持つ。
@戦後民主主義の中で、「血縁」や「地縁」といった縁はネガティブに評価されてきた。(略)それなのに震災が起きた途端に「やっぱり家族で助け合うのが一番だよね〜」などと言い出すのは、随分勝手な話だと思う。かつての絆を取り戻し「古き良き昭和」に回帰するというだけでは、問題の解決にはならないのだ。
この著作では、一揆について詳しくわかりやすく解説したうえで、中世の一
揆が現代のSNSに繋がっているという論旨に展開されるのですが、
一揆の解説の部分はとても詳しくわかりやすかったのですが、現代のSNSに繋がる部分は、興味深かっただけに、ページ数が足りなかったのか、もっと詳しく読みたかったです。
筆者も、続編を臭わせていたので、きっと、続編があるものだと思います、期待します。
僕の感想としては、「赤の他人、とも親密な関係を築くことこそが、これから
の時代には求められている」というのはよくわかるのですが、
やっぱり一揆は契約であり、時限性と、職限性がそこにはあるってこと。
地縁、血縁は、契約ではないが、まーそっちも大事にしてよって気持ちは強いね―、それだけでは問題解決にならないってのはよくわかるけどね。
時限性とは、僕が思うのは、どれぐらい続くのかな?ってこと。
「縁」って言っても、一揆は知りませんが、SNSとかの縁って、結構短い気
がする。
地縁、血縁の縁って、嫌でも長い。
特に血縁は、もう終わりにしたいって思っても、簡単には縁が切れなかったりする。
僕はもちろん、新しい縁を求めるのは重要だと思うけど、切ろうとしても切れない縁についても、ちょっとでも見直した方がいいんじゃないかな?って思います。
だって、本当に困った時、簡単に切れてしまう縁は沢山あるけど、最後に残るかもしれない、切ろうとしても切れない縁が、最後の助けになることだってあるから。
なんて、思い切り昭和回帰的なことを考えてしまいました。
一揆の場合、その辺りはどうだったんだろう?どれぐらいその契約は継続していたのかな?
職限性っていうのは、僕の造語だけど、
たとえば、縁って言っても、
「一緒に飲むのは楽しいし、好きだけど、一緒に仕事はしたくないな」
とか、「あいつのことは好きではないし、友達でもないけど、商店街を盛り上
げるために、祭りなどを盛り上げるためには、あいつの力は大きいから、商店街活動では一致協力して行こう」
とか、
そうゆうのってあると思う。
一揆はそうゆうところを、契約したんだろうね。
地縁、血縁は、職限性を超えてある。
僕は縁と言っても、タイプが違うので、両方大切だなって思いました。
日本の中世、一揆のことについて、イメージが大きく変わった著作でした。
お勧めです。
|
全体表示
[ リスト ]




ヾ(ォハ・∀・。)人(。・∀・ョゥ)ノ
何だか面白そうな「書籍」ですねぇ。
2013/3/20(水) 午前 11:46 [ メイ ]
はい、面白いです。よみやすいし、お勧めです。
2013/3/20(水) 午後 1:35
ありがとうございます。中世の人も同じようなこと考えて、同じようなことやっていたのかなって、親しみを感じました。
階級闘争史観が一揆の解釈をゆがめたというのは、とても面白かったし、そこを改めてみると、色々面白いことが見えて来ますね。
もちろん時代は違っても、人間が考える、やることって、そうは違わないのかななんて思いました。
2013/3/21(木) 午前 10:05
ゲマインシャフト(地縁や血縁で自然に形成される共同体)ももちろん大事だけど、それの復活を言うだけではだめで、ゲゼルシャフト(特定の目的のために形成される共同体)を積極的に求めていくということが大切だってことでしょうね。
2013/3/23(土) 午後 0:31
なるほど、まだまだ理解が足りないかもしれませんが、だんだん明確に分かってきてるような気がします。
おっしゃるような関係性って、確かに、現代と中世は繋がりますね。
今漠然と思っていたのは、「現代の若者がイワシ化」しているって話。
イワシのように、何かの方向に、わーっとみんな群れて動いたかと思うと、突然誰かが違う方向に向かうと、そっちにいきなり方向転換して、わーっとみんなで向かってるのではないか、っていう、若者たちがイワシ化しているのではないかっていう話をかんがえていました。
で、そのイワシ化するってことの中で、イワシは、天敵がいないと死んでしまうって言うんですよね。
つまり、天敵がいて、初めて、群の強さが生まれる。
一揆ももしかしたら、天敵に向けて、結束を高めたのでは?って感じました。
安保反対の学生たちの結束も、もしかしたら天敵に向けての結束の強さかも?
で、そんなふうに考えると、現代のSNSの結束力の原動力ってどんなところにあるのかななんて、今漠然と考えていました。
2013/3/24(日) 午後 11:18