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海北友松は、明智光秀の家臣・斎藤利三(としみつ)と親交が深く、のちに、光秀が山嵜の戦闘に破れ、斎藤利三も豊臣秀吉に捕らえられ、三条がわらで磔の刑に処せられ、その遺体は河原にさらされた。
ちなみに、斎藤利三は、家光の乳母・春日局の父にあたる。
海北友松は、親友の屍がさらし者になっているのを、
「手をつかねて見ているわけにはまいらぬ」
と、これも親友の東陽坊長盛とはかり、三条河原の夜陰に乗じて衛兵を打ち破り、斎藤利三の屍を奪い取り、真如堂へ葬った。
豊臣秀吉は、これを咎めず、かえって海北友松を厚遇した。
秀吉のみか、信長も家康も、海北友松の烈烈たる武人の魂を愛し、また、その画業は、後陽成天皇の叡聞に達し、勅命を受けて画筆をふるったことも少なくない。
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