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二泊三日で行った、山形、蔵王温泉の旅。
次に向かったのは、最上義光(よしあき)歴史館。
山形の英雄といえば、最上義光なんですね。
恥ずかしながら、去年米沢に行きましたが、米沢は上杉家で、関ヶ原の160
0の年には、東北では、最上氏をはじめほとんど東軍で、上杉は西軍として、この米沢と山形は戦っていたのですね。
米沢では英雄だった、直江兼継が、山形では敵だってことを、うかつにも忘れていました。
最上氏は、初代の斯波兼頼(しばかねより)が、1356年にこの地に居城を
構え、その後、最上の姓をなのったところから始まっているんですね。
最上氏は、清和天皇からつながる清和源氏の由緒正しき血筋なんですね。
兼頼から数えて、11代目が義光(よしあき)ですが、今の山形の街並みの基
礎を作った英雄が義光だと言われています。
義光は、関ケ原の合戦後、東北での活躍が大いに認められて、一挙に石高を増
やし、57万石という当時の全国第五位の領地を支配します。
城下は繁栄を極め、その領地は、現在の山形県の置賜地方以外の全域と、秋田
県の南部にまで及んでいました。
また義光は、山形城を築城し、その城下町の整備も行い、現在の山形の街並み
の基礎を作ったんですね。
義光の功績は、あまり県外に知られることなく、その評価が低いことから、山
形では、このような記念館を作って、彼の功績をたたえているんですね。
こちらでは、義光の造った連歌など沢山展示してあり、文化人としても一流で
あったことを伝えています。
ちなみに、山形城ですが、最上氏以降様々な方が城主となりますが、あの保科
正之も、高遠から、会津に向かうまで、7年も山形城主として活躍されていた
んですね。
最上氏は、徳川家光の時代、13代で改易されてしまいます。
こちらの歴史館に展示されているものの中で、圧巻だったのは、
最上家に伝来した、最上義光所用の兜、
「三十八間総覆輪筋兜」です。
これは、織田信長から義光が拝領したと伝えられ、1600年の上杉軍の直江
兼継と戦った、出羽合戦の長谷堂の戦いのとき、敵弾をうけて、その弾傷がい
まもしっかり残っているんですね。 これは凄かったです。
同じ山形県でも、米沢とは違う。それを感じさせてくれた歴史館でした。
山形に行かれた際には、ぜひお立ち寄りください。
(つづく)
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