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二泊三日で行った、山形、蔵王温泉の旅。
次に向かったのは、最上義光(よしあき)歴史館。
山形の英雄といえば、最上義光なんですね。
恥ずかしながら、去年米沢に行きましたが、米沢は上杉家で、関ヶ原の160
0の年には、東北では、最上氏をはじめほとんど東軍で、上杉は西軍として、この米沢と山形は戦っていたのですね。
米沢では英雄だった、直江兼継が、山形では敵だってことを、うかつにも忘れていました。
最上氏は、初代の斯波兼頼(しばかねより)が、1356年にこの地に居城を
構え、その後、最上の姓をなのったところから始まっているんですね。
最上氏は、清和天皇からつながる清和源氏の由緒正しき血筋なんですね。
兼頼から数えて、11代目が義光(よしあき)ですが、今の山形の街並みの基
礎を作った英雄が義光だと言われています。
義光は、関ケ原の合戦後、東北での活躍が大いに認められて、一挙に石高を増
やし、57万石という当時の全国第五位の領地を支配します。
城下は繁栄を極め、その領地は、現在の山形県の置賜地方以外の全域と、秋田
県の南部にまで及んでいました。
また義光は、山形城を築城し、その城下町の整備も行い、現在の山形の街並み
の基礎を作ったんですね。
義光の功績は、あまり県外に知られることなく、その評価が低いことから、山
形では、このような記念館を作って、彼の功績をたたえているんですね。
こちらでは、義光の造った連歌など沢山展示してあり、文化人としても一流で
あったことを伝えています。
ちなみに、山形城ですが、最上氏以降様々な方が城主となりますが、あの保科
正之も、高遠から、会津に向かうまで、7年も山形城主として活躍されていた
んですね。
最上氏は、徳川家光の時代、13代で改易されてしまいます。
こちらの歴史館に展示されているものの中で、圧巻だったのは、
最上家に伝来した、最上義光所用の兜、
「三十八間総覆輪筋兜」です。
これは、織田信長から義光が拝領したと伝えられ、1600年の上杉軍の直江
兼継と戦った、出羽合戦の長谷堂の戦いのとき、敵弾をうけて、その弾傷がい
まもしっかり残っているんですね。 これは凄かったです。
同じ山形県でも、米沢とは違う。それを感じさせてくれた歴史館でした。
山形に行かれた際には、ぜひお立ち寄りください。
(つづく)
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「隠された歴史」 副島隆彦
を読みました。
そもそも仏教とは何者か?
日本人が1500年間も騙されてきた衝撃の宗教論。
いやー、実際びっくりしました。
小室直樹先生の本は沢山読んでいるので、多少は理解しているつもりでしたが、それを受けての、弟子の副島先生のこの本も、
衝撃を受けるとともに、なんか長年の疑問が少し解けたようで、すっきりしたものを感じました。
少しだけ紹介します。
@仏像とは、本来、仏(ゴータマ・ブッダ)の像のことである。それ以外は仏様ではない。ここに仏様ではない3人の女神さまがいる。それは、1、阿弥陀如来、2、観音菩薩、3、弥勒菩薩の3人である。この3人の女神の像は、本当は、イエス・キリストの奥様であったマグダラのマリア像の変形である。
なんと!!!
いきなりでしょ?
でもこの本はこのことを、つきつめて追及していくんですよね。
確かに、ブッダ以外のものも、仏像っていうのにずっと疑問は持っていました。
それにしても、マグダラのマリアだったなんて・・・。
今までほかに誰もこんなこと教えてくれる人いなかったですよね。
@仏教の教理の中で、一番高度で深遠でレベルが高いとされるのが、中観(ちゅうがん)と「空の思想」とされる。この「中観」と「空」を創始したのが龍樹(紀元150〜250年ごろ)という人である。大乗仏教を作ったのが龍樹であり、ここでキリスト教がブッダの思想と混ざってしまった。
ブッダの教えと、龍樹の大乗仏教は、違うんですね。
ここを間違えたらいけないのですね。
@浄土宗=阿弥陀如来信仰は、まさしくこれはキリスト教の教えそのものである。「ただ神の名(アーメン)」と唱えるだけでいい」とするキリスト教の教えと親鸞聖人の浄土真宗の教えは全く同じである。
確かに。でもここまではっきりと言っていただけると、なんだかすっきりしま
す。
でも、こうゆうこと、はっきりいう人って他にいないんじゃない?
@キリスト教のプロレスタント系ではあくまで「神と自分との間の問題である」とする。「現実社会での正義や善悪と、救済(される、されない)は無関係である。すべては神が決める。」とするのがキリスト教である。この考えと、仏教、浄土宗の悪人正機説は、ほとんど同じである。
なるほど確かにそうかも。
@ガンダーラ美術(仏像)はインドの北の方、今のパキスタンの北(ペシャワール、イスラマバードのあたり)であるガンダーラで生まれた。ギリシャ、ローマの影響を受けている。だからギリシャ彫刻のような西洋人と混ざった顔をしている。特筆すべきは、ガンダーラには、阿弥陀如来などの像はない。ブッダの像だけである。
うんうん。
@マリア信仰がタクラマカン砂漠を経て3世紀には中国に到達している。中国仏教の基礎を作った西域からの渡来僧の仏図澄と、インドへ旅立ち経典を持ちかえった法顕たちは、4〜5世紀の人だ。しかし、それよりももっと100年近く早く中国にキリスト教が直接伝わっている。この2〜3世紀である西暦200年代に中国に到着したキリスト教は道教と名を変えた。三国志の世界(230〜270年)とぴったり同じだ。
このとき、中国に現れた張角は、「黄巾の乱」という民衆反乱を起こした。この張角たちの民間宗教指導者たちは、おそらく、キリスト教の宣教師そのものだったろう。
おおお!張角は、キリスト教の宣教師であったか!!だから民衆の救済を考えたのか!
道教は、キリスト教が名を変えたものだったのか!!!
@張角たちのような道教の道士たちは、中国に伝わった最も古いキリスト教の伝道士たちとみなければならないだろう。中国に伝わった仏教もキリスト教であるが、道教もその正体はキリスト教なのである。
おおお!!ここまではっきりと言われたのは、初めてだし、似てるなって思っていても、言われてみると、すっきりするなー。
@阿弥陀如来は、本当は、キリスト教のマリア信仰が、トルキスタンを超えて中国にやってきたものだろう。その途中で、仏教の中に変形されて取りこまれた信仰である。それらが、日本の最高学問機関であった比叡山に仏典の形で多くもたらされた。こうして日本までたどり着いたときに、法然や親鸞聖人の日本浄土宗になった。
そうゆう経緯であったか。むむむ・・・。
唸るね。是非日本の宗教関係者、僧侶たちの意見なり、考えをお聞きしたいですね。
@ブッダの悟りとは、「いくら厳しい苦行などをやってみてもだめだよ」ということだった。
それにつきるというのですね。
@大乗仏教が本当に成立したのは、紀元150年であり、その正体は民衆救済を説くキリスト教である。大乗仏教はブッダ本人が語った言葉ではない。
この世(現世)も、あの世(来世)も両方をともに捨て去ることが本当の仏教である。これだけが本当のブッダの思想だ。だから輪廻転生はない。
@六道輪廻とか、輪廻転生と言う思想は、仏教には一切ない。仏教そのものは、徹底的に無神論であり、霊魂の不滅を否定する無の思想である。
これが本当の仏教の考えなのですね。
@テーヴァダッタは、ブッダに「五事の戒律」を提案したが、受け入れられなかった。ブッダ自身は、「そんなにまで厳しいことを言うな」という人だったらしい。
このテーヴァダッタは、イエスの弟子でもないのに、ローマに行き、使徒を名乗ってのちにカトリック教団を作ったパウロとペテロのような男であったろう。パウロは自分勝手に色々なことを書いた。イエスキリスト本人の言葉とは全然違う。
ペテロがイエスの精神を大きく裏切ったのと同じように、このテーヴァダッタがブッダの精神を裏切ってブッダ本人の教えではない大教団を作っていった。
そうか、そうゆうことだったのか。ここに隠された歴史の真実を見る思いです。
@法相宗、これが重要。法相宗の本髄は、「人間は死んだらすべて終わりであり、消滅し、無に帰る(すなわち輪廻転生はない)」というものだ。三島由紀夫の「豊穣の海」はこの立場を取った。
三島由紀夫の豊穣の海は、輪廻転生を否定し、天皇制を批判した。
法相宗のお寺を巡りあるく旅に出たくなったよ。
@奈良の東大寺や興福寺、そして三井寺(園城寺)こそは、法相宗(「死ねば終わり」)の宗派である。これと激しく対立したのが、比叡山延暦寺の天台宗なのである。両派は互いに何百人もの僧兵(修行学生)を繰り出して、激しく宗派論争を行い、ぶつかりあった。焼き打ち合戦までした。これを実に600年(950〜1571年まで)も続けたのである。
これに困り果てたのが天皇(朝廷)で、だから900年代から「侍」という武士団をガードマンとして雇うようになったのだ。これを「北面の武士」という。ごれが平氏と源氏のはじまりである。
暗記ポイントですね。覚えておかなくては。
@法華経は、観音様を讃えて拝んでいる宗教だ。比叡山延暦寺の経典の中でも、法華経が最高の経典ということになっている。
@日本にまでやってきた阿弥陀経(浄土宗)も、観音経(天台宗)も、西暦2世紀ごろの古いキリスト教そのものである。
@達磨の禅宗が日本にまで鎌倉時代(13世紀)に伝わって、臨済宗と曹洞宗の二派となった。禅宗とは、何か?これを一行で言いきると、禅宗とは、「神も仏も信じない。自分を救うのは自分だけである」という思想である。すなわち大衆の救済など求めないということだ。
@日本に伝わった禅宗の発祥の寺は、洛陽にある少林寺である。達磨大師は西暦527年にインドからこの少林寺にやってきた。
@禅宗とは「神も仏も信じない。この世に救済はない。だから己ひとり、自分自身だけのために修行をせよ。他者を助けることなどできない。だからするな。」という思想である。一切衆生(すべての人びと)の救済を目標とする浄土宗(阿弥陀経、マリア信仰)や観音経(天台宗、日蓮宗、これもマリア信仰)などとは根本から違うのだ。
このあたりも、よく理解していなかったですね。
なんか色んな宗派のお寺巡りして、確認して歩きたくなりました。
@禅宗にはお経がない。禅宗は「ただひたすら祈ること」を拒絶したから、お経がない。経典がないので本当に困ってしまった。それでは葬式仏教をやって金儲けができない。信者たちを騙す手口がない。それで禅宗は、やっぱり仕方がないので「般若心経」と「観音経」を他宗から借りてきて、自分たちもとなえることにした。ちっとも信じてないのに、そうしないと本当に葬式仏教が出来ないのだ。
そうか、そうだよね。
やっぱり食べていかないといけないものね。
僕は、それでいいと思うよ。
やっぱりお寺も管理しなくちゃいけないし、守っていかないといけないから。
だからそのために、本当の教えとは違っていても、無駄で意味のないものであっても、葬式仏教はあっていいと思うし、戒名とかにお金払ったり、お経を読んでもらうのにお金払ったり、お墓にお金かけたりというもの、あり、だと思うよ。
ただ、本当の本当はこうゆうことなんだよってことは、こっちも理解しないと
なって思うね。
@13世紀からの鎌倉、室町、戦国期、そして江戸時代の臨済宗の僧たちの本当の職業は、だから中国との貿易文書として高級で立派な漢文を書くことのできる、文書作成係であった。
@なんと日本の禅僧たちが信じたのは、朱子学である。彼らは仏僧のくせにブッダの思想を信じていない。彼らは、仏典よりも朱子学(儒教)という外国の文献を必死で読んだ。
@「五山」は鎌倉時代末期頃に、幕府が制定した京都と鎌倉の寺院で構成される学問制度だ。鎌倉五山と京都五山で全部で10寺だが、京都の南禅寺を別格とするので11山となる。これらの寺にいた僧侶たちはすべて臨済宗である。
@龍樹という「大乗仏教を作った人物」が生きた紀元150年は、お釈迦様が亡くなって、すでに500年ぐらい経っている。ブッダはだから、「観世音菩薩」を知らない。龍樹の思想が2世紀に蔓延ってしまって、それが物凄い勢いで仏教となってインド全体に広がった。この思想が中国にまで伝わる。だから中国に伝わった仏教は観世音菩薩を懸命に拝むことになる。2世紀に般若心経を書いた龍樹。般若心経にでてくるボダイサッタは観音菩薩であり、実はマグダラのマリア様だ。ブッダの時代には、観音菩薩はまだいない。般若心経には、ブッダは出てこない。
般若心経にブッダは出てこない!!結構僕的には衝撃の事実だね。
般若心経に出てくるのは、観音菩薩であり、実はマグダラのマリアだった!!
!
もう凄いね!!
みんなこれを聞いてどう思うのかな?
@仏教は基本的に個人救済の宗教である。もっといえば、本来、他人のことなどどうでもいい。自身の救済のみを目指している。
@ヒンドゥー教の神々。シヴァ神とその奥様であるパールヴァーティーという女神。パールヴァーティーは女の本性を表すらしく二つの姿に姿を変える。一つがカーリー神。もうひとつが、ドゥルガーという恐ろしい女神。像の顔をしたガネーシャは、現世ご利益、商売繁盛、一族繁栄の神。その他に、ヴィシュヌ神と、その妻のラクシュミーという女神。これは美男子と美女の夫婦。このヴィヌシュが乗っている乗り物がガルーダ。
大王シヴァの神の化身の一つが、マハーカーラ。これが大黒天である。
鬼子母神というのは、インドのハーリティーという女神である。
さらに、サラスヴァティーという琵琶を持つ女神がいる。これが日本に伝わった時に弁財天または、弁天様になった。芸能人や女優の系統だ。
日本の七福神はヒンドゥー教の神様そのものなのだ。江戸時代になってから七福神は大いに参拝された。
七福神って、よくわからなかったんだけど、そうか、ヒンドゥーの神様そのも
のだったのか。
なぜそうなったか、この辺りは、もっともっと知りたいな。
@バクダッド(バビロン)が人類すべてにとっての文明発祥の地であり中心地。世界最初の古代帝国は、紀元前3000年ごろにバクダッドにできている。だから今から5000年前である。たった5000年である。
たった、たったの5000年なんだよねー。
いやーまさに衝撃の一冊でした。
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@「ティンバーゲンの定理」とは、「N個の独立した政策目標を達成するためには、N個の独立した政策手段が必要」という経済の掟です。
ある政策に作用と副作用がある場合、作用のメリットが大きいなら、副作用への対応は、作用のメリットから得た税収の一部を使って別の政策で実施する。
そのほうが、結果的に政策全体のコストは安くなります。これを、「マンデルの定理」といいます。 (上念司)
たとえば、成長と安定化と再分配の3つ目標を達成するためには、3つの政策
手段が必要だということです。
1つの政策手段が複数の功罪含めた効果をもたらす場合は少なくないですね。
例えば、規制緩和は経済の効率性を上昇させる一方で不平等を拡大してしまう
ことがあります。
このような副作用をコントロールするためには、マンデルの定理が有用である
というのです。
マンデルの定理とは、ある政策目標があった場合には、副作用への懸念はいっ
たん切り離してその目標を達成するためにもっとも安上がりな手段をもちいる
べきであるというものです。
例えば、業界の効率性を上げるのにもっとも安上がりな手段が参入規制の撤廃
であればそれを選択する。
そして、その結果大企業への集中という副作用が生じればそれを解決するのに
もっとも安上がりな手段を使う。
このように副作用への懸念をいったん切り離してもっとも安価な方法を使って
いけば、全体として政策目標を達成するために必要な総費用を最小化できる、
というのがマンデルの定理ですね。
たとえば、構造改革が格差を拡大したのだから、そろそろ、格差是正のために
構造改革を止めたらどうか、ということを言う人がいます。
これなんかは格差是正の政策目標に対して、構造改革を止めるという政策手段
を割り当てるのは、とても奇怪な議論だと思います。
格差是正のためには構造改革をストップさせることより、もっと適当な政策手
段が存在すると思います。
なにかの問題点を解決するために、その解決策としての政策を実行しようとす
ると、「ティンバーゲンの法則」を知ってか知らずか無視して、副作用ばかり
強調して、反対しようとする人たちがいます。
僕にはそれは、反対のための反対としか感じません。
主たる目的を達成するのにその政策があまり適していないということで批判す
るならいいんですが、主たる目的ではなく、副作用を持って反対するのは、な
んかどうかなって思ったりします。
政治の政策論争でも、色んな所で見受けられて僕が凄く嫌なのは、誰かが何ら
かの政策案を掲げた時に、きちんとした対案を出すのではなく、その政策案に
よって考えうる、副作用を持って、反対のための反対とも思われる批判をする
人が必ずいるってことですね。
おいおい、主たる目的はではどうするんだよ!って思ってしまったりもします。
そもそも、主たる目的がなんだかぶれてしまっていたりする人もいます。
主たる目的を失わず、本末転倒にならないようにしつつ、その主たる目的を達
成するための手段を、「ティンバーゲンの定理」を忘れずに、副作用への対応
は別個にしっかり考えながら、進めていきたいなって思います。
この参議院選の各党の議論においても、結構、ティンバーゲンの定理を無視し
た、反対のための反対意見みたいのも出てきます。ディンバーゲンの定理を頭
に入れて、各党の議論を聞くとわりと面白いと思いますよ。
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@公共性の根底には個人というものがあります。たとえば商店街ですが、10
軒が集まるというのは、同時に一軒一軒に個性を要求しているのです。つまり
公共性というのは、いかに個人でありうるかということと同じです。
(「美術館をめぐる対話」 西沢立衛より)
パブリックというものを考えています。
パブリックって、同じような考えの人が集まったり、同じような環境で育った
人たちが集まっていても、パブリックにならないんだと思う。
色んな環境に育ち、様々な考え方をしている人たちで、一見バラバラのように
見えながらも、あるシンボルで、ある紐帯でつながっている、共存している。
それがパブリックなんだと思います。
商店街も、同じようなドラッグストアやコンビニばっかりが立ち並んでいても、
それはパブリックにならないように思う。
様々なお店が、個性を発揮しあっていて、初めて商店街として魅力を持つ。パ
ブリックとなるのだと思います。
商店主って、みんな一国一城の主だから、それぞれが個性を発揮している商店
同士をまとめる商店街って、結構面倒くさいよ、うん、とってもめんどい。
でも、商店主って、やっぱり自分たちの利益を上げたいということには、一応
共通しているし、そのために、街を賑やかに元気にしていきたいということに
関しては一応の同意がある。だからなんとかパブリックとして成立している。
プロ野球のチームにしたって、それぞれに個性丸出しの選手が集まっていても、
チームの優勝という旗印のもとに、まとまれる。だからパブリックとなれる。
政治にしても、宗教にしても、同じ思想の人たちを集めても、同じイデオロギ
ーを持った人を集めても、それはパブリックとはならない。
今の世の中、老人は老人どうしに、障害者は障害者どうしに、アニメオタクは
アニメオタクどうしに、・・・なんだか分ける発想ばっかりはびこっていて、
違う人たちといかに共存共生していくかという力が弱まっていると思う。
でもそれでは、街全体のことを考えたら、街はよくならない。
一億総活躍社会とは、お互いがお互いの個性を存分に発揮しながらも共存共栄
できる社会なんじゃないかな?
さて、とはいえ、趣味趣向の違う、育った環境も考え方も違う人たちを共存共
生させていくっていうのは、口でいうのは簡単だけど、実際には大変困難なこ
と。
だからこそ、しっかりとした、紐帯、旗印が街興しには不可欠なんだと思う。
さて、練馬区。
区民70万人を超え、さらに今も人口が増え続けている中、区民を、区民とし
てまとめ、パブリックにしていくには、僕は、しっかりとした紐帯、旗印がな
んとしても必要だと考えます。
紐帯が弱いと容易にバラバラになってしまう。
誰もあまり文句を言わず、みんなが納得し共感する紐帯がなんとしても必要。
だからこそ、漫画アニメ政策なんですよ。
練馬区は、言わずと知れた漫画アニメの聖地。
この漫画アニメという財産を、区民をしっかりとまとめ、練馬区民としてのアイデンティティーにみんなが誇りをもてるように使わない手はない。
未だに漫画アニメに公費を投じるのはもったいないという声も聞こえる。
いや、漫画アニメに公費を投じるのは、なにも一部の漫画アニメファンのため
だけではない。
沢山の様々な考え方を持った、様々な環境で暮らす練馬区民を、パブリックと
してまとめ、この練馬に誇りを持ってもらうための、紐帯、旗印として、必要
不可欠なんです。
練馬区で商売をしたいという人も増やさないといけないし、その人たちが儲か
るようにしないといけないし、練馬区に観光でやってくる人たちも増やさない
といけない。
そのための整備をしていかなければいけない。
道路も必要だし、街整備も必要。
そして、なにより、練馬区民を、パブリックとしてしっかりとまとめ上げる必
要がある。
「公共性というのは、いかに個人でありうるかということと同じ」
練馬区民一人一人が、活き活きと個性を発揮し、豊かな生活を送れるように、
様々な考え方、生き方の人たちがそれぞれに個性を発揮しながらも共存共生で
きるように、練馬区をパブリックとしてまとめあげるために、
漫画アニメは、その紐帯、旗印として、必要不可欠なんだということを僕は訴えたいです。
皆様のご意見拝聴できたらうれしいです。
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さて、出雲の神々を訪ねる旅としては、最後に向かう神社は、
そう、出雲国の一の宮、熊野神社です。
一の宮というのは、その地の一番格が高い神社を言いますが、なぜ、一の宮が出雲大社ではなくて、こちらの熊野神大社なのかという謎を抱えながら、熊野大社に向かいました。
熊野大社
熊野大社は、火の発祥の神様と言われてますが、御祭神は、イザナギ、カ
ブロギクマノオオカミ クシミケヌノミコトとされてますが、諸説あるようで
す。
クシミケヌノミコトというのは、スサノオの別名で、やはりスサノオを中心に祭られていると考えていいのかな?
ご神名は神格の本質を表しますが、このクシミケヌノミコトという名前は、
人々の食して生くべき食物に霊威をみちびき、農耕生産の豊穣を約束して、人々の営む万般の生業の発展を保障され、人の世の繁栄と平和、人々の幸福をみちびかれる深厚高大な霊威を発顕具現されるという意味合いのようです。
スサノオノミコトは、出雲の簸の河上で八岐大蛇を退治された神話に見られますように、人間社会を洪水の災害から救われて稲田の豊穣をもたらされ、人の世を和楽にみちびかれました。
熊野大社のHPには次のようにあります。
スサノオノミコトは不思議な霊威をあらわして成りと成り出づるものが豊富
であるようにと世の人々を導かれたのであります。
これは、人間社会につきまとう人間であるが為逃れられない不安と苦悩を取除いて、人間の営む社会生活の繁栄と平和をもたらされたということを意味しています。
●スサノオノミコトは人間の幸福を約束される愛の神
●スサノオノミコトは人間の願望期待に応えられる救いの神
●スサノオノミコトは身を犠牲にして他を救われる愛の神
●スサノオノミコトは人の世の幸栄のムスビの神
スサノオノミコトに見守られています限り、人の世は立ち栄えるのでありま
す。熊野大神の御神縁に結ばれる人々は、その御手振りに神習いまして、御神光があまねき世に輝きわたるように神意奉行を尽くさせて戴きたいものであります。
うーんなんともありがたいじゃないですか。
ますますスサノオが好きになっていく自分がいました。
さて、熊野大社では、「鑽火殿(さんかでん)」というのが有名だそうです。
鑽火殿は、スサノオが火を起こす方法を教えたという臼と杵が奉安されてい
る施設です。
この鑽火殿が脚光を浴びるのは、出雲大社の宮司が亡くなり、新しい宮司に
変わるときで、出雲大社の新しい宮司は前の宮司が亡くなるや、直ちに熊野
大社の鑽火殿に赴いて、「火継(ひつぎ)」の式を執り行わないといけない
と言うのです。
この鑽火殿で神聖な火をもらわないと、出雲大社の宮司になれないのだそうです。
凄いでしょ?なにかそこには、出雲大社よりも、こちらの方が格が上なんだ
ぞっていうものを感じませんか?
さらにさらに、
熊野大社では、毎年十月十五日に出雲大社の宮司がやってきて、神器のひきり臼とひきり杵を頂戴する「鑽火祭」があります。
この神器を授け渡す儀式は「亀太夫神事(かめだゆうしんじ)」と呼ばれ、
これがとっても面白いのです。
これは、熊野大社の社人である亀太夫が、出雲大社の宮司が持ってきた神餅の出来栄えにケチをつけ、それに対して出雲大社の宮司が弁解するやりとりを神事にしたものだそうです。
熊野大社の近くには代々この亀太夫を務める一家があり、亀太夫は、毎年その時期になると、今年はどんなケチをつけてやろうかと楽しみにしてると言うのです。
亀太夫にとっては、年に一度のこのときほど痛快なことはなく、出雲大社の
宮司にとっては、これほど腹の立つことはないそうです。
これも、出雲大社に対する、熊野大社のプライドを感じますよね。
これは僕の邪推ですが、この神事から感じるのは、
やっぱり出雲大社も元々はスサノオが祭られていたのではという疑問。
それが、あるときから、藤原不比等がオオクニヌシに変えてしまったのでは
ないか?
出雲大社を中心に、藤原不比等は、藤原氏中心の政治の物語的バックボーンをつくっていくが、
さすがの藤原不比等も、この熊野大社や、須佐神社などまでは、御祭神を、
スサノオから変えることは出来なかったのでは??
なにかこの神事は、藤原不比等への、出雲の神々の皮肉りにも感じてしまうのですが、まー邪推でしょうね。
歴史学者でもない、対して詳しくもない単なるもんじゃ屋の親父なんで、い
い加減なこと言ってしまってます。
もしかしたら、スサノオが別名でこちらに祭られているのも、もしかしたら、
スサノオが御祭神だということを隠そうとした・・・・・いやはやまさしく
言いすぎですね。
とにかく、出雲大社でなく、出雲の国の一の宮は、ここ熊野大社なんだぞと
いうプライドと、格式を感じさせてくれて、ますますスサノオが好きになっ
た神社でした。
(つづく)
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