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新入園、新入学、おめでとうございます!
うちの子たちも、僕が通ったのと同じ中学に入学いたしました。
さて、僕は、学校には、「学びの神」がいらっしゃると思っています。
入学式は、その「学びの神」に、どうぞよろしくお願いしますと挨拶するとい
う大切な意味もあると思っています。
学校というところでは、次々と奇跡が起こる。
昨日まで書けなかった漢字がかけるようになり、昨日まで出来なかった英語の
挨拶ができるようになったりする。まさに奇跡が日々起こる。
スポーツでも芸術でも、昨日まで打てなかったバッティングが出来るようにな
ったり、昨日まで吹けなかった笛が吹けるようになったりする。
まさに奇跡の連続。
「学びの神様」は、いつもやさしく子供たちの成長を見守っている。そして努
力した子には、必ず奇跡を起こしてくださっている。
「学びの神様」に感謝し、大切にしていないと、学校が荒れてしまったりして
しまう。
僕は、学校には「学びの神様」がいらっしゃるってことをもっと子供たちに教
えてもいいと思っています。
仮に気に入らない先生がいても、きちんとそこから反面教師も含めて学びなさ
いという「学びの神様」のご意志があるって思ってほしい。
お天道様は見ているように、きちんといいことも悪いことも、「学びの神様」
は見てくださっている。いつも見られているってことを感じて欲しいなって思
う。
学校の正門には、鳥居みたいのがあったっていい。ここから先は、学びの聖域ですよ、ここから先は、学びの場ですよってはっきりわかるようにした方がいいかもしれない。あまりに俗に染まったところでは、真理には近づけないから。
正門入ったところには、手水舎ぐらいあってもいい。
そこで身を清めて、学びの場に向かわせた方がいいかもしれない。
学びの場、学校で、「学びの神様」にしっかり感謝して、日々、努力して、し
っかり奇跡を沢山起こして欲しい。
学校は、凄い奇跡が毎日のように起こる処。
しっかり学んで成長してほしい。
新入園、新入学おめでとう!
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子育て、教育、学校
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中学校や高校への携帯電話の持ち込みについて、色々議論があるようですね。
これに関しての僕の意見ははっきりしています。
つまり
「学校への携帯電話の持ち込みは、可能とする。ただし、非常事態以外での使用は禁止する。」
以上終わり! です。
日本には立派な侍の歴史があります。その歴史から学べばいい。
武士は、いざというときのために、刀を帯同します。でもむやみに抜いたらいけないんですよね。抜いたら罪になる。
古武道の世界でも、普段からしっかり、人を殺める技術を訓練する。でもその技術をむやみに用いることはない。
要するに、「武」とは何かといえば、「矛を止める、争いを起こさせないようにする」ものですね。
武力を持つということは、争いを起こさないようにするため、矛を止めるためのものなんですよね。
中高生が、携帯電話を持つことは、お守りと一緒で、不審者から、身を護るためにあっていいと思います。
ただし、それを使用することは、非常事態以外は絶対にダメだという指導は必要。
僕はもうそれで、議論終了!これで行きます!って感じなんですが、いかがなものでしょうか?
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いがみ合っていた、薩長同盟がなぜ達成されたのか?
まさに奇跡的ともいえる事態が達成された背景に何があるのか?
逆説的だけど、僕は、韓国中国では、薩長同盟みたいなことはあり得なかった
し、今後も現状のままではありえないと考えます。
それは、朝鮮人、中国人を、蔑視しているからではありません。
中国、朝鮮が、「一元化権力構造」であることが、根本的な問題だと考えるか
らです。
@世俗権力と教皇権・権威が分離された西欧や日本の「二元化権力構造」に対し、中国・朝鮮の権力構造とは「政教一体」すなわち、宗教と政治権力が一体化した皇帝・国王中心の「一元化権力構造」なのである。(石平)
@中国独特の「一元化権力構造」では、権力はすべて官僚たちが独占し、民間の商人・資産家たちはお金があってもいっさいの権力もなければ、いかなる権力からの保護も受けなていない。商人や資産家たちは、官僚が私服をこやすためのえじきとされた。このようにして唐王朝から清王朝まで、富が中央を頂点とする官僚と官僚機構に吸い上げられていくばかりで、民間にはほとんど蓄積されなかった。よって、中国・朝鮮ではブルジョワジーが育たなく、それが近代化、産業化を遅らせた。
また、優秀で将来有望な青年たちは、ほぼ例外なく、科挙試験を受けて官僚となる道を目指すので、政治権力から独立した自由知識人層は育ってこなかった。
優秀な青年のほとんど全員が科挙試験を目指した結果、「知識」は政治権力と官僚に独占され、「知識人層はすなわち官僚、官僚はすなわち知識人層」という、中国と韓国に独特の社会構造が生まれた。(石平)
実際、特に、朝鮮半島は、内乱の歴史、常に内部抗争がつきまとう歴史が繰り
返されてきた。
これは僕は、朝鮮人が愚かだからではないと思います。
「一元化権力構造」であることが、すべての根源だと思います。
このような、「一元化権力構造」においては、薩長同盟などのようなものはあ
り得ないと思います。
「一元化権力構造」においては、まさに朝鮮半島の歴史が如実に表しているよ
うに、内乱の連続、権力闘争の連続にならざるをえないものだと思います。
薩長同盟が成しえたのは、お互い心底憎みあっていても、政治権力の他に、朝
廷という権力構造があり、「二元化権力構造」であったからだと思います。
そしてそこには、トリックスター、第三者が介在し、仲介しないといけない。
そう、それが坂本龍馬だったんですね。
薩長同盟が奇跡的になされるには、「二元化権力構造」があり、そしてそこに
トリックスターの存在がないといけないってことですね。
このことは、多くの重要な教訓を与えてくれますね。
僕は、人間関係において、父親、母親、そしてもう一人、第三者としてのおじ
さん(おばさん)の存在がいかに重要かっていうことを学びます。
人間関係は、三角関係でないとうまくいかないもんだって感じます。
そして、その第三者こそが、トリックスターの役割を果たしてこそって思いま
す。
坂本龍馬と、寅さんと、イエス・キリストに僕は共通のトリックスターの役割
を感じます。
「寅さんとイエス」
息子の前で、母親がこうゆう、それに対して、父親が反論してああゆう。
でもそこに、第三者のトリックスターが茶々を入れて、人間関係上手く収まる。
そんな風に感じます。
これは、会社においても、地域においても、学校においてもそうだと思います。
薩長同盟がなぜうまくいったのか。朝鮮半島ではなぜ内乱が延々と繰り返され
ているのか。
もう一度、僕らはそこから教訓を読み取るべきだと思います。
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就職試験や、アルバイトの面接をされる方に、履歴書の書き方という視点を例
に、ちょっとしたアドバイスというか、心構えの一提案をしたいと思います。
僕なんかが言うのはとても僭越なのは承知の上で、ちょっとでも誰かの参考に
なれればと・・・。
予め言っておきますが、これは、就職試験の必勝法ではありません。会社によ
っても違うし、担当者によっても違うし、このアドバイスが功を奏する場合も
あれば、逆にアダとなることも多々あると思います。
そのあたりは、ご自分でよくお考え下さいね。
ああ、念のために言っておきますと、公に関する仕事は全く想定外ですので宜
しくお願いします。
さて、僕は、サラリーマン時代、ほんの短い間でしたが、大卒の採用担当をし
ていたこともあるし、今はお店で、アルバイトの面接とかを行っていますが、
いつも感じるのは、
「誰も履歴書の書き方って、似たり寄ったりというか、みんな普通だよな」
ってこと。
一日に何百人も履歴書を見ている人なんかは、似たり寄ったりの履歴書を次々
見ていても、印象に残るものは少なかったりします。
僕もそうでしたが、次々と見ていて、とっても飽きてきます。
僕は、もっと、自分を強くアピールした方がいいと思うし、少なくともその意
気込みが感じられるような書き方すればいいのになっていつも思っていました。
具体的には、僕はヴィレッジヴァンガード方式って言ってるんですが、ヴィレ
ッジヴァンガードのPoPのように、より魅力的に感じるように盛ったらいい
のになってことです。
ヴィレッジヴァンガード方式って、たとえば、
八百屋さんで、
トマトが並んでいたらそれはただのトマト。
でもそこに、
●「松田聖子さんの親戚の方が作ったトマト」
って書いてあったら、同じトマトでも、価値が上がると思うんです。
スイカも、ただスイカが並んでいるのではなく、
●「このスイカを、TUBEの、あー夏休み、を聴きながらかぶりつけば、こ
の夏の暑さも吹っ飛ぶぜ!」
って書いてあったら、思わず買いたくなると思うんです。
で、それを履歴書でやる。
例えば、誕生日。
●1994年(平成6年)12月7日 生まれ
・・・・・
ただ単にそれだけ書いてあったら、別に誰もそこに引っかからないと思います。
でも、もしこう書いてあったらどうでしょう。
●1994年(平成6年)12月7日 生まれ(羽生結弦選手と同じ日に生まれました。
性格も似ていて、芯の強さを持っていると思います。)
もちろん、その子は、羽生結弦ではないけど、羽生結弦の良いイメージが、試
験官には伝わるはずだと思います。
単なる誕生日なんだけど、でも履歴書には必ず書く誕生日なんだけど、その誕
生日さえ、自己アピールの武器になったりする。
また住所も、ヴィレッジヴァンガード方式で武器になります。
たとえば、
●宮城県気仙沼市出身
だけだったら、「あーそうなんだ」で終わってしまうかもしれない。
でも、
●宮城県気仙沼市出身(東日本大震災で家もなくし、親も仕事を奪われました
が、家族の絆は逆に強まり、苦しい中でも常に笑顔を絶やさず、かえって精神
的に強くなったと思います。)
って書けば、どうでしょう?
こいつは、苦労しても頑張れる精神的強さを持った奴だって思ってもらえるの
ではないでしょうか?
出身地の住所も、履歴書には必ず書く項目。
その必ず書く項目を、武器にしなかったらもったいないって思いませんか?
「そんなの本人の資質と全然関係ないじゃん!」って思うかもしれません。
でも僕が思うに、大切なのは、「共感」なんです。
これからもしかしたら仕事のパートナーになるかもしれない人、それは共感を
感じる人が有利なはずなんです。
もちろん、「履歴書に余計な事書くんじゃない!」って言う頭の固い方もいる
でしょう。
でも、僕に言わせれば、そんな頭の固い会社には、こちらから避けて通った方
がよろしい。
頭の固い仕事しかさせてもらえないし、頭の固い人間関係の中で苦しむかもし
れません。
逆に、「おー、君面白いね。こんな履歴書見るの初めてだよ、即採用!」
っていうセンスのある会社は素晴らしいと思います。
そうゆう会社は、楽しく仕事ができるはずだと思います。
履歴書に、ヴィレッジヴァンガード方式を取り入れるセンスのあるやつは、当
然営業センスもいいはずだし、モノの発想力が豊かな証拠です。
そうゆう人材を積極的に採用する会社は、僕はいい会社だと思いますが、皆さ
まどう思いますか?
ちなみに、例として、僕なら履歴書をこう書くよっていうのをご紹介します。
共感を呼ぶ履歴書は僕ならこうやって書きますね。
参考になれば幸いです。
●加藤輝幸(貴社の幸せを輝かせます)
●昭和〇〇年10月25日生まれ(パブロ・ピカソと誕生日が一緒、ピカソの
ように既存の価値観に安住せず、常に新たなる価値創造を意識しています。ま
たピカソの作品のように、人や物を、一面的にとらえず、常に多面的に見るよ
うにしています。)
・・・誕生日だけで、どんな性格の子か、一端がわかるようになる。
●東京都練馬区出身(ちばてつやや、石ノ森章太郎、松本零士など漫画界の巨匠を産んだ漫画アニメの街)
・・・漫画で育った試験官には、必ず共感を産むはず。また面接のとき、話が
盛り上がるきっかけにもなる。
●練馬区立大泉二中出身(観月ありささんや、広島カープの岡田明丈投手の出
身校)
・・・よく、「自分には他人にアピールするような利点はなにもないよ」とい
う人もいます。でも、僕はそんなときこそ、「他人のふんどし作戦」がいいと
思います。
有名人、偉人と、出身地、出身校が一緒でも、もちろんその本人の資質に関係
ないかもしれませんが、ようは、試験官の共感をいかにつかむかです。
運よく、広島カープファンの試験官だったり、広島出身の試験官にぶつかれば、
もう勝ったようなもんです!
キリがないのでやめますが、高校でも、以前の仕事先でも、同級生にこんなや
つがいるとか、同じ学校出身でこんな有名人がいるとかって、結構共感産むの
に武器になりますよ。
だから僕は、後輩によく、「地元をもっと愛し、地元のことをもっとよく知れ
ば、絶対地元は、あなたを助けてくれるはず。地元を味方にして世の中戦って
いった方がいいよ」
ってアドバイスするんですが、
地元とか出身校って、本当に愛すれば愛するほど、ちゃんと自分を逆にいろん
な場面で助けてくれるなって実感します。
今回は、履歴書のことを書きましたが、なにも就職試験などに限らず、普段か
ら、色んなところで、自己紹介するときに、ヴィレッジヴァンガード方式で、
自分を紹介するのはとても有効だって思いますし、ぜひ実践してほしいものだ
と思います。
ちょっとでも参考になったという方がいらっしゃれば幸いです。
皆様のご意見、いただけるとうれしいです。
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今の日本は、教育レベルは高いと思いますが、学校のお勉強はよくできるのに、人間としての、やさしさとか情緒に欠け、他人の気持ちを想像する力が不足していた李、様々な価値観を持つ人と共生していく力が足りない、高偏差値バカ、みたいな人間も増えていると思います。
社会に出て、また世界に飛び立って立派に活躍するには、単なる学力が高いだけではだめで、感性を磨き、想像力を高め、広い意味での教養ある人間になっていかないといけないと思います。
で、そのためには、芸術作品の対話型鑑賞会というのは、効果が高いと思っています。
これは、欧米では当たり前のようにあり、新宿区でも積極的に取り組んでいる
のですが、ぜひ練馬区でも積極的に行って欲しいと願っています。
ということで、以下の提言を練馬区の方にさせていただきました。 皆様のご意見、ご感想お聞かせいただければと思います。
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練馬区で、芸術の対話型鑑賞会をもっと普及させ、定着させることを提案させ
ていただきます。
対話型鑑賞会とは、芸術作品を黙ってみるのではなく、数人で作品の前に集ま
り、色んな人が自由に感想などを話しながら、人の感じたことに耳を傾け、ま
た自分が感じたことを言葉にして表現しながら鑑賞するというものです。
この対話型鑑賞会は、欧米では当たり前のように行われているようですが、日
本では遅れていて、新宿区などは、数年前から積極的に取り組み、多大なる効
果を生んでいるといいます。
僕も何度もこの対話型鑑賞会に参加していますが、その面白さと、教育的可能
性をものすごく感じています。
僕個人が感じている、この対話型鑑賞会の効果は、一つは、自分とは違う感じ
方をする人がいるということを学べる。価値観の多様性を学べることです。自
分が思ってもみなかった感じ方をするひとの意見には、ハッとさせられること
が多いです。
もう一つは、「観察力が高まる」ことです。みんなで一つの作品を感想言いな
がら見ていると、もしひとりだったら、軽く素通りしてしまったかもしれない
作品も、じっくり見る癖がつきます。
この鑑賞会を通じて、観察力が高まると、普段の生活でも、周りの人をよく観
察するようになったし、ただ歩いているだけでも、草木や、街の様子に注意し
て観察するようになってきていると思います。
対話型鑑賞会は、また、一緒に鑑賞する人たちの交流の手助けにもなると思い
ます。
さて、
この対話型鑑賞会をお勧めする理由は大きく分けて二つです。
1、美術鑑賞参加率を高めるため
2、特に子供たちに、「多様な価値観」を学び、「観察力」を養い、「生きる
力」をはぐくむため。
まずは、
1、美術鑑賞参加率を高めるため
美術鑑賞参加率は長期的な減少傾向にあるといいます。
美術鑑賞を行った人の、年間平均活動日数は5.0回。約12%の美術
ファンが、繰り返し展覧会等に足を運んでいることを意味し、残りの88%の
一般市民は、一年に一回も美術館に足を運んでいないみたいです。
実際日本では、大きな展覧会には沢山人が群がっているけど、それ以外の美術
館などは、結構閑散としているところが多いと思います。
僕はその原因は、日本の美術教育が、「つくる」教育に偏っていて、「見る」
教育が遅れているからだと思います。
芸術を「つくる」教育は進んでいるので、日本の美術団体の公募展は200を
超えてます。
100年以上にわたって、長年美術創作活動が全国レベルで行われている国は
世界でも日本しかないそうです。
しかし、芸術を「つくる」教育に比べて、「見る」教育は全く遅れている。
これが、美術鑑賞者の長期的減少に影響していると思います。
現在美術館や博物館に足を運んでいない人の多くは、興味がないのではなく、
「鑑賞の仕方がわからないので行かない、または行っても面白くない」からだ
と思います。
そんな人の中には、鑑賞の仕方を教えて欲しい、もっと楽しみたいという願望
が確実にあると思います。現状その願望は十分に満たされていない。
学校や博物館・美術館側が、これまで十分な鑑賞教育を行ってこなかった責任
はあると思います。
そんな現状のなか、鑑賞の仕方(方法)が手軽に理解でき、しかも面白さも感
じるそんな美術鑑賞会があります。それこそが「対話型鑑賞法」を用いた鑑賞
会です。
対話型鑑賞会を普及させることによって、美術を鑑賞する楽しみを覚える人が
増え、美術鑑賞参加率は確実に増えると確信します。
もう一つのお勧めする理由は、
2、特に子供たちに、「多様な価値観」を学び、「観察力」を養い、「生きる
力」をはぐくむため。
これは特には子供たちの教育という点ですが、色んな考え方をする人がいる。
価値観には多様性があるということを学ぶことって、子供たちが「生きていく
力」を身に着けるのにとても重要なことだと思います。
「多様性」や「多様な価値観」の学びは、学習指導要領で目指す「生きる力」
の育成の一環を担う美術教育で重視しているところであるそうですね。
意見の交流を通して自己の相対化や他者理解が促される、美術鑑賞教育は、狭
義の美術教育を超える、トータルな教育です。「生きる力」をはぐくむ全人的
な教育だと思います。
意見を異にする人とも、共生する能力も身につけていくと思います。
多様性や多様な価値観の存在を理解し、それを認めることは、平和な社会を
実現し、護るためにも欠かせないことだと思います。
また、作品をよく見ることによって、「観察力」が磨かれますし、感じること
を通じて「感性」が磨かれる、見て感じ表現しようと「考える力」が磨かれる、
そして、言葉や文章にすることを通じて「言語力」が養われる。
対話型鑑賞会による教育は、狭義の美術教育を超えて、優れた教育だと確信し
ます。
アメリカでも、グローバルな経済競争に勝ち残るには、何よりも創造力の育
成が大切であり、創造力をはぐくむのに芸術教育は欠かせないと考えています。
科学や数学の知識だけでなく、芸術教育が必要であると考えています。
練馬区が、対話型鑑賞会に力を入れて、特に子供たちの教育にこれを活用して
いけば、練馬区は素晴らしいと、練馬区のステータスも上がると思います。
練馬区美術館の新しい秋元館長にも大変期待しています。
区民がより練馬区に愛し、誇りを持てるようになるためにも、練馬の子供たち
が、練馬区に感謝し、将来練馬区に恩返ししたいと思ってもらえるようになる
ためにも、
ぜひぜひ、対話型鑑賞会の普及定着の検討を進めていただければと思います。
参考文献
「月曜美術館」 小口弘史
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