練馬区大泉学園・「もんじゃ焼きお好み焼き わらべ」のつぶやき

天候がいいので、バーベキューに行きたい!でもなかなか行けないって方、どうぞ手ぶらでわらべで「室内バーベキュー」をどうぞ。

思うこと。心に響く言葉。

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野口英世の実像

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「人は能力だけではこの世に立つことはできない。たとえ、立身しても、機械と同様だ。人は能力と共に徳を持つことが必要である。」

             ( 野口 英世 )       


いやー、さすが!野口英世。いいこと言いますねー。

上野公園に銅像が立ち、1000円札の図柄にもなっているだけのことはあり
ますねー。



野口英世と言えば、当時の大学進学率は5%に満たなかった中、貧しい農民出
身で、身体障害を負いながらも苦学の末アメリカで成功した方として、
子供に夢を託した大人たちの希望の象徴的存在であり、大正時代からの国民的
な英雄と言われていますね。



と・・・ところが、そんな国民的英雄とされている野口英世の実像はとんでも
ないひどい人物で、また彼の研究成果も今では全く評価に値しないとされてい
るんですよねー・・・。



実際どんな奴だったかと言えば・・・
 
 
  
福島に生まれた野口英世。医師を目指したがは貧乏だったので、189
6年(明治29年)に恩師である小林栄に40円もの大金を借りて上京したん
ですね。
 

しかし、医師になるための筆記試験には合格したものの、放蕩のため2ヶ月で資金が底をついてしまうんですね。
 

彼は医師を志す気持ちはあったものの、その他のことにも興味を持ち、囲碁や将棋などはいいほうで、ついには歓楽街へ通うようになっていました。

 
恩師から借りたお金で遊びほうけるひどい奴だったようです。

実際彼は、平気で人に借金をし、遊びほうけお金を返そうともしなかったそう
です。 



ただ、野口英世は、放蕩三昧であっても、明るく人に好かれる性格だっ
たそうで、色んな方から、医者になるための援助を得ているんですね。なんだ
かなー。


1899年(明治32年)ペスト患者を診断し、アメリカ留学を希望しますが、身についてしまった放蕩癖のせいでその資金を持たず断念するしかありませんでした。

 
しかし医師を目指す女性と婚約し、なんとその持参金をもってアメリカへ渡る
んですね。

 
結婚する気もないのにお金目当てだったようで、ここまでいくと結婚詐欺です
ね。
このときも彼を援助した血脇氏が300円という大金を返済して縁談を破棄し
ています。助けてあげなくてもよかったのにねー。


そんな彼も、ペンシルバニア大学で蛇毒の研究論文が認められ一躍アメリカの
医学会にその名を知られるようになったんですね。


ノーベル医学賞候補にも3回上がったのですが、第一次世界大戦により授賞式
が中止となり受賞を逃しています。

野口は数万点の標本を観察し、1911年にスピロヘータの純粋培養に成功したと
発表しましたが、なんとその後の追従実験では純粋培養の成功例が一度もなく、
成果が疑問視されています。

私生活も無茶苦茶で、研究所内で野口の借金と酒乱癖を知らない人は誰もいな
かったと言われているそうです。


1918年、野口は当時赤道直下の国々で流行していた黄熱病の原因を特定するた
め、南米エクアドルに行き、その地で新種のスピロヘータを発見したんですね。

発見を元に製造したワクチンは「野口ワクチン」と命名され、大きな治療成果
を上げます。
しかし1924年、野口の元にアフリカの黄熱病患者にはワクチンの効果が全くな
いという報告が届きました。
実は野口がエクアドルで発見したのは、黄熱病に症状が良く似た「ワイル病」
の起因菌だったそうです。

慌てた野口はすぐにアフリカに向かい、英領ゴールドコースト(現在のガーナ
共和国)で研究を行います。
しかしいくら顕微鏡を覗いても病原体が見つからない。当時から黄熱病は黄熱
ウイルスが起因であるとする学説がありましたが、ウイルスは後年に開発され
る電子顕微鏡でなければ見えないため証明できません。

野口は細菌起因説を信じて光学顕微鏡での観察を続けましたが、研究成果が出
ないまま野口自身も黄熱病に罹患し1928年に亡くなったんですね。



生前に野口が発表した研究は、その後の医学検証の中で多くが間違いであると
証明され、今日まで評価されているのは、蛇毒血清の基礎研究と神経梅毒のス
ピロヘータ発見だけだそうです。海外の研究者間でも野口英世は全く知られて
いません。

彼の研究者としての実績は、今は完全に否定されているそうです。




そんな彼ですが、彼は知人から言葉巧みに借金を重ね、多数の研究発表を行っ
たことから伺えるように、他人を説得する話術に長けており、広報活動を積極
的に行っていて、自分をよく見せることには優れていたんでしょうね。

なんか、24時間テレビみたいな人物だなー。


彼の自己宣伝広報活動は功を奏し、大正時代、昭和初期、貧しくても、障害が
あっても、学問を志して、研究者として名を挙げたとして国民的な英雄に祭り
上げられたんですね。


僕が一番嫌いなパターン、まさに24時間テレビ的な人物ですね。


日本人こうゆうの好きなんだよねー。


さて、でも今日に至っては、野口英世が、実はとんでもない人物だってことは
だいぶ分かってしまっているし、彼の業績も完全に否定されているという中、
いまだに、会津では郷土的英雄とされつづけ、上野公園に銅像は堂々とあり、
1000円札の中でも、偉そうにしています。


正直こうゆう人物は僕は嫌いです。せめて、毎日のように使うお札からは、彼
は早く消えて欲しいなって思いますね。

冒頭の言葉、本当に野口英世が言ったんでしょうかね。まさしく、お前が言うな!ですね。
ただ、こうゆうことを言うと、周りは立派な人だと勘違いしてしまうよなー。
自分を偉く見せるのは得意な奴ってことでしょうね。

あーあ。


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2018年白日会展より、

「手っとり早く成功せんとする人は、手っとり早く失敗する人である。」 
(本多静六、造園家、明治神宮の森などを植林し造った人)


巨万の富を蓄えたことでも知られる、造園家の本多静六。

元々荒れ野だった代々木に、明治神宮の森を、200年後を見据えて植林し造
った方ですね。


彼の植林の仕方は、すぐに森として結果が出ることを求めず、200年先に、
自然の森として存在することを考えて造ったところが凄いですね。

人生設計の達人とも言われますが、その計画性、学ぶべきところがあります。

確かに、明治神宮の森、今見ると、あれがもともとあったものではなく、植林
してできたものだなんて、言われないとわからないですよね。


さて、この言葉を聞くと、飲食店の僕は、飲食店のイベントや広告のことを思
い出します。


よく費用対効果っていいますが、僕は長年店で色んな事やってみて、費用対効
果なんて、そんな短いスパンではわかるものではないって感じます。

まー、もちろん、短いスパンでの営業しか考えてない店は、短いスパンでの費
用対効果を求めないといけないのでしょうが、僕はそうゆうの嫌いですね。


わらべの場合、何か費用をかけて、イベントなり、広告なりした場合、その結
果って、3年後、5年後に現れたりするってこともよくあります。


大手のお店は、店長は、費用対効果をどうしても求められるでしょう。
でも逆にうちは、そうゆうのを全く求めないところで勝負している。

それは、商売の目的が違うのだと思います。

わらべは、儲けることよりも、長く続けることを目的にしている。

地域全体がよくなり、地域の住民がより、この街を愛し誇りに思えるようにな
ることを目的として営業している。

目的が違うのだから、やることが違っていて当たり前でしょうね。


手っ取り早くなくなる店が多すぎる飲食店。

わらべは、長年営業を続けることを考えて今までやってきたので、手っ取り早
く成功する策はなるべく避けてきた。


「手っ取り早く成功線とする人は、手っ取り早く失敗する人である。」

明治神宮の森のようなお店になりたい。

これからも頑張ります。

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@ジョークというのは中世におけるジョーカーと同じわけでして、中世の宮廷
というのは大変厳粛なものでしょう。ところが絶対に厳粛なものというものは、
人間にはあってはならない。だから、見かけはこんなに厳粛なんだけども、被
造物がそんなに厳粛であるわけがないということを、態度で表明するジョーカーは万能である。
トランプのジョーカーがキングやエースよりも上なのはそこから来たんですね。
つまり、ジョークというのがそれほど重い意味を持つというのは、原論が仮説であるということの裏返しなのです。だから原論が仮説でなくて、言霊信仰があるところ(日本)に、ジョークの入り込む余地はありません  (小室直樹・山本七平 「日本教の社会学」より)




欧米では、文化が違い、信仰が違い、人種が違う人たちが沢山いた。だから、
お互いが立場を突き詰めて行ってしまうと、必ず相手は悪者になるし、争いに
なってしまう。それでは人間関係成り立たないし、共存できない。

そんな中の知恵で、お互いの原論は仮説に過ぎないから、お互い真剣になって
いがみ合わないようにしましょうということが、ジョークの必要性につながっ
たのだと思う。



日本はその点、言霊信仰もあり、どうも、ジョーカーの必要性をあまり感じな
いできたのかもしれな。

でも、今の日本も、かなり、育った環境が違ったり、考え方が違ったりする人
が増えてきた。

みんなバラバラなアノミー(無連帯)が広がってきた。


学校でも、会社でも、町会でも、共存していくために、今後はジョーカーの存
在の重要性は増してきていると思う。



その中でも特に、日本の政治には、第三極っていう言い方もあるけど、ジ
ョーカー的存在が必要だと思う。



「すべての原論は仮説である」っていうことに、僕は人間は謙虚であるべきだ
と思うし、特に政治家は謙虚であってほしいと願う。

「すべての原論は仮説である」っていうことは、どんな主張も自分は絶対に正
しいと思っていても間違いを犯すことがあるってことだよね。

ある人が、あることを主張したとき、それに対して間違っていると反論すると
き、お互いが自分が絶対に正しいって思っていると、どうしてもギスギスした
議論になる。

そんな時に、ジョークを交えて、ジョーカーのような存在が議論の中にいると、
話はうまくいくかもしれない。

そう、政界にも、ビートたけしや、寅さんのような存在があるべきだと思うね。


もし今それをやれる人がいるとしたら、僕は橋下徹だと思うけど、その前に前
提として国民の中に、政界にはジョーカー的存在が必要なんだという認識がも
っと育たないといけないと思うね。



ジョーカーは、キングよりもエースよりも強い。

ジョーカーがいて、初めて、キングもエースも謙虚になれるんだと思う。


ところが、日本には、言霊信仰があり、なかなかジョーカーが育たない土壌が
あった。

だからどうしても、「自分が絶対に正しい」という原論展開がはびこりがち。


でも、僕はいつも言うけど、「こうでなければならない」という原理主義は必
ず不幸を招く。


フランス革命も、ジャン・ジャック・ルソーの啓蒙的考えを原理主義にしてし
まって、自由を掲げながら沢山の血が流れた。

ロシア革命も、マルクスの思想を原理主義としてために、沢山の血が流された。


人類の歴史は、原理主義は不幸を招くということを教えてくれる例に溢れてい
る。

で、そんな原理主義に陥らないために必要なのは、「すべての原論は仮説であ
る」という認識なんだと思う。

そしてそのために、ジョークを駆使するジョーカーの存在は必要不可欠なんだ
と僕は思う。


寅さん映画になんであんなに平和を感じるのか、それは、寅さんがジョーカー
となって、原理主義の防波堤になっているからだと思う。

ぼくは、イエス・キリストも、本来ジョーカー的存在だったと思う。


もし政界にジョーカーが作れないのであれば、社会を他の視点から風刺し、新
しい価値観を提供する、アートの世界がジョーカーにならないといけないって
感じる。


アート自体が原理主義になってはいけないって僕は思う。アートはジョークを
駆使するジョーカー的な存在でなければその存在価値は薄いと思う。


アートの世界に、「これはこうゆう見方をしなくてはいけない」というような
原理主義を持ち込むとつまらなくなる。

既存の価値観を笑い飛ばす現代アート、僕は結構いい線行ってると思うけど、
アートの世界の人間たちが、アートの世界の中だけで生きてしまっている感じ
もまだまだ受けていて、もっともっと社会全体を笑い飛ばす、価値観をひっく
り返すような自負心と責任感を持ってほしいなって思う。

現代アートの世界は、僕はまだまだ知らない方が多いけど、たとえば、Chim↑
Pom(チンポム)なんてアートグループはいい線いっていて、面白いなって思う
よね。



練馬区にもジョーカーは必要。僕は、新しく練馬区美術館の館長になった秋元
雄史氏には、アートの世界から、練馬区のジョーカーになってほしいと願い期
待している。
練馬区はどうにも体質が古く固いから。


ある考え、ある団体や、集団の原理主義にならず、練馬区全体をジョークを駆
使して盛り上げたい。

そして僕も、練馬区のジョーカーになりたいと願う。

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@汁粉を造るのにただ砂糖のみを入れて造ったものと、少し塩をいれたのとで
はその甘さが非常にちがふといふ事は人のよく知るところである。

即ち美を表すために美と正反対の感じをかりる事はこの理に似ていると言える
だろう。

美を表すのに、その形式をただ、典雅、高尚によるものは、ともすればその美
が甘くなりやすい。

(中略)そうゆう道の美は、単純である事をまぬかれない。いわゆる「コク」
がなく、渋さや、苦さに乏しい。

(中略)子供の味覚に「甘し」と感じられるものでは本当の味には至らない。
つまり、苦味、渋み等は、「甘」の正反対の味であって、只それだけでは本当
に、まづいものであるが、その苦い、渋いを生かすとき、本当の進んだ味が出
てくる事が多い。

(岸田劉生 「演劇美談」より)



岸田劉生の長女麗子の写真を観ると、本当にかわいらしい女の子。

その愛する長女を、岸田劉生が描くと、単にかわいらしいというだけでなく、
どこか不気味だし、神秘的だし、不思議な感覚にとらわれる。

そして、その魅力にどんどん引きずり込まれる。

なんでだろう??


「道路と土手と塀(切通之写生)」

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も、なんでこの作品に惹かれるのか、魅力を感じるのか、理由はわからない。
なぜかわからないけど惹かれてしまう。


なぜか?その理由の一つが、この岸田劉生の言葉の中にあると思います。


岸田劉生の作品は、美しいんだけど、単純な美しさではない。

美しさの中に、苦味、渋みが隠し味のように効いている。

どこかちょっと不気味で、醜さも、隠し表されて描かれているように感じる。


色の表現者たちが、たとえば、緑の葉っぱを描くのに、緑の中に、よく見ると
黄色や赤が、隠し味のように使っていたりするように、

岸田劉生作品には、苦味、渋みが重厚的に使われて、それが深く軽々しくない
美に繋がっているように思える。


「麗子像」

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かわいらしい女の子を、単純に可愛らしさを表現しているだけなら、「あ〜か
わいいな」で、その時は感じても、そのうち飽きてしまうかもしれない。

でも岸田の描く麗子は、違う。

まず、その奥深い力にハッとさせられ、釘付けになる。

なんか現世を超えて、どっか霊的な世界につれていかれるような、不気味さ、
神秘性を感じさせる。


でもそれだけにより以上に「美」を感じさせる。

こんなに、苦味、渋みが生かされた神秘的な美ってあるだろうか?

人間は、欠点がないと厚みが出ないし、本当に味のある人間味が出ない。

人生における、様々な経験や、失敗、苦労、挫折・・・そんなものがないまぜ
になって、本当の味のある人間味が出てくるんだと思う。

本当のやさしさの中には、厳しさが潜んでいるし、本当の厳しさの中にはやさ
しさが潜んでいるものだろうし・・・


麗子はまだ子供。子供はあどけなく経験もなく、かわいらしいもの。


でも、岸田劉生の描く麗子像は、深い神秘性がある。


僕は岸田劉生は、現世では子供である麗子だけど、その魂には、前世の記憶、
経験、前々世の記憶、経験があり、その前世、前々世で、麗子が経験してきた、
苦労とか、失敗とかまでも描こうとしたのではないか?


もしかしたら、麗子の前世は、随分と貧乏して苦労して辛い思いをしてきたの
かもしれない。

僕は、岸田劉生が、今世で、麗子が美しく健やかに幸せになることを願いなが
ら、前世までに経て身に着けてきた、様々な苦労経験までも、描こうとしたの
ではないか?


そう思うと、苦味、渋みまで感じさせてくれて、麗子がより、かわいく愛おし
く思えてくる。


だから、岸田の麗子像って、神秘的な魅力を感じさせてくれるのではないか?




今の平成の世の中、マスコミは、実に簡単にレッテル貼りし、単純化し、安易
な方向に世論を導こうとしている。

そんな世の中で、「麗子像」は凄く刺激的に僕には映るんです。


「苦味、渋みを生かしてこそ、本当の進んだ甘みに至る」


本当に心に響いてくるアートって、美って、こうゆうところにあるのかもな・
・・なんてしみじみとさせてくれる、「麗子像」でした。

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@「(精神病という)病気があるのが私の唯一の財産だなっていうような感じ
ですね。他に何も特別なものを持っていないけど、病気をもっていることがあ
たしのやっぱり生きる糧ですね。」

「(精神の病気を持っていることに)やりがいがある。きっとね、子供を育て
たら、子供を育てたことにやりがいを持っていると思うし、仕事をしていれば、
仕事をしていることにやりがいを持ってるのと、変わらないと思うんだよね。
普通の人が、普通にやりがいを持つことと。あたしが病気のことに苦労してい
ることは、きっとそんなには変わらない。ただ、あたしはあたしに与えられた
環境と状況に順応しているだけで、ハハハ。」
(べてるの家で、精神障害を抱える方の言葉)




精神障害を抱える方が、それを治そうとしたら、きっと苦しむんだろうね。

治そうとするのではなく、それを財産だと思い、病気と向き合うことが生きる糧だと感じる。なんか教えられます。


僕は、人間は、魂の世界から、魂の修行のために、この世に、肉体を伴って生
まれてきているって思っていて、
本当の世界は魂の世界で、この世は、魂の修行のために一時来ている場所だっ
て思っているんですね。


で、この世では、人それぞれ、魂の修行のために、様々な課題を抱えている。

それは、神様から、「あなたには、あなたの魂をもっと逞しくするためには、
この課題が必要ですよ」
と、与えてくださっている。


僕は、どんなにつらいこと、理不尽なことがあっても、それは神様が、僕に合
わせて、一番必要な課題を与えてくださっているのだなと、感謝するようにし
ている。


精神障害を持っている方は、まさに、精神障害という課題を神様からありがた
く与えられたんだと思う。

だから、その課題と付き合っていくことに、感謝し、生きる糧を感じないとい
けないんだろうね。


治そう、治したい。って思うことは、もしかしたら、課題から逃げようとして
いるのかもしれない。

せっかく神様が与えてくださった課題から逃げるのは不遜だよね。
その課題を生きる糧にして、しっかり向き合って付き合っていくべきだと思い
ます。


人間それぞれ、魂の修行のための課題は違う。


ある方は、肉体にハンデを持っているかもしれない。ある方は、家庭環境や仕
事の環境などにハンデを持っているかもしれない。
そして、精神障害というハンデを持っている方もいらっしゃる。


僕は、それも個性だと思う。

それぞれに神様から与えられた課題は違う。神様から与えていただいた課題は、
自分の個性。大切にしないといけないと思う。


人間生きていく中で一番大切なこと。


僕は、「生き抜くこと」に尽きるように感じる。


どんな課題を与えられても、それに感謝し、しっかりと逃げずに受け止めて、
しっかり生き抜くこと。


お天道様はみてらっしゃる。


野球部に入って、ホームラン沢山打ちたいと思っているとき、毎日球拾いばか
り命ぜられたとき。

ばかばかしくてやってられないって思ったやつは、いつまでたっても、バット
を持たせてくれないだろう。

でも、球拾いを、愚直に真剣に取り組み続けた奴は、必ず、よし、バットを握
ってみろって、言ってもらえるだろう。



お天道様は見てらっしゃる。


どんな課題であれ、理不尽で、嫌になる課題であっても、その課題をしっかり
受け止め、しっかり取り組むことが生きることなんだって思う。


この世でいい思いを、楽な思いをしようと思っていたら、魂の修行にはならな
い。


トレーニングジムで肉体を鍛えないで、楽ばかりしていたら、肉体は鍛えられ
ない。



生き抜こう!

辛いことは沢山ある。でもだからこそ、自分が鍛えられる。

そして、今日も、わらべは頑張ります。

人生は生き抜くことに価値がある。

お店も、やり続けることに価値がある。


今日もしっかり頑張ります。

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