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栄養


昨日、図書館で、栄養に関する本を借りてきた。

自身の問題でもあるのだが、それ以上に身近な大切な人のために。

とは言っても、自分自身の食生活を鑑みて、とても力になれるほど、食に関する知識があるでもなく、本を手に取った。





もう、一人暮らしをして、何年だろう。

そろそろ、その年数が、一桁あがる、そんな男の食生活は乱れていたとしか言えないものだった。

ちょっと、自身を振り返る意味で、つづってみようと思う。





ジム通いを始めたころ、一日の摂取カロリーを1600kcal以下、一日最低700cal程度トレーニングを欠かさずしていた。

ジュースは炭酸を飲むのを止め、100%ジュースをコップ1杯を週に2回くらいを限度に。

自転車も持っていなかったので、通勤、買い物で、1時間は歩いた。

洗濯器が買えず、コインランドリーに通っていた。





自分の病気が治らないことに嫌気がさして、暴飲暴食に走り、ジムへ通う前の数か月で20キロくらいは太ったかもしれない。

僕は、揚げ物がダメなのに、フライや、フランクフルト、お菓子をコンビニで買いあさって、毎日のように食べていた。

もう、半ば、自身の見た目や、将来、すべて放棄していた時期もあった。

そんなとき、一方で、こんなことが頭によぎる―


一日にやることを少なくして、今と全く別の自分に、体力をつけて、自信の持てる自分になりたい

いつも、食べてから、後悔する、レジ袋いっぱいの食べ物を横目に、行動とは裏腹な思いであふれていた。





ジムに通い始めたころの恥かしさは、表現しようがなかった。

周りはお腹が凹み、肌もイキイキ、表情も言動も、何もかも、僕と真逆の人ばかり。

自信の言動も正すと決めて、ジムを始めたので、知らない人にも、エアロビなんかで少し話したことある人には挨拶をするように。

ちなみに、僕はカナヅチだったのだけど、ダイエットには水泳が良いとアドバイスがあり、プールへ…

お腹出てる、まんまるい体型…

しかも、泳げば、溺れる。

知らない人に沢山怒られながら、助けてもらいながら、励ましてもらって、半年ほど経って、25m難なく泳げるように。





結局、ジムは5年くらい行ったのかな?

今では、誰も、パッと見、僕が病気だとは思わないし、話しても信じてくれないほどだ。

僕は。病気の人=太ってる、ダサい、トロいなんて図式が嫌い。

だから、それに反抗しようと、ジムへ通ったというのもあり、月一で美容室へ通っていた。

太ってたし、ダサいし(恰好が。)、トロい(お腹が出てました。。。)から、せめて髪型だけでもって思って。

それと、過食気味というか、精神的にさみしくて、つらくて暴飲暴食してたのは明らかで、それを戒めるため。





僕は男だ。

それに、僕は心の中で信じていた。

僕には、きっと何かできる、もっと今まで世話になった人に恩返しをしたい。

真っ暗な部屋の中で、泣いて、食べて、落ち込んで、同世代と、健康な人と比べて惨めになった自分だけど…

誰に話しても理解されない、僕として僕が生きることを不幸とも断言された。

まるで、僕が存在すらしてはいけないかのごとく、もし僕だったら、生きてけないとも言われた。

でも、味方を、一番ほしいときの、一番理解してほしい相手を味方と呼ぶとするなら、それがなかった僕でも心はブレなかった。





ジム通いをして、半年後、こんなことがあった。

いつも行ってる美容室のシャンプーマンの人が、駅でチラシを配っていた。

「あ!! warabianさんですか????」

「どうしたんすか―、こんなかっこよくなって、痩せマッチョっていうか、なんかカッコいい!!!」

と言われたのだ。





実は、彼、シャンプーのときに僕にこんなことを言っていた。

「肌汚いっすよねーー」

「どうしたんすか?」

まぁ、そんなことを気軽に客にいうのもどうかと思うが、彼に駅で声を掛けられた瞬間、自分が認められたのだと思えた。

自分をよく思わない人というのは、誰にでもいるだろうが、そのほとんどは、覆せるとこのときわかった。





しばらく、痩せた体型を維持しようと、ヨーグルトや卯の花だけの食生活などもしていて、それでも、時折、買い食いをしてしまう。

そうすると決まって、肌が荒れ、褒められたはずの自分にまた自信を失くし、ジムで走る。

すると、僕の身体は正直なのか、フランクフルトを食べるとその味の汗が、マクドナルドなら、マックの味の汗が出た。

確実にそれらが身体を痛めてると痛感した。





そんな僕を変えた出来事があった。

よく行く、ラーメン屋での話だった。

そこのオーナーは、癖はあるが、個人的にすごく尊敬できる部分があり、今の僕の形成になくてはならないといえる人物の一人。

ある時、僕が、普段はヨーグルトしか食べずに、ジムでトレーニングしてるという話をすると…

「今はまだそれでもいいが、30代、40代と働き盛りになって、使い物にならなくなる。」

「おいしいものを、ちゃんと食べて、力をつけて、太るとか気にしないで、がんばりなさい。」

そんなような趣旨の話を力説された。

それは説教ではなく、彼自身を見て、それが正しいとその場ですぐに理解できたから、長い話だけど、ずっと聞いていた。





それからだったかな。

僕は、コンビニでの買い食いを止められた。

食を楽しめるようになれた。

一人で食べるときも、なるべくなら美味しいお店や、おいしい食材を選ぶようにした。





数年前、全く出歩けないほどに病状が悪化したときがある。

その時は、寝ながら、最低限の物、しかも、最低のバランスのものを食べていた。

長引いたのと、深刻な状況(自分で入浴、トイレすらまともに行けない)になったのは、そのせいもあるだろう。

死を常に意識して生きてきた自分だけど、その時は本当に怖く、発作を起こしながら、誰にも連絡を取らず、一人で泣いていた。





少しして、多少、病状が安定した時期に、料理の重要性を認識し、包丁を手に取るも、先端恐怖症のような感覚になり、ただただ、怖かった。

僕は、誰かのためを思うと昔から、実力以上の力を出せる。

それを利用して、友達や、その時の彼女、家族へ料理を作ることで自信をつけていった。

でも、栄養のバランスはいいとは言えず、よく口内炎ができてしまっていた。





人にやさしくあるというのは、まず自分と向き合うこと、知ることが重要だと意識したのも、この頃。

無理をしても続かない、それはやさしさでなく、もしかしたら、負担、不満になるだけのものかもしれない。

最近まで、僕はすごく無理をしていた。

それをわかってくれる人というのは、なかなかいない。





僕のお金の使い方まで言及できるような人も今まで一人たりとも、家族以外はいなかった。

というより、言われても相手にしなかった。

幸い、最近の僕は、尊敬できる、気持ちの話をできる相手というものができた。

耳の痛い話も、以前は突っぱねてた話すら、しっかり聞こうと思える相手だ。





その相手に、僕ができることを探し、栄養というキーワードが見つかった。

栄養というのは何も、食物から摂るものだけでなく、心も同じように栄養をほしがるのだ。

昔の僕ならば、こんな難しいことは、わからなかっただろう。





目の前の相手というのは、とても大切にしているキーワード。

僕の前にも、あなたの前にも、いつも、だれかいると思う。

それが、家族、友達、恋人などの括りでなく、大切な存在として認識できたとき、人は動くのだろう。

自分では、無理と思ってたこと、避けていたことすら、できるのだ。





この数年の僕は、愛情ということを念頭に生きている。

友達、仲間は大切で、自分の精一杯で彼らを支えたい。

友達と恋人の差異というのを、敢えて作らなかったことすらあった。

そうすると、彼女からは不満が溢れるのだけど…





一緒に、自分の大切な人を大切に想い、親身になれるような人を僕は好きだ。

僕もそうありたいと思うし、そこから、はじめて、人のやさしさの輪は生まれると思うからだ。

個の時代と言われ、それが孤の時代になっていることを時折、いろんな人が、さみしさや、悲しさ、辛さを抱えているのかもしれないと思うときがある。

そんな感情を少しでも少なくするには、やはり、思いやる心、目の前のあなたを大切にする気持ちが必要だと思う。





こんな長々とブログを書く自分に、昨日、うれしいメールが届いた。

初めて、自分のすべてを肯定された気持ちになり、深夜に涙した。

そのメールの送り主は、カッコいい言葉を並べたのでもなく、思うままに書いてくれる人なので、ありがたく思う。





僕は、ブログに抽象的なことしか書きません。

最近、ギターが面白くなってきて、そのこととかはもっと書きたいですが…

あと、パソコンのことも…

今日、僕が英語がペラペラだと賞賛されましたが、一般的な日本人のレベルよりは上でしょうが、そんなことはありません。

法律用語や、経営の英語、いっぱい知らないことがあるので、そちらも勉強して、記事にでもします。


※いつも、長ったらしいブログです。

 でも、気持ちの部分の話をメインに書いています。

 これをお読みになったどなたかと、そういう気持ちの部分での共有ができれば何よりです。

 僕はブログの最初の方に、自分の幸せを全否定的なことを書きましたが、今は違います。

 自分も幸せにならなければ、周りの人と一緒に幸せにはなれないと思うから。

 幸せは僕にとって切っても切り離せないキーワード。

 それに不という文字をつけるとは、人生を否定しているようなもの。

 自分が今いる、生きているとは、好きな、大切な人達を肯定し、また、自分が評価されることは、その人たちも一緒に認められるということ。

 それだけで、恩返しの一歩を歩めるのでは?と最近は思ってます。

閉じる コメント(2)

こんにちは。
人生を楽しんでいる人のそばにいると、こっちまで楽しくなります。
だから、warabianさんが幸せなのが、みんなへの恩返しだと思いますよ。^^
自分を肯定的に見られるようになって、良かったですね♪

2010/12/20(月) 午前 11:07 スイレン

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>スイレンさん
こんばんは。
僕はつまらないことといえば、調子の悪い時で、それ以外は結構楽しんでいます。
サイクリングも好きだし、料理もするし、掃除も好きです。
なんか地味な感じですが…
小さなことでも、満足するのがいいのかもしれません。

2010/12/21(火) 午前 1:19 [ BLUEPRINT ]


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